10.嫉妬の志乃さん

 お昼になって、僕は志乃さんに手を引かれ、お弁当を持ってテラスへとやってきた。


 一年生のフロアは最上階で、ここには教室一つ分くらいの広さのテラスがある。危ないからという理由で、開放的な頭上から手すりにかけてネットが張られており、これではあまりに殺風景なので、そのネットに蔓を這わせていた。完全に日差しを遮ってはいないものの、おかげで夏でも結構涼しいらしい。


 お昼は特に混雑するので、早く早く、と急かされて、少し息を切らしながら、空いていた席についた。


「ここ来てみたかったんだよね。できればカップルで」


 彼女がそんな風に言うもんだから、北川志乃の登場にざわついていた周囲が、一層沸き立った。話しかけてはこないものの、視線も多く感じる。志乃さんには申し訳ないけれど、正直あまり居心地は良くない。


「でも、思ったより騒がしいね。これならどこか二人きりでゆっくりできるところの方が良かったかな。ごめんね」


「大丈夫。僕は志乃さんと一緒にお昼を食べられるだけで充分だよ」


 そう言うと、もっと贅沢言いなさい、と逆に怒られてしまった。

 それから少し居心地の悪い間があって、でもそう感じるのは、僕の心の持ちようなのかもしれないから、僕は気になっていたことを思い切って聞いてみることにした。


「ねえ、志乃さん」


「なぁに、征都くん」


 別に、怒っている様子はない。いつも通りの志乃さんだ。


「……今朝、何か怒ってた? 僕が何か怒らせるようなことしちゃったなら、謝りたい。でも、心当りがなくて……」


 彼女の顔色を窺うように僕が細々とした声で言葉を紡ぐと、彼女は呆気にとられたように一瞬遅れてから、ふふっと愛らしく微笑んだ。


「違う違う、怒ってないよ。あれは、その……征都くんが急に名前で呼んでくれるようになったから、ちょっと照れ臭かっただけ。ごめんね、勘違いさせちゃって」


「あ、いや……それなら、良かった」


「あ、でも、一応言っておくけれど、浮気したら殺すからね?」


 志乃さんが言うと冗談に聞こえないし、たぶん冗談でもないのだろう。


 彼女は今朝僕が逸見さんと話していたことを、少しなりとも気にはしているらしかった。志乃さんでも嫉妬とかするんだと思ったら、完璧超人だと思っていた志乃さんが、僕の中でどんどんと一人の女の子として肉付けされていくような気がして、嬉しくもあった。


「逸見さんとはそういう関係じゃないよ。今日初めて話したくらいだし」


「ならいいの。これからも、わたしだけを見ていて」


「そんなの、当たり前だよ」


 僕がそう答えるのは予想通りといったように、志乃さんは特段感情も乗せずに微笑むだけだった。言葉だけじゃなくて、これから行動で示していかなければ、きっと彼女の心に僕の言葉は届かない。


「ああそうだ、今週の日曜日、空けてもらえる?」


「日曜日か……うん、いいよ。どうして?」


「うちに遊びに来ない? と思って。どうかな?」


 志乃さんの家か。もちろん行ってみたい。どんなところに住んでいるんだろう。そういえば僕は、彼女のことは何も知らないんだ。どんなところに住んでいるのだろう。兄弟はいるのだろうか。


「ぜひ、行ってみたい」


「ありがとう。じゃあ、日曜日、空けておいてね」



 約束の日曜日。彼女の家の近くで待ち合わせて、そこからは彼女が案内してくれるという。待ち合わせたのは、彼女と初めて会話した駅前から少し歩いた先にある、団地の脇の小さな公園。


 待ち合わせ場所には既に、茂みにたたずむ森の妖精みたいに清楚な白いワンピース姿の志乃さんが待っていた。

 彼女の私服姿は初めて見た。前にデートと言って連れ出されたときも、僕の家に来た時も、彼女は制服だった。私服の彼女は、また一層美しい。


「あ、おはよう、征都ゆきとくん」


「おはよう、志乃しのさん」


 僕に気付いて、にこっと微笑む志乃さんの笑顔は、学校で見せるそれとはまた違う。なんだか彼女から漂う香りも、いつもとは少し違って、いつもより爽やかな感じがする。


「なんか今日は、いつもと雰囲気が違うね」


「こういう格好は好みじゃない?」


 少し自信なさそうに、志乃さんの微笑みが寂しそうなものに変わる。だから僕は、思いのままを隠さずに伝えることにした。


「ううん。とっても似合ってるなぁと思って。すごく可愛いよ」


 僕と二人でいる時は表情を隠さないと約束してくれた通り、彼女は見たこともないくらい顔を赤くして、でも満面の笑みで、ありがとうと言ってくれた。



 彼女の家はこの長く連なる団地のどこかかと思ったら、通りを曲がって坂を下りたところにある小綺麗なアパートだった。その二階の一室の鍵を開けた彼女に、どうぞ、と中を案内された。


 部屋は二つあるが、どちらも物は少なく、必要最低限の家具や家電があるだけで、最低限の生活しかしていないようなのが伺えた。家というか、拠点、という言葉の方がしっくりくる気もする。志乃さんのイメージからは想像がつかないような、あまりに殺風景な部屋だった。


「飾り気のないつまらない部屋でごめんね。とりあえず、好きなとこ座ってよ」


 僕は部屋の中央にポツンと置かれた白い座卓に向かって腰を下ろした。この部屋にはクローゼットがあって、座卓があって、壁際に収納棚があるだけだ。白い壁に濃い茶色のフローリングの空間が、無駄に広く感じる。


 志乃さんはお茶を持ってきて、僕に差し出してくれる。ありがとうと言えば、にこりと微笑んで、僕の正面に座った。こんな部屋の中にいても、志乃さんだけは相変わらず可愛い。


「今日は征都くんに、大事な話をしようと思ってね。わたし自身に関すること、話しておきたいの。これを話さないと、正式に共犯者とは呼べないからね」


 僕はごくりと息を呑み、彼女の言葉の続きを待つ。それを聞くことで、僕は今度こそ、本当の本当に後戻りはできないのだ。でも、それでいい。僕は彼女と共にあると決めたのだから。

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