1memory

星が落ちた夜

 宝石の夜は、レプリカのお星さまと光を放つ街並み。

 それから切ないものでできている。

 ママ先生がよく読み聞かせてくれたあの絵本は、15歳で施設を出たときもらったはずなのに、どこへやってしまったのか。

 ときどき思いだしては無性に気がかりで、どうせ誰も聞いちゃいない歌を、ピアノの伴奏で歌いながら、その行方に心を捕われた。

 滑稽だと思う。

 真っ赤な口紅を塗った唇は「抱いて」「壊して」と、動くのに。

 同じ色をした安物のドレスから覗く胸の中では絵本のことでいっぱいだなんて。

 我ながら滑稽だと思った。


「ヒュー♪ マリア! 歌より脱いでみせてくれよ!」


 男は店の常連で、ガラクタでできたステージから降りた私はマイクのコードを指に絡めながらゆっくりと黒のピンヒールを鳴らして行く。

 それでも2、3歩歩いただけですぐにたどり着いた場所では、ジョッキに残ったビールを飲み干し、潰れた鼻の下に付着した泡を舌で舐めとる男のねっとりした視線が全身に纏わりつく。

 盛り上がる歓声。

 沸き起こる笑い声が小さなツギハギだらけの箱の中を揺らす。

 響く指笛はいつだって不協和音だ。

 ほら、アンタが欲しい最高の笑みをくれてやる。


「冗談は顔だけにしてちょうだい、クソ野郎」


 男が大きく足を広げて座っている、そのど真ん中を見定めて突き立てたヒールは、ぎりぎりの所で椅子に当たった。

 スリットが深く入ったスカート部分から太ももが露わになる。

 途端、消え失せたすべての音。

 それでもずっと鳴り続けるピアノのメロディがいい感じ。

 踵を返した。

 ステージへ戻る私の背後で、どっと笑い声が起こった。

 ◇

 ◇

「程々にな」


 歌い手としての仕事を終え、店の裏口から帰ろうとしたとき。

 元々口数の少ない人ではあったけど、この夜は珍しく釘を刺され、ふと後ろを振り返る。

 相変わらずというより益々騒がしくなる店内。

 その中でマスターはひとりカウンターの奥で静かにグラスを磨いていて、視線だけがゆったりと寄越された。

 うん。分かってるよ。

 分かってるけどそれを口にしたら、マスターとの約束を守らなくちゃならない。

 その自信がない。

 だから笑みだけを残して店をでた。

 ほとんど舗装もされていない路地ではヒールの音さえ沈む。

 昼間でも人工太陽が届かないスラムでは、作り物の夜にでもなればピンクや赤といったネオンが暗く輝き、建物と建物の隙間から溢れてくる光だけを頼りに歩く。

 デットタウン。死んだ街。

 まるで街全体が円形の建物に近い造りをしていて、最上階の50メートル先では裕福層や議員、芸能人が、さながらカミサマのように私たちを見下ろしている。

 もちろん行き来は専用の昇降機でできるけど、そのためには莫大な金を支払わなければならない。

 今日を生きるだけで必死な私たちにとっては、自由などあってないようなものだった。

 明日も明後日も、きっとこの先も一生。

 私はこの真っ暗な世界で生きて、死んでいくんだ。

 ねぇ、顔も知らないママ。

 こんな汚れた世界で私を捨てたくせに【マリア】だなんて、よくも笑える名前をつけてくれたわね。


「はッ………!」


 思わず乾いた息を吐きだした。

 そのときだった。

 頭上からガラスを割る音が響き、見上げてみると。

 パラパラ小さな破片が降ってくる。

 1歩、2歩、と。

 後退しながらも視線は外さない。

 外せなかった。

 そして私は見たんだ。

 ホログラムでできた偽物の空にいちばん近い場所。

 そこから溢れだした眩い真っ白な明かりの中、飛び降りてくるひとつの影。

 と、それを追いかけるように続くもうひとつの──────あれは人?

 グシャッ。と、嫌な音がした。

 気がついたときにはひとりが地面に叩きつけられ、さっきまで立っていた場所に、男がうつ伏せになって倒れている。

 いや、倒れたように見えた。

 嘘でしょう!?

 どうして生きてるの!?

 50メートル先から人が落ちてきたにも関わらず、よれたスーツ姿の男はふらふらと立ち上がり、走りだそうとする。

 その異様な光景はけれど、落ちながらはためく黒い服に遮られ、それは目の前で綺麗に着地した。

 その瞬間、軽い音をたてながら光った物を、私は見逃さなかった。

 夜に溶けるような黒い服。

 それはよく見ると修道服だった。

 それがゆっくりと立ち上がると同時。

 聞こえたのは舌打ち。


「おいおい、まだ逃げる気?」


 呆れたような、面倒くさそうな。

 きっとどっちも混じった、凛とした声は、ずいぶん若い。

 いったい何が起きてるの?

 私は夢でも見ているのかしら。

 最低最悪な夢を。


「くそ………っ!」


 追い詰められた様子の男はいちどふらつき、それでも足を引きずりながら必死に逃げだそうとする。

 だけどその背中に向けられた銃口。

 向けた修道服の青年は躊躇いもなく、引き金を引いた。

 1発、2発、3発。

 連続で放たれたつんざく発砲音は、空気をも破壊してしまうんじゃないかと思うほどで。

 腰が抜け、反射的に耳を押さえていた両手が、体が、心臓が、寒くもないのにガタガタと震えだす。

 背後から撃ち抜かれた男はひどい痙攣を起こしたようにびくびくと体を震わせ、そのまま顔面から地面に倒れ込む。

 そして今度こそ動かなくなった。

 青年は男の方へと歩きだし、不意にしゃがむと何かを拾った。

 そこへ、頭上から幾つもの白い光が降り注ぎ、スポットライトみたいに動き回る。

 飛びだす寸前だった悲鳴を思わず飲み込んでしまったのは、その光のひとつが振り返った青年の姿を暴いたから。

 眩い金髪に呼吸が止まる。

 そこには遠い遠いむかしに消えてしまった、お星さまがいた。

 そんな彼の右手には、角が4つ尖った縫い物が握られていた。










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