第64話 轟く。

翔馬が息を切らしながらクレーターの中心を見下ろす。


 胸の奥が、妙に――静かだった。


 戦いの熱も、痛みも、

 一瞬だけ、遠のく。


 ――記憶が、浮かび上がる。


         

 小学生の頃。


 その日は、保護者合同下校の日だった。


 校内放送が流れ、

 教室の扉が次々と開き、

 子ども達は親の元へ駆け寄っていく。


「ママー!」

「お迎えありがと!」


 笑い声。

 手を引かれる音。


 翔馬は、席に座ったまま、それを眺めていた。


 隣の席には、与志野。


 二人とも、立たない。


 立てない。


 迎えに来るはずの人が――いないからだ。


 時間が、少しずつ過ぎていく。


 教室の人数が減るたび、

 胸の奥に、何かが沈んでいく。


(……来る訳ないか……)


 翔馬は、分かっていた。


 今日も。

 明日も。

 これから先も。


 与志野も、同じだった。


 二人は、何も言わず、

 ただ机に手を置いていた。


 やがて。


 教室には、二人だけが残った。


 夕方の光が、床を長く伸ばしている。


 その時。


「……翔馬くん、与志野くん」


 担任の先生が、心配そうに声をかけた。


「よかったら……先生と一緒に帰ろうか」


 無理に明るくした声。


 二人は、同時に顔を上げた。


 ――その瞬間。


「遅くなったな」


 教室の扉が、開いた。


 背の高い男が、立っていた。


 少し乱れた髪。

 優しそうで、どこか疲れた目。


 蒼気だった。


「……え?」


 翔馬が、目を瞬かせる。


 与志野も、固まったまま蒼気を見る。


「迎えに来た」


 蒼気は、そう言って微笑んだ。


「二人とも、帰ろう」


 帰り道。


 夕焼けの中、三人で並んで歩いていた。


 蒼気は、二人のランドセルを持っている。


「……先生」


 翔馬が、ぽつりと口を開いた。


「今日は……ありがとう」


 与志野も、小さく頭を下げる。


「迎えに来てくれて……」


 蒼気は、少し困ったように笑った。


「当たり前だ」


 児童養護施設の前に着いた時。


 翔馬は、思わず本音をこぼした。


「……親が……」


 言葉が、詰まる。


 与志野が、続けた。


「蒼気先生だったら……よかったのに」


 一瞬、沈黙。


 蒼気は、二人の頭に手を置いた。


「……そう言われるのは、嬉しいがな」


 少しだけ、声が低くなった。



 ――現在。


 翔馬は、瓦礫の中に立っていた。


 地面は抉れ、アスファルトは砕け、

 建物だったものは影すら残っていない。


 視界の端から端まで、

 ただの破壊跡。


 町だった痕跡は、ほとんど消え失せていた。


「……」


 翔馬は、荒い呼吸を整えながら周囲を見渡す。


 違和感はあった。

 だが――それが何かは分からない。


 既視感のようで、

 記憶に引っかからない、曖昧な感覚。


(……気のせいか)


 今は、そんなことを考えている余裕はない。


 少し離れた場所、クレーターの中心で蒼気も立ち上がっていた。


 全身は傷だらけ。

 蒼の気は、ほとんど底をついている。


 蒼気もまた、周囲を一瞥するが、

 すぐに視線を翔馬へ戻した。


「……随分、吹き飛ばしたな」


 それだけ。


 この場所に、

 特別な意味があるとは――

 誰も思っていない。


 かつて、

 夕暮れの中を三人で歩いた道。


 ランドセルを背負い、

 他愛もない話をしながら帰った、あの帰り道。


 今はもう、

 木っ端微塵に砕け散り、

 原型すら失っている。


 記憶と結びつくものは、

 何一つ、残っていなかった。


 だから――


 翔馬も。

 蒼気も。


 ここが、

 かつて共に歩いた場所だとは、気づかない。


 ただ、互いに理解しているのは一つだけ。


 ――次が、最後だ。


 翔馬は、拳を握る。


 蒼気も、静かに構えを取る。


 互いに満身創痍。

 蒼の気も、力も、限界。


 次の一撃に、

 もう“その先”はない。


 瓦礫の中、

 二人は向き合う。


 夕焼けも、帰り道も、

 もう思い出されることはないまま――


 両者は、限界に達していた。


 息を吸うだけで肺が軋み、

 一歩動けば肉体が崩れ落ちそうになる。


 それでも――


 二人は、構えを解かない。


 瓦礫の上。

 砕けた地面を挟み、

 翔馬と蒼気は向かい合う。


 距離は、数歩。


 互いに、動けるのは――あと一度。


 蒼気は、静かに拳を構えながら、

 視線だけで翔馬を捉える。


(……次で、終わる)


 そのはずだった。


 だが。


 脳裏に、声が蘇る。


 ――あんた……何がしたいんだよ。


 翔馬の声。


 問い。


 蒼気は、歯を食いしばる。


(何故今チラつく……)


(それは捨てた筈だ………!)


 思考をかき消し、無理やり集中させる。


 迷いは、命取りだ。


 ――だが。


 問いは、消えない。


 何度も、何度も反復される。


(私は……野神様の為に……)


(私は……)


 翔馬の目が、細くなる。


 呼吸が、変わった。


 翔馬は悟る。


(……全てを出し切る……ここで……)


 確実に勝てる保証はない。


 ただそこにあるのは――


 殺意と死の覚悟。


 足に、力を込める。


 蒼気もまた、踏み出した。


 ――激突。


 拳と拳が交差する。


 浅い。


 両者は拳を紙一重で避け、致命傷を回避する。


 互いに、届かない。


 だが、それでいい。


 次が、最後だ。


 刹那。


「――ッッ!?」


 とんでもない激痛。

 MODE昇天の弊害。


 翔馬の身体が時が止まったように停止した。


 蒼気が、先に動いた。


 残された蒼の気を、すべて右腕へ。


 渾身の一撃。


 速度も、威力も、

 かつての蒼気には程遠い。


 それでも――


 当たれば、終わる。


「――ッ!」


 拳が、翔馬の胸元を直撃した。


 衝撃。


 骨が悲鳴を上げ、

 内臓が揺さぶられる。


 翔馬の身体が、後ろへ弾かれる。

 

 大量の吐血。


「ゴハッッ…………!!」


 膝をつきながらも、

 翔馬は倒れなかった。


 ――生きている。


 蒼の気が、ほとんど乗っていなかった。


 蒼気は、拳を見つめる。


(……!蒼の気の枯渇……!)


 その瞬間。


 再び、問いが浮かぶ。


 ――あんた……何がしたいんだよ。


 今度は、消えなかった。


(私の……望んだ世界……)


 脳裏に、光景が広がる。


 夕焼け。


 並んで歩く、小さな背中。


 蒼気。

 翔馬。

 与志野。


 他愛もない話をしながら、

 笑いながら、

 ただ――帰っていく。


(……そうか)


 蒼気は、理解してしまった。


(私は……あの世界を……)


 その瞬間。


 翔馬が血を流し、足を動かす。


 もう、力は残っていない。


 意識も朦朧としていた。


 ――それでも。


 胸の奥から、

 最後の一欠片を、絞り出す。


 翔馬の拳が、光を帯びる。


 小さい。

 脆い。

 だが――確かに“意思”を宿した光。


(殺す覚悟…………)


 翔馬は、踏み出す。


 蒼気は、動かなかった。


 避けなかった。


 防御もしなかった。


 ただ、静かに――

 翔馬を見ていた。


 光が、轟く。


 翔馬の拳は、

 蒼気の身体を――


 一撃。

 だが、それでも確実に。


 蒼気を貫いていた。

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