無敵の可愛さは、真実を暴くための凶器でした~嘘を吐くと鳥肌が立つ女子大生と、嘘で世界を回す社畜詐欺師~。

三崎 透亜

第1話 『幸福』という名の虚飾(1)


プロローグ

「――ウソは、包帯だ」

誰の肌も傷つけず、誰の体面も汚さない。 膿んだ真実を隠して、日常というシステムを円滑に回すための、もっとも安上がりで平和な消耗品。

少なくとも、真壁悠介まかべ ゆうすけという男はそう信じて、今日まで「正解」を選び続けてきた。 ……そう、あの少女に出会うまでは。


「……最悪。あんたの言葉、全部カビの生えたシロップみたいな匂いがする」


目の前の少女――成瀬陽葵なるせ ひまりの陶器のように白い首筋が、見る間に赤く粟立ち、忌々しげな鳥肌を刻んでいく。 悠介が吐き出した「もっともらしい方便」に反応して、彼女の身体は、まるで猛毒でも浴びたかのように激しい拒絶を示していた。

「ねえ、寄らないでよ。その空っぽな笑顔、見てるだけで酔うんだけど」


真実ほんものしか愛せない、二十歳のアレルギー体質。 嘘を包帯にして傷を隠す、二十九歳の事なかれ主義。

最悪の相性を誇る二人が、誰かの「幸福」という名の虚飾を守るために、泥まみれのマウンドに上がる。

他人が吐き散らした汚物を、綺麗な嘘でデコレーションして、日常を再起動させる。 それが彼らの仕事――『便利屋リリーフ』の役割だ。


型落ちのラジオから流れる、九回裏の喧騒。 逆転満塁ホームランの絶叫とともに、不純な共犯関係は幕を開ける。


第一節:


「――なるほど。御社の意向、痛いほどよく分かります。今回の広告運用における想定との乖離は、私どもの定義不足が招いたものです。心よりお詫び申し上げます」

真壁悠介は、一ミリの狂いもない角度で頭を下げた。


中堅Web広告代理店、アカウントプランナー。入社七年目。二十九歳。

この七年間で彼が最も磨き上げたのは、クリエイティブな発想でも、最新のトレンド分析でもない。クライアントの自尊心を傷つけず、かつこちらの不手際を「新しい可能性」としてすり替えるための、適切な謝罪と誘導の姿勢だった。


「分かってくれればいいんだよ、真壁くん。君の提案には期待しているんだから」

取引先の担当者が、満足げに鼻を鳴らす。

悠介は顔を上げ、一ミリの淀みもない笑顔でそれを受け止めた。

それは、もはや感情の産物ではない。七年かけて顔の筋肉に叩き込まれた、意識せずとも勝手に戻ってしまう形状記憶合金のような笑顔だ。


(……嘘だ。あんたの期待なんて、予算の帳尻合わせに過ぎない)

悠介の心は、なぎのように静かだった。

真実など、この場には必要ない。必要なのは、商談を円滑に終わらせるための「納得感のある欺瞞」だけだ。


ビルの外に出ると、藍上原あいがはら市の街角には、アスファルトが夜露に濡れたような、重く湿った匂いが停滞していた。

悠介はネクタイを少しだけ緩め、深く息を吐き出す。

かつて、若さゆえの正義感で「真実」を口にしたことがあった。その結果、誰が救われ、誰が壊れたか。

その記憶は、今も首筋に冷たい刃を当てられているような感覚として残っている。


だから彼は、嘘を愛することにした。

嘘はどれほど滑稽でも、誰の血も流さない。自分を殺して場を収める、一番安上がりで平和な解決策。それが、二十九歳の彼が辿り着いた、唯一の生存戦略だった。


「……行かなきゃな」 独り言は、風に霧散した。悠介は重い足取りで、駅前の古びた雑居ビルへと向かう。

便利屋『リリーフ』。二十九歳の彼が選んだ、出口のない副業の現場だった。


---


第二節:


そのビルは、街の再開発から取り残された、かさぶたのような場所だった。

一階の飲食店からの脂っこい匂いが、狭い階段の壁にまで染み付いている。

悠介が三階へ上がったとき、「来栖経営コンサルタント事務所」という古びたプレートが貼られた事務所のドアの前に、一人の少女が立っていた。


緩やかにウェーブした髪。トレンドを抑えつつも品を失わない、白いブラウス。

二十歳そこそこにしか見えない彼女は、誰もが「広告の完成予想図」だと認めざるを得ないような、暴力的なまでの可愛さを放っていた。


悠介は職業的な視点で彼女を「スキャン」する。修正液で塗り固めたような白すぎる肌。ハイライトの位置まで完璧に計算されているかのような、硝子細工の瞳。

(広告の完成予想図――いや、解像度を上げすぎて現実味を失った、デジタル上の虚像だ) あまりに完璧すぎて、逆に作り物のようにさえ見える。悠介は反射的に、「感じの良い大人」のスイッチを入れる。


「……失礼。そこ、私の職場なのですが。中に入られますか?ご依頼でしたら、来栖経営コンサルタント事務所改め「便利屋リリーフ」の主任調査官の私、真壁がお伺いいたします」 声のトーン、表情、視線の位置。すべてが完璧に調律されていた。初対面のクライアントに警戒心を抱かせたことがない、無難な自己紹介だった。

だが、少女がこちらを振り返った瞬間。その美貌が、劇的に、そして露骨に歪んだ。


「――っ。うわ、何これ。最悪」

彼女は悠介を凝視したまま、一歩後ずさった。

その指先が、自分の二の腕を強くさする。まるで、極寒の吹雪に晒されたかのような拒絶。

「……気持ち悪い。寒気がする。……ねえ、あんた。何なの、その顔」


悠介は内心あっけにとられ、それを顔には出さないで踏み出そうとすると、彼女は自分の首筋を押さえた。

そこには、白い肌を赤く染めるほどの、激しい「鳥肌」が立っていた。

「笑ってるつもりなんだろうけど、筋肉が死んでるよ。……全身から、鳥肌が立つような嘘の匂いがする。中身が空っぽすぎて、見てるだけで酔うんだけど」


悠介の思考が、一瞬だけ止まった。七年間、何万という人間に向けてきた自分の「正解」が、出会い頭に、ただの不快なアレルギー源として扱われた。

「初対面の相手に対して、随分な言い草だね」 「本当のことだもん。……うわ、声まで嘘くさい」

彼女は忌々しげに悠介を睨みつける。その瞳には、彼が今まで見てきたどんなクライアントよりも生々しい「嫌悪」が宿っていた。


「真壁くん。あんた、そんな厚塗りのメッキで、よく生きてられるね」

二十九歳の会社員が、十近く年下の少女に「くん」付けで呼ばれる。その歪な響きが、不快な残響として耳に残った。その時、事務所のドアが勢いよく開いた。

「おっ、揃ったな! 入った入った、試合開始だ!」 焼き鳥の串を手にした来栖社長が、ラジオから流れるプロ野球中継の音とともに、二人を事務所の中へと招き入れた。


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第三節:

来栖大悟。経営コンサルタント事務所の看板を掲げているが、現在では「便利屋リリーフ」と名乗り、もっぱらSNSで金になりそうな案件を見つけ出し、その「解決」を売り付ける事業をしている。

悠介は、ふとしたきっかけで、来栖と出会い、副業バイトとして「リリーフ」で働くこととなった。

主任と名乗らされているものの、本業ではない。隙間時間のアルバイトだ。

悠介自身、労働契約を結んだ覚えがないので、バイトですらないのかもしれないとさえ思っている。


「――さあ、九回裏二死満塁だぞ、真壁ちゃん。この絶体絶命の場面をどう抑える?」 デスクにふんぞり返る来栖大吾は、悠介を「真壁ちゃん」と呼び、親しげに顎をしゃくった。

「……社長。仕事の話なら、まずはそのラジオを止めてください」

「客ってのはな、追い込まれた時にこそ、金払いが良くなるんた。ああ守護神様、お助けくださいってな感じでな。だが、実際に俺たちがやるのは、泥まみれのマウンドを引き受ける『リリーフ』、つまり後始末なんだよ」

来栖は、ラジオの音量をひとつまみも落とすことなく続けた。


来栖は、使い古した万年筆を指揮棒のように軽やかに振り、悠介とソファの少女を交互に指した。その仕草だけは、かつてエリート街道を歩んでいた男の品格を微かに覗かせる。

そうかとは思ってはいたが、この少女は、自分と同じ従業員なのだと悠介は確信した。口には出さないが目線でこいつは誰だと来栖に訴える。


来栖は薄笑いを浮かべながら、口を開く。

「「真壁ちゃんは、泥沼を煙に巻く『技巧派』。陽葵ちゃんは、その圧倒的なビジュで真実をこじ開ける『速球派』だ」

「……社長。例えが雑すぎます」


「ははは! 細かいことは気にするな」


来栖は、2人の抗議を一笑に付し「作戦会議をはじめよう」と、自身のパソコンのセカンドモニターを2人に向けた。

モニターには「美波@素敵な暮らしコーディネーター」というアカウント名のSNS画面が映っていた。

北欧風の家具で統一されたお洒落な雰囲気の部屋を背景にした写真が綺麗に並べられている。

来栖が、マウスに手をかけ、投稿をスクロールして遡っていく。

「部屋の模様替えをしただの、手作りのパンを作っただの、旦那とマイカードライブデートしただのとかいった、わたし幸せです発信のアカウントだ。こんなのでも10万人がウォッチしてる」

来栖は流暢に話しながらもラジオの音声は認識しているらしく、何やらメモをしている。

「皿とか椅子とかPR案件なんかも受けてて、それなりに儲かっちゃいるらしい。要するに家具屋だな」

来栖はぞんざいにクライアント評をまとめると、再び画面を操作し、DM欄を開いた。

スクロールの速度が速く詳細は、読み取れない。レシートや車の写真を認識することが、悠介にはやっとだった。

「ひと月ほど前から、レンタル家具のカタログ、パン屋のレシート、外車専用レンタカー屋の写真なんかを送りつけられるようになったらしい。要するに、お前の投稿の『嘘』を知っているぞ。バラされたくなかったら…ということだな」

贔屓のチームの抑え投手の登場に満足しているのか鼻を軽く鳴らしながら、来栖は続ける。

「つまり、この美波ちゃんとやらは、嘘の投稿で目立っている困ったちゃんだな。真壁ちゃんとは反対だ」

またもや煽ってくるが、悠介は努めて反応しないようにした。

やはり来栖は意に介さない様子で、鷹揚に話を続ける。

「脅かされた彼女はパニックだ。警察に行けば、自分の嘘まで公になる。どうにもできない。ーそのパニックが投稿に表れていたよ。ちょっと営業をかけたら、うちの祝すべき最高単価案件だ。

着手金は三十万。――いいか、役割分担は二人で決めろ。明日に会う約束はとりつけてある。速攻でケリをつけろ。早く解決すれば、その分インセンティブをふんだくれる手はずだ。明日の夜までには決めてこい」


「……明日の夜まで、ですか」 悠介がスケジュールを逆算する。明日も当然仕事がある。この依頼を終わらせるには、睡眠時間を削るしかなさそうだ。


来栖はラジオのボリュームを上げた。

無茶なスケジュールへの抗議も通らなさそうだと、悠介はため息をこぼす。


陽葵は立ち上がり、悠介を追い越してドアへ向かった。 「真壁くん。……あんたのその、嘘くさい笑顔を見てる時間を一分でも短くしたいから、美波さんに会うのは私だけでもいいよ。それにお仕事でしょ」


悠介は力なく首を振り、「私も行きます。調べたことは正午までにお互い共有しましょう」と告げた。お互い乗り気ではないもののラインを交換した。陽葵のアカウント写真には、その整った顔が満面に映し出されていた。

陽葵の退室から少しだけ間をおいて、悠介は事務所のドアを後ろ手で閉めた。背後では、ラジオの実況が逆転満塁ホームランの報を絶叫していた。


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