第2話 けい子の誘い

昼休みの休憩室は、いつも通りだった。

電子レンジが短く鳴り、誰かが紙コップを潰し、

雑談が無秩序に混ざり合っている。


その中で、けい子だけが落ち着かなかった。

その日ずっと、タイミングを待っていたのだ。


軽く言えば、冗談にされる。

重く言えば、引かれる。

どこからが「本気」で、どこまでが「空気を壊さない」のか。

その境界線を、何度も頭の中でなぞっていた。


——やっぱり、やめておこうか。


そう思うたびに、

胸の奥が少しずつ冷えていくのがわかった。

このまま何も言わなければ、

また今年も「適当に」終わるのだ。


「ねぇ、よし子」


声をかけた瞬間、

心臓が一拍遅れて跳ねた。

自分でも驚くほど、声が乾いていた。


よし子は箸を置き、顔を上げる。

「なに?」

いつもと変わらない、柔らかな表情。

その普通さが、逆に怖かった。


「今年の忘年会なんだけどさ……」


一度、言葉を切る。

ここで笑って話題を変えることもできた。

でも、もう戻れないところまで来ている気がした。


いったれいったれ!ともう一人のけい子が背中を押す。


「本気で、勝ちに行かない?」


言った瞬間、周囲の音が遠のいた。

自分の声だけが、妙に大きく響いた気がした。


よし子は、すぐに答えなかった。

数秒間、けい子の顔をじっと見つめる。

その沈黙が、やけに長く感じられた。


——やっぱり、重かったか。


後悔が喉まで込み上げた、その時。


「……いいね」


あまりにも、あっさりとした一言だった。


「正直、その言葉を待ってた」

「どうせやるなら、本気でやりたい」


その声は穏やかだったが、

目だけが、少し違っていた。

舞台に立つ人の目だった。


けい子は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


「私がボーカルなら、ダンサー必要だよね」


「もう役割きまってるんかい!」


「実は私も企画を温めてたのよ、でも相手がいなくて、

けい子なら絶対行けると思ってたんだけど、けい子から言って来るとは

思わなかった、ラッキー」


半分冗談みたいに言うその言葉に、

けい子は思わず笑ってしまった。


「もとダンサーなので、やりますよ、ブランク長いけど」


迷いはなかった。

言葉にした瞬間、自分でも驚くほど、気持ちが軽くなった。


その時、胸の奥で何かが確かに動いた。

勝てるかどうかは、まだわからない。

成功する保証なんて、どこにもない。


それでも——

逃げないチームが、ここにできた。


「もう一人、必要だよね」


自然に出たその言葉に、

二人は顔を見合わせる。


視線が交わった瞬間、

同時に、同じ名前が浮かんでいることがわかった。


まだ声には出さない。

でも、もう後戻りはできなかった。


この瞬間から、物語は動き出していた。

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