第9話 血の流れない虐殺
銃声が轟いた。
ロビーのシャンデリアが砕け散り、ガラスの破片が降り注ぐ。
「死ねやぁぁぁッ!!」
ドスの効いた怒号と共に、三人の組員がチャカ(拳銃)を乱射する。 狭いロビーだ。普通なら蜂の巣になる。
だが、僕には弾道が見えていた。
――視覚野、フレームレート向上。
――動体予測、演算開始。
銃口の向き、指の絞り方、発射時の反動。すべての情報から、弾丸が通るライン(射線)が赤いレーザーのように脳内に描画される。
僕は一つずつ紙一重で避ける必要さえない。
スッ、と半身をずらす。
それだけで、鉛の弾は僕のスーツの裾を揺らして虚空へ消えた。
「な、なんだコイツ!? 当たりゃしねぇぞ!?」
「化けもんか!?」
焦った組員たちがリロードにもたつく。
その隙に、僕は距離を詰めた。
「脈拍一六〇。過呼吸気味だね。……少し落ち着きなよ」
一番手前の男の胸に、掌を軽く当てる。
――迷走神経、過剰刺激。
――血圧、急降下。
男は糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。脳への血流が一気に下がり、強制的な失神(ブラックアウト)を起こしたのだ。
「ヒロシッ!? テメェ!」
背後から日本刀を振りかぶる気配。
僕は振り返りざまに、振り下ろされる刀の「峰」ではなく、それを握っている男の「手首」を掴んだ。
「刃物なんて危ないな。……骨が『ゼリー』だったら、握れないだろう?」
――橈骨・尺骨、脱灰(だっかい)処理。
グニャリ。
嫌な感触と共に、男の前腕がスライムのように形を失った。
「あ、あ……? 俺の手、が……?」
刀が床に落ちる。男は自分の垂れ下がった腕を見て、絶叫する暇もなく泡を吹いて倒れた。あまりの衝撃的な光景に、脳が理解を拒否したのだ。
僕はロビーを見渡す。
残る組員は十数人。全員が、幽霊でも見るような目で僕を見て後ずさりしている。
「さあ、次の方どうぞ。……今日は全員、診てあげるから」
僕(サラリーマンの顔をした死神)は、優しく微笑んで一歩を踏み出した。
◇
最上階、組長室。
重厚な扉を蹴破り、僕は部屋に侵入した。
そこには、黒竜会組長・黒木(くろき)と、若頭の工藤(くどう)が待ち構えていた。
工藤はサブマシンガンを構え、黒木は葉巻を噛み砕きそうな顔で睨んでいる。
「テメェか……! ウチの若いモンをオモチャにしやがって!」
工藤が引き金を引く。
ダダダダッ!
サブマシンガンの連射。こればかりは避けきれない。
だが、僕は動かなかった。
僕の前に、ロビーで捕まえた組員(盾)を突き出す。
「ひぃっ!?」
盾にされた組員の悲鳴。弾丸は彼の太ももや肩に突き刺さる。
しかし、彼は死なない。僕が接触して「血液凝固」を促進させているため、出血多量にはならないのだ。痛みはあるだろうが、死ぬよりマシだ。
「なっ、味方を盾に……!」
「外道には外道の戦い方があるんだよ」
僕は盾にした男を工藤に投げつけると、一気に間合いを詰めた。
工藤がナイフを抜こうとするが、僕の指先が彼の額(前頭葉付近)に触れるのが早かった。
――前頭葉、感情制御野、破壊(クラッシュ)。
――恐怖中枢、最大化。
「ア、ガ……ッ!?」
工藤の動きが止まる。
そして次の瞬間、彼は赤ん坊のように床に丸まり、親指をしゃぶりながら震え始めた。闘争本能を消去され、幼児退行させられたのだ。
「……さて」
僕は最後に残った黒木組長に向き直った。
黒木は青ざめた顔で、それでも組長の威厳を保とうと虚勢を張っている。
「き、貴様……何者だ。どこの組織のモンだ」
「ただの通りすがりです」
僕はデスクに歩み寄り、黒木の喉元に手を伸ばした。
「あんたがトップだね。あんたの命令で、生徒たちに薬が売られ、僕の平穏が脅かされた」
「金か!? 金ならいくらでもやる! 詫びも入れる!」
「いらないよ」
僕は淡々と告げる。
「あんたには『引退』してもらう。……人間としてのね」
――対象、大脳辺縁系。記憶領域および言語野への不可逆的干渉。
――人格データの初期化(フォーマット)。
「や、やめ……ろぉぉぉ…………」
黒木の瞳から、知性の光が消えていく。
数秒後。
そこには、口を半開きにして虚空を見つめる、ただの「肉の器」が座っていた。 殺してはいない。ただ、自分が誰で、ここがどこかも分からない状態にしただけだ。
「手術終了」
僕は窓を開けた。
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。
ちょうどいいタイミングだ。
「あとは警察に任せよう」
僕は窓枠に足をかけ、闇夜へと身を躍らせた。
◇
「突入! 突入せよ!」
数分後。
県警の機動隊と共に、堂島は黒竜会事務所になだれ込んだ。
だが、彼らが構えていた銃は、一度も火を噴くことはなかった。
「な……なんだ、これは……」
ロビーに入った瞬間、百戦錬磨の機動隊員たちが息を呑んだ。
そこは、静寂に包まれていた。
死体はない。血の海もない。
転がっている数十人のヤクザたちは、全員が生きていた。
ある者は、自分の腕がスライムになったのを見て笑い続けている。
ある者は、壁に向かって見えない敵と戦うように痙攣している。
ある者は、立ったまま彫像のように硬直し、涙だけを流している。
それは、暴力の跡ではなかった。
「冒涜」の跡だった。
「係長……! 最上階で、組長の黒木と若頭の工藤を発見しました!」
部下の報告に、堂島は階段を駆け上がった。
組長室。
そこには、幼児のように床で眠る屈強な若頭と、デスクに座ったままヨダレを垂らして「あー、あー」と赤ちゃん言葉を繰り返す黒木の姿があった。
広域暴力団、黒竜会。
構成員百名を超える武闘派組織が、たった一晩で――たった一人の手によって、機能不全に陥ったのだ。
「……来んのが遅かったか」
堂島は黒木のデスクに近づいた。
そこには、一枚のメモが残されていた。
警察宛てではない。ヤクザの残党、あるいはこの惨状を見るであろう全ての人間へのメッセージ。
『 治 療 完 了 』
その文字を見た瞬間、堂島の背筋に悪寒が走った。
「相馬……湊……ッ!」
堂島は拳を叩きつけた。
これは正義の鉄槌ではない。
もっとタチの悪い、神を気取った悪魔による「選別」だ。
「絶対に逃さんぞ。……この街を、テメェの実験場にはさせねぇ」
堂島の怒号が、虚しく室内に響き渡った。
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