第4話
最終評価の日。
私は施設を「卒業」した。
外の世界は、整いすぎていた。
電車は定刻通りに走り、人々は適切な距離で立ち、誰もが必要な分だけ微笑んでいる。
駅の大型モニターには、天気予報と並んで表示があった。
《本日の感情指数》
安心:適正
共感:適正
不安:低水準
行政掲示板には、こう書かれている。
明日午前二時より一部地域で悲嘆レベルを引き下げます。
誰も立ち止まらない。
悲しみは、調整できるものだから。
私は理解した。
街角のカフェ。
学校の教室。
企業の会議室。
どこでも、人々は訓練を受けている。
ただ、気づかないだけだ。
「空気を読む」
「場の雰囲気を壊さない」
「適切な感情を示す」
施設は、見える場所にある氷山の先端に過ぎない。
社会そのものが、一つの巨大な訓練場だった。
社会そのものが、感情トレーニング施設なのだ。
感情は公共インフラだ。
水や電気と同じように、管理され、配給されている。
ふと、ガラスに映った自分の顔を見て、私は凍りついた。
そこにあったのは、トレーナーの女の笑顔だった。
「おめでとう」
背後から声がする。
「これで、あなたは外に出られる」
「私の代わりに」
理解した瞬間、意識が滑り落ちた。
白い部屋。
鏡の前に立つ、トレーナー。
その顔は、もう誰のものでもない。
新しい訓練生が入ってくる。
不安そうな表情。ぎこちない笑顔。
トレーナーは、正しい動作を教える。
口角は七ミリ。左右差は一ミリ以内。
目輪筋をわずかに収縮させ、呼吸は浅く、心拍は一定に。
その言葉を、かつて誰が言っていたのか、覚えている者はいない。
街の外では、感情指数が更新される。
悲しみは抑制され、安心は配給される。
誰も苦しまない。
誰も取り乱さない。
そして、誰も、本当には生きていない。
感情トレーニング施設・案内映像。
《感情は、学習できます》
《あなたも、社会に適応できます》
映像の中でトレーナーが微笑んでいる。
その顔が、誰のものだったのかを覚えている者はいない。
別の白い部屋。
別の訓練生。
最初に教えられる言葉は、いつも同じ。
「笑顔には、正解があります」
街では感情指数が更新され、悲しみは抑制され、安心が配給される。
誰も苦しまない。
誰も取り乱さない。
社会は、完璧に回り続ける。
——感情という名のインフラに支えられて。
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