第3話 AI100%執筆歴史小説『砂漠の奏者 (かなでて)』

以下、Aの作品です。



砂漠の奏者 (かなでて)




 天宝十二載の春、長安から続く果てしない旅路を越え、元二はようやく西州の城門にたどり着いた。

 砂の色をした城壁は沈みゆく日差しを受け、赤銅のように鈍く輝いている。吐蕃との国境が近く、商隊や兵の往来が絶えないこの地は、長安とはまるで別世界だった。強い風が砂塵を巻き上げ、遠方では駝鈴の音がかすかに響く。


 安西都護府へ赴任する途中、ほんの数日の滞在にすぎない。

 そう思っていた元二だったが、城門をくぐった途端、妙に胸騒ぎを覚えた。


 ――何かが満ちている。

 唐でも胡でもない、言葉にならぬ気配が。


 城の中央広場に足を踏み入れたとき、騒音のすべてを押し流すような響きが耳に届いた。

 琵琶である。だがその旋律は、長安で聴き慣れた雅楽とも、軍中で奏でられるものとも違う。

 空から砂粒が舞い降り、どこか遠くで駱駝が低く唸るように、深い。

 乾いた風がそのまま形になったような音色だった。


 人集りの中心に、一人の老楽人が座っていた。

 白い髭を胸元まで垂らし、瞳は琥珀色。肌は褐色に焼けている。明らかに異国の血を引いていたが、その指先の動きには迷いがなかった。


 ――この人は、何者だ。


 元二は思わず足を止めた。


 曲が終わると、老楽人は静かに目を開き、にこりと笑った。

 それは、砂漠の夕陽のように柔らかい笑みだった。


「旅の方。風の音を聴きに来られましたな」


「あなたの音に、引き寄せられました」


 元二がそう言うと、老楽人は胸の前で手を合わせた。


「わしは沙比徳(さひとく)。ソグドの血を引き、龜茲で楽を学び、この西州で半生を過ごしてきました。

 唐に仕えたこともあれば、胡人の商隊に同行したこともある。

 砂漠を渡る者の音、それだけを追い求めております」


「沙比徳……」


 名を口にした瞬間、元二は胸の奥に淡い熱が灯るのを感じた。

 唐と胡、そのいずれにも寄り切らない存在。

 まるでこの西域そのものの象徴のように思えた。


「あなたの音は……何と言うか、境を越えてくる感じがするのです。唐の楽とも、胡の楽とも違う」


「境など、風が吹けば砂のように消えるものですよ、元二殿」


 老楽人はそう言うと、目を細めた。


 ――なぜ、自分の名を?


 驚く元二に、沙比徳は楽しそうに笑った。


「旅装で官人の札を下げておられる。安西へ向かう者なら、役所に名が届いておるのです」


「なるほど」


「だが、あなたは長安の人らしからぬ眼をしている。

 境のものを恐れず、ただ身を委ねるような……わしの音に似ておる」


 元二は返す言葉を失った。

 この老楽人は、人の心を読むように語る。


 沙比徳は再び琵琶を抱えた。


「元二殿。よければ、また聴きに来てください。

 じきに、この西州で小さな祭りがある。そこが、わしの最後の舞台になるやもしれんでな」


 老楽人はどこか悲しげな微笑を浮かべた。

 胸の奥に、言葉にできないざわめきが残った。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 役所に顔を出した翌日、元二は持ち前の観察眼で西州の空気を感じ取っていた。

 唐の旗が掲げられているものの、街を行き交う多くは胡人で、言葉も衣も混ざり合っている。

 だが、それらの彩りの背後に、ひっそりとした緊張が漂っていた。


 役所内では、胡楽を排斥しようとする声が高まっている――そんな話を聞いた。

 そして、それを主導しているのが「ある武官」だと言う。


 名は知られていない。

 ただ「唐の威信」「胡の排撃」と声高に叫ぶ、武断派の男らしい。


 翌日、その武官本人を目にした。

 役所の廊下で、兵士たちを叱責する声が響いていた。


「胡の楽など聞くな! 吐蕃の文化の臭いが染みついておる!

 どれだけ唐を蝕めば気が済むのだ!」


 その目は血走り、怒りが全身から溢れ出している。

 元二は思わず眉をひそめた。


「おや、あなたが長安から来たという元二殿ですか」


 武官が振り返り、ねっとりとした視線を向けてくる。


「西州では気を付けていただきたい。ここは国境だ。

 油断すれば、胡の毒気に当てられる」


 元二は深く礼をして立ち去った。

 だが背に突き刺さるような視線を、いつまでも感じていた。


 この男は……危うい。

 胡楽排除を理由に、何をしでかすか分からない。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 しばらくして、沙比徳は元二を訪ねて役所近くの茶屋に現れた。

 老楽人は少し疲れた顔をしていた。


「祭りは中止になるやもしれん」


「どうしてです?」


「役所の連中が、胡楽を邪教のように扱い始めた。

 とりわけ、あの武官がの……」


「やはり、彼が」


「元二殿。わしは長く生きたが、人は“境を越えるもの”を恐れるものじゃ。

 風に揺れる布の色だけで、敵味方を決めてしまう」


 沙比徳は細い指で茶碗を撫で、遠くを見るように目を細めた。


「若い頃、わしは吐蕃の軍勢の影から逃げ回っておった。

 唐の兵も、胡の商人も、誰も信じられぬ頃があった」


 そう言う沙比徳の横顔は、風に削られた岩のように深い皺が刻まれていた。


「それでも、音だけは裏切らんかった。

 音はどこの国にも属さぬ。人と人をつなぐだけじゃ。

 だから、わしは最後の舞台に立ちたいのだ」


 元二は迷いなく言った。


「あなたが舞台に立てるよう、私が動きます」


 沙比徳の瞳が揺れた。


「元二殿……あなたは不思議な人だ。

 唐の官人でありながら、唐の鎧を着ておらぬ」


「私は……まだ、自分が何者なのか分かりません。

 だからこそ、境を越えるあなたの音に惹かれるのかもしれない」


 老楽人は深く頷いた。


「人は皆、狭間をゆく旅人じゃよ」


 


 ◇ ◇ ◇


 


 その夜、事件が起きた。


 沙比徳が、何者かに襲われたという報せが役所に届いた。

 元二が駆けつけると、老楽人は祭りの舞台裏の倉庫で倒れており、衣が血に染まっていた。


「沙比徳さん!」


 元二が抱き起こすと、沙比徳は息を荒げながら微笑んだ。


「大した傷ではない……わしはまだ、奏でられる」


「誰がやったのです。吐蕃の者ですか?」


「さあの……顔は見られんかった。

 だが、祭りを中止しようとする者にとって、わしは邪魔なだけじゃ」


 その言葉に元二の背筋が冷えた。


 ――まさか、あの武官が?


 翌朝、武官は役所で怒号を飛ばしていた。


「ほれ見よ! 胡楽が災いをもたらすのだ!

 祭りは即刻、中止とする!」


 集まった役人たちが沈黙に包まれる中、元二は声を挙げた。


「沙比徳殿は西州の民に愛されています。彼に罪はない」


「愛されている? 胡の者がか? 笑止!」

 武官は鼻で笑い、唾を吐いた。

「西州を危うくするのは敵か味方かも判断できぬ愚か者どもだ」


 その目は狂気の色を帯びていた。


 ――このままでは、本当に音楽祭は潰される。


 元二は拳を握りしめた。


 沙比徳の命は、風前の灯火だ。

 だが、あの人の最後の願いを、ここで折らせるわけにはいかない。


 


 ――私は……何を守るべきなのだ?

 唐か。

 安西の任か。

 それとも。


 胸の奥で、未知の答えが静かに形になりつつあった。


 そして、祭り当日の朝が訪れる――。


 祭り当日の朝――西州の空は、驚くほど澄み渡っていた。

 昨日まで砂塵を巻き上げていた風も止まり、青空がどこまでも続いている。

 まるで、何かを待ち構えるように。


 役所からは、正式に「音楽祭中止」の布告が出されていた。

 広場には兵士が巡回し、舞台には柵が設けられている。


 ――だが、それでも人々は集まってきた。


 夜明けとともに、胡商の家族が、農民が、旅人が、

 まるで風に吹かれる砂のように自然に、広場へ歩み寄ってくる。


 彼らは、誰に命じられるでもなく、舞台の周囲に輪を広げていく。

 祭りの布告など、最初からなかったかのように。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 沙比徳の家を訪れると、老楽人は薄い布団に身体を横たえていた。

 怪我は浅いと言ったものの、その顔色はひどく青ざめている。

 元二が近づくと、沙比徳はゆっくりと上体を起こした。


「元二殿……すまぬが、手を貸してくれんか」


「舞台に行くのですか?」


「うむ。わしは、まだ終わっておらん」


 その声は弱々しいが、芯だけは折れていない。

 元二の胸が熱くなった。


「お支えします。……さあ、行きましょう」


 老楽人は震える手で琵琶を抱えた。

 それは長年使い込まれ、木肌は艶を失い、弦は細く伸び切っている。

 だが、彼にとっては魂そのものだった。


 元二は沙比徳を背負い、外へ出た。

 乾いた風が頬を撫でる。


「西州の風よ……どうか、今日だけは静かに吹いておくれ」


 沙比徳が呟くと、風は不思議と弱まり、埃はまったく舞い上がらない。

 まるで天までもが、この日を祝福しているようだった。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 広場へ向かう途中、すでに人々のざわめきが聞こえていた。

 舞台の周りはびっしりと埋まり、誰もが舞台を見つめている。

 その視線は、期待と祈りが入り混じったものだった。


 元二が進むと、民衆の中に道が開いた。


「沙比徳だ……!」

「老楽人が来たぞ!」

「怪我をしているのに……本当に来てくれた!」


 人々の声が小さな波のように広がる。

 表情は喜びと涙でいっぱいだ。


 だが、その群衆をかき分けるように、甲冑の音が近づいてきた。


「そこを通すな!」


 武官が怒りを露わにして現れた。

 その後ろには、武装した兵士たちが数名控えている。


「祭りは中止だと布告したはずだ。

 それなのに、貴様らは反乱でも起こすつもりか!」


 群衆はざわめき、兵士たちが威嚇するように槍を構える。


 武官は元二を指差した。


「元二、貴様は唐の官人の身でありながら、胡の者に肩入れするとは何事だ!」


「沙比徳殿は胡でも唐でもありません。この西州の民です」


「黙れ! この地を乱す音など不要!」


 武官の叫びは、怒りと恐怖に染まっていた。

 彼の中には、唐への忠誠心以上に、文化の違いへの怯えがあった。


 元二は前に出て、民衆の前に立った。


「皆さん……私に、沙比徳殿を舞台に上げさせてください!」


 その声に呼応するように、民衆が一斉に動いた。

 一歩、二歩と前に出て、武官らの前に立ちはだかる。


「どかぬか!」

 武官が怒り狂って剣を抜こうとする。


「やめなさい!」


 元二は叫んだ。


「この人々は武器を持たない。

 ただ、音を聴きたいだけだ。

 音を求める者に剣を向けるのですか!」


 武官の手が止まる。

 民衆の中から、老女が震える声で言った。


「沙比徳の音は……毎晩、私の子を眠らせてくれたんだよ」

「唐人も胡人も関係ない。西州の人間なら、誰もが彼の音を知っている」

「あの音がないと……この街は砂ばかりになってしまう」


 武官は、言葉を失った。


 その隙に、元二は沙比徳を舞台に上げた。

 舞台の上には、昨日までの騒動が嘘のような静けさがあった。


「元二殿……背中を降ろしてくれてよい」


 老楽人は震える手で立ち上がり、ゆっくりと夜空を見上げた。


「さて……最後の音を、奏でようかの」


 


 ◇ ◇ ◇


 


 沙比徳が弦に指を置いた瞬間、広場は完全な静寂に包まれた。


 第一の音は、低く、深い。

 砂漠の底から湧き上がる、遠い遠い響き。


 二つ目の音は、高く、澄んでいた。

 青空を渡る風が弦をかすめるような。


 三つ目の音は、どこか懐かしい。

 唐の旋律の影が見え隠れする。


 そして、曲はゆっくりと進み始めた。


 ――それは、旅の歌だった。


 唐の都を出て、西域の道を歩き、風に吹かれ、夜に震えながら、

 それでも前へ進む者の歌。


 どこの国にも属さず、ただ人の心だけを結びつける歌。


 元二は胸が熱くなり、涙が溢れそうになった。

 まるで、自分自身の旅そのものを聴いているようだった。


 沙比徳の指は震えながらも確かで、

 一音一音が西州の空に吸い込まれてゆく。


 最高潮に達した瞬間、風がふっと吹いた。

 その風が、琵琶の弦を揺らし、音が空へ解き放たれる。


 広場にいる誰もが息を呑んだ。


 その音は――

 唐でも、胡でも、吐蕃でもない。


 ただ「この地に生きる者たち」の音だった。


 最後の弦を弾き終えたとき、沙比徳は静かに目を閉じた。


「ありがとう……」


 そう呟いた次の瞬間、彼の身体はふっと崩れ落ちた。


「沙比徳さん!」


 元二が駆け寄り、抱きとめる。


 老楽人は薄く笑い、震える声で囁いた。


「元二殿……知っておいてほしい。

 わしは昔……ほんの少しだけ、吐蕃の密偵であったことがある」


 元二は絶句した。

 広場全体が凍りついたように静まり返る。


「どうして……そんなことを」


「妻と子を……吐蕃に奪われた。

 国境の争いに巻き込まれ、生きるために……従うしかなかった」


 沙比徳は苦しげに息をつき、続けた。


「だが、わしは誰も売らなかった。

 ただ、旅商のふりをして、音を運ぶ役目だけを負った。

 唐にも胡にも馴染めず……

 わしの帰る場所は、音だけじゃった……」


 その目には涙が滲んでいた。


 ――最も西州に愛された老楽人が、かつて密偵だった。


 その事実は、武官も民衆も、誰にとっても衝撃だった。


 だが。


 泣き出したのは、最初に子どもだった。

 つづいて母親が泣き、

 その隣の老人が泣き、

 やがて広場のあちこちから嗚咽が漏れ始めた。


「沙比徳は……私たちのために弾いてくれたじゃないか」

「密偵だったから何だ。あの音に嘘があったか?」

「わしらは音に救われた。沙比徳は西州の誇りだ」


 武官は何か言おうとして口を開いたが、

 言葉は一つも出てこなかった。


 元二は、沙比徳の手を握りしめた。


「あなたの音は……この西州そのものです。

 誰が何と言おうと、それは変わりません」


「元二殿……ありがとう……」


 その言葉を最後に、老楽人の手が静かに力を失った。


 琵琶の弦が、一度だけ震えた。

 まるで、沙比徳の魂が風に乗って旅立っていくように。


 


 ◇ ◇ ◇


 


 翌日。

 元二は安西へ向かう旅支度を整えた。

 沙比徳の家族はいない。

 近隣の人々が協力して、小さな葬儀が執り行われた。


 そして、沙比徳の遺品となった琵琶が、元二に託された。


「これは……私が持っていていいのでしょうか」


「沙比徳が望んでいたそうです」

 商人の男が言った。

「“狭間を歩む者に渡してほしい”と」


 元二は静かに頷いた。


 旅路へ踏み出すと、風が琵琶の弦をかすかに鳴らした。


 ――風よ。


 それは、沙比徳が生涯奏で続けた音に、確かによく似ていた。


 元二は空を見上げ、深く息を吸った。

 唐と胡、その狭間を歩む人々。

 争いの中で、境界の揺らぎに怯える者たち。

 そして、境界の両側を結ぶ者たち。


 沙比徳は、その一人だった。

 そして自分もまた、その道を歩く者なのだと気づく。


「……安西で、私は何をすべきなのか」


 風が答えるように吹いた。

 琵琶の弦がまた小さく鳴る。


 その音を胸に刻み、元二は砂漠の道を進んだ。

 遠く、地平線の彼方へと伸びる、その果てしない道へ。


 その旅はきっと、

 沙比徳が残した「狭間の音」の続きを探すものになるだろう。


 元二は、歩みを止めなかった。

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