第九章 陰謀と毒

セラフィーナの誕生パーティーから、一週間が経った。


蓮は、第二厨房で新しいレシピの開発に没頭していた。庶民でも手が届く価格で提供できる菓子。高価な材料を使わず、しかし美味しい——そんな理想的なレシピを追求していた。


「蜂蜜の代わりに、干し葡萄の煮汁を使えば……」


蓮は、ノートにメモを取りながら呟いた。


この世界では、砂糖も蜂蜜も高価だ。庶民には手が届かない。しかし、干し葡萄なら比較的安価に手に入る。それを煮詰めて糖分を抽出すれば、甘味料として使えるかもしれない。


「実験してみるか……」


蓮が立ち上がろうとしたとき、厨房の扉が勢いよく開いた。


「レン・カルディア!」


入ってきたのは、王宮の衛兵たちだった。十人以上が、蓮を取り囲むように配置についた。


「……何ですか?」


蓮は、困惑しながら尋ねた。


衛兵の隊長らしき男が、前に出てきた。


「お前を、王宮から追放する。今すぐ、この場を去れ」


「追放? 何かの間違いでは——」


「間違いではない」


隊長は、蓮を睨みつけた。


「お前の菓子に、毒が混入されていた。誕生パーティーの翌日から、複数の貴族が体調を崩している。お前は、毒殺未遂の容疑で拘束される」


「毒……?」


蓮は、耳を疑った。


毒など、入れていない。そんなことをする理由がない。


「何かの間違いです。俺は——」


「言い訳は、取り調べで聞く。連れて行け」


衛兵たちが、蓮の両腕を掴んだ。


蓮は抵抗しようとしたが、十歳の身体では、大人の衛兵に敵うはずがなかった。


「待ってください! 俺は毒なんか——」


「黙れ!」


衛兵の拳が、蓮の腹に入った。


「っ……!」


息ができない。蓮は、そのまま厨房から引きずり出された。


蓮は、王宮の地下牢に放り込まれた。


石造りの狭い独房。窓はなく、天井には魔法の灯りが一つだけ。冷たい石の床に座り込みながら、蓮は状況を整理しようとした。


毒殺未遂。


誰かが、蓮を陥れようとしている。それは明らかだ。


しかし、誰が? なぜ?


蓮は、誕生パーティーの光景を思い出した。


自分の菓子を食べて、笑顔になる貴族たち。国王の賞賛。「甘味師」の称号。


あの成功を、快く思わなかった者がいる。


「……嫉妬か」


蓮は、呟いた。


前世でも、同じことがあった。蓮が少しでも成果を上げると、黒田が嫌がらせをしてきた。足を引っ張り、評価を下げようとした。


この世界でも、同じことが起きている。


蓮の成功を妬む者が、毒殺の濡れ衣を着せようとしている。


「くそ……」


蓮は、拳を握りしめた。


どうすればいい。証拠がない。毒など入れていないと、どうやって証明すればいい。


独房の扉が、軋んだ音を立てて開いた。


「レン」


入ってきたのは、セラフィーナだった。


「セラフィーナ様……」


蓮は、驚いて立ち上がった。


セラフィーナの顔は、蒼白だった。目には涙が滲んでいる。


「大丈夫? 怪我はない?」


「俺は大丈夫です。それより——」


「分かってる。あなたが毒を入れるはずがない。誰かが、あなたを陥れようとしてるのよ」


セラフィーナは、蓮の手を握った。


「私、調べたの。体調を崩した貴族たち——全員、あなたの菓子を食べていない人たちだったわ」


「……え?」


蓮は、驚いて聞き返した。


「本当です。パーティーの記録を確認したの。体調不良を訴えた貴族は全員、メインのアントルメを食べていない。プティフールも、ほとんど手をつけていない人たちばかり」


「つまり……」


「毒殺未遂なんて、嘘よ。誰かが、嘘の証言をしている。あなたを追い落とすために」


蓮は、セラフィーナの言葉を噛み締めた。


やはり、陰謀だ。


誰かが、蓮の成功を潰そうとしている。


「犯人は、誰なんでしょう……」


「分からない。でも、調べてみる。私、必ず真実を明らかにするから。だから——」


セラフィーナは、蓮の目をまっすぐに見つめた。


「諦めないで。あなたは、何も悪いことをしていない」


蓮は、小さく頷いた。


「……分かりました。俺も、諦めません」


翌日、蓮は国王の前に引き出された。


玉座の間。国王が玉座に座り、その周囲には貴族たちが並んでいる。


蓮は、衛兵に両腕を掴まれたまま、国王の前に膝をついた。


「レン・カルディア」


国王の声は、厳しかった。


「お前は、毒殺未遂の容疑で告発されている。複数の証人が、お前の菓子を食べた後に体調を崩したと証言している。何か、申し開きはあるか?」


蓮は、顔を上げた。


「陛下、俺は無実です。毒など、入れていません」


「証拠は?」


「……ありません。しかし——」


「証拠がなければ、お前の言葉を信じることはできない」


国王は、冷たく言い放った。


蓮は、絶望しかけた。


証拠がない。無実を証明する方法がない。


このまま、有罪になってしまうのか。処刑されるのか。


「陛下!」


玉座の間に、声が響いた。


セラフィーナだ。


「お待ちください! 私には、証拠があります!」


セラフィーナは、国王の前に進み出た。


「私が調べたところ、体調不良を訴えた貴族たちは、全員、レンの菓子をほとんど食べていませんでした。もし菓子に毒が入っていたなら、たくさん食べた人ほど症状が重いはずです。しかし、実際は逆です。これは、矛盾しています」


国王は、眉をひそめた。


「ふむ……確かに、それは奇妙だな」


「さらに、体調不良を訴えた貴族たちに共通点があります。全員、ある派閥に属しています。宮廷料理長ベルナール殿に敵対する派閥です」


玉座の間に、ざわめきが広がった。


「つまり、こういうことです。レンの成功を快く思わない者たちが、嘘の証言をして、レンを陥れようとしている。毒殺未遂など、最初から存在しないのです」


国王は、しばらく黙っていた。


そして、貴族たちの方を向いた。


「体調不良を訴えた者は、前に出ろ」


数人の貴族が、おずおずと前に出てきた。


国王は、彼らを鋭い目で睨みつけた。


「本当に、このケーキを食べたのか? 嘘をついていないか?」


貴族たちは、青ざめた。


「い、いえ、陛下……。その……」


「正直に答えろ。嘘をつけば、不敬罪で処罰する」


沈黙が流れた。


そして、一人の貴族が、がくりと膝をついた。


「も、申し訳ございません……。嘘をついておりました……」


「誰に命じられた」


「……」


貴族は、口を噤んだ。


国王は、さらに鋭い声で問い詰めた。


「答えろ。誰に命じられた」


「……ドラモント伯爵です……」


玉座の間が、どよめいた。


ドラモント伯爵。宮廷料理長ベルナールと対立する派閥の長だ。


「ドラモント」


国王は、貴族たちの中から一人の男を呼び出した。


五十代の、太った男だ。豪華な衣装を身にまとい、傲慢な態度を崩さない。


「陛下、これは何かの間違いです。私は——」


「黙れ」


国王の声が、冷たく響いた。


「お前は、無実の者を陥れようとした。王宮の職人に対する謀略は、王家への反逆と同義だ」


ドラモント伯爵の顔が、蒼白に変わった。


「ま、待ってください、陛下! 私は——」


「衛兵、この者を連行しろ。後日、正式に裁判を行う」


衛兵たちが、ドラモント伯爵を取り囲んだ。


「い、いやだ! 放せ! 私は伯爵だぞ!」


喚きながら、ドラモント伯爵は玉座の間から引きずり出されていった。


国王は、蓮の方を向いた。


「レン・カルディア。無実であることが証明された。釈放する」


「……ありがとうございます、陛下」


蓮は、深く頭を下げた。


「そして、この騒動の詫びとして、お前に新たな地位を与えよう。今後、お前は『王宮甘味師長』として、菓子部門の全権を任される。誰にも邪魔されず、自由に活動する権限を与える」


蓮は、驚いて顔を上げた。


王宮甘味師長。それは、蓮が想像もしていなかった地位だった。


「……ありがとうございます、陛下。この恩に報いるため、全力を尽くします」


国王は、小さく頷いた。


「期待している」


玉座の間を出た後、蓮はセラフィーナに深々と頭を下げた。


「ありがとうございました。セラフィーナ様のおかげで、助かりました」


「当然よ。あなたは、何も悪いことをしていないんだから」


セラフィーナは、微笑みながら言った。


「それより、これからが大変よ。『王宮甘味師長』なんて、前例のない地位だもの。周囲からの反発も、きっとある」


「……分かっています」


蓮は、拳を握りしめた。


「でも、負けません。俺には、やりたいことがある。全ての人に、甘味を届けたい。そのためなら、どんな困難にも立ち向かいます」


セラフィーナは、蓮の決意を見て、嬉しそうに頷いた。


「うん。それでこそ、レンよ」


二人は、廊下を歩きながら、今後の計画について話し合った。


庶民向けの菓子の開発。職人の育成。材料の安定供給。やるべきことは、山ほどあった。


しかし、蓮は希望を感じていた。


一人ではない。セラフィーナがいる。ベルナールもいる。味方は、確実に増えている。


蓮の「甘味革命」は、まだ始まったばかりだった。

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