第3話 ワールドクエスト

 世界に、

 アナウンスが流れた。


 それは、

 今まで何度も聞いてきた声と同じはずなのに、

 どこか質が違っていた。


 抑揚はない。

 感情もない。

 だが――

 愉悦にも似た何かが、混じっているように感じた。


 ――ワールドクエストを開始します。


 空気が、張りつめる。


 世界中の人間も、

 魔族も、

 今この瞬間、

 同じ言葉を聞いている。


 逃げ場は、ない。


 ――バトルロイヤルを開始します。


 その一文だけで、

 理解できてしまった。


 これは準備期間の終わり。

 猶予の終了。

 様子見も、停滞も、許されない段階。


 生き残る者を、

 ふるいにかける時間だ。


 そして、最後に。


 ――難易度:???


 一瞬、

 世界がざわついた。


 数値ではない。

 ランクでもない。

「不明」という意味ですらない。


 最初から、測る気がない。


 努力も、戦略も、

 才能も、運も。


 それらすべてを無視して、

 ただ結果だけを見る。


 そんな宣告だった。


 同時に、

 世界のあちこちで何かが解放される。


 透明だった壁が、

 わずかに脈動する。


 地面の奥で、

 何かが目を覚ます。


 空が、

 少しだけ暗くなった。


 夜が来たわけじゃない。

 世界そのものが、

 一段階、沈んだ。


 棺の中で、

 僕はその声を聞いていた。


 不思議と、

 心臓は早まらない。


 恐怖も、

 高揚もない。


 ただ、

 静かに理解する。


 ――ああ。

 ――始まったんだ。


 生きたい者と、

 生きたくない者。

 戦う者と、

 逃げる者。


 そのすべてを、

 同じ盤面に放り込むための合図。


 難易度???。


 それは、

「誰にとっても公平に、理不尽である」という意味だ。


 棺の中で、

 ゆっくりと目を閉じる。


 まだ、起きる気はなかった。


 けれど。


 影の奥で、

 何かが――

 動き始めている気配だけは、確かにあった。



 エリアの境界を越えた瞬間、

 三つの影が月明かりの下に浮かび上がった。


「ちょっと、ここ暗すぎるんだけど!」


 苛立った声を上げたのは、

 短髪の女だった。

 片手に弓、もう片方で目元を押さえる。


「月明かりだけが頼りか……」


 低く呟いたのは、

 長身の男。

 無駄のない動きで周囲を見回している。


「めんどくせぇー」


 最後の一人は、

 剣を肩に担ぎながら、あくびを噛み殺した。


 三人とも、

 装備は揃っている。

 軽装だが、動きに無駄がない。


 ――慣れている。


「……やっぱ現代兵器、ダメか」


 短髪の女が、舌打ちする。


「理由は知らんけどさ。

 どうせ“人類製”限定なんだろ?」


「魔族エリアだしな。

 銃とか爆薬は弾かれるって噂、当たりっぽい」


 剣を持つ理由を、

 疑問にも思っていない。


 彼らにとっては、

 もう“常識”になっているのだろう。


「まぁ、こんなとこ余裕っしょ」


 軽い声で、

 肩の剣を揺らす男。


「俺たち、もう一個潰してきたもんな」


「だよねー。

 魔族って言ってもピンキリだし」


 笑い声が、

 闇の中に溶けていく。


「てかさ」


 女が、足元を蹴る。


「ここ、雑魚一匹もいないじゃん」


 確かに、

 気配がない。


 モンスターの唸り声も、

 足音も、

 呼吸すら。


 異様なほど、

 何もいない。


「拠点、奥かな?」


「だろ。

 さっさと終わらせて帰ろうぜ」


 三人は、

 警戒を解かないまま――

 だが、恐れもなく。


 ズカズカと、

 エリアの中心へ向かって歩き出した。


 月明かりに照らされた影が、

 地面に長く伸びる。


 その影が、

 ほんの一瞬だけ――

 揺れた。


 誰も、気づかない。


 音もない。

 風もない。


 ただ、

 彼らの足元で、

 影だけが――

 一歩、深く沈んだ。


 人類を見た瞬間、

 血が、疼いた。


 理屈じゃない。

 敵だからでも、

 殺す理由があるからでもない。


 ただ――

 欲しい。


 生身の人間の血。

 温度を持ち、

 脈打ち、

 まだ終わっていない命の匂い。


 それが、

 感覚の奥から直接、訴えかけてくる。


 喉が、熱い。

 胸の奥が、空洞になる。


「……ああ」


 気づかないうちに、

 歯茎が軋んでいた。


 牙が、伸びる。


 痛みはない。

 自然な延長。

 元からそうであったかのように、

 静かに形を成す。


 視界が、変わる。


 月明かりが、

 やけに鮮明になる。

 人間の輪郭が、

 色を持って浮かび上がる。


 心臓の鼓動。

 血流の速さ。

 呼吸のリズム。


 ――全部、見える。


 双眼が、

 赤く染まる。


 深紅。

 感情の色ではない。

 捕食者の色。


「……欲しい血だ」


 声は、低く、

 掠れていた。


 誰に聞かせるでもない。

 自分自身に、

 確認するような呟き。


 思考は、まだ遅い。

 倫理も、判断も、

 追いついてこない。


 あるのは、

 一歩、踏み出したという事実だけ。


 影が、足元で蠢く。


 闇が、

 自然と道を開く。


 月明かりの下、

 人類はまだ笑っている。


 自分たちが、

 すでに“狩られる側”になっていることを、

 何も知らずに。


 その距離は、

 もう――

 手を伸ばせば届くほどだった。






 トウヤは、動き出した。


 もはや躊躇はない。

 迷いも、葛藤も、

 すべて影の奥に沈んでいる。


 トウヤの視界に映る人類は、

 敵ですらなかった。


 ――捕食対象。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 一歩。

 また一歩。


 足音は、ない。

 影が地面を滑るだけだ。


 距離が、縮まる。


「……ちょっと、なんか近づいてきてない?」


 月明かりの下、

 女が不安そうに声を上げた。


「落ち着け。

 いつも通りだ」


 剣を構えた男が、低く指示を出す。


「俺たちが前衛。

 ミユ、お前は後衛な」


「了解……」


 女――ミユと呼ばれた侵入者が、一歩下がる。


「見かけは人類と変わらないな」


 別の男が、鼻で笑った。


「どうせ雑魚魔族だ。

 数で押せば――」


 その言葉は、

 最後まで発せられなかった。


 次の瞬間。


 トウヤの姿が、消える。


 正確には、

 見えなくなっただけだ。


 ヴァンパイアの脚力が、

 地面を蹴り砕く。


 月明かりが、

 一瞬、歪んだ。


 ――肉薄。


 剣を構えていた男の懐に、

 一瞬で入り込む。


 拳が、

 無造作に突き出される。


 腹部。


 防御も、受け身も、

 間に合わない。


「――ぐぁッ」


 鈍い音。


 男の身体が、

 くの字に折れ曲がる。


 口から、

 血の混じった吐瀉物が溢れ落ちた。


 地面に膝をつく暇すら、

 与えない。


 トウヤは、

 次の男へ。


 跳ぶ。


 空中で、

 身体を捻り――


 拳を、振り下ろす。


 頭部。


 叩きつけられた衝撃で、

 地面が蜘蛛の巣状に割れた。


「……がっ」


 男の身体が、

 地面に沈む。


 即死ではない。

 だが、戦闘不能。


 女――ミユは、

 本能的に理解していた。


 勝てない。


 踵を返し、

 逃げようとする。


 その瞬間。


 トウヤの双眼が、

 赤く、深紅に光る。


 ――魅了の魔眼。


 視線が、絡む。


「……ぁ……?」


 ミユの動きが、

 一瞬、止まった。


 意識が、

 白く濁る。


 恐怖も、

 判断も、

 方向感覚も。


 すべてが、

 曖昧になる。


 その隙を、

 トウヤは逃さない。


 背後に回り、

 首元に、軽く手刀を入れる。


 ミユの身体が、

 崩れ落ちた。


 ――気絶。


 男たちは、

 まだ生きている。


 骨は折れ、

 内臓は損傷しているが、

 即死には至らない。


「……なるほど」


 トウヤは、

 無感情に思う。


 人類も、

 魔族も。


 この世界で、

 何かしら進化している。


 簡単には、

 死なない。


 だからこそ、

 殺し合いが成立する。


 トウヤは、

 気絶した女を抱え上げる。


 軽い。

 人間の体温が、

 腕に伝わる。


 血の匂いが、

 強くなる。


 だが――

 今は、吸わない。


 理由は、

 自分でも分からなかった。


 そのまま、

 影の中へと溶けていく。


 足音もなく、

 気配も残さず。


 去った後に残ったのは、

 月明かりと、

 砕けた地面。


 そして――

 闇の中に、

 赤い双眼の残光だけが、

 しばらく漂っていた。



 ミユと呼ばれていた女を、

 トウヤは棺桶の前まで引きずる。


 意識は、まだ戻らない。

 呼吸だけが、

 浅く、早い。


 棺桶の縁に、

 その身体を横たえる。


 距離が近づいた瞬間、

 喉が、熱を持った。


 ――血の匂い。


 考えるより先に、

 身体が反応する。


 牙が、

 無意識に伸びた。


 歯茎を押し破る感触はない。

 最初から、

 そこに在ったかのように、

 静かに露わになる。


 視界が、

 深紅に染まる。


 双眼が、

 再び赤く灯る。


「……」


 言葉は、要らなかった。


 首元に、

 顔を寄せる。


 皮膚の下で、

 脈が打っている。


 生きている証拠。


 牙が、

 皮膚を貫いた。


 女の身体が、

 びくりと跳ねる。


 そして――

 血が、流れ込んでくる。


 甘い。


 いや、

 甘いという言葉では足りない。


 フルーツのようで、

 それ以上で、

 それでも何かに似ている。


 温度。

 記憶。

 感情。


 それらが混ざり合った、

 生の味。


 喉を通るたびに、

 身体の奥が、

 満たされていく。


 同時に、

 脳の奥が、

 じんわりと痺れた。


 吸血は、

 快楽物質を分泌させるらしい。


 相手にも、

 吸う側にも。


 ミユの身体が、

 小刻みに震え始める。


 苦痛ではない。

 拒絶でもない。


 呼吸が、

 甘く、乱れる。


「……っ」


 喉の奥から、

 掠れた声が漏れた。


 トウヤは、

 一気には吸わない。


 必要な分だけ。

 殺さない程度に。


 理由は、

 まだ分からない。


 ただ、

 終わらせたくなかった。


 牙を、

 ゆっくりと引き抜く。


 血が、

 一筋、首元を伝う。


 深紅の視界が、

 徐々に戻っていく。


 胸の奥に、

 熱が残る。


 力が、

 確かに増していた。


「……なるほど」


 これは、

 捕食じゃない。


 進化だ。

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