赤い錆への応援コメント
最後の一文、ぞくぞく来ますね……
読み直して、彼の本心があるのか、彼は真由にどんな思いを抱いていたのか、そしてどこまで奇術(ショー)なのか、余韻が尽きません。貴重な体験ありがとうございました。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
最後の一文を読みとっていただいて、とてもうれしいです。
全ての作品において、最後の数行にいつも頭を悩ませています。
この赤い錆もラストが全てをまとめきれてはいないと思うのですが、これが精一杯でした。
「最後の一文を読むと、最初から読み直してしまう作品」そうあればいいなと思いながら筆を進めていました。
そこに気がついていただいて、本当にうれしいです。
今後もお目にかかれるように頑張りますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。
赤い錆への応援コメント
『亜鉛』の使い方が意表をついてました。
まさか、トタン板から溶け出した成分とは!
奇術との例えとして使うとは素晴らしいです!
作者からの返信
お読みいただきありがとうございました。
三題噺はこれで2回目の挑戦ですが、非常に難しいお題でした。
八咫鏡が真実を映し、トタン板は亜鉛のメッキ。そして奇術師。
それをどうつなげるか、と思案したところ、このような作品になってしまいました。
八咫鏡…本物を使うならば、伊勢神宮に忍び込まなくてはなりません。それがどうも気が引けました。
あとは、暴力表現と性描写です。私はこの表現が好きではありませんが、どうしてもこういう形をとらざるを得ませんでした。
いい勉強になりました。楽しかったです。
あとは、皆様の評価ですが・・・正直、いい評価は得られないと思っています。
ありがとうございました。
編集済
赤い錆への応援コメント
あえて哲学的に…
この作品を読んで、私が強く感じた問いは、
「本当の自分とは何か、そしてそれはなぜ見えないのか」
ということでした。
物語の中では、人を欺く奇術や嘘が描かれていますが、それは特別なものではなく、人が日常的にしている“見せ方”の延長にも見えました。
人は誰かと関わるとき、無意識に自分を作り、相手に合わせた姿を見せています。
ではなぜ、人はそうしてしまうのか。
私は、人はその場で生きるために、自分を変えている存在だからだと思いました。
誰かに嫌われないようにするため。
自分を守るため。
少しでも良く見られるため。
あるいは、ただその場に居続けるために。
そうやって、人は少しずつ自分の形を変えていきます。
その積み重ねの中で、どれが本当でどれが嘘なのか、だんだん分からなくなっていく。
だからこそ、鏡に映った自分の顔がにじんでいたのだと感じました。
それは「見えない」のではなく、「一つに決められない」からこそ、にじんでいるのだと思います。
また、人は自分のことを完全に見つめることを、どこかで避けているのかもしれません。
もし本当の自分をはっきりと見てしまったら、それを受け入れられない可能性があるからです。
だから人は、奇術のように、少しだけ自分を隠しながら生きているのではないでしょうか。
トタンの錆の話も同じように感じました。
外側は傷つき、変わっていくけれど、内側は見えないまま守られている。
でもその「守られているもの」が何なのかは、自分でもはっきりとは分からない。
つまり、
見せている自分も、隠している自分も、そのどちらも含めて“人間”なのだと思いました。
この作品は、「本当の自分はこれだ」と教えてくれるものではありません。
むしろ、「人はそもそも一つに決まる存在ではない」という前提を、静かに突きつけてきます。
そして私は、
人は変わり続け、揺れ続ける存在だからこそ、自分の姿をはっきりと捉えることができない。
けれど、その揺れや迷いもすべて含めて、人間なのではないか。
そう感じました。
この作品は、その揺れている状態そのもの”を否定せず、そのまま見せてくれる物語だったように思います。
「人間は不完全であり、それでいい」
↑
相田みつお
春風あくび
作者からの返信
春風あくび様
お読みいただいた上、細かい分析までしてくださりありがとうございます。
応援コメントの通知がきたときに、全文を目を通すことができませんでした。落ち着いてじっくりと読みたいと思いました。
メッセージを読み進めるたび、鳥肌が立ってきます。
私の作品に、これほど細かく考察を入れていただくことに感動を覚えています。
そして、それまで丁寧に読み込んでいただくことは、作家としてこれ以上ない嬉しいことなのだと改めて知らされました。
この作品は私が三題噺に取り組んだ2作目であり、今思い返しても「奇術師」「亜鉛」「八咫鏡」というテーマは無理難題であったとしみじみ思います。
それでもこの筋を見つけたときには、それこそ鳥肌が立ったのを今でも覚えています。
この「赤い錆」。
こちらの方が投稿は先でしたが、「永瀬と香凜」の執筆後に手がけた物でした。
「白の記憶」に続いて「赤い錆」。自分として、初めて短い作品を手がけましたが、「永瀬と香凜」の重い雰囲気から脱却できていないことが、自分でもよくわかります。
まだ自分の作風、というか、自分自身が何をテーマにした小説を書きたいのか、というのを模索していたのだと思います。
結局、私の作品の中では、とても異端なものになりました。
それでも「自分の中には、こういうのもある」という引き出しを一つ作れたことでも、大きな意味のある作品になったと思います。
今読み返しても、手を加えられるところが少なく感じています。
自分の腕が上がれば、この作品の続編にも挑戦したいと思っています。
現在投稿中の作品も、春風あくびさんに目を通していただいているというだけで、背筋が伸びる思いです。
また、お目にかかれるよう丁寧に書いていきます。
ありがとうございました。