第7話 解除②

先生の車に乗り、夜の街を滑るように走る。

――そういえば、今朝も先生に送ってもらったのだった。

あれから色んなことが起きすぎて、同じ一日の出来事とは思えない。


「今日は大変でしたね。疲れたでしょう?」


運転席の横顔は、いつもの穏やかさに戻っている。

その“戻り方”が、逆に現実味を奪っていく。


「それを言うなら先生こそですよ。

本業に副業……そのうち過労死しちゃいます」


「……善処します」


苦笑ひとつ。短い返事。

笑って流しているのに、疲労だけは隠しきれていなかった。


そのとき、車内に着信音が鳴り響いた。


先生は静かに路肩へ寄せ、短く息を整えてから通話に出る。

瞬間、表情が変わった。

私の知っている柔らかな顔ではない。目が、声が、体温ごと落ちる。


――これが先生の“仕事の顔”。


心配していたつもりだった。

でも、それは先生に失礼だったのかもしれない。

今の先生は、迷いなく頼れる空気をまとっていた。


「……承知しました。では、明日――」


淡々と要点だけを確認し、通話を切る。

そして、何事もなかったように、また穏やかな表情へ戻った。


「すみません。仕事の電話でした」

「……先生の“ビジネスモード”、初めて見ました」

「ビジネスモード?」


小首を傾げる。

その仕草が、どう見ても“あざといオフモード”で、ずるい。


「普段はほんわかしてるイメージだったので……ちょっと新鮮でした」

「ほんわか、ですか。なるほど」


先生の目が、考え込むように細くなる。


「でも――それは古川さんだからかもしれませんね。

気を張らずにいられる相手ですから」


「っ……!」


息が詰まった。


「はは。そういう反応が見たかったんです」


さらりと爆弾を落とすから質が悪い。

私は慌てて咳き込み、窓を少し開けて誤魔化した。


「……心配してくれてるんですよね。ありがとうございます」


先生は、今度は誤魔化さずに言った。


「でも大丈夫です。こう見えて、やるときはやる男ですから」

「……その自信、信用していいんですよね」

「ええ。疑われると、少し傷つきます」


笑っているのに、目だけは真剣で。

その“切り替え”が、また胸をざわつかせた。


「……明日のお祓い、頑張ってください。

でも本当に無理はしないで。

あの但馬さんの呪いは厄介だって聞いてますから」


「確かに、骨が折れますね。体力も削られる」


一呼吸置いて、先生は悪戯っぽく続けた。


「だから……終わったらまた抱き枕になってください。

エナジードリンク代わりに」


「先生っ、そういうところです!」


思わずチョップを入れると、先生はお腹を抱えて笑った。


「さて、戻りましょう。明日の準備もありますし」

「……はい」


再び車は走り出す。

マンション前で停まると、先生はいつもの笑顔で言った。


「終わったら連絡しますね」

「……はい。待ってます」


車が去っていくテールランプを見送りながら、私は祈るように呟いた。


「……どうか明日。宮司さんも先生も、無事でありますように」



翌朝。

寝不足気味のまま出社すると、珍しく社長が早くから来ていた。

東地先生を信じている。

けれど――やっぱり心配なのだろう。


「社長、おはようございます。早いですね」

「ああ……おはよう。結局ほとんど眠れなくてな」


目の下に薄い隈。心配が滲んでいる。


「浅葱さんを疑ってるわけじゃない。

ただ、無事な顔を見るまでは落ち着かなくて」


「……わかります。

私も、宮司さんも先生も、無事に終わるまでは不安ですから」


「だろうな……よし、行くか」

「え? どこにですか?」


社長はニカリと笑った。


「松川神社だ」


「柏原さんも心配で仕事が手につかんだろうしな。

連絡が来ればすぐ病院にも駆けつけられる」


「……気持ちはわかりますけど、お仕事は?」

「神社で作れば問題ねえさ。ま、表向きにはな」


親指を立てる社長に、思わず苦笑が漏れた。

でも確かに――今日、ここで作業しても集中なんてできない。


「そういうことなら、はい、これね」


奥様が箱詰めした製作キットを差し出してくる。

手際が良すぎる。


「“表向き”で渡すだけだからね。

優先するのは、そっちじゃないんだから」


「ありがとうございます」


温かいご夫婦だ。

こんな会社と縁を結べたことを、心からありがたいと思う。


「いってらっしゃい。柏原さんによろしくね」


見送られ、私と社長は軽バンに乗って神社へ向かった。





――その頃。


病院の玄関口に、金髪の男が立っていた。

東地はその姿を見つけると歩み寄り、短く笑う。


「おはようございます、羽生君」

「おう。朝からすまねぇな」


羽生は携帯灰皿に煙草を押し込みながら言った。


「松川さんの容体は?」

「落ち着いている。結界が効いているようだな」

「そうですか……よかった」


東地は小さく息を吐いた。

昨夜張った結界が、ひとまず役目を果たしている。


「病院側の調整も済んでる。もうすぐ点野も来る」

「ありがとうございます」

「……点野を呼ぶってことは、厄介なんだな?」

「ええ。“保険”と思ってください。彼の呪いは一筋縄ではいきませんから」

「但馬のクソ野郎……一度締めてやらねぇとな」

「はは。羽生君に締められたら本当に死んでしまいますよ」


二人はエレベーターに乗り、最上階へ向かう。

面会謝絶の札が掲げられた特別室の前で足が止まった。


東地は一度だけ、深く呼吸を整える。


「……では。始めましょうか」


静かに扉へ手をかけた。

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