1-10-5.四月二十二日

 わたしたちは行きと同じように電車を乗り換えて、国府こくぶ中央ちゅうおう駅で降りた。ここはわたしの家の最寄り駅。まだここで生活し始めて一年程度だけれど、家の近くのお店はいくらか行ってみた。その中でも、気に入ったお店が一つあり、最近は特によく通うようになった。


 駅前から少し歩いて細い道に入る。もうすっかり日は暮れて、広い間隔で電灯がともっているが、飲食店の灯りがそれ以上に道を明るく照らしていた。

 これまでとは逆に、わたしが一紀かずきくんの手を取って、見ず知らずの場所にやってきた彼を先導する。


「ここ、飲み屋街になっているんですね。駅から少し離れてるのに、こんなに栄えてるんですね」


「まあ一応、急行停まる駅だしね。あ、着いたよ」


 わたしが彼を連れてきたのは、飲み屋街にあって異彩を放つフランス料理店、“ファミーユ”。格式高いフランス料理ではなくて、フランスの家庭料理を出してくれる気さくなお店だ。店長はフランス人だけれど、日本に移住して永いから、ちゃんと日本語も通じる。


 まさかのフランス料理屋で、一紀くんは驚いているようだ。翠泉すいせんのお嬢様のおすすめなんだから、そりゃあ金額的にもそれなりのお店になるだろうことはわかっていたでしょうに。


「心配しなくても大丈夫。作法とか堅苦しいことはいらないから。あと、ここの支払いはわたしがするから、金額は見ないで、食べたいものを食べてね」


「いや、でも……」


「でもじゃない。さあ、いらっしゃい。わたしがついてるから大丈夫」


 意を決したような顔の一紀くんの手を引いて、お店のドアを開ける。中はカウンター席とテーブル席があり、それほど広くはない。しかもいつも通り、席もほとんど埋まっていない。

 というより、ここはそこそこ入り組んだ場所にあるため、知る人ぞ知る名店というように、来るのはほとんどが常連客だ。今日も先に来ていた客とは顔見知りで、ワインを片手に挨拶してくれる。


「お、志絵莉しえりちゃ~ん。今日はまた一段とおめかししてると思ったら、男連れかい。もしかして、彼氏か~?」


 なんて揶揄うよう話しかけてくる髭面のおじさんに、一紀くんはどういう雰囲気のお店なんだと萎縮してしまっているようだった。


「相変わらず早いですね~、福地ふくちさん。そうなんです、今日は彼氏と一緒なんで、余計なこと言わないでくださいよ?」


 と釘を刺せば、考えとくよ、と意地悪く笑う福地さん。それからまだ顔を見せない店主に向けて、キッチンへ声を張る。


「旦那~! 志絵莉ちゃんが男連れてきたぞ~!」


 すると、とことことキッチンから小走りで駆けてくる、小柄な初老のおじさん。彼がこの店の店主、ジョエル・セリザワさんだ。


「ボンソワール、志絵莉さん。それから彼氏さんも。お好きな席へどうぞ」


「ありがとう」


 いつもはカウンター席に着くのだが、今日はテーブル席に一紀くんと向かい合って座った。メニューを広げていると、案の定、完全に置いてけぼりになっている一紀くんが、小声で聞いてくる。


「どういうお店なの? ここ。皆知り合い?」


「ここ、常連さんしか来ないから、皆顔見知りだし、こうしてお客さん同士でもよく話すんだ。大学生としてのわたしじゃなくて、他のわたしも一紀くんに見せてあげたくて」


 変な人じゃないから大丈夫だよ、と言うと、一紀くんはほっと胸を撫で下ろしていた。


「あの、志絵莉さんはどれがおすすめとかあります?」


 もしかして、どれが何だかわからないのだろうか。確かに、フレンチってやたら小難しい名前しているもんね。わたしは、これは焼いた白身魚、これは蒸し野菜、これはお肉を煮込んだものなどと、それぞれの料理を噛み砕いて彼に説明してあげた。


 そうしたら注文が決まったらしいので、ジョエルさんを呼んで注文していくと、最後にジョエルさんの方からいつもはしない確認をされた。


「当店はカップルのお客様にトクベツなサービスをご用意しておりますが、いかがされますか?」


 いやいや、そんなのないでしょ。初めて聞いたけれど。遠くから福地さんが口笛を鳴らすのも聞こえるし、完全に冷やかされている。


「えーっと……じゃあ、お願いします」


 かしこまりました、と涼しい顔でキッチンに戻っていくジョエルさん。何を企んでいるんだろうか。


「俺、本当に作法とかわからないけど大丈夫?」


「大丈夫だって。あっちのおじさんが作法とか心得てるように見える?」


 心配する一紀くんを安心させようと視線だけで福地さんを指すと、一紀くんに笑顔が戻って、確かに見えない、と首を振った。


 すると前菜としてサラダが運ばれてくる頃に、新しいお客さんがやってくる。やってきたのは未だ衰えを知らない老夫婦で、彼らは福地さんを見かけるなり挨拶をして、カウンター席に並んで座った。そしてすぐに、目聡く奥のテーブル席に座っていたわたしを見つけて声を掛けてきた。


「お、志絵莉ちゃん。今日は別嬪べっぴんさんだねぇ。デートかい」


「あんた、失礼ねぇ。志絵莉ちゃんはいつでも別嬪さんでしょ」


 妙なところで諍いを始めた二人は、キッチンから顔を出したジョエルさんに注文し終わると、くるりと椅子を回してこちらに身体を向けてくる。


「あんなに小さかった志絵莉ちゃんがねぇ」


 大林おおばやし夫妻が感慨深そうにそう言うので、一紀くんが疑問を投げかけてくる。


「え、志絵莉さんっていつからここに住んでるの?」


「ほら、国府中央って翠泉の付属中があるでしょ? 中学に通ってた時も、何度か来たことがあったんだ。あの頃はお父さんとも上手くいってなくて、家に帰りたくない非行少女だったから」


「志絵莉さんって、意外とワルだったんですね。それが今やイジワルに……」


 一紀くんの嘆きに大袈裟に笑う福地さんが、ワイングラスを片手にこちらに歩み寄ってきて、大林夫妻の隣のカウンター席から椅子だけ引っ張り出して座る。


「志絵莉ちゃん、彼氏にも意地悪なのかい。大変だねぇ、彼氏くん」


 次第にこの店の空気感を理解したらしい一紀くんは、福地さんと大林夫妻と、わたしの話で盛り上がり始めた。

 わたしの目的は最初からこれだった。一紀くんしか知らないわたしの一面ももちろんあるけれど、このお店でしか見せない一面もある。それを彼に知ってほしかったのだ。彼がわたしに少しずつでも歩み寄ってくれていることがわかったから、わたしも彼に歩み寄りたいと思って、ここに連れてくることを決めた。

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