第8話(後編) 狂犬お市様は、労働者をつのる ――治水は力。名産はついで。握手は最強。――
狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)
天文十六年(西暦1547年)正月二十日 冬
尾張国・中村郷/庄内川(しょうないがわ)河原・中洲
中村郷の冬は、冷たい。
庄内川の風は骨まで刺すし、河原の土は朝からカチカチだ。
……なのに。
「よいか、中村衆! 冬の間に治水を終わらせるぞ!」
深紅の旗の下、馬上の**狂犬お市様(十一歳)**が、やけに晴れやかな顔で叫んでいた。
世界一の美貌が、冬の日差しでキラキラしている。
村人たちは、キラキラを見て一瞬うっとりし、次の瞬間、現実で凍った。
「……治水……?」
「正月から……?」
「冬に川工事……?」
「死ぬて」
私(桃)は筆を持ったまま、胃が縮んだ。
隣では藤吉郎殿が、目が死んでいるのに、脳だけが生きている顔をしている。
(藤吉郎殿は、今日も姫様の意図を必死に理解しようとしている。
逃げたいのに、考える。つらいのに、学ぶ。すごい。かわいそう。)
■ 狂犬治水工事、開幕(雑)
お市様は、河原に立つ村人衆を見渡して、指示を矢継ぎ早に飛ばした。
「まず中洲じゃ。庄内川の中洲を“畑にする”」
村人「「「中洲は川のもんだが!?」」」
「川のもんを、わらわが畑にする。よいな」
村人「「「よくない!!」」」
お市様は首を傾げた。
「……なにがよくない?」
村の長が震えながら言う。
「姫様……中洲は増水で流されます……」
お市様は、さらり。
「だから治水じゃろ?」
村人「論理が鉄拳すぎる!」
藤吉郎殿が、慌てて補足した。
「皆、聞いてくれ! 中洲をそのまま畑にするんじゃない!
まず、**護岸(ごがん)**を作る! 土手を“低く広く”して、流れを受け流す!」
村人「ほう……」
藤吉郎殿は地面に棒で図を描く。
「庄内川は、春先に増水しやすい。
流れを一点に集めると崩れる。だから“逃がす”」
お市様「うむ。合気の理じゃ」
村人「川に合気道を混ぜるな!」
お市様は満足そうに頷くと、次の指示。
「次に、水路を引く。庄内川から水田へ、水を通せ」
村人「水路は大工事です!」
「大工事を、冬に終わらせる」
「冬に終わらせる!?」
お市様は、豊臣号の首を撫でながら言った。
「春は田植え。夏は草取り。秋は収穫。
忙しい時に工事してどうする。
冬にやれ。冬が一番ヒマじゃろ」
村人「冬は命が一番ヒマになる!!」
■ 巨大な溜め池(遊水池)を作れ(雑)
お市様は、川沿いの少し低い土地を指差した。
「ここに溜め池を作る」
村人「ためいけ……?」
「そうじゃ。遊水池にする。
増水したらここで受け止め、落ち着いたら庄内川へ戻す」
村人「……そんなこと、できるんですか?」
お市様は胸を張った。
「できる。わらわが言うた」
村人「根拠が狂犬!」
藤吉郎殿が、また必死に頭を回す。
(……姫様の狙いは、洪水対策だけじゃない)
(溜め池ができたら、灌漑(かんがい)が安定する)
(水が安定すれば、米が増える)
(米が増えれば、余りが売れる)
(売れれば銭になる)
(銭があれば、さらに設備が整う……)
藤吉郎殿は、村人に向けて言った。
「溜め池は“保険”だ! 水が足りない年も、増水の年も、村を守る!」
村の長が唸る。
「……確かに、庄内川は時々暴れる……」
お市様が嬉しそうに言った。
「暴れるなら、躾ければよい」
村人「川を犬扱いすな!」
■ 溜め池で鯉とスッポンを育てよ(雑)
お市様は続けて、軽いノリでとんでもないことを言った。
「溜め池では鯉を育てよ。スッポンも育てよ」
村人「す、すっぽん!?」
「名産にせよ」
村人「名産はそんな軽く生まれません!!」
お市様は、さらりと藤吉郎殿を見る。
「藤吉郎、指示じゃ」
藤吉郎殿「はい……(もう逃げられぬ)」
お市様「鯉は“泥臭い味”にならぬよう、水草と餌を管理せよ。
スッポンは逃げる。柵を作れ。逃げたら捕まえよ」
藤吉郎殿「逃げたらどうやって……」
お市様「走れ」
藤吉郎殿「雑!!」
私(桃)は思った。
溜め池が完成する前に、藤吉郎殿の魂が干上がる。
■ 人が足りない? なら“握手”で釣れ(雑)
工事は始まった。
だが当然、人手が足りない。
村の男衆は、鍬と籠を持って土を運び、
女衆は温かい汁を作って運び、
子供は走り回って邪魔をする。
そして、藤吉郎殿は気づく。
「……姫様、これ、人が足りません……!」
お市様は即答した。
「なら集めよ」
藤吉郎殿「どうやって!?」
お市様は、ニヤリと笑った。
「尾張の村へ伝えよ。
“狂犬お市様が呼んでいる”
“お市様が握手してくれる”
とな」
藤吉郎殿「……握手!?」
お市様「男はみな寄ってくる」
村人「姫様、握手を“募集要項”に入れるのやめて!!」
私(桃)「……胃が痛い……」
お市様は不思議そうに首を傾げた。
「なぜじゃ。握手は慈悲であろう?」
村人「慈悲が労働者勧誘に使われてる!!」
藤吉郎殿は、頭を抱えた。
「……でも……来る……たぶん、来ます……」
(藤吉郎殿、納得してしまった!)
■ 握手会の地獄:男ども、集まる
三日後。
中村の河原に、見たことのない男どもが増えた。
近所の村から、遠い村から、なぜか清洲城下の職人見習いまで。
男A「お市様が……握手してくれると聞いて!」
男B「ついでに川工事もあると聞いて!」
男C「握手が本体で、工事がオマケですよね!?」
藤吉郎殿「オマケが命がけだよ!!」
お市様は、馬上でにこやかに手を振る。
「よく来た。握手じゃ」
男ども「「「うおおおおお!!」」」
私は目の前の光景を、筆が震えながら書き留めた。
――握手会(治水工事付き)
藤吉郎殿が小声で言う。
「……姫様、これ、宗教です……」
私「分かります……」
お市様「宗教ではない。事業じゃ」
私「もっと怖い!!」
■ 藤吉郎、考える:ただの工事じゃない
工事が進むにつれ、藤吉郎殿は、姫様の“雑な指示”の裏側を見つけ始めた。
溜め池周りの土を固めながら、藤吉郎殿が呟く。
「……この人手、川工事が終わったらどうするんだ?」
私「どうするのでしょう……」
藤吉郎殿「たぶん……溜め池ができたら、養魚。
中洲が畑になったら菜種。油。
水路が通れば米。
……全部、“仕事”が生まれる」
私「……人を集めたのは、工事のためだけじゃない?」
藤吉郎殿「……村に“回る仕組み”を作るためだ」
その瞬間、藤吉郎殿の目が少しだけ輝いた。
怖がりながら、憧れている。
(姫様みたいに、わしも“仕組み”を作れる男になりたい)
そういう顔だ。
だが次の瞬間――。
■ 藤吉郎実家、武家屋敷化計画(勝手に)
お市様が、藤吉郎殿の実家を見て言った。
「この家、狭いの」
藤吉郎殿「狭くないです!普通です!」
「普通はつまらぬ。改装せよ。武家屋敷仕様じゃ」
藤吉郎殿「えっ」
お市様は、いつの間にか集まっていた大工に命じた。
「門を作れ。塀を作れ。庭を整えよ。母屋を広げよ。
それと、旗をもっと映える位置に」
仲殿(母)「ちょっと待ってください姫様!うちは百姓です!」
お市様「今日から武家じゃ」
仲殿「今日から!?!?」
藤吉郎殿が泣きそうな顔で叫ぶ。
「姫様!勝手に家を武家屋敷にしないでください!母上が倒れます!」
お市様は真顔で言った。
「倒れたら診る」
藤吉郎殿「医者理論で押し切るな!!」
仲殿が、額に手を当てた。
「……藤吉郎……あんた……どこでこんな姫様と……」
藤吉郎殿「わしも分からん……気づいたら……」
私(桃)「胃が痛い……」
お市様「桃、胃が痛いなら、十二番じゃ。蜂蜜食え」
「私の胃は政策で治せない!」
■ それでも工事は進む:中村が変わる音
夕方。
河原には土の匂いと、薪の煙と、汁物の香りが漂う。
庄内川の流れは冷たいが、人の熱はそこにあった。
広場では、男衆が土を運び、女衆が炊き出しをし、子供は竹で遊んでいる。
騒がしい。だが、生きている音だ。
藤吉郎殿は、泥だらけの手で顔を拭い、ふとお市様を見上げた。
お市様は豊臣号の上から、工事全体を眺めている。
その横顔は、子供のようでもあり、領主のようでもあり――
何より、楽しそうだった。
藤吉郎殿は呟く。
「……姫様は、村を“強く”したいんだ」
私「……そうですね」
藤吉郎殿「わしも、姫様の雑な指示を……知恵に変えて、回る形にする」
私「……藤吉郎殿、偉いです」
藤吉郎殿「でも頭が痛い」
私「私も胃が痛いです」
二人で、深くため息をついた。
その背後から、お市様の声。
「なにをしておる。休むな。
水路は友だち。堤は恋人。土は家族じゃ」
藤吉郎殿「全部重い!!」
◉桃の感想(祐筆として)
・治水工事が始まった。冬の庄内川は冷たい。胃も冷たい。
・お市様は「中洲を畑にする」と軽く言うが、村人の人生がかかっている。
・藤吉郎殿は、雑指示の裏を必死に読んで“仕組み”に変えようとしている。すごい。かわいそう。
・労働者募集の方法が「握手してくれるぞ」は、尾張史に残る狂気。
・藤吉郎殿の実家が勝手に武家屋敷化しはじめた。仲殿が強いのが救い。
・私の胃は、蜂蜜で治ると言われた。治る気がしない。
◉桃の日記(狂犬記/作者:桃)
天文十六年(西暦1547年)正月二十日 冬
本日より、狂犬お市様指揮のもと、中村郷にて治水工事が本格開始。
庄内川中洲の護岸整備、水路引き、巨大溜め池(遊水池)造成が進行中。
溜め池では鯉とスッポンを育て、中村名産にせよとのこと。
人手不足に対し、お市様は
「尾張の村へ“お市様が呼んでいる”“握手してくれる”と伝えよ」
と命じ、実際に男どもが集まった。
握手会(治水工事付き)である。世も末である。
藤吉郎殿は、お市様の雑な指示を必死に読み解き、
順番と仕組みに落とし込もうとしている。
学びに変える姿勢は尊いが、頭痛が続いている。
なお藤吉郎殿の実家は、勝手に武家屋敷化が始まった。
仲殿(母)が最強なので、たぶん持つ。
私は胃が痛い。蜂蜜では治らない。
――以上。
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