第四話 椿

 無明丸が小頭に就いてから三年後、 元中二年(1385)の年の暮れが近づいていた。 その年の秋、吉野の地では赤斑瘡が流行し、 神衛衆の古参二名が役を退いた。

 命を落とす者は少なかったが、 前線に立てぬ者が続いたことは、組織にとって重かった。 小頭二名の欠員。 補充は急務であったが、 代わりを務められる人材は、容易には見つからない。

「……その者の話は聞いてはいる」

 真四郎が腕を組み、低く唸った。

「だが影刻、前例がない」

「前例がなければ、作ればよい」

 影刻は、いつもの調子で言った。 問題の女子は、隠番の一人だった。 名を、椿つばきという。 神衛衆に女はいない。それは掟というより、誰も疑わなかった“当たり前”だった。 椿もまた、任には就いていたが、目立つ役を与えられることはなかった。女であるという、それだけの理由で。

 だが噂は、否応なく耳に入る。勝ち気で、男でも扱いづらい大刀を振るうこと。しかもそれは、力任せではなく、まるで刃の重さを消したかのような剣だという。

「対抗心だけで振れる得物ではない」

 真四郎は、そこだけは認めていた。さらにもう一つ、影刻には無視できぬ話があった。

「親父殿が、あの女子の名を何度か口にしておる」

 真四郎の眉が、わずかに動く。

「放っておくな、と」

 神衛衆を退いた影之は、病床にあったが、気分がよい時には後進の育成に励んでいた。その眼は、まだ神衛衆を見ていたのである。

「……会うだけだ」

 影刻はそう言い、真四郎はそれ以上、止めなかった。

 その翌日、椿は真四郎の前に立たされた。 立ち会いというほど仰々しいものではない。ただ、剣を見せよ、というだけの場だった。

 椿は、大刀に手をかけなかった。 代わりに小刀で相手の刃を受け、大刀を“置いたまま”、間合いを詰めた。

「大刀は使わんのか」

 真四郎が問う。

「相手によって何が有効か。ただ武器を振り回すだけであれば誰でもできます」

 椿はそう答えた。その声に、怯えはなかった。挑発もない。ただ、事実を述べる声音だった。

 影刻は、その立ち姿を見て、頷いた。剣を見ている。女でも、力でもなく。 その日、椿は小頭に加えられた。

「……感謝します」

 後に、椿は影刻にだけ、そう言った。 理由は聞かれなかった。影刻も、聞かなかった。 だが椿は知っている。もしこの場に影刻がいなければ、自分は今も、名も呼ばれぬ刃で終わっていたということを。

 真四郎と椿は、それ以降、何度も言い合うことになる。

 慎重と、直感。 前例と、例外。

 だが闘いの場で、二人が互いの背を疑ったことは、一度もなかった。

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