第9話 教祖と名乗る男④

東地は濃紺のスーツに身を包み、清人と共に教団の施設を訪れていた。

「お祓いの打ち合わせ」

――名目はそれだ。だが実態は、敵地潜入に等しい。


教団の内部に入るのは初めてだった。


五年前

羽生が単身ここへ乗り込もうとしたあの日の記憶が蘇る。

止めた自分の手の震えまで、鮮明に思い出せる。


「では、こちらへどうぞ」


清人の案内で廊下を進むと、左右から信者たちの歓声が上がった。

清人を見るや涙を流して拝む者までいる。


外から見れば滑稽でも、彼らにとっては祈りそのもの。

人は見える“力”に縋り、安心を求める。

清人はその象徴として、信仰を一身に集めていた。


やがて二人は、教祖専用の部屋へ通された。

立派な祭壇。

香奈枝の大きな写真。


東地が思わず目を止めると、清人は満足げに微笑む。


「ああ、気になりますか? 先代の教祖ですよ」


「そうですか……」


「残念ながら亡くなりましたが、今も僕と共にいてくれるんです。

力を貸してくれる。まさに一心同体――愛しく、尊い存在ですよ」


胸元の大きなストーンペンダントに触れながら、清人は恍惚とした表情を浮かべた。

その口調に罪悪感はない。

東地は心の中で、静かに唇を噛む。


「どうぞお掛けください。明後日のお祓いの段取りをお話ししましょう」


「はい」


東地は頷き、清人の正面に腰を下ろした。

表情は穏やかに――しかし瞳の奥は、獲物を狙うように冷たい。



どれくらい時間が経ったのだろう。

いつの間にか寝落ちしていた古川が目を覚ますと、視界に靴が見えた。


「……靴?」


体勢を変えて上を見上げると、眉を吊り上げた但馬の顔があった。


「起きたなら、さっさとどけよ」

「え?」

「え、じゃねぇ。俺の膝からどけって言ってんの」


慌てて起き上がる。

どうやら彼の膝を枕に爆睡していたらしい。


「すみません!」


謝る古川に、但馬は呆れたように頭を掻いた。


「香奈枝さんは?」

「絶賛、呪物とフュージョン中」


但馬の視線の先――部屋の隅で、禍々しい呪物が蠢いている。


「お前……こんな状況でよく寝られるな」

「但馬さんだって寝てましたよ」

「寝てねぇ」

「寝てました」


軽口を叩き合う二人の前に、呪物がぬるりと触手を伸ばした。

寸前でかわし、同時に声を上げる。


「「あっぶな!」」


安堵と同時に、但馬がぽつりと零した。


「はぁ……俺の五年って何だったんだろうな」


「但馬さん?」


「姉貴を助けたくて、あのクソ教祖に復讐したくて、がむしゃらに頑張ってきたけど……結局何もできねぇ自分にムカついてんだよ」


「……そうですね。挙句に死んじゃいましたし」


「お前……殴るぞ」


「大丈夫ですよ。まだゲームオーバーじゃないです」

「俺はもう死んでんだぞ」

「まぁ、それは置いといて」

「置くな! 一番大事なとこだろ!」

「転生ファイト!」

「お前、転生したら絶対シバく」


言い合いの最中、古川が呪物へ視線を向け、そっと足を踏み出した。


――東地先生が言っていた。“浄化の力”。

もし、少しでも役に立てるなら。


手を伸ばしかけた、その瞬間。


「ストップです。触れちゃいけません、古川さん!」


鋭い声が闇を裂いた。


「――東地先生!」


振り返ると、光の粒子をまとった東地が、壁の向こうに立っていた。


驚く間もなく、但馬が古川の腕を掴み、呪物から強引に引き離す。

勢い余って二人とも転がった。


「あたた……」

「お前マジでバカ。死んで来いバカ」

「ひどっ」


古川が鳩尾を軽く押さえて立ち上がると、東地が苦笑する。


「大丈夫ですか?」


「はい……先生こそ」


東地は見えない壁越しに、そっと手を添えた。


「明日まで頑張ってください」


「明日?」


「ええ。明日、松川神社で清人さんが“お祓い”を行います。

僕もサポートとして同行しますが、その隙に呪詛返しを発動させます。

――受け皿には清人さんになってもらう予定です」


「出来るのか……?」


但馬の声が震えた。

東地は静かに頷く。


「点野君の力も借ります。成功率は高い。

ただ――彼を呪詛に閉じ込めるのか、それともこの場に引きずり込んで香奈枝さんに“裁かせる”のか。その選択はあなたたち次第です」


その言葉に反応するように、蠢いていた呪物の動きがぴたりと止まった。

そこから香奈枝が姿を現す。


「――清人は、私が自分の手で裁く」


瞳には、強い光が宿っていた。

東地は黙って頷き、但馬へ視線を向ける。


「明日、ご神木に取り込まれた君の身体を解放します。

呪いが解ければ、留まっていた魂は輪廻の輪へ戻れるでしょう」


「明日、か……」

但馬は少し寂しげに笑う。


「浅葱さん、姉を頼みます。そして……ありがとう」


「……はい。精一杯やります」


東地は古川に視線を戻し、言葉を強めた。

「古川さんは動かないでください。僕が迎えに来るまで“絶対”に」


「……信用ないですね」


「さっきの見たらね」


古川がむっとすると、東地は小さく笑った。


「それと――すべてが終わったら、大事なお話があります」


「えっ、今じゃダメなんですか?」


その瞬間、但馬の拳骨が古川の頭に落ちた。


「いった!」


「空気読め」


「え? 空気??」


「但馬君……君は空気を読みすぎです」


東地がぼそりと呟き、苦笑が漏れる。


「では、準備がありますので。また明日。――必ず迎えに行きます」


光が弾け、東地の姿が消えた。

頼もしさと同時に、胸が強く高鳴る。


「すげーな……本気じゃん、あの人」


「東地先生ですから。凄腕のお祓い屋さんです」


「……ちげーよ。……いや、ま、違わねぇか」


但馬が小さく笑い、深く息を吐いた。

香奈枝は再び呪物の中に溶け、姿を消す。


――明日。すべてが終わる。


古川は東地の無事を祈りながら、両手を強く握りしめた。

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