アル=バカーالبقاء
無邪気な棘
第1話「駐留」
1941年8月。
独ソ戦の拡大とともに、ソビエト赤軍は南へと兵を動かした。
その進路に位置する小国ドゥドマスタンに対し、モスクワから通達が届く。
内容は簡潔で、拒否の余地はないものだった。
――イギリス軍と協同し、ペルシャ(イラン)へ侵攻する。
――そのための前線基地として、ドゥドマスタン領内への赤軍駐留を認めよ。
国王アルム=カームは、直ちに全国およそ三十の諸大名を都に招集し、ムカバラ――すなわち会議を開いた。
石造りの会議殿には、古い血を分けた男たちが集った。
彼らは互いに「同族」であり、「競争相手」でもあった。
ある者は慎重を唱えた。
「異教徒の大軍を入れれば、いずれ追い出すのは難しい」
ある者は恐怖を口にした。
「赤軍は信仰を嘲ると聞く。聖域が汚されるやもしれぬ」
沈黙が落ちかけたとき、西部の大名、ハリス=アルガルブが静かに言葉を発した。
「ペルシャを抑えてくれるのは、好都合です。よろしいかと。」
それは短い発言だったが、会議殿の空気を一変させた。
歴史的に、ドゥドマスタンは幾度となくペルシャの侵攻を受けてきた。
軍勢、徴発、改宗の強要――いずれも人々の記憶に深く刻まれている。
ペルシャが弱る。
それはドゥドマスタンが“静かに息をする”時間を得るということだった。
国王アルム=カームは、しばし目を閉じた。
そして、何事もなかったかのように頷いた。
「赤軍の駐留を認める。」
その決定は、歓声も抗議も伴わなかった。
ただ、古い時計の針が一つ進むように、淡々と受け入れられただけである。
数日後、赤軍の車列が国境を越えた。
砂煙の向こうから現れた鉄と人の流れを、ドゥドマスタンの民は無言で見送った。
彼らは知っていた。
この国は、勝つために存在しているのではない。
残るために存在しているのだと。
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