天井霊守の怪

キャルシー

第1話 「屋根裏の散歩者」なんて知らないし

昼下がり。


引っ越し業者の軽トラの後ろを車でついて走っている。単身者の近距離の転居であるのに、引っ越しというのはなかなかに重労働である。


僕、山本恒一は、この度、晴れて転職成功。


転職を機に移り住むことになったこの町は、僕にはどこもかしこも新鮮で、うきうきする。運転席の窓を全開にして、風を車内に通す。


軽トラは右折して狭い路地に入った。アパートメントへの近道だ。車通りの少ない道だ。また信号に引っかかる。


三月。春待ちの曇り空。このまま雨が降らなければいいなと考えている矢先、

「おぬし、水難の相が出ておるぞ」


車の窓の外から変な声が聞こえた。


声のした方を見る。ところどころ破れた虚無僧笠こむそうかさをかぶり、薄汚れた黒い法衣を着た、いかにも怪談から抜け出してきたような風体の、長身で痩せ型の男が立っていた。笠で顔は見えない。虚無僧というべきか知らぬが言っては悪いが怪僧かいそうにしか見えない。年季ねんきの入った長い数珠じゅず錫杖しゃくじょう、垂れ下げているオレンジ色の紐は「貝の緒」というのだろうか。


「どれ、拙僧せっそうが払って進ぜよう」と怪僧が錫杖しゃくじょうを地面にドンと突く。つえの頭部の輪がチャリンと鳴る。


うわ、変なやつに絡まれた。関わりたくない。信号が青に変わり、前の軽トラが進むやいなや、僕は何も聞こえなかったふりでアクセルを踏んだ。


ドアミラーの中で、怪しい僧の姿が小さく遠ざかっていった。


“怪”しい“僧侶”で“怪僧かいそう”。でも僕は気にせず車で「快走かいそう」なんちゃって——と、誰も聞いていないのに心の中で呟いた。我ながら寒い。いやいや、わらではなく昆布やワカメを素材とした虚無僧笠を被った「海藻かいそう」。うん、こっちのほうが面白い。


寒いジョークで冬に逆戻りしたかのような空気を自分で醸し出しているうちに到着。今日から我が家となる「コーポ・プラム荘」だ。


引っ越し荷物が103号室,僕の新しい部屋に次々に運びこまれる。すべての荷物を運び終えると運搬業者は去っていった。


部屋の中で、ふうとまずは一息つく。単身の小さな引っ越しであったが疲れた。


ふと気が付くと部屋のどこからか何か音がする。何だろう?ビスを締めたときに木の板がキュッ、キュッと軋むような音にも聞こえるが、ぽたり、ぽたりと水が落ちるような音にも聞こえる。どこかで水が漏れているのだろうか。外では雨が降りはじめていてのきから雨滴が落ちているのか。


「もしかして天井雨漏りか」


音がやんだ。まるで僕がひとりごちた言葉を聞いて音のほうがだまったようなタイミングだった。


いやいや言ったのと音がやんだのと、タイミングがたまたま一致だけだろうと気にも留めず、僕はライティングデスクの上に登って天井の様子を見た。


しかし、天井のところどころを押してみても変わった音はせず、水漏れでない証拠に、どこにも染みはない。


不思議に思って机から降りると、また音が始まった。


今度は少し場所がずれている。音のする箇所は違うが、何となく、水がぽたぽた落ちる音に聞こえなくもない。何の音だろう。


「なんだろう、やっぱり天井雨漏り?」


音がやんだ。


あれは音?だったのか。なんとなく気持ち悪い。なんだこの違和感は。「音」じゃないのではないだろうか。耳から聞こえる物理的な空気振動ではなく心に響く感じというか。どうも気味が悪い「音」だ。それでいて、どこから聞こえるか、つまり、音がどちらから来ているかがわかる。オーディオマニア好みの言葉でいえば「音の定位がはっきりしている」というやつだ。


何を隠そう、大学時代からのアマチュアバンドマンの僕は、ドラムセットがどこにあるのかが聴いてわかるようなレコーディングでなければ、音入れエンジニアに不満を募らせるぐらい熱い録音マニアなのだ。


気を取り直して僕が部屋を出ると隣の部屋の住人がちょうど帰ってきたところだろう、野菜が飛び出たエコバッグをもって、ドアのところに立っていた。


気さくな感じの老婆であった。


僕は、隣に引っ越してきた山本ですと初対面の挨拶をしてから思い切って音について尋ねた。

「なにか天井から音がする気がするのですが」


老婆は一瞬驚いた表情を見せたが

「ああ、あんたには聞こえたんかね?」

と言うと、部屋のドアの鍵を開け、ドアを少し開いてエコバッグを部屋の中に入れてからもう一度僕のほうを見て続けた。

「それは屋根裏の散歩者じゃよ。おほほほっ」

自らを伊勢加味梅子いせがみうめこと名乗った老婆が笑った。


「屋根裏の散歩者?あ、推理小説ですよね、それ。えっと誰だっけ、横溝正史よこみぞせいしでしたっけ?」


それを聞いた伊勢加味さんは「ひっ・・・」と言葉が詰まった様子で、突然目を見開き頬を引きつらせて両手で顔を覆った。肩を震わせながら、

「そち、部屋で何かしゃべらなかったか?」

と聞いてきた。その声も震えていた。


何かしゃべったっけ?と急に不安になり僕は、「いや、特に何かしゃべったかというと。」と少し考え、「まぁ、天井雨漏りか」と言ったような気がすると答えた。


「それじゃ!」伊勢加味さんは大きく肩で息をしながら答えた。


「そちは、天井雨漏り《てんじょう あまもり》と言ったつもりじゃろうけれど、屋根裏の散歩者には天井霊守てんじょうたまもり」と聞こえたんじゃろうな。」


と、道理で道理で、という具合に頷いた。僕はどういうことでしょうかと問うた。


「じゃから、屋根裏の散歩者じゃ。」伊勢加味さんはここで一息ついてから、小さな声で続けた「その名は天井霊守てんじょうたまもりじゃ」


まるで内緒話でもしているようなヒソヒソ声でさらにつづけた。


「そちにとっては、おやじギャグのつもりじゃったんじゃろ。天井雨漏り《てんじょう あまもり》?おっと天井霊守てんじょうたまもり、こりゃまた失礼!とか言いくさって。」


「いやいやいやいや、天井霊守を知らないのに『天井雨漏り、なーんちゃって』とか、おやじギャグは言わないでしょ!」


伊勢加味さんは両手を大きく振って僕の言葉をさえぎろうとした。


「しーっ、声が大きい!聞こえるぞ。」


廊下の天井をしばらく見て伊勢加味さんはまたヒソヒソ声で「霊守たまもりのことは隠語で『屋根裏の散歩者』と言うがよい」と言った。


「ああ、だから・・・」僕は伊勢加味さんのさっきの不可解な行動の意味がわかったぞといった感じで手をポンと打った。「さっき、屋根裏の散歩者と聞いたときに僕が昔の小説と勘違いしたら、伊勢加味さんは恐れ慄いてしまったのですね!」


「なんじゃと?」不思議そうな顔をして伊勢加味さんが答える「わしが恐れ慄いたか?」


「ええ。実際、伊勢加味さんは、目を見開いて頬も引きつらせて。手で顔を覆って肩も震わせていましたよ」


「バカ言ってんじゃないよ!」伊勢加味さんは手をいやいやをするように左右に振りながら言う「あれは笑いをこらえていたんじゃよ。そちが“横溝正史”とかぬかすから。よいか、“屋根裏の散歩者”の筆者は、江戸川乱歩えどがわらんぽじゃ。このたわけ者!」


伊勢加味さんは、そうそう忘れてた、という感じで付け加えて、「あ。それから、ワシのことは“ウメ様”とお呼び」


「はい、“ウメ様”。・・・って、何か『上様』みたいですね。」


「ふん。『ウメ様』ならぬ『上様』って、またおやじギャグか。たわけ!

ワシは大名じゃなかけん。うむ、んじゃ“ウメさん”でいいよ。」とウメさん。


一瞬九州弁が入ったように聞こえたが気のせいか。


その後、「ほとんどの人には天井霊守の発する音は聞こえん。そちに何も悪いことが起こらなければよいが・・・」と不吉なことを言って心配する表情を見せた。


ちなみに、ウメさんの忠告は、天井霊守との付き合い方は「なにも聞こえないふり、何も見えないふりをすること」だという。


これが、僕の「天井に僕を見下ろす霊がいる部屋」生活の始まりであった。


-----

――次回、第2話「水難の相なんて知らないし」


天井霊守がいるアパートメント。

夜、照明を消すと……降りてくるのか?


夜中、目覚めた恒一を襲う、尿意と恐怖。

昼間の怪僧の言葉が脳裏に蘇る。


次回、「水難の相なんて知らないし」

   ――おやじギャグが、本当の恐怖に変わる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る