お天気自販機
kou
第1話 秘密の、お天気自販機
太陽が、巨大な虫眼鏡で地面をじりじりと焼いているみたいだった。
アスファルトからは
二人の小学生兄妹が並んで道を歩いていた。
兄は
小学5年生だ。
勇輝は白い半袖シャツの胸元を指でつまみ、首に巻いた青いスポーツタオルで何度も額を拭った。少し大きめの運動靴と、日に焼けた腕は、運動好きな彼の毎日を物語っている。
妹は
小学4年だ。
澪は、黄色いワンピースの裾をぱたぱたと揺らしながら、ランドセルを背負ったまま真っ赤な顔で「あつい、あつい」と、うわごとのように繰り返していた。肩までの髪は汗で頬に貼りつき、子ども用のサンダルを引きずるように歩いていた。
今にも溶けてしまいそうだ。
「……お兄ちゃん、もうだめ。溶けちゃう。私、バニラアイスになって消えちゃうよ」
「バカ言うなよ。もうすぐ裏山の入り口だ。あそこの木陰に入れば、少しはマシになるから」
勇輝は、妹の背中を、自分に言い聞かせるように軽く押した。
家に帰っても、どうせまだ誰もいない。
今は冷蔵庫のアイスクリームだって品切れだし、エアコンが壊れているだけに、涼むこともできない。
それなら――と、二人の足は自然と、学校の裏にある小さな山へ向かっていた。
昔から、夏になると決まって立ち寄る、兄妹だけの避暑地だ。
二人が逃げ込むように入った学校の裏山は、嘘のようにひんやりとした空気に包まれていた。幾重にも重なった青い葉が、攻撃的な日差しを遮る天然の屋根になっている。
勇輝と澪は、しばらく無言のまま山道を歩いた。
汗が引き、荒れていた息が、少しずつ落ち着いていく。
「……はあ、生き返る……」
澪が木の根元に腰を下ろし、ランドセルを地面に置いた、その時だった。
勇輝は、ふとした違和感に足を止めた。
山道の先。
木々の隙間に、不自然な直線が混じっている。
「あれ……」
一歩、また一歩と近づくにつれ、それははっきりとした形を持ち始めた。
赤く、四角く、金属の塊。
「……あんなところに、自販機なんてあったっけ?」
澪も顔を上げ、目を丸くする。
え……? 山の中だよ? 電気、来てるの?」
山道の脇。
古びた樫の木の根元に、それはまるで最初からそこにあったかのように、ひっそりと佇んでいた。
赤や青の塗装が剥げ落ち、所々に
「お兄ちゃん、見てよ、このジュース。変なのばっかり」
勇輝も足を止め、自販機のディスプレイを覗き込んだ。そこに並んでいるのは、スーパーの飲料コーナーでは逆立ちしても見かけない名前ばかりだった。
『サンサン・ソーダ(雨後の空)』
『粉雪ココア(雪)』
『激流コーラ(大雨)』
『しとしと緑茶(小雨)』
『パチパチ・レモン(雷)』
どれも最近の洗練されたデザイン文字ではなく、昭和を感じさせる手書きのような丸っこい文字で名前が書かれ、見本として置かれた容器はすべて、ずんぐりとした厚手のガラス瓶だった。
「サンサン・ソーダ……雨後の空?」
勇輝は鼻で笑ったが、喉の奥は砂漠のようにカラカラだった。ポケットを探ると、昨日手伝いをして貰った百円玉があった。
「……一本だけ、飲んでみるか」
勇輝が百円玉を投入口に入れてボタンを押すと、自販機の奥から「ガコン!」という、地響きのような重たい音が響いた。
取り出し口に転がり出てきたのは、結露で真っ白に曇ったガラス瓶だった。
「わあ、冷たーい! ……あ、でもお兄ちゃん、これ」
瓶を掴み上げた澪が、困ったように眉を下げた。
「これ、蓋が回らないよ? ペットボトルみたいに開かない」
勇輝は瓶を受け取り、まじまじと観察した。ギザギザとした金属の蓋――王冠が、瓶の口をがっちりとガードしている。二人の生活圏内には存在しない、異世界の遺物のように見えた。
「あ、これ、栓抜きがいるやつだ」
勇輝は思い出し、澪は小首を傾げた。
「せんぬき? 何それ、道具がいるの?」
「そうなんだ。あ……待てよ、こういう古い自販機には、たしか……」
勇輝は記憶の隅にある知識を頼りに、自販機の筐体を探った。すると、コイン投入口のすぐ横に、小さな長方形の穴が開いているのを見つけた。穴の縁には、銀色の金属プレートが埋め込まれている。
「これだ。ここに瓶の頭を引っ掛けるんだよ」
「ええっ、そんなところで開くの? 壊れない?」
半信半疑の澪が見守る中、勇輝は慎重に瓶の口をその穴に差し込み、手首をクイッと手前にひねった。
――プシュッ!
軽快な音とともに、王冠が弾け飛んだ。同時に、瓶の口から眩い蒸気がふわりと立ち上る。
「すごーい! 手品みたい!」
「へへん、まあな。ほら、飲んでみな」
勇輝は澪に手渡す。
瓶から溢れ出しすのは、ただの炭酸の泡ではなかった。それは、真夏の朝の光をそのまま液体にして閉じ込めたような、キラキラと輝く粒子だった。
澪は、その青色の液体を喉に流し込んだ。
その瞬間、衝撃が走った。
それは、今まで飲んだどんな飲み物とも違っていた。
口に含んだ瞬間、爽やかな風が吹き抜けるような、雨上がりの草木の匂いが鼻を抜けるような感覚。喉を通る液体は、どこまでも透き通っていて、体の隅々にまで元気な太陽が染み渡っていくような味がした。
「おいしい……! なにこれ、最高!」
澪が声を弾ませ、兄にも手渡し、勇輝も初めての味に驚いた、その時だった。
「えっ……?」
勇輝は自分の目を疑った。
空が、魔法の波紋が広がるように、周囲の景色が一変したのだ。
さっきまで木漏れ日がわずかに差し込むだけだった薄暗い木陰に、どこからともなく、眩しいほどの『直射日光』が降り注いできた。
けれど、それは刺すような暑い光ではない。まるで春の陽だまりの中にいるような、心まで温かくなるような、優しくて心地よい光だ。
さらに驚くべきことに、二人の周囲7、800m程くらいだろうか? 空が完全に入れ替わっていた。
「見て、お兄ちゃん! 虹だよ!」
澪が指差す先、二人のすぐ目の前の空間に、小さな七色の架け橋が浮かんでいた。どこにも雨なんて降っていないのに、ソーダの泡が弾けるたびに、空中に虹の欠片がキラキラと飛び散っている。
澪はもう一口、ソーダを口にすると勇輝に手渡し、彼は口にした。
「これジュースを、飲んだからなのか?」
勇輝は呆然と空を見上げた。
ある一定の先では、相変わらずジリジリとした猛暑が続いている。けれど、自分たちの周りだけは、世界で一番贅沢な空を凝縮したような、心地よい完璧な晴れの空間が完成していた。
吹き抜ける風は心地よく、どこかミントのような爽快感がある。
勇輝の心の中にあった、暑さへの苛立ちが、霧が晴れるように消えていった。
「お兄ちゃん、すごい。この自販機があれば、私たち、いつでも好きな天気にできるんだよ!」
澪は瓶に残ったソーダを飲み干し、満面の笑みを浮かべた。その瞳は、空の青さをそのまま映したように輝いている。
「ああ、そうだな……」
勇輝も笑って頷いた。
けれど、その時。
勇輝の頭の片隅で、大切なパズルのピースが一つ、音もなく消えたことに、彼はまだ気づいていなかった。
(……あれ? 去年の夏休み、家族で海に行った時。あの日、どんな話をしたっけ?)
一瞬だけよぎった違和感は、あまりに心地よいサンサン・ソーダの魔法にかき消されてしまう。
二人の手元には、飲み干された空っぽのガラス瓶。
そして背後には、苔むした樫の木に溶け込むように佇む、赤い自販機。
「ねえ、お兄ちゃん。次は雪のやつ、飲んでみたいな。夏に雪合戦なんて、最高じゃない?」
「欲張りだなあ。でも……まあ、また今度もここに来てみるか」
二人は軽やかな足取りで、光り輝く晴れの下を歩く。
自販機に残された王冠が、太陽に照らされて、宝石のように一瞬だけキラリと光った。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます