第二章:Jailhouse Rock ― 監獄からのエレキギター
小学生の八〇年代前半は、テレビの影響でアイドルが全盛だった。田原俊彦、近藤真彦、野村義男、シブがき隊や少年隊。松田聖子、中森明菜、小泉今日子。彼らの放つ眩しすぎる光は、僕たちの世代にとっての共通言語だった。僕は近藤真彦が好きで、「ギンギラギンにさりげなく」のメロディを必死に覚えた。『ザ・トップテン』や『ザ・ベストテン』は週に一度の聖書だった。
けれど中学生になると、十三歳の少年にとって音楽は単なる消費物から「憧れ」へと変質していった。完成された虚像としてのアイドルから、より生々しく不完全なロックへ。サザン、ブルーハーツ、バービーボーイズ、レベッカ。彼らの歌には、僕たちの閉塞感を破る何かが宿っているように思えた。
夜、布団の中でラジカセのイヤホンを耳の奥に押し込んで聴くと、世界の輪郭が少しだけ柔らかくなる瞬間があった。あの硬い教室の空気が、音楽の分だけほぐれていく。ほんの数分、僕は別の自分になれた。別の自分というより、まだ決まっていない自分、と言ったほうが正確かもしれない。
中学三年生の頃、僕は同級生のアダチとアキラと、「高校になったらバンドを組もうぜ」と約束を交わした。それは坊主頭の重力圏から脱出するための、秘密の誓約だった。
高校入試の際、僕は新設される「福島南高校」へ行くことを決めた。福島市には東西南北で「南」だけが欠けていた。先輩のいない新設校。そこには過去のしがらみに縛られない自由がある気がした。倍率は県内でも最高ランクだったが、僕はなんとか合格し、アダチやアキラもそれぞれの場所で高校生になった。
この頃から僕の左手はクラシックギターを離れ、エレキギターという名の機械的な楽器を求め始めた。小学校二年生からクラシックギターを習っていたという薄い自負があった僕は、エレキなど余裕で弾けるだろうと高を括っていた。
だが、現実は甘くなかった。
ナイロン弦とは違い、エレキの弦は針金のようなニッケルでできていた。フレットは細く、指先にはこれまで経験したことのない鋭い痛みが走る。チョーキング、ピッキングハーモニクス、速弾き。クラシックの文法には存在しないテクニックの数々に、僕は戸惑いと挫折感を味わうことになった。
それでも、バンドは始まった。
リーダーの僕、ベースのアダチ、ボーカルのアキラ、そして「チャーボー」と呼ばれたドラムのカトウ。高校がバラバラだった僕たちは、街中の貸しスタジオを割り勘で借り、時にはチャーボーの知り合いの会社の倉庫を秘密基地のようにして練習に励んだ。
僕たちが対峙したのは音楽だけではなかった。「森企画」という名の、大人たちの商売の論理だ。普通のアパートの一室に集められた高校生バンドのリーダーたち。そこには二十代の森という男がいて、ニコニコ笑いながら「四万円の参加費」と、それを回収するための「六万円分のチケット」を僕たちに手渡した。
今考えれば未成年の熱量を利用した冷酷な商売だった。だが当時の僕たちには、それが「ステージ」という名の聖域へ昇るための唯一の階段に見えた。僕たちは自腹を切り、友人にチケットを売りさばき、自分たちで重いスピーカーを運び、コードを巻いた。
最初のライブ会場は、福島市文化センター小ホールだった。八百人が入るその空間は、僕たちにとっての「宇宙」だった。
アイアンメイデンやアンセムに心酔していた僕たちが、ステージの最後に選んだ曲は、モトリー・クルーがカバーした『Jailhouse Rock』――監獄ロックだった。
練習中、ベースのアダチが言った言葉を、僕は今でも覚えている。
「俺バカだからさ、人より何倍も練習しないと上手くならなくてさ」
その謙虚さは、クラシックギターの経験という薄っぺらなプライドにしがみついていた僕の心を揺さぶった。コツコツと自分の足元を見つめて練習する者こそが、本当の強さを手に入れる。僕は十六歳にして、そんな単純な真理を知った。
ライブ本番。四〇〇人の客を前に、僕たちは無我夢中で音を放った。出来は決して褒められたものではなかっただろう。けれど、あの瞬間に身体を突き抜けていた震えは、僕にとって紛れもない「本物の現実」だった。
その後、僕は十七歳で音楽大学を目指し、再びクラシックギターを手にする。パガニーニをギターで奏でようと、音楽室で倉本先生の指導を仰ぎ、クラスメイトの前で演奏させられるという気恥ずかしい儀式をくぐり抜けた。だが結果は不合格だった。
壁にぶつかり、脆く崩れ去った僕は、仙台の早稲田予備校で浪人生活へ突入する。寮生活の中で僕は自分の「だらしなさ」や「甘さ」を絶望的に理解し始めた。だが、そんな僕を救ったのは予備校講師たちが語るアウトローな生き様だった。現代文の川島先生、英語の河村先生。彼らが教えてくれた文学や映画の世界は、僕にとっての新たな避難所になった。
受験勉強を放り出し、一日三本の映画を観続け、ドストエフスキーの罪と罰、村上春樹の小説に出会った浪人三年目。気がつけば僕は二十歳を過ぎていた。
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