第九話 影之散華
静麻の合図を境に、刃が一斉に動いていた。
闇任を先に立てたのは、場数を踏ませる意図だった。後詰めに別式を置く。これらはすべて、暗丞の細かな指示によるものだった。
だが、里は想定よりも広く、たちまち別式、闇任関係なく我先と獲物を追い、火を放ち、人を屠った。
そんな中、中央の屋敷より老人が現れた。老人は抜き身を片手に、遠く離れた静麻と暗丞を見据えている。
そこへ、いち早く目を付けた青猿が意味をなさぬ声を上げて斬りかかった。名の通り、猿のような敏捷性で宙を舞い、手にした刀で老人の首元を狙う。
老人は静麻らから目を離すことなく、体だけを右に捩る。
刀が空を斬る。青猿にとっては思いもよらぬことであった。次の手を考える間もなく地に伏した。己が斬られたことも気付かぬまま、事切れていた。
静麻は息を呑んだ。
「あの者が前の棟梁、雉裂影之でございます」
相変わらずこちらを見据えている老人を見ながら、暗丞が言った。
二人は導かれるように、影之の元へと歩を進めた。
里は、嘘のように静まっていた。襲撃が終わったのか、それとも三人を取り巻く空気がそう見せているだけなのか──
影之が口を開いた。
「久しいの。暗丞」
「私を覚えておいでで」
「二度ほど会ったかの。その折には、まだ両目が利いておったが」
「失った分だけ、人は強くなると身をもって知りました」
「言いよるわ」
影之が静麻を見遣る。
「天羽の子息か」
「天羽……静麻と申す」
これが、療養中で明日をも知れぬ老人か──静麻は不覚にも影之の眼光に居竦まれた。
影之が軽く息を吐いた。
「時代は北を選んだ、というわけだな……」
北と南が逆であったなら、立場は逆であったか? 考えないことでもないが、意味のないことだった。
「儂はこの命尽きるまで抗うぞ」
影之の眼光の強さが増す。
思わず静麻の右手が刀の柄を探した。
それを暗丞が制止し、己が刀を抜いた。
「若が敵う相手ではございません。お下がりください」
「貴様なら敵うと?」
影之が問うた。
「恥ずかしながら、病に侵されていない影之殿ならば敵わないでしょう。だが、今の御身なら」
暗丞の言葉を聞きながら、影之が呼吸を整える。深くは吸えない。病が、肺を削っている。それでも足は出る。
暗丞は、勝ちに行く。同時に、役目を果たす覚悟だ。
間合い。互いに一歩外。
影之が先に動く。刃を寝かせ、体重を前に預ける。
暗丞は受けない。下がり、円を描く。理合が違う。
影之は最短を通す。暗丞は、最短を外す。
影之の二太刀目。暗丞、半身でかわし、鍔を打つ。
火花。
影之は引かない。肘で間合いを詰め、体で斬る。暗丞の肩を裂いたかに見えたが、届かない。それでも、止まらない。踏み替え。逆足。しかし暗丞も刃を立て、影之の喉元へ。
影之は、刀身を戻し受ける。受けてはいけない距離で、受けた。骨に響く。病んだ身体が軋む。影之の呼吸が、乱れる。
暗丞は、その一瞬を逃さない。重心を落とし、刃を沈める。
影之は笑った。最後に、足を出す。踏み込みの力で、暗丞の刃を押し下げ、自らの刃を──通す。同時だ。しかし、体が貫かれたのは影之の方であった。
「すまぬ、皆のもの……」
影之は、倒れた。
暗丞に傷はなかった。勝ちはしたが、とても勝ったとは思うことができなかった。
次元の違う闘いを見せられ、静麻は動けなかった。圧倒されるとは、こういうことか。自分は、まだ遠いと思わずにはいられなかった。
里は燃え、やがて静まっていった。
刃の音は消え、悲鳴も途切れる。襲撃は終わっていた。
生きている気配は、消えた──そう判断された。
だが、焼け跡の端に闇任が二人倒れていた。そのうち一人は風割である。里の若者の予想外の抵抗に合い、殺されていた。
別式の一人も、戻らない。影之に斬られた青猿だ。
天羽も、血を流した。
静麻は、しばらく動けずにいた。燃え残る柱を見つめ、そこに何があったのかを、まだ受け止め切れていない。
「しっかりされよ、若」
暗丞の声で、ようやく我に返る。静麻は小さく頷いた。切り替えは早くなければ、迷い、次が崩れるのだ。
静麻が合図を送る。全員を集め、儀の場へ向かった。
遅かった。
理周が里に入ったとき、すべては終わりに向かっていた。北朝神衛衆が里を後にする少し前のことだった。
煙だけが漂い、熱は地に沈んでいる。
理周は、死を数えない。数えても、意味はない。だが、女子どもの無抵抗で無惨な死は、見るに堪えないものであった。
そのとき、胸を打つものがあった。耳に届く声ではない。生きている者の魂が、必死に縋る気配だ。
顔を向けると、納屋がある。
荒くれた者たちが、里を割って歩いている。焼け残りを探し、生き残りを狩るためだ。
影が走った。炎が道を作る。次の瞬間、納屋は業火に包まれた。だが誰も、そこ人がいることに気づかない。
理周は、炎の中へ踏み込んだ。納屋の奥に、幼子を庇う郎党が二人。その傍らに、見たことがある若い女がいた。
「棟梁殿の奥方ですな」
女は、黙って頷く。腕の中の幼子は、影刻の子だ。
「火が回っております。私より、この子と、この者どもを……」
「案じなさるな。これは、目を欺くものよ」
理周は、幼子を抱き上げた。既に三つの口は開いている。炎に紛れ、里を抜ける。
外れまで来ると、理周は奥方と郎党に幼子を託した。
「このまま下がれ。決して振り返るな」
三人は、深く頭を下げ、その場を去った。
理周は、一人残る。
そして、襲撃者たちの去った方角へ走り出した。
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