第四章 甘味の衝撃
シュークリームの噂は、あっという間に村中に広まった。
最初は、ミラが友達に話した。「レンが作った不思議なお菓子、すごく美味しいの!」。それを聞いた友達が、別の友達に話し、その友達がまた別の人に話し——。
三日後には、村の全員がシュークリームの存在を知っていた。
「なあ、レン。あの『しゅーくりーむ』ってやつ、俺にも食わせてくれよ」
畑仕事の帰り道、村の男が蓮に声をかけてきた。ゴルドという名の、三十代の農夫だ。筋骨隆々とした体格で、村一番の力持ちとして知られている。
「いいですよ。でも、材料費だけもらえますか? バターと砂糖は、結構高いので」
「おう、金なら出す。いくらだ?」
蓮は、簡単な計算をした。シュークリーム一個あたりの原価は、銅貨二枚程度。それに手間賃を乗せて——。
「銅貨五枚で、いかがですか?」
「安いもんだ。十個くれ」
ゴルドは、懐から銀貨を取り出し、蓮に渡した。この世界の通貨は、銅貨、銀貨、金貨の三種類で、銀貨一枚は銅貨百枚に相当する。
「ありがとうございます。明日の朝、届けますね」
蓮は頭を下げた。
これが、蓮の「商売」の始まりだった。
その日から、蓮の生活は一変した。
毎日、朝から晩まで菓子を作り続けた。シュークリーム、プリン、バターを塗ったパン——レパートリーはまだ少ないが、村人たちの需要は尽きなかった。
「レン、今日もシュークリーム頼むぞ」
「プリン、五個追加で」
「うちの婆ちゃんにも食わせてやりたいんだ。十個包んでくれ」
注文は増え続けた。蓮は、製造量を増やすために、様々な工夫を凝らした。
まず、設備の改善だ。
即席のオーブンを改良し、一度に焼ける量を増やした。絞り袋を複数用意し、生地を効率的に絞れるようにした。カスタードクリームは、大きな鍋で一度に大量に炊き上げるようにした。
次に、材料の確保だ。
村の牛飼いと契約し、毎日新鮮な牛乳を届けてもらうようにした。鶏を飼っている農家とも交渉し、卵を優先的に回してもらえるようになった。砂糖の精製も、規模を拡大した。
そして、人手の確保だ。
「ミラ、手伝ってくれない?」
蓮は、幼馴染の少女に声をかけた。
「いいよ! 私、何をすればいい?」
ミラは、目を輝かせて頷いた。
蓮は、ミラに簡単な作業——卵の分離、バターの攪拌、器具の洗浄——を教えた。ミラは飲み込みが早く、すぐに蓮の右腕として機能するようになった。
「レン、この生地、もう少し混ぜる?」
「うん、あと十回くらい」
「分かった!」
二人で協力して作業すると、効率は二倍以上になった。蓮は製造に集中し、ミラは補助作業を担当する。理想的な分業体制だ。
シュークリームの成功に気を良くした蓮は、新しいメニューの開発に着手した。
次に作ったのは、「マドレーヌ」だった。
貝殻の形をした、フランス発祥の焼き菓子。バター、砂糖、卵、小麦粉、そしてアーモンドプードル——。
アーモンドプードルがない。
それが、最大の問題だった。この村には、アーモンドの木がない。代替品を探さなければならない。
蓮は、村の周辺を歩き回り、使えそうな素材を探した。
森の中で、胡桃の木を見つけた。
胡桃をローストし、細かく砕けば、アーモンドプードルの代用になるかもしれない。香りは違うが、油分とコクは近いはずだ。
蓮は、胡桃を採取し、家に持ち帰った。殻を割り、中身を取り出し、フライパンで軽くローストする。それを石臼で細かく挽き、粉状にする。
自家製の胡桃プードルが完成した。
これを使って、マドレーヌを焼いてみる。
貝殻型がないので、小さな陶器の器を代用した。生地を流し込み、オーブンで焼く。
十五分後、黄金色のマドレーヌが焼き上がった。
蓮は、一つ手に取り、口に運んだ。
「……うん、悪くない」
胡桃の香ばしさが、バターの風味と調和している。アーモンドとは違う味わいだが、これはこれで美味しい。この世界独自の「マドレーヌ」として、十分に通用するだろう。
蓮の評判は、村を越えて広がり始めた。
近隣の村から、わざわざシュークリームを買いに来る人が現れた。街道沿いの宿屋が、宿泊客に提供するために大量注文を寄越した。行商人が、蓮の菓子を別の町で転売して利益を上げているという噂も聞いた。
「レン、あんた、もう村の有名人だよ」
夕食の席で、「母親」が笑いながら言った。
「みんな、あんたの菓子を『奇跡の食べ物』って呼んでるんだって。魔法も使わずに、あんな美味しいものを作るなんて、信じられないって」
蓮は、苦笑した。
魔法。この世界の人々にとって、蓮の技術は「魔法」に見えるらしい。砂糖の精製、バターの製造、シュー生地の膨らむ仕組み——それらは全て、科学的な原理に基づいた技術だ。しかし、この世界にはその「科学」がない。だから、理解できないものは全て「魔法」として片付けられる。
それでいい、と蓮は思った。
理由なんて、どうでもいい。蓮の菓子を食べて、人々が喜んでくれる。それだけで十分だ。
「でも、気をつけなさいよ」
「母親」の表情が、急に真剣になった。
「あんたの噂は、街にも届いてるらしいの。『魔法も使わずに不思議な食べ物を作る子ども』って。変な人に目をつけられないといいんだけど」
蓮は、「母親」の言葉を噛み締めた。
確かに、目立ちすぎるのは危険かもしれない。この世界の「権力者」——貴族や領主——が、蓮の技術に興味を示す可能性がある。最悪の場合、技術を奪われ、利用されるかもしれない。
しかし、隠れていても仕方がない。
蓮の目標は、「自分の店を持つこと」だ。多くの人に菓子を届けること。それを実現するためには、いずれは「外」に出なければならない。
「大丈夫だよ、母さん。俺、気をつけるから」
蓮は微笑み、「母親」を安心させた。
しかし、蓮の予感は正しかった。
変化は、すぐそこまで迫っていた。
それは、蓮がマドレーヌを完成させた翌週のことだった。
村の入り口に、見慣れない馬車が止まった。
黒い馬車。金の装飾が施された、明らかに高価なもの。村人たちは、遠巻きにそれを見守っていた。
馬車から降りてきたのは、二人の人物だった。
一人は、厳格な顔つきの中年男性。黒いローブを纏い、腰には剣を佩いている。護衛か、従者のようだ。
そしてもう一人——。
蓮は、息を呑んだ。
少女だった。
十五歳くらいだろうか。銀色の髪を腰まで伸ばし、深い青色の瞳を持つ少女。白いドレスを纏い、まるで絵画から抜け出してきたような美しさだ。
しかし、蓮の目を引いたのは、彼女の「雰囲気」だった。
高貴。威厳。そして、強い好奇心を宿した眼差し。
明らかに、一般人ではない。貴族か、それ以上の存在だ。
少女は、村の中を見回した。そして、蓮の姿を見つけると、まっすぐにこちらへ歩いてきた。
「あなたが、『奇跡の菓子』を作る少年?」
少女は、蓮の目の前で立ち止まり、尋ねた。
声は澄んでいて、どこか鈴のような響きがあった。
「……はい。レン・カルディアです」
蓮は、緊張しながら答えた。
少女は、じっと蓮を見つめた。値踏みするような、しかし敵意のない視線だ。
「私に、あなたのお菓子を食べさせてくれる?」
それは命令ではなく、純粋な「お願い」だった。
蓮は、一瞬迷った。この少女が何者か、まだ分からない。しかし、菓子を求められて断る理由もない。
「分かりました。少し待っていてください」
蓮は家に戻り、朝作ったばかりのシュークリームを皿に盛った。そして、少女のもとへ持っていく。
「どうぞ」
少女は、シュークリームを手に取り、一口かじった。
その瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「……っ!」
少女の表情が、驚愕に変わった。
そして、次の瞬間——。
少女の目から、涙が溢れた。
「なに……これ……。なんて、美味しい……」
少女は、泣きながらシュークリームを食べ続けた。上品な所作も忘れ、夢中で頬張る。
その姿は、初めてプリンを食べたミラと、全く同じだった。
蓮は、静かにその様子を見守った。
やがて、少女はシュークリームを食べ終え、涙を拭った。そして、蓮をまっすぐに見つめた。
「レン・カルディア。私と一緒に、王都に来てくれない?」
「……王都?」
蓮は、驚いて聞き返した。
少女は頷いた。
「私はセラフィーナ・ヴァン・エルシード。エルシード王国の第三王女よ」
王女。
蓮は、言葉を失った。
「あなたの技術は、この村に埋もれさせるには惜しすぎる。王都で、もっと多くの人に、このお菓子を届けてほしいの」
セラフィーナは、真剣な表情で続けた。
「私が、あなたのスポンサーになる。材料も、場所も、全て用意する。だから——」
彼女は、蓮に向けて手を差し出した。
「一緒に、この世界を変えましょう」
蓮は、差し出された手を見つめた。
前世で、こんな機会はなかった。見習いの蓮に、手を差し伸べてくれる人はいなかった。ただ、罵倒され、蔑まれ、底辺で這いつくばるしかなかった。
しかし、今、目の前に道が開けている。
王都。もっと多くの人に、菓子を届けられる場所。
蓮は、セラフィーナの手を取った。
「分かりました。俺、王都に行きます」
セラフィーナの顔に、花が咲くような笑みが浮かんだ。
「ありがとう、レン。きっと、後悔させないわ」
こうして、蓮の旅が始まった。
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