第7話


朝。


母に止められながらも、

僕は家を出た。


もう大丈夫だから、

そう言うと、

母は少しだけ渋い顔をしたけれど、

結局、送り出してくれた。


外の空気は、

昨日までと違って感じた。


軽い。

冷たい。

やけに、澄んでいる。


……行ける


理由は分からない。

ただ、そう思った。


石段を上がる。


一段一段が、

昨日までより、はっきりしていた。


――――――――――


境内は、

いつも通り静かだった。


御神体の下。

いつもの場所。


……君?


声をかけると、

少し遅れて、

影が揺れた。


……来たか


低い声。


姿は、

昨日までと変わらない。


けれど。


……大丈夫なのか


その言葉に、

僕は目を瞬いた。


大丈夫だよ

もう、平気


そう言って、

くるりと一回、回ってみせる。


君は、

それをじっと見ていた。


……そうか


短い返事。


でも、

視線が離れない。


ねえ

昨日さ


言いかけたところで、

君の声が被った。


……覚えているか


え?


……夜のことだ


胸の奥が、

少しだけ、きゅっとした。


ううん

よく、分かんない


本当は、

分からないわけじゃない。


冷たい手。

近い気配。

目を開けなかった理由。


でも、

夢だと言われたら、

そうかもしれない程度のものだった。


……そうか


君は、

それ以上、聞かなかった。


いつものように、

花札を出す。


札を混ぜる音が、

やけに大きく響いた。


……手


君が、

ぽつりと言う。


なに?


……少し、変だ


え?


自分の手を見る。


特に、

何も変わらない。


小さくて、

温かい。


……私に、近すぎる


その言葉の意味が、

よく分からなかった。


でも。


ねえ

昨日、来てくれた?


冗談みたいに、

そう聞いた。


君は、

一瞬、固まった。


……馬鹿なことを言うな


声は、

いつもより低い。


でも、

否定が遅れた。


……夢だよね


僕がそう言うと、

君は目を伏せた。


……ああ

夢だ


その答えは、

正しかった。


正しいはずだった。


けれど。


風が吹く。


境内の空気が、

一瞬だけ、

夜の匂いに戻った。


僕は、

確信してしまった。


――夢じゃない。


でも、

言わなかった。


言ったら、

壊れる気がしたから。


……主


君の声が、

少しだけ遠い。


……次からは

夜には、眠れ


うん


……無理をするな


うん


それだけの会話。


なのに、

胸の奥が、

ざわついた。


――――――――――


その日、

僕は早めに神社を出た。


石段を下りながら、

振り返る。


君は、

こちらを見ていなかった。


御神体の影に、

溶けるように立っている。


その背中が、

昨日より、

少しだけ遠く見えた。


――――――――――


その頃。


私は、

自分の手を見ていた。


人の熱が、

まだ、残っている。


……一度だけだ


そう、

何度目か分からない言葉を、

繰り返す。


だが、

境界は、

もう元には戻らない。


主は、

気づき始めている。


それでも、

来た。


それが、

すべてだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る