第75話 固定

『――――試合開始ィィィッ!!』


 鐘の余韻が消えるより早く、右歩が踏み込んだ。


 床が爆ぜる。


 神の気を纏った脚が、視界から消え――次の瞬間、無闘の側頭部を狙って振り抜かれた。


「――っ!」


 轟音。


 だが、直撃はしない。


 無闘は紙一重で身を沈め、拳の風圧だけが髪を裂いた。


 続けざまに、右歩の連撃。


 拳、肘、膝、踵。

 神の気をまとった攻撃が、雨のように降り注ぐ。


 観客席がどよめいた。


「速ぇ……!」

「やっぱ七天神候補は違うぜ……!」

「いいぞ!ぶっ殺せ!」


 右歩は一切言葉を発さず、ただ“殺すための動き”だけを積み重ねていく。


『止まらない!右歩の連続攻撃に無闘!押されています!』


 神の気が身体を覆い、攻撃のたびに空気が歪む。

 一撃一撃が、致命打だ。


 無闘は――下がるしかない。


 防ぎ、躱し、弾く。


 だが一歩でも判断を誤れば、即死。


 腕で受けた衝撃が、骨を通して内臓に響く。

 防御したはずなのに、身体が軋む。


 防戦一方。


 観客の目からは明らかにそう写っていた。


 だが右歩は違った。


(こいつ……探っている……)


 次の瞬間。


 無闘の全身から、淡い蒼光が溢れ出す。


 蒼の気。


それは右歩のように爆発的な勢いを見せる事はなく、水のように静かに、しかし確実に身体を包み込んだ。


 右歩の拳が、再び放たれる。


 無闘は、迎え撃たない。


 ――流す。


 拳の軌道に腕を添え、わずかに角度をずらす。

 神の気が、蒼の気に絡め取られ、力の向きを失う。


「……!」


 右歩の目が、ほんの僅かに細まった。


 次は蹴り。


 だが、同じ。


 受け止めず、弾かず、

 ただ“通す”。


 攻撃が、無闘の横をすり抜けていく。


 観客が、ざわめいた。


「当たってない……?」

「いや……当てさせてない……!」


 無闘は後退しながら、確実に距離と時間を稼いでいた。


(重ぇ……けど)


(読める)


 右歩の動きは速く、力も圧倒的。

 だが、無駄がない分、癖もない分――


「素直すぎだぜお前……!」


 蒼の気が、無闘の感覚を研ぎ澄ませる。

 筋肉の収縮、神の気の流れ、踏み込みの予兆。


 一つ一つが、線として繋がっていく。


 右歩が距離を詰め、渾身の一撃を振るう。


 無闘は、初めて前に出た。


 真正面から、しかし真正面ではない角度。


 攻撃を“受け止める”寸前で、

 蒼の気が衝撃を分散させ、地面へと逃がす。


 ドン、と低い音が鳴った。


 無闘の足元の床が、蜘蛛の巣状に割れる。


 だが――立っている。


 無闘は、静かに息を吐いた。


「……なるほど。」


 低い声。


「そういう感じね。」


 右歩は、答えない。


 ただ、もう一段階、神の気を高めた。


(この動き……似ている)


 観客席が、再び沸騰する。


 その中で――

 無闘は確かに掴んでいた。


 右歩の神の気が、さらに濃度を増す。


(5年前……野神様を追い詰めたあいつの動きと似ている!)


 闘技場の空気が軋み、

 観客のざわめきが一瞬、静まった。


『――来ました!右歩、神の気を全開です!!』


 司会の声が、興奮を帯びて響く。


「神界北が誇る七天神候補!

 圧倒的な神の気による制圧戦法が持ち味!!」


 右歩は一気に距離を詰め、

 神の気を纏った拳を無闘へ叩き込む。


 ドンッ――!!


 床が砕け、衝撃波が広がる。


「これは重い!!

 直撃すれば下界人など即戦闘不能!!」


 だが。


 無闘は、その拳を――受けていなかった。


 わずかに身体を捻り、

 蒼の気を纏わせた腕で、流す。


 拳の軌道が逸れ、

 衝撃が空を切る。


「なっ……!?」

「受けていない……!?」


 司会が、声を上げる。


『おおっとぉ!?

 無闘、真正面から受けずにいなしました!!』


 右歩は間髪入れずに蹴りを放つ。

 だが無闘は後退せず、踏み込む。


 蒼の気が、右歩の神の気に絡みつく。


「――返すぜ。」


 無闘の拳が、閃いた。


 直後。


 ドンッ!!


 鈍い衝撃音と共に、

 右歩の身体が大きく仰け反る。


『な、何が起きたァ!?右歩が吹っ飛ばされた!!』


(これは……俺の気を……)


 司会が息を呑む。


『カウンターです!!

 無闘、相手の神の気を受け流し、

 そのまま威力を返しましたァ!!』


 観客席が、どよめく。


「馬鹿な……」

「蒼の気が神の気を制御してる……?」


 右歩は体勢を立て直すが、

 明らかに一歩、後退していた。


『これは想定外!!

 右歩、押されています!!』


(どういう事だ……蒼の気は神の気の下位互換、ましてや俺の神の気を受け流し、カウンターまで……!)


 右歩は歯を食いしばり、再び連撃を繰り出す。


 拳、肘、蹴り。


 嵐のような攻撃。


「これが神界北の真骨頂!!

 休む間を与えない連続攻撃!!」


 しかし――


 無闘は、全てを受け流す。


 逸らし、躱し、削ぎ落とす。


 蒼の気が、右歩の神の気を削り取っていく。


 そして。


 返す。


 肩へ一撃。

 腹へ一撃。


 最小限の動きで、

 最大限の衝撃。


「ぐっ!!」


『決まったァ!!

 またしてもカウンター!!』


 右歩の呼吸が乱れる。


 神の気が、揺らいだ。


『信じられません!!

 七天神候補が、完全にペースを握られています!!』


 無闘は一歩、前へ出る。


「……お前七天神候補なのか。」


 低く、言い放つ。


「七天神って奴も……大した事ねえんだな、俺でもなれそうだぜ。」


 観客の熱狂が、さらに加速する。


「……フフッ、その言葉……もう取り消せないぞ。」


 右歩が、再び前に出た。


 先ほどまでと同じ――

 神の気を纏わせた、直線的な踏み込み。


「また同じ攻撃か!?」

「あいつヤケになってやがる!」


『無闘、ここも受け流せるか!!』


 司会が声を張り上げる。


 無闘は迷わない。


 蒼の気を纏わせ、

 いつものように重心を落とし、流す構え。


 ――だが。


 踏み出した瞬間。


 嫌な感触が、右足に走った。


「……っ!?」


 足が――動かない。


 まるで床そのものに縫い止められたかのように、

 無闘の右足が完全に固定されていた。


「なに――」


 次の瞬間。


 右歩の拳が、真正面から叩き込まれる。


 ドンッ!!!


「ぐっ――!!」


 無闘の身体が宙を舞い、

 背中から床へ叩きつけられる。


 闘技場が、揺れた。


『直撃だァァァ!!無闘、受け流せなかった!!』


 司会の声が、驚愕に震える。


『これは一体どうした!?

 さっきまで完璧に捌いていた無闘が――!』


 無闘は歯を食いしばり、立ち上がろうとする。


 だが、右足が――重い。


(何だ……!今右足が……!)


 視線を落とす。


 そこには何もない。


 それでも、動かない。


「どうした?さっきまでの余裕は?」


 右歩が、淡々と告げる。


 その声に、感情はない。


「驚いたか?下界人。」


 司会がハッとしたように叫ぶ。


『ま、まさか――!!

 右歩、祝福を発動しているのかァ!?』


 観客席がざわめく。


「あの祝福か……!」

「今まで使ってなかったのか……!」


 右歩は静かに腕を下ろす。


「俺の祝福は、

 “歩”を支配する」


 次の瞬間。


 無闘の右足に床に吸い付くような感覚が走る。


「……!これは……!」


 無闘の脳裏に、

 ある記憶がよぎった。


(あの祝福……なんか覚えがある……!)


 ――YOU died。


 ――その部下。


 ――左腕。


 相手の左手の動きを奪い、

 意志とは無関係に操る能力。


「……ちっ」


 無闘は、低く舌打ちする。


(似てやがる……しかも左腕の能力は射程外に逃げればなんて事ないが……ここは……逃げ場がない!)


 右歩が、ゆっくりと距離を詰める。


「受け流しも、カウンターも動けてこそだ」


 神の気が、さらに膨れ上がる。


「祝福も神の気もない下界人が……俺達に勝てる訳がない。」


 無闘は、唇を吊り上げた。


「……ハッ」


 蒼の気が、再び立ち昇る。


「余裕だね。」


 視線を上げ、右歩を睨む。


「お前のパンチ……蒼気に比べればなんて事ねえ。」


 無闘の身体から、

 蒼の気が爆発的に噴き上がる。


「下界人の意地ってやつ……見せてやるよ。」

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