陽だまりの檻、獅子のキス。~愛玩動物として召喚された俺と不眠症の獣人王~

藤宮かすみ

第1話「捕食者と極上の獲物」

 意識がゆっくりと覚醒していく。泥のような眠りから引き上げられると、そこには見覚えのない石造りの天井が広がっていた。ひんやりとした冷気が背中を伝い、晴人は慌てて体を起こした。

『ここ……どこだ?』

 周囲を見渡すと、そこは巨大な檻の中だった。いや、檻というにはあまりにも豪華だ。床にはふかふかの絨毯が敷かれ、部屋の四隅には金細工の装飾が施されている。だが、正面には太い鉄格子が嵌め込まれており、ここが自由のない空間であることは明白だった。

 記憶を手繰り寄せる。仕事の帰り道、見慣れない路地裏で不思議な光に包まれたところまでは覚えている。まさか、あれが俗に言う異世界召喚というやつなのか。

 混乱する晴人の耳に、重々しい足音が響いた。

 ドスン、ドスン、と腹の底に響くような振動。それは鉄格子の向こう側から近づいてくる。

「……おい、目覚めたか」

 低く、地を這うような声。晴人が恐る恐る顔を上げると、そこには信じられない光景があった。

 巨大なライオンだ。

 動物園で見るライオンの二倍、いや三倍はあるだろうか。黄金色に輝く鬣(たてがみ)は炎のように揺らめき、鋭い眼光は黄金の月のように輝いている。何より異様なのは、そのライオンが二本足で立ち、豪奢なマントを羽織っていることだった。

「ひっ……!」

 晴人は思わず後ずさり、壁際へと追い詰められた。本能が警鐘を鳴らしている。あれは捕食者だ。そして自分は、間違いなく獲物だ。

 ライオン――獣人の王、レグルスは、鉄格子の前に立ち止まり、興味深そうに鼻をひくつかせた。

「ふむ。これが『人間』か。古文書にある通り、毛が少なく、頼りない姿をしているな」

 レグルスが指を鳴らすと、鉄格子が音もなく開いた。晴人はガタガタと震えながら、膝を抱えて縮こまる。

『食べられる。絶対に食べられる』

 ライオンの口から覗く鋭い牙は、晴人の首など一噛みで砕いてしまうだろう。

 レグルスがゆっくりと部屋の中に入ってくる。その威圧感だけで、空気が張り詰める。彼は晴人のすぐ目の前まで来ると、巨大な顔を近づけてきた。

「いい匂いだ。甘く、どこか懐かしい……これが『異界の愛玩動物』の香りか」

「あ、あの、おいしくないです……!」

 晴人は反射的に叫んでいた。涙目で訴えるその姿に、レグルスは喉を鳴らして笑う。それは低い唸り声のように聞こえ、晴人の恐怖をさらに煽った。

「食わんよ。少なくとも、今はな」

 レグルスは巨大な掌を伸ばし、晴人の頭を乱暴に撫でた。撫でるというよりは、鋭い爪を立てないように慎重に押さえつけている感覚だ。

「お前は希少な愛玩動物として召喚された。俺のペットだ。大人しくしていれば、悪いようにはしない」

「ペ、ペット……?」

「そうだ。俺を癒せ。それがお前の存在意義だ」

 レグルスはそう言うと、興味を失ったかのように背を向けた。

「夜にまた来る。それまでに環境に慣れておけ」

 ドスン、という重い足音と共にレグルスが去っていく。鉄格子が再び閉ざされ、晴人は豪華な牢獄に一人取り残された。

 心臓の鼓動が早鐘を打っている。ペット。愛玩動物。その言葉の意味を反芻し、晴人は青ざめた。

『癒せって、どういうことだ? 愛でられるのが仕事? それとも……』

 悪い想像ばかりが膨らむ。しかし、トリマーとして数々の猛獣(気性の荒い犬や猫)を相手にしてきた経験が、パニックになりそうな心をわずかに支えていた。

 まずは観察だ。相手の生態を知らなければ、生き残ることはできない。

 晴人は深呼吸をし、震える足で立ち上がった。部屋の中には水差しと、果物が盛られた皿がある。

『水はある。食べ物も、とりあえず肉じゃなくてよかった』

 窓の外を見ると、見たこともない植物が生い茂る庭園が広がっていた。空には二つの月が浮かんでいる。やはりここは地球ではない。

 夜になると、再びあの巨大なライオンがやってくる。それまでに覚悟を決めなければならない。

 逃げ場はない。ならば、飼い主であるあの獣人に気に入られるしかないのだ。

「……やるしかない。トリマーの意地、見せてやる」

 晴人は自分自身に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。その手はまだ震えていたが、瞳にはわずかながら生存への執着が宿っていた。

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