ナニか
夏は嫌いだ。暑いし、ジメジメしてる。なにより、こぞったように怖い話が語られる。怖いものは嫌いだ。特に幽霊は大嫌いだ。
怖いものが苦手な人にとって、それは大抵、先天的に苦手であるものであって、理由なんか怖いから以上でも以下でもない人がほとんどであろう。でも私には後天的な、特別嫌いな理由があった。
大学生に入ってすぐのころ、できたばかりの友人と肝試しに行くことになった。ちょうど大学の近くに、そういうのにお誂え向きな廃墟があったのだ。昼間は日差しを浴びているおかげで、自然の緑のカーテンとなっている植物も、住み着いた可愛い猫も、全てジ○リを彷彿させるような和やかさを醸し出しているくせに、夜になり、月光を浴びると、廃墟を飲み込むように絡まり付く植物も、魔女の手下として廃墟に迷い混む人を待っているかのような猫も、なにもかもが途端に演出を変える、そんな、廃墟自体がまるで狼男かのような場所が。立地もよかった。いや。正確に言うと、悪かったから廃墟になったのだろうし、悪かったから肝試しにとっては良い立地だったんだけれども。駅から大学までの通りとなっている商店街。そこから少しそれた民家の並ぶ路地裏。そこをさらに曲がったり、時には獣道に入ったりして、民家も
当時から怖いものが苦手であれば、行くことはなかったのかもしれない。でも、当時の私にとって、そういう霊的なものは一笑に付せるものであって、畏怖とか嫌悪とかそういう対象のものではなかった。人より一回り体躯が大きく、柔道をしていたこともあったかもしれない。そんな私と、追加で男一人と女二人。便宜的に男友達をA、女友達をそれぞれBとCと呼ばせてもらうが、友人三人を含めた計四人で、私達は深夜、丑三つ時少し前くらいに廃墟へと訪れた。
この廃墟、敷地が存外しっかりしていて、きちんと門があり、門から道を歩いてドアへたどり着く。そういうところも怖さを演出する要素だったのかもしれない。要は、私たちの肝試しは門を開けるところから始まった。門を開けた瞬間に、Aが「寒気がする。」と言ったのが事実であったのか、思い込みであったのか、それとも私たちを驚かせるための虚言であったのかは今となっては確かめようがない。しかし、少なくとも私はそれに同意したくなるような、背筋に冷たいものが走る感覚を味わった。他の者もそうであるのか、先ほどまで楽しげに喋っていたのに、今は全員、お互いの息を飲む音が聞こえるくらい静かに黙り込む。しかし、まだ門を開けただけ。敷地に一歩足を踏み入れただけ。ここで引き返すなんて腰の抜けた提案、ましてや女性の前で、誰も出きるはずがなかった。
「行こう。」
寒気がするといった張本人のAが、そのまま先人を切って先へと進む。私もBとCの方を気にしながら、Aの後へと続いた。
ドアをノックしたのは、単に育ちの良さなんだと思う。そんなAに「返ってくるわけないだろ」と私は思わず突っ込みをいれた。フフッとBとCが笑ってくれる。きっと狙ってやったのではないのだろう。Aは天然なところがある。だからこそ、場が和んだ。先ほどまでのような、冗談交じりの弾んだ会話が私たちに戻ってきた。
「じゃあ、ドアを開けるぞ」
じゃんけんに負けた私が代表して、廃墟のドアを開けることになったのを覚えている。立て付けの悪いドアが、わざとらしいほどキィィィという音を鳴らす。室内は蜘蛛の巣が張り巡らされ、傷んだ木製の壁が目立ち、いかにもな風貌だった。この時点ではまだ全員、軋んだ音を出す廊下を歩きながら、「おぉー。」だの「へぇ。」だの感嘆の声をあげ、「それっぽい。」と形容するくらいに先ほど取り返した心の余裕の貯蓄があった。蝙蝠を見つけたときは流石に別の意味で驚いたが。そうして少し歩き進めた後だった。軋んだ音が聞こえた。いや、私達が歩く度に軋んだ音は聞こえてくるのだが、そうではなく、確実に、私たちとは別の方角から鳴ったのだ。私とCがそれにいち早く気づいた。キャアとCが悲鳴を上げた。AとBは、気づいていないようだった。
「どうした?」
「今、確実に俺たちが鳴らしたわけじゃない木の軋む音が聞こえた。」
私が言うとCは全力で頷いた。気のせいだとAもBも言うが、Bの方は少なくとも強がりに見えた。そうこうしているうちに、また軋んだ音が響く。今度は誰も動いてなかった。今度は全員がその音を聞いた。この瞬間、気のせいだという希望的観測は打ち砕かれた。
「いや、気にしすぎだな。猫もいるし、蝙蝠もいたくらいだ。何かしらの動物だろう。」
存外私は冷静だった。或いは、それくらい当時は怖いものを信じていなかったという証拠になるだろうか。私の言葉に、皆は徐々に落ち着きを取り戻し、確かにと納得してくれた。それからは逆に、正体を暴いてやろうということになった。音は二階から聞こえた。だからまず、二階へ上がる階段を探すことになった。もともと広い建物であることと、植物が生い茂り、灯りは手元の懐中時計だけということで、意外と階段探しは難航した。その間も定期的に上の方で軋む音は聞こえ続けた。そして、ある瞬間で、鈴の音も聞こえるようになり始めた。チリンチリン。チリンチリン。流石にその瞬間は私の心臓も、感じたことのない早さで動いた。Bに関しては少し涙目になって「もう嫌、帰ろうよ。」と懇願した。
「いや、カラスか猫かが鈴で遊んでいるだけだ。」
それでも私はすぐ冷静に戻る。
「それに、もし幽霊なんてものがいるなら、俺が倒す。」
これは半分冗談で半分本気だった。宥める気持ち半分と、半分は、幽霊なんてものが存在しているのか知らないが、もし物理攻撃が聞くなら、ぶっ倒してやる。そういう、気概がその時の私にはあった。Aも、「俺たちで勝つぞ!」なんてガッツポーズを作る。私もAも、恐怖心よりも、ある種の対抗心が沸き上がっていた。そう自分に感じていた。ついに見つけた階段は、古い建物だからか、狭く段差の高い階段となっていた。ギシッ。ギシッ。チリン。ギシッ。私たちが階段を軋ませる音に、鈴の音が混ざり続けている。ようやく二階へ上がると、生臭い風が廊下を吹き抜けた。嫌な感じがする。それでも誰も引き返すと言わなかったのは、一刻も早く、この音の正体を、動物のせいだと確信させたかったのだ。きっと。鈴の音の方角へ歩みを進める。そして、すぐに全員が気づく。ナニカの声がすることに。「マ……。」チリン。「マ……。」チリン。チリン。ようやく、ずっと私も恐怖していることに気づいた。冷静だったのではなく、対抗心が燃えているわけでもなく、そういう体を装っていたことに気づいた。背筋を伝う冷や汗を、もう気のせいにすることはできなかった。それは確実にこちらに近づいてきていた。
ギシッ。ギシッ。「マ…………。」「マ……。」チリン。チリン。チリン。ギシッ。ギシッ
そして、廊下の奥、曲がり角からそれは出てきた。髪が肩まで伸び、ボロボロの白い服を着て、ズタボロで得たいの知れない人形を抱えた、血だらけの子供。そんな見た目のナニカが、こちらに向かってくる。いち早く逃げ出したいのに、金縛りにあったかのように動けず、それから目を離せない。そしてそれは、こちらを認識すると「アッ。」と声を発した。口角を持ち上げ、不気味な笑顔で「アソボ」と喋る。そして、こちらへ走り出してきた。
「逃げろ!!!」
Aの叫び声で、私とA、Bの三人は呪縛から解けたかのように走り出す。しかし、Cはその場にへたり込んでしまう。
「C?!」
「C!」
私たちは足を止め、Cを呼ぶ。しかし、完全に腰が抜けてしまったようで、Cは動くことができないようだった。そうこうしているうちに、ナニカ、はどんどんCに近づいている。
「アソボォォ。」
「Cに近づくな!」
私は引き返しながらそう叫び、それを思い切り突き飛ばす。それはもう、力任せに。断言できる。私の人生で一番幸いだったことは、その幽霊が接触出きることだ。
「ガッ」
幽霊は後ろにぶっ飛ばされる。
「今だ!」
私が叫ぶとAもBも、再び走り出す。私もCに手を貸し起き上がらせ、そのまま彼女の手を繋いだ状態で、半ば引っ張るようにして走る。階段を下り、ドアを蹴飛ばし、門の外に出て、小道を走り、ようやく民家の連なる通りに出る。そこでようやく立ち止まれた。全員が息を切らしながらお互いの顔をみる。それから、恐る恐る後ろを振り替える。そこに先ほどのナニカがいる…なんてことはなく、見慣れた河川敷を背景に、登り始めた朝焼けがあるばかりだった。結局あれがなんだったのか、わからない。
あの後、全員がなにも言わず家に帰ったが、何も起きなかった。あれはなんだったのか。あれは幽霊だったのか。幽霊だったのだろう。何事もなくてよかった。私は心底そう思った。
あれはなんだったのだろうか。私は今、再びそんなことを考えてしまう。あれは幽霊だ。「あれはなんだったんだ。」幽霊だったのだろう。あれは幽霊だった。幽霊でないといけない。「あれは幽霊だったのか?」あれは幽霊だった。幽霊だ。幽霊だったはずだ。「本当に幽霊なのか?」幽霊なはずだ。幽霊に違いない。あれは幽霊だ。幽霊だった。幽霊でないといけない。「幽霊だという証拠はあるのか」幽霊だ。幽霊に決まっている。幽霊でなくとも、妖怪か、魔物か、化物か。幽霊だ。建物の軋む音が聞こえる。幽霊だ。鈴の音が聞こえる。幽霊だ。ナニカが抱えていた、鈴の付いた人形を思い出す。幽霊だ幽霊だ幽霊だ幽霊だナニカの身体に見えた猫の引っ掻き傷を思い出す幽霊だ幽霊だ幽霊だ幽霊だ傷口から流れ出ている赤い血を思い出す幽霊だ幽霊だ幽霊だ幽霊だ幽霊だ幽霊だナニカは言葉を発していた幽霊だ幽霊だ幽霊だ幽霊だ幽霊だ幽霊だナニカはママを呼んでいたのではないか
「あれは生きた人間だったのでは?」
違う。あれは幽霊だ。幽霊だ幽霊だ幽霊だ。幽霊でないといけない幽霊でないといけない幽霊でないといけない幽霊でないといけない幽霊でないといけない幽霊でないといけない幽霊でないといけない幽霊でないといけない幽霊でないといけない幽霊でないといけない違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。あのニュースは俺たちには関係ない。俺には関係ない。俺たちがあの日あったのは幽霊だ。俺があの日、突き飛ばしたのは、突き飛ばされ、鈍い音を立てたあのナニカは、幽霊だ。
私達が無事に逃げ帰った一週間後に、とあるニュースが流れた。それ以来、私は怖いものが嫌いだ。
「先日未明、○○市のとある空き家で五歳の男の子が壁に頭を打ち付け、失くなっているのが発見されました。
この件について警察は、殺人事件として調査を進め、男の子の母親であるX容疑者を殺人容疑で逮捕しました。
見つかったのは○○市に住む五歳のYくん。警察の調べによりますと、YくんはX容疑者から、育児放棄等の虐待行為を受けており、また、"教育"と称し、事件現場でもある自宅近くにある空き家に子供を置いて帰ることもしばしばあったとのことです。調べに対しX容疑者は、『空き家に置いてきたのは事実だが暴力的行いをしたことはない』と容疑を一部否認しており、警察はさらに詳しい捜査を進めています。」
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