第6話 呪物コレクター⑤

――ピピピピピ……。


突然、甲高い電子音が響き、反射的に身体が跳ねた。

目を開けた私は、一瞬、状況が理解できずに固まる。


……え? え? ……えー?

なんで目の前に東地先生がいるの。

いや、違う。なんで――一緒に寝てるの!?


思考がぐるぐる空回りして二十秒。

ようやく、ここが先生の診療所だと気づいた。


ソファーベッドが展開され、その上で私は東地先生と並んで眠っていたらしい。


「……どうしてこうなった?」


呆然と呟くと、隣の先生が目を細め、寝起きの掠れ声で言う。


「おはようございます」

「お、おはようございます……? え、朝なの?」


アラームを止めて時間を見る。午前五時。早すぎる。


「す、すみません! 私、寝落ちしてました!?」


「いえ。先に寝落ちしたのは僕の方でした」

先生は申し訳なさそうに眉を下げて続ける。

「途中で目が覚めて驚いたんですが、もう真夜中でしたから。

ベッドを展開して……そのまま朝まで寝ることにしちゃいました」


「しちゃいました、じゃないですよ……!」

口では責めるのに、声が小さくなる。

私は慌てて鞄を掴み、玄関へ向かおうとして――肩を掴まれて止められた。


「送っていくから落ち着いて。まずは顔を洗ってきてください」

先生は軽く笑って言い足す。

「……髪が、なかなか芸術的ですよ」


「うわっ! 洗面、お借りします!」


深々と頭を下げ、洗面所へ駆け込む。

鏡に映った自分は――確かに酷い寝癖だった。

冷水で顔を洗い、手櫛で必死に整える。


戻ると、先生がコーヒーを淹れて待っていた。


「これを飲んだら出発しましょう。

まだ外は冷えるので――これを羽織ってください」


差し出されたカーディガンを受け取り、私はまた頭を下げる。

温かな香りと苦味が、寝起きの身体をじんわり目覚めさせていった。


まだ薄暗い外を並んで歩き、月極駐車場へ向かう。

借りたカーディガンは私にはロングコートみたいだけど、とても暖かい。


「すみません……先生も忙しい朝なのに」

「元は僕のわがままですから。気にしないでください。家が職場ですしね」

「そこだけは羨ましいです。先生も一度、満員電車の洗礼を受ければいいのに」


ぼやくと、先生は喉の奥で笑った。


車に乗り込むと、暖房の風が冷え切った身体をほどいていく。


「では、行きましょうか」


にこりと微笑む先生に、胸の奥がふわりと緩んだ。

流れる景色を眺めていると、不意に声を掛けられる。


「体調、崩していませんか?」

「大丈夫ですよ。ソファーベッドも快適でしたし、あったか――」


言いかけた言葉を、慌てて飲み込む。

しかし先生は、私の顔を一瞥しただけで楽しそうに言った。


「僕の体温、ですか? それは良かった」

「言ってないです! そういうところですよ、先生!」


顔を真っ赤にして抗議すると、先生は肩を揺らして笑う。


「そもそも先生の寝室は二階ですよね。なんで一緒に……」

「浄化のためです。すっかり元気になりました。ありがとうございます」

「浄化……。まあ、先生が復活したなら良いです。おめでとうございます」

「ふふ、ありがとう」

「ええい、笑い上戸!」


でも確かに、昨夜より顔色はずっと良い。

安堵の息が漏れた。


車はスムーズに流れ、やがてマンション前へ到着する。


「先生、本当にありがとうございました」

「僕こそ。気をつけて行ってらっしゃい」


ドアノブに手をかけた瞬間。

耳元で、囁きが落ちてきた。


「……またごはん、作ってください。今度はお泊まりセット持参で」


「っ――だから、そういうところ!」


思わず口を塞ぐ私を見て、先生は声を押し殺して笑った。


「では、また」

「はい。お気をつけて」


先生の車が去っていくのを見送り、私は急いで部屋へ戻る。

シャワーを浴び、身支度を整え、余裕を持って駅へ。

いつもと違う朝は、妙に不思議で――少しだけ疲れるものだった。



「おーい古川さん、納品行くぞー!」


作業場に顔を出した社長に呼ばれ、私は鞄を持って駆け出した。

外食になるかもしれないと、お昼も用意して。


「積み残しは?」

「大丈夫です!」


軽バンに乗り込むと、社長がハンドルを切る。


「そういや土曜日はフリマに行ったそうだな。何かいいもんあったか?」


「はい。可愛いアクセサリーを買いました。

他にも色々あって、とても楽しかったです」


「掘り出し物もあるからな。お宝が破格で出てたりする」


「目利きじゃないと分からないですよね」


「まぁな。俺は見抜けるけどな」


得意げに笑う社長に苦笑しながら、車は神社へ。

境内は、土曜の喧騒が嘘みたいに静かだった。


「いらっしゃい。土曜日はありがとうね」

「柏原さん、こんにちは!」


笑顔の柏原さんに頭を下げ、納品を置く。


「盛況だったそうだな」


「社長は来なくて正解よ。

骨董でまた贋作を掴まされるところだったわ」


……さっきと言ってることが違う。

思わず視線を向けると、社長は気まずそうにお茶を啜った。


「宮司は?」

「今日は祈祷殿でお祓いが入ってるの」

「またか。最近多いな」

「ええ……厄介な相談も増えてるのよね」


静かな境内に、祝詞の響きと大麻を振る音が、かすかに届いていた。


そのとき――


――バタン! ガシャーン!

「きゃあああっ!!」


祈祷殿の方から、悲鳴と激しい物音。


「え……?」


柏原さんと社長が血相を変えて飛び出す。

私も慌てて後を追った。


祈祷殿の前には、人だかりができている。

割って入った先で見えたのは――血を吐いて倒れる宮司の姿だった。


「宮司さん!」

「誰か救急車を――!」


混乱の中、私の口から、反射みたいに言葉が漏れた。


「……呪い返し?」


その直後。

背後から、腕が首に絡みつく。


息が止まり、反射的に身を引こうとして――できなかった。

耳元で、楽しげな声が笑う。


「よ。久しぶりだな」


振り向くと、そこにいたのは――但馬涼太郎。


神社の空気に似つかわしくない、悪びれない笑顔。

背筋が、凍りついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る