第10話
「……ふぅ…」
一日の仕事が終わり、私は自室のベッドに倒れ込んだ。
忙しい一日だった。
あれから、掃除や洗濯、ルミナの荷物の整理…気がつけば、次から次へと仕事をこなしていた。
「あっという間に一日が終わるんだなぁ…」
天井を見つめる。
朝は少し億劫だったのに、今はただ、何も考えられないほど体が重かった。
けれど、動いている間は嫌な気持ちを考えなくてすむ。
それが今の私には救いだった。
いつも籠っているよりは…たぶん、まだ。
今までの暗い気持ちを思い出し、私は少しだけ苦笑いをしてしまった。
私はベッドから体を起こし、カーテンに手をかける。
窓の外には、今日も変わらず綺麗な星の明かり。
「……どうせやるなら、とことんやらなきゃだよね」
その言葉は、誰かに聞かせるわけでもなく、静かな夜に溶けていった。
翌朝、私は昨日教わった通りに業務を行う。
まずは、ルミナの朝の支度の準備。
「ネメシア、今日時間があればお散歩しましょう」
「承知しました」
そして、朝食。
「ルミナ、今日は何をするんだい?」
「今日は、いい天気なのでお散歩でもしようかと思います!」
他愛のない会話をするところを見ると、まるで本当の家族を見ているような気持ちになった。
……私は、その輪の外にいるけれど。
朝食後、本日言い渡されている業務は、リネンの確認、倉の簡易整理、そして記録の写し。
どれも基本業務。
だが量は決して少なくない。
「ネメシア、こちらをお願いできますか」
すると年上の侍女が、布の束を置いていく。
視線は合わない。
「……はい」
一つ終えると、また一つ。
誰かが明確に命じているわけではないのに、私の手元にだけ仕事が集まっていく。
でも、不思議と嫌ではなかった。
忙しくしている間は、余計なことを考えなくて済む。
―――仕事がある。
それだけで、今は十分だ。
「ネメシア?」
与えられた仕事をこなしていると、廊下の向こうからルミナの声がした。
ふと時間を見ると、朝にルミナと約束した散歩の時間になっていた。
けれど、手元の仕事はまだ終わっていない。
私は一度だけ迷い、それでもルミナの元へと向かった。
「申し訳ありません。まだ仕事が終わっていなくて…」
そう告げると、ルミナの眉は少しだけ下がった。
「…そっか。お仕事だもんね」
それでも納得しきれないのか、私の袖をきゅっと掴む。
「それでも、少しだけ…だめ?」
その言葉に、胸の奥がほんの少しちくりと痛んだ。
「申し訳ありません、ルミナ様。今日は―――」
言い切る前に、背後から硬い声が割り込んだ。
「何をしているのですか、ネメシア」
振り返ると、廊下の奥に侍女の一人が立っていた。
視線はいつもよりも冷たく、私を見ている。
「持ち場を離れてよいと、誰の許可を得たのですか?」
「……ルミナ様に呼ばれまして」
そう答えると、侍女は小さく息を吐いた。
「それでもです。仕事は仕事。ルミナ様のお気遣いに甘える立場ではありません」
その言葉に、ルミナがはっとして私を見る。
「え…私、そんなつもりじゃ……」
「大丈夫です、ルミナ様」
私はすぐに首を横に振り、膝を折って頭を下げた。
「お心遣い、ありがとうございます。ですが私は、侍女ですから」
私はそう言うしかなかった。
ルミナは唇を噛みしめ、何か言いたそうにしていた。
けれど、結局何も言わずに手を離した。
「…わかった。じゃあ終わったら、また誘ってもいい?」
「……はい」
少し躊躇う私を見て、ルミナは不安そうな表情を浮かべた。
今日の仕事が本当に終わるのか。私自身にもわからなかった。
ルミナの後ろ姿を見送りながら、私は再び仕事の残る廊下へと戻った。
結局その日の仕事は終わらず、気づけば夜になっていた。
「ルミナに申し訳ないことをしちゃったな……」
あの後、ルミナが何度か誘いに来てくれたけど、私は仕事に追われていた。
その度に断ってしまった。その時のルミナの悲しそうな表情が、何度も頭の中に浮かぶ。
仕方のないことだと、頭ではわかってる。
それでも、今の私の力不足で申し訳ない気持ちになる。
ふと、引き出しに視線が向いた。
「…リサも、こんなに忙しかったのかな」
小さい頃、私の世話をしてくれたリサのことを思い出す。
今なら、あの人にたくさんの感謝の言葉を伝えたい。
私はもう一度、リサの手紙を読もうと思い、引き出しを開けた。
―――その瞬間。
母の形見である箱が、引き出しの奥で淡く光を漏らしていた。
「…え?」
思わず息を呑む。
月明かりが反射しているだけ―――そう思うとした。
けど、その光は確かに箱そのものからにじみ出ている。
ゆらり、と。
呼吸をするみたいに、弱く、強く。
胸の奥がざわついた。
鍵は、まだ開けていないはずなのに。
「……今、なの?」
当たり前のように返事はない。ただ、箱は静かに光り続けていた。
その事実に私は、箱にそっと手を伸ばした。
…やっと。
長年、開く日が来るのを待っていた。
私はそっと鍵に手を触れた。
「……」
鍵穴に差し込み、力を込める。いつもなら、ここで止まるはず―――。
―――カチリ。
乾いた音が、小さく部屋に響いた。
「……あい、た…?」
信じられなくて、もう一度手元を見る。鍵は、確かに回っていた。
恐る恐る、蓋に手をかける。
拒まれる感触は、ない。
私は息を殺して、箱を開いた。
中には―――何も、ない。
……いや、何かは"ある"。
空っぽではないのに、形も色も…掴めない。
触れようとして、指を入れてもすり抜けていく感覚。
まるで、霧のような―――。
胸の奥が、じくりと痛む。
「……まだ、なのね」
開いたのに読めない。触れたのに理解できない。
今の私では、ここまでなのだ。
私は静かに箱を閉じた。鍵をもう一度回しても、抵抗なく最初と同じ位置へ戻った。
「…お母様」
私は夜空へ目を向けた。
「続きを知るなら、もっと先へ進みなさい」
星にそう言われた気がした。
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