第8話 深淵の公爵と電子の魔術書
深夜のサニーマート、バックヤードで電子音が響く。 アリスは、支給された発注用タブレットを食い入るように見つめ、画面を素早くタップしていた。その手つきは既に華麗なピアニストの如く美しい。
「ふむふむ、なるほど。つまりこの魔術書の言語によって記述された魔術用具なのだな」
そう語る手にはタブレットの取扱説明書が開かれている。
「ここで『バーコード』という印(いん)を読み取ると、こちらの『モニター』に反映されるので『ボタン』で術式を実行する。よく出来ているな。導力となる力はどこから来ているのだ」
アリスは言い回しや態度こそ奇妙だが、物覚えは抜群に良かった。特にレジやタブレットといった電子機器への適応力は、佐藤の予想を遥かに超えていた。
「電源はここに繋がってるから抜くなよ。動かなくなるし、データも飛ぶから」 佐藤がコンセントの場所を指差して注意する。
「魔術書のスクロールでも、このような表示方法の発想はなかったな。これは便利だ。一枚の石板が無限に重なっているようだ」
彼女の好奇心は止まらなかった。休憩中には、店内の本棚からパソコン雑誌を持ち出し、プログラムコードのページに没頭している。 「この言語はすごいぞ、サトウ。私にはまだ前提知識が欠けているからすべては解読できないが、地上にもこれだけの術式用語(コマンド)があったとは驚きだ。私の世界で術式に詳しい者に送って読ませたが、今では取りつかれたように研究しているとのことだ」
(……こいつ、もしかして天才なのか?) 佐藤は感心した。プログラム言語を「術式」として直感的に理解しているのだ。将来、エンジニアとしての道も開けるかもしれない。
だがその頃、デジタル領域で別の問題が持ち上がっていた。
ある深夜、佐藤が休憩中にSNSを眺めていると、『美人すぎるコンビニ店員・BEST5』というまとめ記事が目に留まった。嫌な予感がしてURLを開くと、そこには隠し撮りされたアリスの写真が大量に掲載されていた。
(うわ、マジかよ……)
日付は一ヶ月前。検索をかけると、様々な角度からの盗撮写真が溢れていた。
佐藤はアリスを呼び出し、気まずそうにスマホの画面を見せた。
「アリス」
「なんだサトウ」
「ちょっと困ったことになってる。これ、お前の写真なんだけど」
アリスは無警戒にスマホを覗き込むと、……ニヤリと笑った。
「これはつまり、人間どもが私に魅了されているということか? あちらでは私の軍団も多かったが、ここでもやはり私に魅了される下僕が出てくるということか」
「いや、前向きに捉えすぎだろ。これは盗撮っていう犯罪で……」
佐藤がネットリテラシーを説いても、アリスは「注目を浴びるのは上に立つ者の定めだ。久々の愉悦だな」と上機嫌だった。
しかし、その「愉悦」はすぐに怒りへと変わった。 数日後、画像加工技術によって、際どい服装やありえないポーズをさせられた「コラージュ画像」が出回り始めたのだ。
「……なんだこれは」 アリスの声が低く響いた。スマホを握る手に魔力が籠もり、画面にヒビが入る。「俺のスマホ……」 「私はこんな格好はしていないぞ。捏造だ! 許せぬ……私の尊厳を汚すとは!」
「まぁ……だよな。こうなったら法的手段に訴えるしか……」
「サトウ、これは私の不始末だ。私が片を付ける。『そのスジの専門家』を呼んで対処させる」
「えっ、『そのスジ』って……いや待て、アリス。その裏社会のやり方はまずいって!」
佐藤の制止も聞かず、アリスは虚空に向かって話し始めた。 「……ああ、私だ。実はいま地上に居てな。すぐ来れるか? 頼みがあるんだ」
(誰と話してるんだ!? 自分のスマホ持ってないと思ってたのに!)
その日の夜、店に現れたのは、眼鏡にタイトスカートを着こなしたキャリアウーマン風の女性だった。
「ベリア……有栖様、こちらでしたか。ご依頼の件は把握済みです」
「うむ、頼んだぞネルガル」 アリスが腕を組んで偉そうに頷く。
「以前から参考に頂いていたこちらの『魔術書』群は大変興味深く、本日までの研究成果を用いれば問題はすぐに解決するでしょう」 ネルガルと呼ばれた女性が掲げたのは、六法全書……ではなく、分厚いプログラミングの専門書だった。
数日後。 アリスの写真を掲載していたSNSやまとめサイトが一斉にアクセス不能になり、復旧後は画像サーバーのデータが、別のデータに置き換わっている事件が起きた。
「……アリス、お前、これって」 佐藤が震える手でニュースサイトを見せると、ネルガルが眼鏡をクイッと持ち上げた。
「とりあえず片はつけました。それと、盗撮者や加工者の個人情報リストはこちらです。お申し付けくだされば、如何様にも……」
「うむ」 アリスが獲物を品定めするようにリストを眺める。
「いやいやいや! ダメだって! そんなの!」 佐藤が慌ててリストを取り上げた。
「 裏社会から足洗って更生中なのに、こんなことしてたらアリスのためにならないだろ!」
「フフフ、ご心配なく。私どもに捜査の手は及びません」 ネルガルは不敵に微笑むが、庶民にすぎない佐藤の胃痛は限界だった。
そこへ、自動ドアが開いて入店の音楽が流れる。
入ってきたのはミカエルだった。ネルガルが一瞬で身構える。 「あら、そちらの軍勢の方も……当然ですか」
ミカエルは重い表情で告げた。
「……今回の件は、ちょっと干渉しすぎたね。場合によっては『送り返す』ことになるかもしれない」
アリスが唇を噛む。 「これでも一応、この世界の電子戦というやり方に従ったつもりだがな」
ミカエルは軽くため息をついて、「君たちのやり方は相変わらず『破壊的すぎる』んだよ」と苦言を呈した。
「僕のやり方を聞き入れてもらえるなら、今回の件は目を瞑ろう。君たちの一時的なやり方よりも、持続性がある『支配』の方法だ。どうする?」
数日後、都内のフォトスタジオ。
「かーわーいーいー! さすがミカエルさん推薦の人材!」 「肌きれいすぎ! 修正いらないじゃん!」
アリスは、最新のファッションに身を包み、カメラのフラッシュを浴びていた。
「何なのだこれは! 離せ! 私は公爵だぞ!」
「怒ってても可愛い~♡」 ヘアメイクやカメラマンにもみくちゃにされながら、アリスは完全に着せ替え人形と化していた。
スタジオの隅で、ミカエルが満足そうにコーヒーを飲んでいる。 「ここは僕も所属しているモデル事務所なんだけど、権利関係にはうるさいからさ。仕事として契約すれば、肖像権もプライバシーも事務所が全力で守ってくれる。君はもう『事務所の財産』だからね」
「事務所の財産……? 人類の宝だわ」 スタッフがうっとりと呟く。
「ふざけるな───っっっ!!!!」アリスがそう叫んでも誰も聞いていなかった。
その後、アリスは人気ファッション誌の表紙を飾り、「公式モデル」として認知されたことで、ネット上の盗撮やコラージュ画像は嘘のように消え去った。
後日、サニーマートのレジにて。 発売されたばかりのファッション誌を手に、ネルガルが感嘆の声を上げた。 「なるほど、この世界には『権利』という名の強力な結界があるのですね。勉強になりました」
その横で、魂が抜けたような顔のアリスが呟いた。 「……はは……そうだね……」
レジ打ちの手つきだけは相変わらず完璧だったが、その瞳からは、かつての傲慢な光が少しだけ失われていた。
「アリガトー、ゴザイマシター」
こうしてまた一つ、深淵の公爵は人間社会のシステムに取り込まれていったのである。
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