第18話 摩耗する魂
一九四三年、七月七日。
クルスクに三度目の夜明けが訪れた。
だが、それは希望の光ではなかった。
立ち込める朝霧は、昨夜の夜襲で焼け焦げた草の臭いと。
ガソリンの残り香を重たく地表に留めている。
俺は一睡もできないまま、戦闘室の隅で膝を抱えていた。
まぶたの裏には、昨夜投げつけた転輪の感触と。
MP40の火薬の閃光がこびりついている。
「……ステファン。顔を洗え。目が死んでるぞ」
オットーさんが、水筒の貴重な水を数滴、俺の手に垂らしてくれた。
泥と煤で汚れた顔を拭うと、冷たさが意識を現実へと引き戻す。
「……オットーさん。転輪、なんとか嵌(は)め直しましたけど」
「……ハブのボルトの山が一つ潰れてます。……強引に締めました」
「気にするな。……動けばいい。今はそれだけだ」
オットーさんの声も、ひどく掠(かす)れていた。
――ズズズズ……、ズン……。
霧の向こうから、またあの地響きが聞こえてくる。
地平線を塗りつぶすT-34のエンジン音だ。
まるで、昨日壊した分だけ、土の中から新しい戦車が生えてきているかのようだ。
「……ルディ、主砲の状態はどうだ」
ベルント曹長が、照準器を覗き込むルディに問いかける。
「……最悪です。昨日だけで相当数をぶっ放した」
「ライフリングが熱で摩耗し始めてる。遠距離の精度は落ちる一方ですよ」
四三口径の七十五ミリ砲。
精密な機械であるはずの主砲も、連日の酷使でその精度を確実に失いつつあった。
それでも、俺たちには「牙」がある。
「ステファン、弾薬の残りは?」
「……満載です。昨夜の補給のおかげで、徹甲弾も榴弾もスロットは埋まってます」
俺は、重油の匂いのする暗いラックに指を這わせた。
そこに並ぶ八十七発の砲弾。
これだけあれば、まだ戦える。
だが、弾があればあるほど、それだけ過酷な「装填」が待っているということでもある。
「……よし。一発必中だ。距離八〇〇まで引き付けるぞ」
ベルントの号令で、再びマイバッハ・エンジンが始動する。
キュルキュル、というセルモーターの音に。
俺の心臓が同期するように跳ねる。
デリカミニのアクセルを踏む時のような高揚感は、もうどこにもない。
あるのは、吐き気がするほどの緊張と。
喉を焼くガソリンの匂いだけだ。
霧の中から、ソ連軍の戦車猟兵たちが随伴する、緑色の影が姿を現した。
(……一発九キロ。こいつをあと何度、閉鎖機に叩き込めば、俺たちの夜は明けるんだ?)
俺は暗いラックから、鈍く光る徹甲弾(Pzgr39)を引き抜いた。
三日目の地獄が、今、静かに幕を開けた。
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