第16話 名も無き勇者達

 確かにその時は、第一艦隊旗艦『大和』の食堂は、安らぎという名の甘い香りに浸っていた。  

 カイの士官候補生同期の二人も、この食堂で微笑ましい告白に目頭を熱くしていた。

 ライオン・ポート出身のリー・チェンハン曹長は、ジョッキの泡を口髭につけながら、意地の悪い笑みを浮かべていた。

「おい、アニサ。見ろよ。あの『鋼鉄の破壊神』様が、女の子の手を握るだけでとろけそうなボウヤの顔してるぜ」

「本当ね、リー。カイったら、きっと戦いの時より必死な顔しちゃってるわよ」  

 サウザンド・アイル出身のアニサ・プトリ曹長が、弾けるような声で笑う。

 平和な、あまりにも平和な一瞬だった。

 その幸福を、鉄の暴虐が粉砕した。

 ドォォォォォォォンッ!!

 鼓膜を叩き割る爆音。衝撃波でリーのジョッキが砕け、冷たいビールが顔に飛び散る。

「敵襲ゥッ!!」  

 リーが叫んだ瞬間、カイはすでに椅子を蹴り、右舷通路に消えていった。

 リーとアニサは一瞬だけ視線を交わし、――地獄の火溜まりと化した艦尾へと駆け出した。


 通路はすでに、肉と鉄を焼く地獄の香炉と化していた。  

 ギャリギャリギャリ! と、右舷から20mm機関砲の掃射が艦壁を紙のように穿つ。

「伏せろッ、アニサ!」

「止まれない! アスラを出さなきゃ、全員死ぬわッ!」  

 二人が急造された艦尾アスラ射出口へ辿り着いたとき、そこには無残な光景が広がっていた。

 正規の配属員五名は、直撃の衝撃波で肺を潰され、目と鼻から血を流して転がっている。

 そして、アスラの通り道となる巨大な装甲扉が、砲弾の熱で赤黒く膨張し、ひしゃげていた。 「クソッ、動力が死んでる! 手動だ、アニサ。手動クランクを回すぞ!」  

 リーが非常用クランクを掴む。

 だが、装甲扉は歪んだレールに噛み込み、岩のように動かない。

「アニサ、ロックレバーだ!すまない。 焼き付いてるなら自分の体でぶっ叩け!」

「……やってやるわよッ!」  

 アニサは赤熱した鋼鉄のレバーに飛びついた。 

 ジゥゥゥッと皮膚が焼ける音が響くが、彼女は歯を食いしばり、顔を般若のように歪めて叫んだ。

「回れえええええッ! 私たちの、カイを行かせてよおおおおッ!!」

「うおおおおおおッ!!」  

 二人の筋肉が断裂の悲鳴を上げ、ようやく扉が悲鳴を上げて全解放された。

 刹那「アスラ専用射出口、カタパルト無し、マニュアルで解放」と艦橋から指示が飛ぶ。

 アニサは抑えきれない弾む声で「艦尾、アスラ射出口、解放完了」と即答する。

 そして、沈黙したカタパルトの奥から格納庫を疾走してくるアスラの紅いモノアイが見えた。

 アスラが完全に海上を疾走し始めた事を見届けた時、リーとアニサは、溢れる笑顔と涙、ハイタッチを抑えることは出来なかった。


 その頃、艦橋ではスター・アイルズ出身のマリア・サントス曹長が、血の海に膝をつきながら崩壊したコンソールに食らいついていた。

「……こちら艦橋! 通信生きてる!? 誰か、誰か答えて!」  

 返る音は無機質なノイズだけだ。

 アスラが射出口から放たれた衝撃波が艦橋を揺らし、その残響が消えぬうちに、マリア・サントス曹長はマイクを再度強く握りしめる。

 彼女の後ろからシムラ中将が彼女の肩に手をかける。

 彼女は頷きながら、再度乱高下する計器の針と、真っ赤に染まったダメージコントロール・パネルを凝視しながら「アスラ、発艦!……全甲板、被害報告を送ってください! 各セクション、生きている者は応答してッ!!」と叫ぶ。

 直後、割れたスピーカーから、地獄の底から這い上がるような悲鳴と怒号が、マリアの耳を突き刺した。

『――こちら第四機関室! 右舷に直撃、浸水が止まらねえ! 隔壁が歪んで閉鎖不能だ、このままじゃボイラーが爆発するぞッ!』

『第二砲塔予備弾薬庫より報告! 火災が発生、スプリンクラーは作動しません! 手動消火、間に合わせる。人手をくれ!……誰か、注水を! 早くしてくれ!!』

「落ち着いてください! 第四機関室、予備電源をバイパスに回して! 第二弾薬庫、注水弁を強制開放する、待ってッ!!」

 マリアの手指が、ショートして煙を吹くキーボードの上を猛烈な速度で踊る。

 艦の傾斜計が、無慈悲に「7度」を示して止まった。

「艦橋より各部へ! 現在、本艦は右舷へ約7度傾斜中! 復元限界まで余裕はありません! 左舷バラストに注水、傾斜を食い止めます!」

 そこに、さらに絶望的な報告が重なる。

『衛生班です……ッ! 通路が崩落して、負傷者の搬送ができません! 重傷者多数、薬品も足りない……あぁ、神様、食堂付近の天井が落ちた! 誰か、助けてくれ!!』

 「食堂」という言葉に、マリアの心臓が跳ね上がった。

 あそこに、ミナがいたはずだ。カイ少佐が、自分の命よりも大切にしていた少女が。

「……衛生班、そして、全艦の皆様。落ち着い聞いてください。食堂付近……D3区画。この周辺にカイ少佐の婚約者、ミナさんが120mmを受けて行方不明になっています」

 放送中にも関わらず、マリアの大きな瞳は大粒の涙を抑えることは出来ない。

「誰か、お願いします。彼女を……ミナさんを助けてください」

 急に艦内放送の声が変わる。

「司令官のシムラだ。皆、我が艦の傾斜は7度だがまだ沈んではいない。大変だが頑張ってくれ。今、カイ少佐がたった一機で敵に肉薄しているのだ。このような時に個人の願いを優先するのは、軍人失格であるのを承知で私から皆に頼む。手が空いているものだけで良い。カイ少佐の婚約者を捜索して欲しい。この通りだ」

 この放送に、反感を抱く者は誰一人いなかった。

 彼ら大和の将兵は知っていた。

 今、外の海で独り敵全軍と肉薄しているカイ少佐が、これまで何度自分たちの命を救ってきたかを。

 彼のためにミナを救うことは、大和の誇りを守ることに他ならなかったのだ。

 マリアの悲鳴に近い誘導が、シムラ中将の懇願が、捜索隊を突き動かした。  

 食堂の床が抜けたD3区画。暗黒の底の配管に引っかかって宙吊りになっている、白いシャツの少女が見えた。

「いたぞ! 衛生兵、担架だ! 腕の止血を急げッ!」

「ミナさん! しっかりして、ミナさん!」  

 アニサが、リーが、そしてマリアの叫びが繋いだ数分間。  

 ミナの意識は遠のき、失われた右腕からは絶え間なく命が零れ落ちていたが、彼女の心臓は、戦場で戦うカイの叫びに呼応するように、トク、トクと、消え入りそうな鼓動を刻み続けていた。

 外海で吹き荒れる、アスラの復讐の咆哮。  

 大和の艦内では、ボロボロになった同期たちが、カイが残していった「半身」を必死に繋ぎ止めていた。

「カイ……死なないで……」  

 病院船『芙蓉』のストレッチャーの上で、ミナの青白い唇が、微かに、けれど確かに動いた。

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