第3話 おやくそく?


「……次は、この本をめくって。佐藤くん」

​彼女が指差したのは、本棚の最上段、僕が一度も開いたことのない分厚い古書だった。

前の住人が置いていったものか、あるいはもっと前からこの家にあったのか。背表紙の文字は擦り切れて読めない。

​「これ、なんの本?」

「わかりません。でも、すごく……懐かしい匂いがするんです。紙と、インクと、それから、知らない場所の風の匂い」

​僕が慎重にその表紙を開いた瞬間だった。

​カチリ。

​何かのスイッチが入ったような音がして、部屋の空気が一変した。

本のページから、見たこともないほど鮮やかな群青色の光が溢れ出す。

​「うわっ……!?」

「佐藤くん、これ……!」

​突風が吹き荒れ、学習机の上の参考書がバサバサと舞い上がる。

光の渦の中心で、彼女の透き通った体が、見たこともないほど強く輝き始めた。

いつもはすり抜けてしまう彼女の手が、咄嗟に僕の腕を掴んだ。

​「——冷たい」

​いや、違う。冷たいけれど、確かにそこに「存在」を感じる確かな質感。

驚く僕を置き去りにして、世界がぐにゃりと歪んだ。

​目を開けると、そこは四角い自室ではなかった。

​見上げるほど巨大なキノコが森を成し、空には二つの三日月が浮かんでいる。

空気は甘く、草花がかすかに発光して足元を照らしていた。

​「ここ、どこだよ……」

「……物語の中、でしょうか。私、知ってます。ここ、さっきの本の挿絵にあった場所です」

​隣に立つ彼女を見て、僕は息を呑んだ。

夕日に透けていた彼女の体は、ここではまるで生身の人間のように、はっきりとした色彩を放っている。

​彼女の頬には赤みが差し、風に揺れる髪は柔らかな光沢を帯びていた。

僕は震える手で、彼女の肩に触れてみる。

​「……触れる」

「あ……」

​彼女も自分の手をじっと見つめ、それからゆっくりと僕の胸に手を当てた。

トクン、トクンと、僕の心臓の鼓動が彼女の掌に伝わっていく。

​「温かい……。佐藤くん、私、生きてるみたいです。この世界なら、私……」

​彼女の瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。

それは地面に落ちる前に光る蝶へと姿を変え、夜の森へと舞い上がっていく。

​現実世界では「悲しい幽霊」だった彼女。

けれどこの異世界では、彼女は誰よりも鮮やかに「生」を謳歌できるのかもしれない。

​僕たちの、切なくて楽しい「物語への旅」が、今、本当の意味で始まったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る