第3話 焚き火と偽りの名前

夜の冷え込みは、想像以上だった。


ほとんど裸に近い体に、冷たい風が容赦なく刺さる。

肌が粟立ち、歯がわずかに鳴った。


「……このままだと、風邪を引く」


俺がそう言うと、向かいにいたニアは、すぐに首を振った。


「火は危険だ。他の追放者に見つかる」


正論だ。

この罪人の地では、焚き火は位置を知らせる合図になる。


それでも、この寒さは現実だった。


「……だが、仕方ない。このままだと2人とも風邪を引く。」


俺はそう言って、手早く焚き火を起こす。

乾いた枝がぱち、と音を立て、炎が揺れた。


赤い光が、闇の中に小さな円を描く。


ニアは不安そうに周囲を見回していたが、やがて小さく息を吐いた。


「……短時間だけだ。いいな?」


火の温もりが、ようやく体に戻ってくる。



焚き火の前で、しばらく無言の時間が流れた。


炎を見つめていたニアが、ふと口を開く。


「……名前、聞いてなかったな。」


「俺か?」


「ああ。」


少しだけ迷ってから、名乗る。


「……俺はゼロ、転生者だ」


本当の名前を言う気にはなれなかった。咄嗟に、どこかで聞いた名前が口をついた。


ニアの手が止まる。


「……は?」


「この世界の人間じゃない。

 別の世界から、来た」


自分でも馬鹿みたいだと思う。

案の定、ニアは困惑した顔をした。


「……意味が分からない」


「だよな」


苦笑する。


「信じなくていい。

 ただ……俺は、この世界のことを少し知ってる」


「……ゲーム、みたいに?」


その言葉に、わずかに微笑む。


「……多分ね。」


ニアはしばらく黙り込み、やがて小さく首を振った。


「嘘だとしても、今はどうでもいい」


そう言って、静かに続ける。


「私はニアだ」


「ニア……」


焚き火を見つめたまま、彼女は言った。


「没落貴族の娘だった」


淡々とした声だった。


「縁談を断った。

 相手は……断られるのに慣れていない男だった」


炎が揺れる。


「家は反逆の罪を着せられた。

 両親は幽閉された」


俺は、何も言えなかった。


「私は逃げた。

 国を出ようとしただけだ」


「それだけで、罪人の地送りだ」


指輪を軽く触りながら、ニアは自傷気味に笑う。


「これを付けられた瞬間、全部消えた。

 積み上げたものも、力も」


焚き火が、ぱち、と弾けた。


「……だから」


ニアは、真剣な顔で俺を見る。


「生き残る。

 それだけだ」


その目は、強かった。


俺は静かに頷く。



「見張りは、交代でやろう。」


少しして、ニアがそう提案した。


俺は一瞬考えてから言う。


「……じゃあ、俺からやる」


「無理はするな」


「大丈夫だ」


まだ、俺は主導権を握れていない。

だからこそ、最初の見張りは譲れなかった。


ニアは焚き火のそばに横になり、ほどなく眠りに落ちた。


その寝顔は、驚くほど安らかだった。


胸の奥が、ズキンと痛む。


――子供の寝顔に、似ている。


そんなはずはない。

それでも、重なって見えた。


槍を膝に置き、闇を見つめながら考える。


どうすれば、この世界から出られるのか。

どうすれば、生きて帰れるのか。


必ず――生きて帰る。


そう、静かに誓った。



夜が明ける前、簡単な粥を作る。


立ち込める匂いに、ニアが目を覚ました。


「……いい匂いだな。」


「粥を作ったんだ。一緒に食べよう。」


「見張りは交代って言っただろ。」


そう言いながらも、どこか安心した表情だった。


食事を終えた後、俺は切り出す。


「この辺で最低限の物資を集めて、

 セペルムに向かう」


「……何?」


「セペルムという街だ。」


ニアは首を傾げた。


「なぜ知っている?あぁ、ゲームか。どこにあるんだ?」


「ここから少し距離はあるが、罪人の地で一番栄えてる街だ。

 バザールもある。金さえあれば、だいたい何でも買える」


「……何でも?」


「武器も、情報も。

 ペットや……奴隷もな」


その言葉に、ニアの顔が曇った。


「……奴隷?」


「罪人の地にもある」


ニアは鋭く俺を見た。


「お前……どこまで知っている?」


「本当は妄想じゃないのか?」


疑いは、当然だった。


「信じなくていい」


俺は正直に言う。


「ただ、生き残るために必要な知識だ」


ニアはしばらく黙ってから、短く言った。


「……分かった。行こう。」



川沿いで採取を始めた、その時だった。


すぐ近くの藪から一直線に走ってくる淡く光る影。


「――光ってる……!」


「“ブラスター・グール”だ!」


倒し切らないと危険な個体。


すぐにニアが片手斧を大きく振るって斬りかかる。


だが、ニアの攻撃は浅い。


グールが、かすれた声で何かを呟く。


「……まずい!」


次の瞬間、閃光と爆音。


肉体の内側に仕込まれた硬質核が弾け、破片が飛び散る。


俺は反射的に、ニアを庇うように前に出た――。

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