デリートされた親友 ―親友を殺したのは、僕たちの想像力だった―

ソラ

第一部:デリートの果て

第1話 止まった着信履歴

 二〇二六年六月。

 深夜一時。デスクの上には、飲み干したブラックコーヒーの空き缶と、青白い光を放つ三枚のモニターが並んでいた。一つには走り続けるソースコード、もう一つにはサーバー負荷を示すグラフ。そして残る一つは、何も映していない。

 空白の画面が、今の自分の頭の中みたいだと思った。


 システムエンジニアとして独立して三年。

 この仕事を選んだ理由は単純だ。人間より、論理を相手にしている方がずっと楽だった。数字と記号で構成された世界には、曖昧な感情も、予想外の裏切りも存在しない。

 そして何より、ここには「過去」が追いかけてこない。

 深夜の静寂は、僕にとって唯一のシェルターだった。


 その静寂が、無慈悲に破壊された。


 ブブッ――


 デスクの端、バックアップ用ハードディスクの隣で伏せていたスマートフォンが震えた。

 一度。

 二度。

 三度。


 深夜の着信ほど、心臓に悪いものはない。

 メンテナンスのアラートかと思い、画面を覗き込んだ僕は、そのまま指先を凍りつかせた。


『非通知設定』


 午前一時。

 営業電話にしては非常識すぎるし、友人がわざわざ非通知でかけてくる理由もない。


 迷った末、吸い寄せられるように通話ボタンをスワイプした。


「……はい、航平です」


 返事はない。

 耳に届くのは、サーッという微かなノイズだけだ。古いカセットテープを再生したときのような、あの耳障りなヒスノイズ。


 だが数秒後、そのノイズの奥から「何か」が浮かび上がってきた。


 音楽だった。

 歪んだバンドサウンド。安っぽいスピーカー越しの、こもった音質。

 脳裏に、埃っぽい体育館の光景が一気に蘇る。

 文化祭。

 十年前。

 あの舞台で誰かが演奏していた、流行りのコピー曲。


 全身の血が、瞬時に冷え切った。


 なぜ、この曲を。

 なぜ、今。


「……湊?」


 気づけば、声が漏れていた。


 十年前の卒業式の日。学校裏の崖から転落して死んだ、僕の親友の名前。

 警察は事故と断定した。だが――。


 (あの時、誰かが言っていなかったか?)


 「あれは、事故じゃない」と。

 誰だっただろうか。思い出そうとすると、脳の奥に鋭い痛みが走り、意識のシャッターが強制的に下ろされる。考えちゃいけない。これ以上は、ダメだ。自分でも無意識のうちに、思考の回路を焼き切っているのがわかった。


 そんな僕の混乱をよそに、電話越しの音楽は鳴り続ける。

 だが、僕はそこで決定的な違和感に気づいた。


 流れている曲は、僕たちのクラスが劇を始めた直後に流れたはずの三曲目だ。だが、背景に微かに混じるステージアナウンスの声は、一曲目のイントロを紹介している。

 再生順が、逆だ。


 再現するにしては雑すぎる。まるで誰かが、「これは本物じゃない」と、わざと示しているみたいだった。


 さらに、もう一つの異常。


 手元のモニターに映るデジタル時計は、確実に一分近く進んでいる。しかし、スマホに表示されている通話時間は、まだ「十五秒」を指したまま停止していた。

 体感時間は、数分にも感じられたのに。


 ブツリ、と音が途切れた。


 通話が切れた直後、僕は震える手でPCのシステムログを確認した。

 予想通りだった。

 NTP(時刻同期プロトコル)のログに、強制的に外部からパケットが流し込まれた形跡がある。通話中、僕のデバイスの時刻系は、誰かの手によって書き換えられていた。


 ただの悪戯電話じゃない。これは、明確な技術を持った者による「デジタルな宣戦布告」だ。


 その直後だった。


 スマホの画面に、SNSの通知が表示される。

 十年間、一度も動かなかったグループトーク。

 アイコンは、当時のまま。湊の飼っていた犬の写真。


『湊:十年前の忘れ物を取りに来てくれ。明日の夕方、あの崖で待ってる』


 通知音が、一度鳴る。

 ――ポーン。

 そして、コンマ数秒遅れて、もう一度。

 ――ポーン。


 背筋が凍る。

 そのリズムは、僕のスマホに入っている管理者用アプリが、外部からの遠隔操作を検知したときの警告音と、まったく同じだった。


 誰かが、僕の領域に土足で踏み込んでいる。


 深夜二時。耐えきれず、僕は大輝に電話をかけた。


「……航平か」


 数コール後に出た声は、ひどく掠れていた。寝起きの声じゃない。


「ああ、来たよ。俺のところにも」


 大輝の言葉に、心臓が跳ねる。


「それだけじゃない。さっき、非通知で電話があったんだ。変な音楽が流れる、あの日の電話が」


 僕だけじゃなかった。

 逃げ場は、どこにもなかった。


 翌日。

 仕事を放り出し、僕は車を走らせた。

 故郷の空気は、不気味なほど十年前と同じ、重たい潮の匂いが混じっていた。


 夕刻。学校裏の崖へ続く一本道には、すでに二台の車が停まっている。

 大輝。

 派手な格好で、不自然に顔を隠すような大きなサングラスをかけた美月。

 そして、猫背で一心不乱にスマホを弄り続けている颯太。


 再会の喜びはなかった。

 僕たちは、互いの顔を見て、絶句した。

 誰も、あいつの名前を口にしない。「湊」という二文字を出した瞬間に、何かが壊れてしまうのを恐れているかのように、視線だけを泳がせている。


 沈黙を破ったのは、土を掘り返す音だった。


 ザッ。

 ザッ。


 視線の先。老木の根元。そこには新しく掘り返された土の山があった。


「……そこだったか?」


 美月が、ひび割れた声で呟いた。


「タイムカプセル、僕たちはあの大きな岩の裏に埋めたはずじゃ……」


 困惑する彼女の言葉を、無機質な声が遮る。


「いや、ここで合ってる。俺が場所を指示したんだから、間違いねえよ」


 颯太が断定するように言うが、その声には確信がない。僕の記憶でも、埋めた場所はここから数メートルは離れていたはずだ。


 誰の記憶が正しいのか。

 それとも、誰かが意図的に「場所」という現実を書き換えたのか。


「開けるぞ……」


 颯太が蓋を開けた。錆びついた金属が悲鳴を上げる。

 中にあったのは、僕たちが十年前に入れたはずの卒業文集や思い出の品ではなかった。


 無機質な、古いガラケー。

 そして、湊が死んだ日の日付が印字された、一枚のレシート。


 レシートの裏側には、一つだけ、十年前にはなかったはずの文字が、血のような赤色で書き足されていた。


『嘘つきは、誰?』

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