第7話 新しい技術
◆◇
翌朝になって、俺はフラン先輩に見つからないように、こっそり寮を抜け出して、アストさんの待つ旧図書館へ向かう。と言っても、俺が着く前には彼女の方は先にトレーニング室にいるのだろうし、見つかるとも思えないが。
やっぱり熱心に付き合ってくれるフラン先輩を裏切っているみたいで、少し心苦しい。でも、俺にはアストさんの方が大事だし……という葛藤に悩まされながら、旧図書館にたどり着いてしまった。これでもう引き返せない。
「おはよう、クロ」
制服ではなく私服姿のアストさんが、昨日と同じように入り口前のベンチに腰かけていた。
シックな淡い色のブラウスとスカート。その下から素脚は覗かせず、黒いタイツにしっかり守られている。それが、かえって色っぽく見える。相変わらず美しい。全体的に細く、長く見えるそのシルエットは、長い脚と控えめな胸元だからこそなのだろう。俺は誰が何と言おうと、アストさんのその体型がとても好きだ。
「おはようございます、アストさん」
「ちゃんと来てくれたんだ」
笑ってはいないが、少し嬉しそうな様子だった。これは俺が彼女との付き合いの中で会得した感覚だ。当たっているかどうかの確信はないが、機嫌の良し悪しくらいはわかるようになってきた。
アストさんは直前まで、俺がやっぱりフラン先輩を選んでしまうんじゃないかと思っていたのだろう。
「当り前じゃないですか。俺はアストさんの弟子ですからね」
「ありがとう。じゃあ、来てくれたご褒美」
そう言って、アストさんは立ち上がり、ゆっくり俺の方へ歩み寄ってくる。ご褒美って一体何だろう。アストさんのことだ、ロマンチックな期待は絶対に裏切られる。それはわかっているが、わかっていても少しばかり期待してしまう。
思った通り、アストさんは俺とある程度の距離を取って歩を止めた。互いに両手を伸ばせば届く距離。彼女の一番得意な距離だ。
「一つ、技を教えてあげる。見てて」
そう言うなり、目の前からアストさんの姿が消えた。と思ったら、いつの間にか俺の背後に立っていた。見ててと言われたが、何が起きたのか見ていてもわからなかった。
「瞬間移動したみたいだったでしょ。これ、できるように教えてあげる」
したみたい、ということは、瞬間移動したわけではないのか。
「アストさん、フローターなしで、もう一回やってもらえます?」
「いいよ」
俺が何かに気づいたことを察したのか、彼女は少し満足そうにもう一度距離を取った。
「いくよ」
見逃さないように、アストさんの姿を捉えたまま放さない。
左手を前に出した彼女の体は、そのまま滑るように真っすぐこちらへ向かってくる。俺の間合いに入る瞬間、何かに引っ張られるように彼女の身体が急に傾いた。こっちに向かう勢いはそのままに、俺の身体を避けるようにして、俺の背後で止まる。途中からは、俺の身体を中心とした円を描くような軌道だった。
「わかった?」
足元を見れば、地面にアストさんの足取りが残されていて、予想通り、半円状の軌道になっていた。
「動きはわかりましたが、原理までは。目標地点を決めて、そこに引っ張られるように動く感じですか?」
「当たらずとも遠からず、だね。答えは、これ」
見せてくれたのは、小さな針のような棒状のもの。近くでなければよく見えないようなものだ。
「これは“
「途中で軌道が変わったのは、二つ使ったんですか?」
「そう。クロの真後ろの軌道に、クロの真横の軌道を割り込ませたの。そうやって複数の軌道を組み合わせれば、複雑な動きもできる」
さらにこの動きを
「これの本質は、位置を固定するものなの。空間上の座標に位置を固定できるから、空中にも刺すことができる。本当は、空中に物を吊るしたりする時に使うんだよ」
なるほど、これを使えば間合いの自在性が格段に広がる。今の俺の一番の課題となっている、自分の不得意な間合いでの立ち回りにも大いに役立ちそうだ。
「まあ、距離を縮めるのには、正直あまり向いてないんだけど。
俺はフローターを使わないから、アストさんなりに高速移動の手段を提案してくれたのだろう。これなら、俺でも使いこなせると思ってくれたのだろう。なんだかその心遣いだけで、嬉しくなってくる。
試しに一つを借りて、やってみる。
何だか不思議な感覚だ。
何度か試すうちに、感覚が掴めてきた。複数を同時に操るのも試させてもらったが、こちらはさすがに難しい。だが、決して習得できないような難度じゃない。
「さすが、君の師匠は見る目があるね」
俺の師匠って……アストさんじゃないか。
「自画自賛ですか?」
「せっかくだから、実戦でやってみようか」
俺の話も聞かず、アストさんは端末で誰かに電話をかけ始めた。
通話が始まると、電話口の向こうから、ここまで聞こえるほどの怒声が響く。この声、相手はフラン先輩だ。めっちゃ怒ってるじゃないか。アストさん、電話しておいてくれるって言ってたのに。
「ああ、フラン? お前の弟子はわたしが預かった。この子はお前にはもったいないよ。わたしに大事な弟子を取られたくなかったら、今すぐ旧図書館前に来るといい」
それだけ一方的に言って、アストさんは通話を切った。そしてなぜか得意げに鼻を鳴らしてこちらを振り返った。
何でそう挑発的なことを言うのだろう。しかも、相変わらず抑揚もなく淡々と。フラン先輩をここに呼び出したりなんかしたら、俺も怒られそうなんだが。
それに、フラン先輩が俺のことを大事な弟子だと思っているかどうかも怪しい。アストさんは彼女を呼び出したつもりかもしれないが、あの文句では彼女がここにやってくるかどうかもわからない。
アストさんの弟子だということは、フラン先輩を含めてほとんどの人には伏せていたが、これを機に話すつもりなのだろうか。色々なことを考えてしまう。
「大丈夫。クロは怒られないよ。それより、トレーニングウェアに着替えておいで」
そう言われて、俺は旧図書館の中で着替えを済ませ、再び入り口前に戻ってきた。
アストさんがベンチに座っているだけで、まだフラン先輩は来ていないらしい。
「おいで、クロ」
促されるままに、アストさんの隣に腰掛ける。と、肩を抱かれ、身体を倒された。そのまま俺の頭は柔らかい感触の上に着地する。アストさんの太ももだ。しかし柔らかいと感じたのも一瞬で、いざ身体を預けると、意外と硬い。無駄な肉は付いていないらしく、張りのある筋肉の肉感が、スカート越しでも伝わってくる。
一体何のつもりかと聞く前に、ようやく彼女が現れた。淡い胡桃色の長い髪を振り乱し、息を切らしながら、フラン先輩がやってきたのだ。
旧図書館の存在は意外と知られていない。もしかしたら、彼女もこの場所を知らなかったのかもしれない。それで、どうにかこの場所を探し出して、今まで時間がかかったのかもしれない。
彼女は来てくれないのではないかと思っていただけに、その切羽詰まったような様子に俺は思わず起き上がろうとするが、アストさんに制された。しかも、首に刃を当てられて。
「動くな。そこから動いたら、こいつの首を撥ねる」
いや、ちょっと待て。冗談だとは思いたいが、抑揚のない先輩の声色だと、そうは聞こえない。このあまりにも突拍子のない脅迫には、さすがのフラン先輩も動揺を隠しきれないらしかった。
「アストリット、お前……! わかったから落ち着け。とにかく、その刃を下ろせ。シャレにならん」
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