コカトリスの主

雪村灯里

前編・祖父の遺産

「おじい様! 僕、大きくなったら君主様をお守りする騎士になります!」

「そうか、ロイは剣の筋が良いからな。鍛錬を励んで立派な騎士になるのだぞ」

「はい!」


 緑に囲まれた北の別邸。優しく笑い、夢を応援してくれる祖父。僕は彼と庭園を散歩するのが好きだった。


「おじい様、この先の林に行ってみましょう!」

「……。ロイ、今は親鳥がひなを育てているから止めておこう。さぁ、おいで。屋敷でボードゲームでもしようじゃないか」


 鳥のヒナ? 見たいなあ。けど、おじい様がそう言うなら仕方ない。ヒナが大きくなったら見に行こう。


 残念そうに林を見つめていると、祖父は手を差し伸べた。温かくて大きな優しい手。僕も元気に「はい!」と返事して、右手を差し出すが……僕の肘から先に手は無かった。


 ◇


「うわぁぁぁ!!」


 心臓がバクバクと音を立て、冷や汗が止まらない。痛む右腕を持ち上げると、中身の無い袖がだらりと垂れた。


 情けない、夢で叫んでしまった。


 僕は一カ月経っても、この事実を受け入れられずにいた。よりにもよってあんな夢を見せるなんて、神様も意地が悪い。それとも久々の実家に気を緩めて、居眠りした罰だろうか?


 起き上がり、慣れない左手で髪と服の乱れを直す。おじい様譲りのサンディブロンドに青紫の瞳。異能まで受け継いで顕現したのに、剣を握れなくなってしまうとは……。


 一年前は、夢と希望に満ち溢れていた。


 二十歳になり、僕は騎士となる夢を叶えた。更には婚約も決まって順風満帆。祖父も自分の事のように喜んでくれたのを鮮明に覚えている。だが、そんな祖父も僕が右手を失うのと同時期に逝ってしまった。


 傷心していると、子気味良く扉が鳴る。この叩き方は執事のポールだ。


「ロイ様、ポールでございます。旦那様がお呼びです」

「分かった。すぐに行く」


 僕はジャケットを羽織り、部屋を出た。父の書斎に向かって廊下を進む。子供の頃には明るく感じた廊も、今は暗く感じた。重厚なダークウッドの扉の前で止まると、不揃いなノックをする。


「お父様、ロイです」

「うむ、入りなさい」


 書斎では、父が手紙を読みながら眉をひそめていた。室内の空気までピリピリしている。


「何をそんなに怒ってらっしゃるのですか? おじい様の件で何か問題が?」


 父は大きなため息を吐くと僕を睨んだ。この様子だと僕に関連ある話だ。


「ああ、問題だらけだ。まずはロイ。エルガー家令嬢との件だが、婚約破棄の連絡が来た」

「え!? 婚約……破棄ですか??」


 青天の霹靂へきれきだ。父は持っていた手紙を机に叩きつけると、ブラウンの瞳にほのかな光を宿す。


「そうだ、『片腕を失った騎士に、大切な娘を任せられん』とな。まぁ、なんと嘘にまみれた手紙だ。わしの力を舐めおって! せいぜい王位継承争いで甘い蜜が吸える家につく算段だろう! これだから新興貴族は!!」


 父は嘘を見抜く異能を有している。手紙に付着した嘘を視たのだろう。それにしても、なぜトラブルはこうも立て続けに起るのか。僕は頭を抱えた。


「ロイは赤眼の若竜王子を守った名誉の負傷なのに……ああ、腹立つ。絶対にギャフンと言わせてやる!」


 異能を使って飢えた・・・父は、机の上に置いてあったジャーからキャンディーを取り出し、口の中に放り込んだ。バリボリと噛み砕く音がする。


 エルガー家は奇抜な手法で伯爵位まで駆け上った。いくら奇抜とはいえ、婚約破棄なんて聞いたことが無い。父の言う通り継承争いを日和見ての行動だろう。


 だがそれは、僕の存在を否定されたようで胸が痛む。


「ふんっ! エルガー家は見えるからまだマシだ。大問題は親父の別邸だ」

「おじい様が時々行っていた、北の別邸ですか?」

「そうだ。親父の奴、そこでコカトリスを飼っていた」


 コカトリス。


 ニワトリとヘビを混ぜ合わせた容姿の怪物だ。その吐息には毒が混ざり、見た者を石に変える。


「あの、伝説の怪物を飼っていたのですか?」

「わからん。だが、本物の怪物の方がまだ・・可愛げがある!」


 父は一通の手紙を僕に差し出した。祖父が愛用していた便箋とは色違いだ。僕は受け取って中身を読む。そこには左手で書いた様な字で、こうつづられていた。


『あなたをあるじと認めない。お帰り下さい』


 文字を書くコカトリス……否、ニワトリの翼でペンは持てまい。恐らくコカトリスを名乗る異能持ち人間だろう。


 この国の貴族は、異能や政治的な戦略で婚姻関係を結ぶ。上級貴族ともなると、稀に二種類以上の異能を併せ持つ人物が誕生する。そのような複合異能の持ち主は、畏れを込めて伝説上の霊獣や怪物に例えられた。


「秘密を好む親父だったが、まさかそんなバケモノを囲っていたとは。しかも『周辺領地と別邸は、コカトリスを手懐てなずけた者に譲る』と遺言まで残して!」


 父いわく、僕が療養中に兄二人を引き連れて北の別邸に行ったらしい。だが三人ともコカトリスの姿を見る事も出来ず、それぞれ『お帰り下さい』と手紙を渡されたとか。


 父と兄が怪物コカトリスにフラれた。


 凹んでいた僕も、その文字列が頭を過ると笑いが零れてしまった。これ以上笑うのはマズいと堪えるが、余計に腹筋と右腕の傷に響く。

 笑い出した僕に呆気にとられていた父も、怒りを思い出したのだろう。


「婚約破棄されたお前に笑われたくない! じゃあ、お前が行ってコカトリスを口説いてこい! 結婚でもなんでも認めてやる!!」

「……――え? 僕が?」


 ◇


 ――という事で、数日後。僕は北の別邸に向かう。


 早朝、馬車に乗り実家を出た。祖父の別邸は、馬車に揺られて半日程度。

 街には教会の鐘の音が響く。我が家は王位継承争いに関わっていない為、町は平和そのものだった。教会の屋根の上では、風見鶏が風とたわむれている。


 正直、僕はコカトリスどころでは無い。しかし、いざ出発すると気分転換には丁度いいと思うようになっていた。


 馬車は街を出ると、森の街道を行く。木々の緑を見飽きた頃に、煉瓦造りの小さな館が現れた。あれが祖父の別邸だ。


 馬車は僕を降ろすと、来た道を帰って行った。森に囲まれた館の前に、隻腕せきわんの男がポツンとひとり。


 ここに来るのは何年振りだろう? ペイジになる前だから14年振りか。


 トランクを持って門を潜り、玄関へと向かう。庭は昔より狭く感じたが、綺麗に整えられていた。重かった心が懐かしさで軽くなる。


 僕がこの屋敷に二泊する事は、住み込みの使用人に連絡済みだ。トランクを置いてノックしようとしたら『ぎぃー』っと扉が開いた。


「ロイ様、いらっしゃいませ。お出迎えが遅れて申し訳ございませんでした」


 厚い扉の向こうから姿を見せたのは、丸い眼鏡を掛けた若いメイドだった。ここに来て初めて見る人物に、僕は息を飲む。


「初めまして。使用人のエレナと申します。長旅でお疲れでしょう。さぁ、中へどうぞ」


 彼女は僕と歳が近そうだ。透き通るような白い肌に、ミステリアスな黒のまとめ髪。最近流行の丸眼鏡と長い前髪、そのせいで目の表情までは読み取れなかった。


 まさか、彼女がコカトリスじゃないよな?


 なんて考えていたら、華奢な彼女がトランクを持とうとしたので慌てた。


「重いので僕が持ちます! 女性に持たせるなんて出来ません」

「いえ、重い物は慣れていますから」


 トランクを掴もうと右手を伸ばしたが……腕先が無いことを忘れていた。僕はバランスを崩し転びそうになる。


 ――ドスン


 転びかけた僕を支えてくれたのはエレナだった。僕の代わりにトランクが床に転がる。

 彼女に支えられ、抱きしめ合うような形になった。厚いレンズ越しに見る彼女の瞳は、エメラルドの様に美しくて見惚れてしまった。


「あたたかい……」


 柔らかそうな、バラ色の唇からぽつりと言葉が漏れた。僕は彼女の言葉に驚いたけど、恋人のような距離にも慌てた。それは彼女も同じだったのだろう。二人とも弾かれたように離れる。


「すまない。まだ右手が無いことに慣れていないんだ。支えてくれてありがとう」

「いいえ、お怪我が増えなくてよかったです。私こそトランクに手を出して申し訳ございませんでした。……案内します」


 エメラルドの瞳は、再び長い前髪に隠れてしまった。


 僕はトランクを持って彼女の後に続く。室内の調度品も思い出と変わっていない。長い間、大切に守られてきたのだろう。


「今、この屋敷の使用人は何人いるのですか?」


 小さな背中は、振り返らずに答える。


「わたし一人です。皆、年を取って辞めていきました」

「独りでこの屋敷を!?」

「ええ。長く勤めていますので仕事には慣れています。でも、庭や大工仕事は外部に依頼するようにと、コカトリス様から指示されています」


 出た、コカトリス。


「エレナさんはコカトリスに会った事はありますか?」

「いいえ、有りません。手紙で指示されますので」


 父曰く、これは本当らしい。嘘の色は見えなかったそうだ。


 姿の見えない怪物の主人。コカトリスは今もどこからか、僕達の様子を見ているのだろうか? 気味が悪い。


「こちらでお待ちください。ただ今お茶を準備します」


 応接室に通され、長椅子に座った。ここも昔と変わらない。パチパチと燃える薪を見ていた暖炉。若かりし頃の祖父と祖母の肖像画が見守る壁。懐かしい思い出に心が温まる。


 思い出に浸っていると、エレナがワゴンにティーセットを乗せてやってきた。彼女は無駄の無い動きで紅茶を淹れる。祖父が好きだった銘柄だ。白い手が僕の前にティーカップを差し出す。


「ありがとう」


 カップを持つ手は変わってしまったが、味はあの頃と変わらない。


「おいしいよ……」


 心からの声に、彼女は会釈する。

 紅茶を半分程味わってカップを置くと、エレナが話し出した。


「コカトリス様よりお手紙を預かっています」


 彼女は白い封筒を差し出した。受け取った封筒には『ロイ様へ』とあの癖字で書かれている。封蝋には怪物コカトリスの意匠が施されていた。


 僕は静かにカップを置くと、左手で封筒を開ける。中には手紙が入っていた。


『ロイ様 懐かしの館へようこそ。この屋敷の主人代行コカトリスです。滞在中あなたが屋敷のあるじに相応しいか見定めます。審査の結果は明日の夜お伝えしましょう。追伸:右腕が不自由と伺いました。エレナがあなたの右腕となり支えましょう。それでは良い時間を。――コカトリス』


 小さく息を吐いて手紙を置いた。視線を感じたのでエレナを見ると、彼女は僕の手元を見つめている。手紙の内容が気になるのだろうか?


「コカトリスの審査が始まっているらしい。結果は明日の夜出るみたいだ、ゆっくり待とう」

「…………。ロイ様はコカトリス様を探さないのですか?」


 彼女の言う通り、直ぐにでもコカトリスを探し出して口説いた方が良いのだろう。わが家としても領地を失うのは避けたい。だけど僕は怪物に興味が湧かなかった。


 それよりも、夢と希望に溢れていた祖父との思い出に浸っていたい。


「……そうだね。でも、君も会った事が無い人物を探し出すのは難しいだろう。それに本物のコカトリスだったら僕は石にされてしまうからね」


 なんて誤魔化すように笑ってみせた。正直な所、将来に希望が見えない僕は石にされても良いかなと考えている。でも他人の前だ。昏い気持は左手に握り隠した。


「…………」

「そうだ、手紙に君の名前が書いてあったよ」

「私ですか?」


 エレナに手紙を渡した。それを読んだ彼女は静かに答える。


「承知しました。コカトリス様の言い付け通り尽力致します。何なりとお申し付けください」


 彼女が右腕……。玄関の件を思い出し、気恥ずかしくなった。コカトリスは彼女に着替えを手伝って貰えと言うのか? いや、身の回りは出来る限り自分で頑張ろう。しかし『尽力する』とまでいう彼女に、何も願わないのは失礼な気がする。絞り出した僕の解は――


「では、一緒に散歩しませんか? 教えて欲しいのです。エレナさんが知る祖父と……あなたのことも」


 エレナは頬を染めて、僕の手元を見ながら狼狽えた。そして、小さく「はい」と頷く。

 僕は時間で差気づいた。まるで、彼女を口説いてるみたいじゃないか!! でも、言ってしまった言葉は引っ込めることが出来ない。恥ずかしくて頬を掻いた。


 ◇


 春が訪れた庭園では小鳥が遊んでいた。花々の香りが風に乗って運ばれてくる。僕の隣を歩くエレナは、ポツリポツリと思い出を語り出した。


「大旦那様は使用人にも優しくて、みんなから慕われていました。私に、読み書きや計算まで教えてくださって……。感謝してもしきれません。それに、この眼鏡も大旦那様から頂きました」


 詳しく掘り下げて聞いたら、現在彼女は18歳。12歳という平均より早い年齢で働き出したらしい。彼女も祖父の事を心から慕っていたのがよく分かる。きっと眼鏡と前髪の奥で優しく目を細めているのだろう。


 祖父も眼鏡をプレゼントするなんて、よほど彼女を気に入っていたのだろう。


「エレナは、この屋敷に来る前はどこに住んでいたの?」

「……。ごめんなさい、言えません。この屋敷で働き出す以前の話はコカトリス様から言わない様にと指示されているので」


 コカトリスに邪魔された。しかし何故、彼女が過去を語る事を禁ずるのだろう? 不思議だ。さらに不思議と言えば、彼女は僕の目を見ようとしない。内向的な性格なのかと思ったが、禁じられている事以外は楽しそうに話す。


「大旦那様はあの東屋ガゼポで本を読むのがお好きでした。お亡くなりになる少し前も熱心に読まれていたのですよ」


 彼女の視線の先には僕も覚えがあった。白い東屋の下で過ごした光景が目に浮かぶ。


「そうだね。祖父は飢え・・を知識欲で満たしていたから……」


 とうとう庭の端まで来た。ここから先は林だが小路が続いている。踏み出そうとしたら、左腕をギュッと掴み止められた。


「コカトリス様が、この先には誰も行かせるなと……」

「……。そうか、ならば仕方ないね」


 林の奥では鳥たちが秘密を囁くように鳴き合っている。僕達はそんな林に背を向け、屋敷に戻る事にした。




 コカトリス、お前はこの林の奥に何を隠している?

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