第4話 麦ちゃんは、もえています。④
【妹と一緒に漫画を描くことになった】
【おー。良いですね】
【ただ一つ問題があってな】
【なんでも聞いてくださいよ。漫画に関してはわたしが先輩ですから】
【いや。それ以前の問題だ】
【む。それ以前?】
【ああ。年頃の妹と接する方法を教えて欲しい】
そのチャットの後しばらく返事がこなかった。小学校六年生のときに美術館で出会って以降、俺と景都はチャットフレンドのような関係を続けていた。住んでいるところは新潟と神奈川でかけ離れているけど、インターネットが発達した現代では何不自由なくコミュニケーションが可能だった。
チャットの返事を待つ間、俺は風呂に入ることにした。シャワーを浴びているときも、湯船に浸かっているときも考えるのは麦ちゃんとどうやって会話を試みるべきなのかということだ。新潟と神奈川で円滑なコミュニケーションが取れるというのに、一つ屋根の下に暮らす家族とは会話すら難しいとは不思議なものだ。
【状況を詳しく教えてください】
風呂から上がるとすでに返信があった。初めて会ったときはため口だったのに、すっかり敬語になっている。普通逆だよなって思うけど、景都は世間知らずのお嬢様なので、普通と逆でも不思議じゃない。そんな女の子に妹の相談をするのはどうなんだって考えも湧くけど、まあ藁にも縋る思いってやつだ。
【妹は四つ年下でこの春から中学二年生になる。中学一年生のころから引きこもりで、家に遊びに来る女友達が一人いて、その子としかまともなコミュニケーションをとれていない。正直、部屋で何をやっているかも俺たち家族は分かっていない】
【なるほど】
【そんな麦ちゃんから『一緒に漫画を描いてください』って手紙が届いたのが、今から二週間ほど前のことだ。手紙が届いた日には家を飛び出して漫画家セットを親友から譲り受けた】
【二週間前ですか? 今日まで何を?】
【主に廊下をうろうろしていた。まあ言い換えたら何もしなかったってことだな】
【二週間も返事を待たせてるってことですか?】
【はい】
【まあ気持ちは分かります。姉妹と兄妹では少し違うかもしれないですけど】
一年間、開けることのできなかった部屋の扉というのは、正直なところドアノブに手をかけることすらできなかった。麦ちゃんとどう接したら良いのか分からない。結局のところ俺は兄として全く成長していなかった。
【面と向かって顔を合わせなくても、今みたいにチャットでやりとりをするというのは可能なのでは?】
【連作先を知らないから】
【手紙などに書いて、ドアの隙間から入れるとか。食事を配膳する際に添えるとか】
【あー。そういう手もあるか】
【なんだか嫌そうですね】
【嫌というか。そうだな、これが面と向かって話すことのできる最後の機会な気がする】
【ふむ。では、こういう考えもあります】
次のチャットまでしばらく時間が空いた。
景都のこういう考えってヤツを待つ間、俺はリビングに飲み物を取に行った。誰もいないリビングは暗かった。俺は明かりを付けないで歩いた。冷蔵庫を開けると、淡い光がリビングの闇にぼんやりと広がった。冷たくなった水を取ると、背中に小さな衝撃があった。衝撃の後には温もりがあった。俺の背中には小さな生命の息吹がくっついていた。
「……麦ちゃん?」
後ろを振り返ろうとするけど麦ちゃんは小さな腕でぎゅっと抑えつけた。とても非力ですぐに解けそうな抱擁だけど、こっち見ないで! って思いが伝わってくる。だから俺はずっと真っすぐ前だけを見続けた。静かな夜のリビングに冷蔵庫のジーっていう変な音だけ鳴っている。しばらく麦ちゃんはぎゅーっと力を込めて俺の身体を絞り上げていた。
「……だるまさんがころんだ、して」
「ええ?」
「いいから」
麦ちゃん変な指示に応えるように俺は口を開いた。
「だーるーまーさーんーがー」
小さな温もりがパッと消えて、リビングをとたとた走る音が聞こえる。早く振り向かないと麦ちゃんの姿を見ることができない。けど「だるまさんがころんだ」を言い切るまでは振り向くことができない。
「ころんだ!」
バッと後ろを振り返るけど、そこにはすでに麦ちゃんの姿はなかった。暗がりのリビングには喪失感だけが残っていた。その喪失感を埋めるようにコップに水を注ぐ。コップの水を一口飲むと冷たさが身体を降りていく。その冷たさが佐野さんの言葉を思い出させた。
麦ちゃんは、もえています。
自分の部屋に戻ると景都からの返信が届いていた。
【妹と兄という関係は一旦置いておき、ただ二人で本気で漫画を描く】
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