第18話 王府に満ちる異変

最初に異変に気づいたのは、侍女たちだった。


朝、香を焚いていないはずの回廊に、

どこか甘く、重たい匂いが残っている。


花の香ではない。

香木とも違う。

胸の奥に絡みつき、呼吸が浅くなる匂い。


「……昨夜、こちらで香を焚かれましたか?」


誰に問うても、答えは同じだった。


「いいえ」

「存じません」

「王薇様以外は、近づいておりません」


その王薇も、

以前より言葉が少なく、

視線の奥に奇妙な熱を宿している。



護衛たちの間でも、囁きが広がり始めた。


「最近、王薇の様子がおかしい」

「主の御前で、まるで…別の誰かに仕えているようだ」

「目が合うと、ぞっとする」


だが、それを声高に言う者はいない。


紫流王府では、

完璧であることが何よりも重んじられる。


不安も、疑念も、

口にした瞬間、それは“不完全”になる。


誰もが黙り、

誰もが見ないふりをした。



紫流は、それを感じ取っていた。


廊下を歩けば、

侍女たちの動きが一瞬遅れる。


視線を向ければ、

護衛は過剰なほど頭を垂れる。


以前なら、

それは心地よい忠誠だった。


今は――

気味が悪い。


(……俺は、主だ)


そう思おうとするほど、

胸の奥がざらついた。



夜。


王府の奥で、香が焚かれる。


紫流の命ではない。

それでも、香は広がる。


まるで、

王府そのものが欲しているかのように。


王薇は、静かに跪いていた。


「主……お休み前に」


差し出された香炉。


紫流は一瞬、手を伸ばしかけ――

止めた。


「……今日は、いい」


王薇の目が、わずかに揺れた。


失望でも、驚きでもない。

理解不能な感情。


その目に映っていたのは、

“王”ではなかった。



その夜、

別の場所で、別の誰かが囁いた。


「ほら……ほころび始めたわ」


甘く、愉悦に満ちた声。


「もう少しね。

もう少し堕ちれば――

あとは、勝手に壊れるわ」


王府は、まだ美しい。


だがその美しさは、

内側から腐り始めていた。

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