第三話 明徳の乱
──明徳二年(1392)十二月
室町幕府を大きく揺るがす出来事が起こった。後の世に言う明徳の乱である。
将軍
これに反発した山名氏は挙兵し、戦火はついに京へ及んだ。
ときの帝である
帝は武家にとって、「玉」である。「玉」を手中にした者は、官軍として大義を得る。即ち、京の街では、「玉」を得んとする山名氏と幕府側の争いにより、混乱に陥っていたのである。
「我が北朝神衛衆、設立以来、帝に対する最大の危機である」
静連は全招集をかけ、居並ぶ配下に告げた。自身は帝の側に在り、闇任には闇任頭を通じて御所周りを固めさせる。
そして別式には、京の街を遊撃せよと命じた。特に御所の北西、内野原は物々しい戦いが繰り広げられている。そこから両軍を出させず、抑え込めと命じる。
静麻、統麻の兄弟も、別式同様の任を与えられた。
「北朝の兵と連携せよ。ただし、多少のことは目を瞑る。存分に暴れよ」
かくして、北朝神衛衆は京の街に消えた。
結果から言うと、内野原で行われた内野合戦は、京の街を守る幕府軍が、山名軍を包み込むように包囲したため、半日も持たない短期決戦で幕を閉じた。
しかし、それではとどまらず、離脱兵による商家襲撃があり、北朝神衛衆はそういった者どもを対処することになった。
まず一番に駆け出したのは統麻であった。御所から内野原までは半里(約2km)とない距離であった。
「統麻さま、我もお供いたす」
逆鱗がすぐさま追いかけた。
その様子を見ていた二人の別式がいた。
「奴は統麻殿の腰巾着か」
「お主は逆鱗が嫌いなようだな」
「あぁ、見ていてむかむかせぬか? 次男殿についておって何の得がある?」
「以前、酒を飲んだときに聞いたことがあるが、奔放さが好きなのだと言っておった。まぁ、わからぬでもない」
「けっ、まぁどうでもいいわ。我らも行くぞ」
遅れて、
「結局、敵はどういう奴なんだ?」
黒泉が訊いた。
「山名の謀反勢だ。しかし……」残火が答える。「獲物を持つ者すべてを狩ればいい。幕府軍とて帝に害をなすかも知れぬ、なればこそ棟梁は多少のことは目を瞑ると言ったのだ」
「なるほどな、それは単純で良い」
「賭けぬか?」
「何をだ?」
「どれだけ殺るか」
「何を賭ける?」
残火は少し考えた。
「飯盛女でどうだ」
「いいな、乗った」
黒泉が笑った。
「証に耳を削げ、殺っていない死体からは取るなよ」
二人は炎が見える方へと走っていった。
その頃、内野原近くの路地の上では、
下では、商家に押し入ろうとする数人の影。青猿は跳び、落ち、斬った。
三人。声を上げる暇もなく倒れる。血が流れ落ちる前に、もう次の屋根へと消えていった。
川沿いでは、悲鳴が一つだけ上がった。
次の瞬間、水音が重なる。引きずり込まれた兵が、浮かんでこなかった。
内野原の戦は、すでに終わっていた。
だが京の街から血の匂いが消えることはなく、むしろ戦の後にこそ、暴力は形を変えて溢れ出す。
逃げ延びた兵。主を失った浪人。
勝敗とは無関係に、ただ刃を振るう理由を求める者たち。
それらが、市中へと散っていた。
閏は、歩いていた。走らない。急がない。ただ、目に映るものを順に斬っていく。逃げる背に刃を走らせ、倒れた者には止めを刺す。
斬る理由はない。だが、斬らぬ理由もなかった。
一人、討ち漏らした。 その背に、矢が突き立つ。高所から放たれた、正確無比な一射だった。
「仕留めたぞ」
次の瞬間、閏の足元に影が落ちた。拾い上げた小太刀を、迷いなく投げる。
刃は弦鬼の頬を掠め、空を切った。
「何をしやがる」
「俺の愉しみの邪魔をするな」
閏は感情の起伏もなく言った。
「何だと。射殺してやろうか」
弦鬼が矢をつがえる。
だが、引き絞る指が僅かに震えた。
「やってみよ。次は貴様の首が飛ぶ」
(……届くはずがない)
高見だ。理屈では安全圏。 だが、その理屈が、閏の前では脆く感じられる。
(くそ……この百本矢筒を背負っての移動は骨なのだぞ)
弦鬼は舌打ちし、場所を変えた。
閏は、それ以上追わなかった。興が削がれた。それだけのことだ。
統麻は、斬っていた。
斬り結ぶのではない。追い、叩き、倒す。
逆鱗が、巧みに道を作っていた。逃げ場を潰し、統麻の前へと敵を追い立てる。
刃が肉を断つ感触。手応え。反動。血の温度。それらが、統麻の中でひとつに繋がった。
「……あぁ」
声が漏れる。愉悦だった。
「統麻様、見事でございます」
「逆鱗」
統麻は刃を払った。
「なぜ、俺について回る」
「統麻様に、次の棟梁となっていただきたい」
統麻の表情が、凍る。
「戯言を言うな」
「統麻様は静麻様よりお強い。何より──」
「言うな!」
統麻の怒声が、路地に響いた。
「次の棟梁は兄上だ。それ以上も、それ以下もない」
逆鱗は言葉を失い、頭を垂れた。
「今後、そのような物言いは許さぬ」
統麻はそう言い放ち、再び歩き出す。
だが胸の奥では、血の味がまだ消えていなかった。
静麻は、斬った。
相手は正面から来た。避けられたはずだった。だが、暗丞の声が飛ぶ。
「若、斬れ」
一瞬の躊躇。
次の瞬間、刃が相手の胴を裂いた。人が崩れ落ちる。命が抜けていく、その瞬間を、静麻は見てしまった。
胃が反転する。路地の隅で、静麻は吐いた。
暗丞は何も言わず、背に手を置いた。
「……人を斬るということは、その命を背負うことです」
静麻は顔を上げられない。
「軽々しく振るうものではない。ですが、我らは帝の盾。避けられぬ時もございます」
静麻は、震える手で刀を握り直した。
「覚えておきなさい。斬った数を誇るな。斬らねばならなかった理由を、忘れるな」
静麻は、小さく頷いた。
夜が明ける頃、京は静けさを取り戻した。 死体は片付けられ、血は洗い流され、 昨日までの騒乱は、まるでなかったかのように封じられる。
別式たちにとって、この一件は、日頃押さえつけられていた力の、はけ口となった。 だがそれは同時に、それぞれの内に、歪みを残した。 殺しを愉しむ者。 血に酔う者。背負うことに耐えようとする者。
その歪みが、いずれ再び刃となることを、この時、誰もまだ知らなかった。
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