Suicaをチャージしている怪盗はちょっと見たくない
「ぐやじぃっ!!!!」
彗は宵と共にアパートに帰宅するやいなや、ソファに顔から飛び込んで脚をバタバタさせ、試合で敗退してしまった悔しさを爆発させていた。
「ぐやじぃぐやじいぐやじいぐやじいっ!!!」
「そうへこむな、彗。よく頑張ったじゃないか」
宵は妹を慰めながら夕飯の準備を始めた。
宵は、今日妹が試合で大きく筋肉を疲労させていると予想し、タンパク質が豊富な鶏胸肉の唐揚げを作ろうと考えていた。
「彗、先にシャワー浴びてこいよ。汗かいただろ」
「……うん」
宵がそう言うと彗はソファから転がり降りて、その後尺取り虫のような動きで少しずつ床を這い、そのまま風呂場へと入って行った。
彗が這い進んだ後には着ていたジャージ、シャツ、下着類、靴下がソファから風呂場まで等間隔に一枚ずつ落ちている。
「どんな脱ぎ方だよ……逆に難しいだろ……」
宵は料理を中断し、怒り半分、呆れ半分で妹が脱ぎ散らかした衣類を拾い、洗濯カゴの中に投げ入れた。
風呂場の中からシャワーの音が聞こえ始めた瞬間、シャワーの音よりも大きな声で「うわあああああんっ!!」と彗の泣き声が聞こえ始めた。
「彗……」
宵は胸が痛んだ。
兄との同居なんて考えなければ、もっと剣道が強い高校に進学できたのに。
彗は「兄と共に神器を取り返す」という強い思いの裏で、「女子高生が心置きなく熱心に部活に取り組む」という当たり前の幸せを犠牲にしているのだ。
インターハイに出場している時点で、客観的に見れば十分と考える人間もいるかもしれないが、宵は青春の本質は仲間と切磋琢磨し、成長していくことだと考えていた。
今の彗はそんな状態からは程遠い。きちんとした指導も受けず、張り合える仲間もおらず、その才能と我流で鍛えた剣を試合でただ相手にぶつけ続ける。
それは孤独で悲しい剣の道だと思い、宵は悲しくなった。
「………」
やはり神器の奪還なんてやめて彗には当たり前の青春を送ってもらうか、と宵は一瞬考えたがすぐにダメだと気づいた。
(あいつは、神器を全部取り返すまでは他のことに目もくれないだろうな)
そう、妹は目標に向かって走り続ける猪突猛進の暴走列車。
宵がもし神器の奪還を諦めるなんてことを言い出したら、その列車に轢き殺されるがごとく理不尽な暴力を受ける上に、彗は一人でもやろうとして失敗して終わるだろう。
そして、神器の奪還の失敗は叔母達に殺されることを意味する。
(結局、道は一つだな)
二人で協力して早く神器を取り返し、彗を使命から解放して普通の生活を送らせる。それしか妹の心を救う方法はないのだ。
「よしっ、頑張るか!!」
妹思いの兄は気合いを入れ直し、油の中でジュウジュウと音を立てている唐揚げを箸で拾い、皿に移した。
バタンッ!!
そのとき風呂場の扉が勢いよく開き、全身がびしょ濡れの彗がそのまま床に倒れ込み、再び尺取り虫のように移動を始めた。
「バッ、おま、バカッ!!床が、床がびしょ濡れになるだろうがっ!!体をっっっ!!拭けっっっ!!!」
彗が移動した床はナメクジが粘液をつけながら移動したがごとく濡れていたが、彼女は気にせず前進を続けた。
──────────────────
翌日、8月4日。
テストも終わり、インターハイも終わった。
二人とも夏休みとなり、自由な行動時間が一気に増えた。
「ここから計画は本格始動だ。準備はいいな、彗」
「当たり前でしょ!私はこの日をずっと待ってたんだから!」
(昨日は虫みたいになってたくせに……)
宵は、昨日床を拭くのが大変だったことを思い出したがその話はしないことにした。
「まず神器を盗むにあたって彩光寺麗子の動きとヴェルサイユ・ロゼのことを綿密に調べる必要がある。ホームページやSNSの投稿を確認するだけでは限界があるからな」
彗は「ふんふん」と真面目に兄の話を聞いていた。
「あと車が要る。満月鏡を盗み出した後に公共交通機関で逃げるわけにはいかないからな」
「そうだね、バスとか電車で逃走する怪盗なんて聞いたことないもんね」
彗はマントやシルクハット、派手なマスクを身につけた怪盗が、電車でお婆さんに席を譲っているのを想像した。
「いやなんでそいつちょっと親切なんだよ」
「人の想像の中にまでツッコミを入れるたぁ、腕をあげたねお兄ちゃん」
彗がニヤリと笑うのを宵は無視した。話の大幅な脱線を予想したからだ。
「とりあえず、これを買おうと思う。かなりボロい車だがなんとか走れると思う」
宵がそう言ってスマートフォンの画面を見せると、そこには中古車の販売ページが表示されている。宵の言う通り、かなり年季が入っているのがわかる。金額は198,000円と書かれている。
「ふわー、車って高いんだね。よし、そうと決まればさっそく買いに行こうよ!」
「……」
宵は優しい笑顔で妹を見つめた。
彗は兄のこの笑顔に見覚えがある。
自分が美容用品をねだったときに、冷蔵庫を指差していたときと同じ笑顔だ。
「まさかお兄ちゃん……」
「ああ、金がない。俺もバイトのシフトを増やしているが、まだ全然足りない」
「そんな!?じゃあ私たち、やっぱり電車で逃走するしかないってこと!?怪盗なのに!?」
彗はマントやシルクハット、派手なマスクを身につけた怪盗が先ほど席を譲ったお婆さんの重そうな荷物を持ち、一緒に電車を降りるのを想像した。
降りる際にお婆さんがつまづいたので、慌てて手を差し伸べてお婆さんを助けている。
「マジでいいやつだなそいつ。本当に怪盗なのか?ただのコスプレしてる善人じゃないのか?」
「お、お金がなきゃ買えないじゃん!車!どうするの!お兄ちゃん!」
彗が詰め寄ると、宵は「まあ慌てるな、彗」と笑った。
「笑ってる場合じゃないよ!それに、最初に言ってたヴェルサイユ・ロゼを調べるってやつもちゃんとやらなきゃなんでしょ!?」
宵は掴みかかってきてそうな妹を手で制し、「大丈夫だ、ちゃんと考えてある。これを見ろ」とスマートフォンを渡した。
そこには「短期アルバイト募集中!」と書かれたSNSの投稿だった。投稿アカウントは「ヴェルサイユ・ロゼ公式」と書かれている。
彩光寺麗子が所属するヴェルサイユ・ロゼはこの街にしばらく滞在して何度も公演を行う。
その際に舞台の設置や道具の管理、その他の雑用として2週間程度の短期バイトを募集しているのだ。
彗が募集要項を読んでいくと、下の方に「高校生大歓迎!夏休みにヴェルサイユ・ロゼで働いて素敵な思い出を作りませんか?」と書かれていた。
「まさか、お兄ちゃん……」
「ああ。車を買うためのアルバイト兼、ヴェルサイユ・ロゼを調べるための潜入調査だ。頼んだぞ。彗」
宵はニヤリと笑った。
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