第4話「最強生物と害獣対策」

 目の前に、山のようなドラゴンがいる。

 羽ばたき一つで嵐が巻き起こり、俺が丹精込めて作った小屋がミシミシと悲鳴を上げている。

 普通の人間なら、腰を抜かして命乞いをするか、恐怖で失禁するところだろう。

 だが、俺の頭の中を占めていたのは、恐怖ではなかった。

「おい、風圧でトマトの苗が倒れるだろうが!」

 怒りだった。

 俺の一週間分の汗と涙の結晶である畑が、このトカゲのせいで荒らされようとしている。

 その事実が、伝説の生物への畏怖を上回った。

 俺は無意識のうちに、トマトを背に隠すように立ちはだかった。

『……ホウ?』

 ドラゴンが目を細める。

 その巨大な顔が、俺の鼻先数メートルのところまで近づいてきた。

 熱い吐息が吹きかかり、硫黄の匂いがする。

『我ニ向カッテ、吼エルカ。虫ケラガ』

「虫ケラじゃない、農家だ! ここはお前の餌場じゃない、俺の畑だ!」

 俺はクワを構えた。

 相手は体長五十メートルはあろうかという巨体。

 錆びついたクワ一本で勝てる相手ではないことは百も承知だ。

 だが、農家にとって畑は命。

 害獣に荒らされるのを黙って見ているわけにはいかない。

 ドラゴンは俺の言葉に興味を持ったのか、あるいは呆れたのか、低い喉音を鳴らした。

『オモシロイ。ダガ、我ハ空腹ナノダ。ソコノ赤イ実、ソレカラ漂ウ魔力ニ惹カレテ来タ』

 やはり狙いはトマトか。

 俺が作った魔蜜トマトの香りは、数キロ先まで届くほど強烈だ。

 ドラゴンの鋭い嗅覚なら、遥か彼方からでも嗅ぎつけただろう。

「これは俺が作ったんだ。タダでやるわけにはいかない」

『貴様ヲ喰ラッテ、ソノ後デ畑ヲ食い荒ラシテモ良イノダゾ?』

「そんなことしたら、二度とこの美味いトマトは食えないぞ」

 俺はハッタリをかました。

 いや、ハッタリではない。

 俺がいなくなれば、この畑は枯れる。

 品種改良された作物は、俺の魔力供給なしでは維持できないように調整してあるからだ。

「このトマトは、俺の特別な魔法がないと育たない。お前が俺を殺せば、ここにある分だけで終わりだ。だが、俺と取引すれば、毎日腹一杯食わせてやる」

 ドラゴンがピタリと動きを止めた。

 金色の瞳が俺を値踏みするように見下ろす。

『取引、ダト? 人間風情ガ、我ト対等ニ話セルと思ウテカ』

「対等じゃなくていい。生産者と消費者だ」

 俺は背中に隠していたトマトを一つ取り出し、放り投げた。

 ドラゴンは首を伸ばし、その巨体にはあまりに小さな赤い実を、器用に空中でパクりと受け止めた。

 咀嚼する音。

 ゴクリと飲み込む音。

 静寂。

 次の瞬間、ドラゴンの瞳がカッと見開かれた。

『ナ、ナンダコレハ……!?』

 地響きのような声。

『甘イ……濃厚デ、且ツ爽ヤカ……! 体内デ魔力ガ暴レ回ル……! カツテ喰ラッタ、ドラゴンスレイヤーノ肉ヨリモ、遥カニ美味!』

 ドラゴンが身悶えする。

 どうやら、お気に召したらしい。

 俺のトマトは、最強生物の舌すらも唸らせる出来栄えだったようだ。

『モットダ! モット寄越セ!』

「待て待て、落ち着け!」

 興奮したドラゴンが顔を寄せてくる。

 涎が滝のように落ちてきて、畑が水浸しになりそうだ。

「やるから! その代わり、条件がある!」

『条件ダト!? 早クイエ!』

「畑を荒らすな! 風圧を抑えろ! そして――」

 俺はニヤリと笑った。

 この状況、ピンチだがチャンスでもある。

 こんな強力な生物、ただ追い返すのはもったいない。

「俺の畑の警備員になれ。そうすれば、毎日好きなだけ野菜を食わせてやる」

 ドラゴンは一瞬、呆気にとられたような顔をした。

 古のドラゴンに対して、番犬になれという提案。

 不敬極まりない。

 だが、その口の中にはまだトマトの余韻が残っているはずだ。

『……ククッ、クハハハハ!』

 ドラゴンが大笑いした。

 空気が振動し、俺の鼓膜がビリビリと震える。

『イイダロウ! 我ヲ番犬扱イスルトハ、イカレタ人間ダ。ダガ、ソノ味ハ本物。契約シヨウ。我ノ名ハヴァルニグ。貴様ノ畑ハ、我が守護スル』

 こうして、俺の農園に最強の害獣改め、最強の用心棒が誕生した。

 名前は呼びにくいので、勝手に「ベル」と呼ぶことにした。

 本人は不満そうだったが、追加のトマトを口に入れたら大人しくなった。

 餌付け完了だ。

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