四月十九日

1-8-1.四月十九日

 翌朝早くに起きたわたしは、始発で帰るべく帰り支度をしていた。お父さんを起こさないよう、できるだけ物音を立てないようにして、ダイニングテーブルの上に書き置きを残しておいた。

 お父さんのクローゼットにあった女子高生の制服のことと、“加藤かとう観怜みれい”のことを聞きたいと書いておいたから、何かしら返事をしてくれたらいいけれど。

 あとは、呑み過ぎはほどほどに、ということと、わたしももうすぐ二十歳になるし、呑む相手が欲しいなら一緒に呑んであげるから、とも書いておいた。



 予定通り始発で帰り、少しだけ仮眠をとってから学校へ向かう。若干寝不足気味だけれど、このくらいなら問題ない。それに、今日のわたしはすこぶる機嫌が良い。


「おはよう、志絵莉しえり。もう、そんなにやけちゃって。夜通し彼氏とイチャついてたんでしょ~」


 なんて、百花ももかに言われる始末だ。


「そんなことしてないって、もう~。いや、本当に彼氏とは何もないから。昨日実家に帰ってさ、久しぶりにお父さんと話したんだ」


「……そっか。良い話ができたみたいで良かったよ」


 百花はずっと翠泉すいせん学園グループに通い続けている修行者の一人。わたしとは中学の時に同じクラスで、大学で再会してまた仲良くなった。だからわたしとお父さんの関係も知っているし、よく相談にも乗ってくれていた。

 わたしがお父さんと話したことを嬉しそうに話すから、それで全て察してくれたのだろう。今にも泣き出してしまいそうな笑顔で、良かったね、ともう一度言ってくれた。


「お母さんの話が少し聞けたんだ。見た目も中身も、割とわたしと似ているみたいでちょっと嬉しかったよ」


「そうだったんだ。良かったじゃん、ようやくわだかまりが解消しそうで。お父様も、志絵莉に彼氏ができたから話してくれたんじゃないの?」


 彼氏ができたからというより、わたしが大人になったから話してくれたのだろうと思っている。ただでさえお母さんの情報は広く隠されるようなものらしいのだから、わたしが情報の取り扱いに留意できるまで待っていたのだろう。


「いやいや、彼氏のこと話す前に話してくれたよ。まあ、何て言うか、帰ってきて早々、わたしとお母さんを見間違えたんだよね」


「え~、そんなに似てるんだ。でも娘と嫁を間違えるか? 普通」


「それは確かに思ったけど、だいぶ酔ってるみたいだったからね。びっくりしたわ。嫁ラブって感じで絡んできたから、何されるかと思ったし」


 実際、あのまま抵抗しなかったら何をされていたんだろう。というより、放っておいたらどの段階で気付いたのだろう。気付かなかったかもしれないな。

 しかしお父さんも、別に娘とキスがしたかったわけじゃなくて、あくまで自分の妻とキスがしたかったのだ。キスした相手が実は娘だったと知った時に酷い罪悪感を抱かせることになるだろうから、やっぱり止めて良かったのだと思う。


「え、怖~……。でもしょうがないのかな。きっとお父様の中のお母様って若い頃のままなんだろうし、そこからずっと時が止まっちゃってるんだろうね。もういないってわかってても、いざ目の前に現れたら信じたくもなっちゃうよ」


「一年独りにさせたくらいでこれだもんなぁ。娘としては、今後が心配だよ」


 わたしが一年家を空けている間に、わたしをお母さんと見間違えるほど精神的に参ってしまっているって、一体どんな生活をしているのだろう。ストレス耐性が無さ過ぎるのだろうか。

 これがもし二年、三年と時間が経っていたらどうなっていたのだろう。さすがに見境なく出会う女性全てをお母さんと見間違う、なんてことにはならないとは思うけれど……。心配だから、しばらくは定期的に帰るようにしよう。


「そうだよ、結婚なんてしちゃったらどうなるの? と今から心配しちゃってるわけね。これまた高度な惚気をごちそうさま」


「違うって、本当に違うってそれは。酷くない? この感動的な流れでそこに戻る?」


「でも実際、今回の彼氏はいいんじゃない? 今の彼氏と付き合い始めてから楽しそうに見えるよ、志絵莉」


 むしろ今までの彼氏と居る時のわたしってそんなに酷かったかな。でも百花が言うんだし、間違いない。わたし自身も、一紀かずきくんと居るのは楽しいと思える。


「あとはどれくらい続くかだなぁ。彼の方が、どれだけわたしに耐えてくれるか……」


「志絵莉は素が意地悪だもんね~。隙あらばすぐ彼氏虐めるし。だから逃げられるんだよ。もっと優しくしてあげればいいのに。今回の彼氏、また・・年下なんでしょう?」


 百花にも“また”なんて言われるほど、わたしって年下と付き合っていたんだっけ。もう前の彼氏のことなんて覚えていなくて、自分の恋愛遍歴が自分でもわからなくなってきている。

 時間が経ってみれば、あんなのは恋人関係でも何でもなかったと思うし、自分から告白しておいて耐えられなくなったら逃げ出すなんて人がわたしの彼氏だったと認めたくない。その気持ちが強くなると、たぶんその人のことはどうでも良くなってしまって、記憶からもなくなっていってしまうんだろう。

 付き合っていた事実は覚えていても、その相手がどんな顔で、どんな人だったかはあまり思い出せない。


「虐めてないって。意地悪なのは否定しないけど」


「どっちでもいいけど、せっかくいい人に巡り逢えたんだったら大事にしなよ?」


「わかってる。ちゃんと真剣に考えてるよ」


 ただ都合のいい関係になるつもりだったのに。何故だかこんな時に限って、わたしは無性に彼を大事にしたくなってしまっている。不思議だ。これが最初から恋人として付き合っていたなら、きっと今までのように彼とも上手くやれなかっただろう。


 もしかしたらお母さんも、こんな気持ちだったのかもしれない。脅迫されて仕方なくなった恋人関係。だけれどお母さんは、形だけじゃなくて、律儀にお父さんの恋人として振舞おうと努めたのだろう。そしてきっと、その中でお父さんのことを好きになっていけたのだと思う。

 もし普通の恋愛としてお父さんがアプローチしていたなら、恐らくお母さんはお父さんと付き合うことはなかっただろう。少なくともわたしなら、お父さんみたいな人と付き合いたいとは思わない。関わっていく中でお父さんの良い面を見出せたならまた違うのかもしれないが、そんなに話もせず、相手のこともよくわからない段階では、あんな根暗でなよなよした男はまずお断りすると思う。


 そういう点では、一紀くんもそうだ。第一印象では冴えない子だと思っていた。少なくとも恋愛対象にはならないだろうと思っていた。それなのに接し、話してみたら意外とおかしな子で、わたしは俄然興味を持った。彼がわたしに話してくれたことも、彼とわたしが仮初の恋人関係という少しばかり近しい関係になったから話してくれたことだ。わたしが彼に興味を抱いたことは、関わってみなければわからなかったことばかり。

 今までのわたしは相手を知らな過ぎた。相手に興味がなさ過ぎたのだ。

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