第4話 美鈴
20××年6月30日(金) 午前7時30分
昨日、あれからもう一度コンビニに行って、いつも食べているビスケットタイプの非常食を20個と、2Lと500mlのスポーツドリンクを5本ずつ買ってきた。この数に意味はない。昔部活で使っていたカバンが役にたった。その後、バットについた血と肉片を、水道水で洗い流し、綺麗に雑巾で拭いた。
もう気づいている奴らは準備をしているだろう。
昨日買った非常食とスポーツドリンクは家に置いておくことにした。バットは昔使っていたエレキギターのケースを代替えにした。しかしバット一本だけでは準備が足りない。
後でホームセンターに包丁と、何か使えそうな物を買いに行こう。
午後12時15分
僕は大学に向かうバスの中で揺られていた。足元にはギターケースが置いてある。中には金属バットと、それからホームセンターで買ってきた。レンチとノコギリ・包丁・トンカチが、新聞に包んだ状態で入っている。これだけ入れてもまだスペースは余るが、ある程度の重さにはなった。
学校についてすぐ、まずコンビニに行ってスポーツドリンクと食料、あと板チョコを買った。もちろん食料用のカバンは持ってきていたが、ギータケースだけでもそこそこの重さがあったため、あまり多くは持ち運べず、食料もそれを考慮した量しか買っていない。
授業が始まり、携帯でニュースを見ていると、関連する事件が多発していることを知った。詳細はほとんどが不明という扱いだが、これが何を意味しているのかは分かっていた。だからこその準備なのだ。
ただ一つ分からないのは、これがどれくらいの規模になるかということだった。
これが映画なら、アウトブレイクの数日後には、パンデミックとなり、ほとんどの人間が死ぬことになる。しかし現実はどうなのだろうか?それが分からない。昨日初めて遭遇したゾンビは、動きは鈍く、僕でも簡単に倒すことができた。
映画を見ていた時、こんな疑問を持ったことがある。
――現実にゾンビが存在した場合、その体は腐敗しているのか?
もし体が腐っていた場合、おそらく立つことすらできないだろう。そもそも腐った状態でも、生きていられるのかすら疑問だ。結論から言うと、「ゾンビ」というものが存在した場合、個体差はあるが、おそらくそれは歩くことも、走ることすらできる。というのが僕の考えだ。腐っていたら普通あるけないだろう。歩ける時点で走れてもおかしくない。ただ僕には学問的な知識はない。つまり、これは僕の妄想に過ぎず、要するに、実際に見るまでは分からないということなのだ。
そしてそれが、「規模」に大きく関わるポイントとなる。規模によっては、この退屈な日常も少なからず続く可能性がある。
午後2時54分。
授業が終わり階段を下りながら今後の予定について考えていたが、結局のところ食料を買い漁る以外何もないのだ。何か出来ることはないかと模索することに集中していると、階段が途切れた所で、下の階から上がってきた橋本さんと会ってしまった。
「あっ・・田辺くん」
「おっ・・お疲れ・・」
また動揺してしまった。これだけは治らないのだろうか。
「・・お疲れ様・・久しぶりだね?」
(何が久しぶりだ。会いたくもなかったくせに)
「それ・・どうしたの?ギターでも始めた?」
「うん、そうなんだ・・・それじゃぁ・・また」
「・・うん・・じゃぁ・・」
橋本さんが何か、言いたそうにしているのは分かっていた。だけど、僕だってそうだ。元々仲が良かったわけでもない。自分から橋本さんに話しかけたことはない。いつも話しかけてくるのは、橋本さんだった。ゼミのグループだってそうだ。僕が頼んだわけじゃない。元からもうゼミには行く気がなかった。
「橋本さん」
これで最後にしようと、僕は橋本さんを呼び止めた。
「何――?」
「もうこういうの・・やめにしよ・・・」
橋本さんは僕の言葉に、一瞬動揺した様子だった。もしかすると言わなくてもいいことなのかもしれない。僕だって本当は言いたくない。
「僕は自分から橋本さんに話しかけたことはない。あの時だって、橋本さんがなんでグループに誘ってくれたのか分からないし、いつも話しかけてくる理由も分からない。正直、橋本さんが何を考えているのか分からない」
今まで思っていたことを話した。もう今までの様にはいられない。
「・・・・迷惑だった?」
「・・もう気を使ってくれなくても大丈夫だから・・・それは橋本さんの好きな人にしてあげて・・」
言いたいことはもうない。すべて言った。
「そっか・・・分かった。ごめんね、今まで」
橋本さんは、そう言い残して行ってしまった。立ち去る時、橋本さんが少し泣いているように見えた。
(泣きたいのはこっちだ・・・)
何故傷ついた方が罪悪感まで感じないといけないんだ?
後味の悪い会話を終え、階段を下りた。
1階に降り、入り口に差し掛かろうとした時――
――キャアアアア!
人の叫び声が聞こえた。おそらく女の人の声だ。
それが何を意味しているのか、確信はなかったが、可能性は十分にあった。声は上の階から聞こえてきた。2階に上がると、生徒が次々と、怯えた表情で走って来る。生徒を避けながら、人が逃げてくる方へと進んだ。角を曲がったところで、奥から2つ目の部屋、そこから何か音が聞こえた。聞き覚えはある。その時点で確信はあったが、部屋にたどり着き中を見た時、それは真実へと変わった。
――ムシャムシャ
人が食べられ教室の壁には、血が飛び散っていた。そして人が、1人・・2人・・・・5人倒れており、何人か噛まれた跡が確認できる。その光景を目にしても、僕は以外と冷静だった。
この状況で気を付けなければいけない事。それは、目の前に見えているゾンビよりも、周りに倒れている人だ。何故なら噛まれた人間は転化する。目の前にゾンビがいるのが、その証拠だ。このゾンビも元々は人間だったはず。どこで噛まれたのかは分からないが、つまり他にもゾンビが大学の敷地内にいる可能性があるということだ。それを考えた上で、行動しなければならない。
――ビチャッビチャッ
バットを取り出し、一歩一歩、血だまりの上を静かに歩く。このゾンビは食べることに夢中のようだ。まったく気づかない。これも個体差なのか。
バキッ!ブシャアアア!・・・・ズシャ・・ズシャ・・ズシャ
昨日よりも完璧に頭を潰せた。気休め程度でも筋トレをしてきて良かった。喰われた生徒はもう助からないだろう。倒れているほとんどの生徒がまったく動かない。動いているのは痙攣によるものだ。他にいないかと、教室の中を探していた時、教室の後ろの方に、人影が見えた。僕は出来るだけ足音を立てないように、近づいた。バットを握りしめ、机の前に差し掛かった時、言葉にできない感情が沸いた。
――それは橋本さんだった。
「橋本さん!・・橋本さん!」
僕は肩を軽くたたき、名前を呼んだ。すると、橋本さんはゆっくり目を開けた。
「・・田辺くん?」
橋本さんの腕から血が出ている。袖をめくると、腕には噛まれた跡があった。
噛まれれば人は転化する。
僕はただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
その時、橋本さんが僕の腕を掴んだ。
「・・前の席に・・座ってた人が・・急に痙攣・・・して暴れ・・だして、その後・・倒れて・・動かなくなって・・」
おそらく、転化の兆候だろう。
「近くにいた人が・・声をかけた・・けど、意識がなくて・・・そしたら、急に噛みついて・・襲われて・・・」
ここで起きたことは大体分かった。
「田辺君・・ごめんね・・・井上先生・・とは・・違うの・・」
橋本さんの苦し紛れの言葉に、自分が動揺しているのが分かる。
「前から・・・・好きだって・・言い寄られてて・・他に好きな人がいるからって・・断っても・・・聞いてくれなくて・・・私・・・・・・怖くて・・・」
僕は、頭が真っ白になっていた。
「あの日・・名前を言ったの・・・・私の好きな・・・人の・・・・・そしたら・・急に・・抱きつかれて・・・・それ・・・で・・・」
橋本さんの瞳からは涙が流れていた。彼女は涙を流しながら僕の目を見つめ、そう言った。
――あれは誤解だった
「ごめん・・ね・・田辺くん・・・ご・・めん・・・・ね」
「分かったから!大丈夫だから、もう喋らないで、直ぐに傷の手当てをしないと」
もう助からないと分かっていながらも、どうにかできないかと考えている。腕を噛まれ、もう感染は広がっているはず。
(どうすればいい?どうすれば・・)
方法が分からない。
田辺「ごめん!橋本さん――ごめん!ごめん!」
泣き叫んでも彼女は救えない。でも、叫ぶことしかできなかった。
そんな無力な僕に手を差し伸べ、彼女は涙を優しく拭ってくれた。
「――大好きだよ、登君――」
橋本さんの手が滑り落ちる。動かない。
――彼女は僕の腕の中で死んだ。
ウヮァァァァァアアアアアア――!
ただ叫んだ。なんで・・・僕は・・・俺は・・・なんで俺なんかを・・・
俺が間違ってた。橋本さんがなんで声をかけてくれるのか。なんで誘ってくれたのか。
もっとはやく気づくべきで・・でもそれは気づけたはずで・・なんで俺は・・・
――・・・
「――俺も好きだよ、美鈴――」
それはもう彼女には聞こえない。
俺は忘れない。
彼女がこんな俺を好きだと言ってくれたことを・・・
――ガシャン!
「なんだこれは!どうなってる?」
入り口の方で音がして見てみると、井上先生がいた。
「・・・!田辺!田辺じゃないか、これはどういうことだ?何があった?」
俺は床に転がったバットを手に取り、握りしめた。もう迷わない。彼女が俺を認めてくれたから・・・好きと言ってくれたから。
俺は立ち上がった。
「分かりません!教室の方から叫び声がして、それで来てみたら人が倒れてて、そんなことより橋本さんが息をしてないんです!」
「何!?本当か、美鈴が、」
先生がこっちに駆け寄ってきた。
そして彼女が倒れているのを見つけると、彼女の肩を叩きながら、彼女に呼び掛けた。
「美鈴!聞こえるか?しっかりしろ、美鈴!」
俺はバットを構えた。
『――汚い手で彼女に触るな――汚い口で彼女の名を呼ぶな――』
「――え?」
ドンッ!
俺はバットを井上の頭に目掛けて叩きつけた。
「――ああああああ!」
殴られた衝撃で、井上は呻きながら後ろに倒れこんだ。
ドンッ!ズシャッズシャッズシャッ・・ズシャッ・・・ズシャッ
血と肉片と中身があたりに飛び散る。
俺は、殴り続けた。何度も何度も、原形がなくなるまで、井上の潰れた頭を殴り続けた。
「――終わったよ、美鈴――」
俺は、ケースから包丁を取り出し、彼女の頭に突き刺した。
――さよなら
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