第26話 硝煙の英雄
燃え上がるT-34から立ち昇る黒煙が、抜けるような夏の青空を汚していた。
ハブから漏れ出した重油が、泥の中で不気味な虹色の光を放っている。
その凄惨な光景を、俺たちは言葉を失ったまま、熱波に顔を歪めて見つめていた。
「……ステファン。お前、本当に何者なんだ?」
ルディが、照準器からゆっくりと目を離し、こちらを振り返った。
その瞳には、得体の知れないものを見るような恐怖と、命を救われたことへの深い尊敬が入り混じっている。
もし俺が叫ばなければ、今頃俺たちは、あの燃える鉄屑の仲間入りをしていたはずなのだ。
「……ただの勘です。……死線を何度も潜るうちに、空気が震えるのが分かるようになったんですよ」
俺は適当な嘘を並べ、汗とオイルでぐちゃぐちゃになった顔を拭った。
本当の理由――歴史を知っているなど、口が裂けても言えるはずがない。
「……よし。……ステファンに命を拾われたな。各員、感謝して装填手の言うことを聞け」
ベルント曹長が、低く、だが重みのある声でそう言った。
その一言で、車内の空気が完全に変わったのが分かった。
俺はこの九〇一号車において、単なる補充兵ではなく、運命を左右する存在になったのだ。
四号戦車は、再び地響きを立てて動き出した。
炎上する敵戦車の脇を通り過ぎる際、耐え難い熱気がハッチを通じて顔を焼く。
村の中に入ると、そこは地獄のような静寂が支配していた。
へし折れた教会の尖塔が、墓標のように空を指している。
弾痕だらけの石造りの壁の陰には、瓦礫に埋もれたソ連兵の姿が点在していた。
俺たちは「正解」を選び、生き延びた。
だが、村を抜けた先で、俺たちの目に飛び込んできたのは、さらなる絶望の光景だった。
「……見ろ。……なんだ、ありゃ……」
ハンスが、絶句したような声を上げた。
村の出口から広がる緩やかな斜面。
そこには、昨日の激突で破壊されたはずのドイツ軍戦車たちが、あちこちで黒煙を上げている。
そしてその向こう側、地平線を埋め尽くすようにして――。
新たな、そして圧倒的な数のソ連軍戦車が、こちらに向かって泥を跳ね上げながら進撃してくるのが見えた。
予備兵力。
ソ連軍が隠し持っていた、底知れない「物量」という名の暴力だ。
一つの罠を切り抜けたところで、歴史の巨大な歯車は止まってなどいなかった。
ドイツ軍の戦力は削られ、逆に敵は勢いを増して押し寄せてくる。
「……曹長、これ……本当に勝ち目、あるんですか?」
俺は、震える声でそう問いかけていた。
ベルント曹長は、双眼鏡を構えたまま、絞り出すような声で答えた。
「……勝つさ。……俺たちが、ここで食い止めればな」
再び、主砲が唸りを上げる。
俺はまた、重たい徹甲弾を抱え上げ、閉鎖機へと叩き込んだ。
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