第四章:再会の戦場、あるいはカクヨムという名の映画館

 深夜二時。僕の部屋を支配しているのは三十五ミリフィルムを回す映写機の音でも、ゴリラの排気音でもない。冷却ファンの微かな唸りと、静寂を切り裂くキーボードの打鍵音だけだ。

 青白いディスプレイの光が僕の顔を照らしている。その光景は、二十四時間稼働する潜水艦のようだったあの編集室で、ビューアーの前に座っていた自分と、驚くほど似ている。

 僕は今、カクヨムという名の巨大で目に見えない映画館の前に立っている。

 振り返ってみれば、僕の人生は一貫して「何かを手にする」ことの繰り返しだった。最初は自習時間の教室で震えながら握った、消しゴムガード付きのバタフライナイフ。次は夜行バスに乗って東京へ運び込んだ、安物のギター。そして暗い編集室で、物語の運命を決定づけるために握りしめたデルマと紙縒こよりと白手袋。

 それらの道具は、ある時は重すぎ、ある時は鋭利すぎ、ある時は巨大なシステムの一部だった。僕はそれらを器用に使いこなせず、そのたびに「自分は決定的な粒子になれなかった」と波の底へ沈み込んでいった。

 けれど今ならわかる。

 あの時流した冷や汗も、東京のネオンの下で味わった孤独も、スプライシングテープで繋ぎ損ねたフィルムの断片も、すべてはこの文章へ向かうための伏線だった。

 人生という名の映画には、無駄なカットなど一つも存在しない。

 たとえそれが世間から見れば「挫折」や「遠回り」と呼ばれるシーンであったとしても、物語の全体像を観測する視座に立てば、それらはすべて、エンディングの感動を増幅させるための必要なプロセスに過ぎない。

 僕は時々、投稿した直後の画面を、必要以上に見つめてしまう。更新マークが回り、数字が静かに増減する。読者の反応は、心拍みたいに小さな波を打つ。たった一つの「いいね」は、物理学的に言えば取るに足らない粒子だ。けれど僕にとっては、観測の証拠になる。誰かの視線が、僕の文章に一度触れた。その事実だけで、世界はほんの少しだけ形を変える。僕はそういう種類の人間だ。

 五十を過ぎて、「一発当ててやる」と本気で公言するのは、客観的に見れば正気の沙汰ではないかもしれない。

「いい加減、現実を見ろよ」

 そんな正論という名の重力が、僕を地面に引きずり込もうとする。けれど僕は知っている。

 現実とは固定された硬い岩盤ではない。それは観測者の意志によって、いくらでも形を変える不確実なキャンバスなのだ。

「中二病」を拗らせ続けること。それは自分の人生という物語の主導権を、決して他人に渡さないという宣言でもある。

「一発当ててやる」と本気で思えること。

 その瑞々しいまでの傲慢さこそが、僕の人生を肯定する唯一の光だ。

 僕がキーボードを叩くたび、かつて開けなかった銀色の翼が、デジタルな文字となって画面上を舞い上がる。僕は今、人生で初めて、消しゴムのついていない「真実の言葉」を振り回している。

 カクヨムの投稿ボタンの上に指を置く。

 これは一人の男が世界に対して放つ、新たな観測の始まりだ。

 もし、この物語を読んでいるあなたの宇宙が、少しだけ揺らいだとしたら。

 僕とあなたの意識が交差し、新しい世界線が生まれた証拠だ。

 僕は満足げに一つ息を吐き、エンターキーを打ち抜く。

 その音は、あの日、教室の片隅で夢見た「カチャリ」という完璧な金属音よりも、ずっと高く、清らかに響いた。

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