亡霊の子守唄

 朝になってある程度の打ち合わせをしてから、ライアーバードとその他は転送魔法で駅前の広場に送られた。

 ひとまず送られたのはライアーバード本人と兄と父、他は開始時刻に合わせてくるとのことだった。

 何をするかはライアーバードに一任されたので適当にやる曲を決めた。

 とりあえず六曲までは考えた、それでも足りなかったらあとは適当に。

 広場の使用申請は王妃が出してくれたので、ライアーバードはただ物真似芸を披露するだけだった。

 変装済みの兄と父が何かあってもライアーバードを守れるように配置したあと、ライアーバードは指定の場所に立ち、おひねり用の小さなトレーを足下に置く。

 ライアーバードの物真似芸なんかに金を出すような人はいないと思うが、それでも一応広場で出し物をやっているパフォーマーっぽさを演出するために置いておく、確か神竜の時も同じような事をした。

 あの時は神竜のセクシーダンスがあったため、思っていたよりも多くのおひねりが入ったのだったか、そのおひねりも全て悪友のアイス代に消えたのだっけな、とライアーバードは悪友の性格の悪い笑顔を思い出す。

 万が一お捻りが入ったら久しぶりに駄菓子でも買おうか、まだ母や兄と生活していた頃はよく家族一緒に駄菓子を買いに行っていたなとライアーバードは当時を懐かしむ。

 仮面をつけた怪しげな風貌のライアーバードに目を止める通行人は数人いるが、足を止める者は今の所いない。

 広場の時計を見上げる、開始予定時刻までそれほど時間はない。

 時計から目を逸らしたライアーバードの目に、妙なものが映る。

 銀髪で青い目の少女を筆頭にした奇妙な集団だった、全員揃いのこの辺りではあまり目にしない衣装を羽織っている。

 実は幼少期から極東好きなライアーバードは、それが極東のヲタクと呼ばれる人種が自分の好きなものを応援する時に身につけるというハッピと呼ばれる伝統衣装であることに気付いた。

 ざっざっざ、と無駄に揃った足取りでその奇妙な集団はライアーバードの目の前を陣取った。

 ライアーバードは思わず他人のふりをしつつ待機している兄の方を見た、兄は奇妙なハッピ集団を見て呆然としていた、父も同じだった。

 金髪を魔法で銀色に変え、申し訳程度の変装をした王女が期待の眼差しでライアーバードを見る。

 事前の話し合いでは王女、というか王宮魔術師がこの場で観客に混じって待機する、というだけの話だったはずである。

 ちなみにライアーバードの幼馴染と王妃とついでに国王陛下までもがこの現場にきたがったが、そちらの三人はいろんな人に止められ城に残る事になった。

 というか本来だったら王女も城に残るということだったのだが、泣き叫びながら城中をゴロゴロ転がるという一国の王女として信じられない暴挙をし始めたので仕方なく王宮魔術師の護衛の元ついてくることになったのだった。

 けれどそれだけのはずだった、極東リスペクトのハッピ衣装を集団で着てくるとかいう話をライアーバードはひとつも聞いていない。

 ライアーバードは王女のすぐ後ろに控える自分の知人、王宮魔術師の長に視線を送った。

 知人はライアーバードの視線に気づいて気まずそうな、申し訳なさそうな顔をしながら、両手を顔の前で合わせる。

 知人にとっても想定外の事態であることはなんとなく察せられた、そして彼が自分達があのような異様な集団になるのを阻止する側だったのだろうことも。

 ライアーバードは知人の気まずそうな顔から王女に視線を逸らす、その青い目は期待でキラキラと輝いている。

 異様な雰囲気のハッピ軍団の出現により、通行人の人々が何事かと足を止め始めていた。

 そこでライアーバードはひょっとしてそういう作戦なのだろうかと思った、ライアーバードの物真似芸だけでは足りないからと、ライアーバードの目の前に異様なハッピの集団を置くことによって、人目を集める作戦なのかもしれない。

 そういう作戦のつもりならまあいいか、そう思ったライアーバードは時計を見上げる。

 作戦開始時刻になっている事を確認し、ライアーバードは軽く一礼し歌い始めた。


 一曲目は魔狼奇譚、あの話し合いでライアーバードが案としてあげた曲だ。

 魔狼に攫われた姫君を騎士が救い出す内容の若干演劇要素もある曲だ、本来なら冒頭の語り手、騎士、姫君、魔狼の四人、もしくは語り手のみを他の役が兼任して三人必要になる曲だ。

 それをライアーバードは一人でこなす、今回やるのはそういう物真似芸なのだ。

 冒頭の語り手は自分の普段の老女の声で、騎士はライアーバードが愛する騎士ビスクバイトの声で、姫君にはそんな彼の守護妖精の声を、魔狼はいつぞやの海竜の声で。

 とりあえずライアーバードは初っ端からあの人が知る声を使えるだけ使ってみることにした、知っている人の声が聞こえればあの人が寄ってくるかもしれないと、そういう目論見だった。

 ちなみに本来姫君は純真無垢なイメージで歌われることが多いのだが、それだとあの守護妖精の雰囲気に合わないので彼女のイメージに合わせて若干妖艶な感じのアレンジを加えている。

 騎士のパートのみ収納魔法であの人の剣を取り出しそれらしくポーズを決めてみたライアーバードだったが、重い剣をライアーバードが扱えるわけもなく、随分と不恰好な感じになってしまった。

 謎のハッピ軍団の出現に足を止めた通行人達が、そのついでにライアーバードの歌を聴き始めたらしいことをライアーバードは目視で確認する。

 先頭を陣取る王女がいつのまにか極東の応援アイテムである光る棒を両手に装備し振り回していた、王女は極東好きなのかもしれない。

 ライアーバードも数ヶ月に一度は極東を訪れる程度に極東の文化が好きだった、あの人のことがなければライアーバードは極東に移住するか、移住とまではいかずとも極東を拠点に世界中を巡っていたかもしれない。

 騎士が魔狼の首を落として姫を救い出したところで曲が終了、ライアーバードが軽く一礼する。

 まばらに拍手が起こる、先頭の王女が小さな子供のように飛び跳ねてはしゃぎながら拍手をしていた。

 今の物真似芸にそこまでの価値はないのだけどな、とライアーバードが思っていると、王女が懐から何かを取り出してトレーの中に放り込んだ。

 金色に輝く丸い何か。

 金貨だった。

 思わずライアーバードは王女の顔を見る、王女は不思議そうな顔でライアーバードの顔を見返した。

 ひょっとしたらこれもそういう作戦なのかもしれない、おひねり一つもらえないパフォーマーよりもおひねりをもらえるパフォーマーがいるという話にした方が、人が集まってくるとかそういう。

 そういう作戦なら後で返さなくては。

 それにしてもわざわざ金貨を入れるなんて王族は金銭感覚が狂っているな、それとも金貨以外の持ち合わせがないのだろうか、とライアーバードは若干失礼な事を考える。

 周囲を見渡しても残念ながらあの人らしき人影はない、そういうわけで作戦を続行する。

 二曲目はリリー・カラメルの恋の狂想曲、古典的な曲だが恋を歌ったこの曲は今も幅広い世代に愛され続けている名曲である。

 今度はライアーバードの知人の少女の声を複数掛け合わせたような存在しない少女の声で歌う。

 ライアーバードとあの人の共通の知り合いなんて実はほとんどいなかった、だから今度は人気曲で単純に人目を集めるという作戦に出る。

 恋する女の子が恋と青春に振り回され、時に涙しながらも前に進んでいくその曲に、ライアーバードは参考にした少女のうちの一人のツンデレ要素と小悪魔要素を組み込み歌ってみた。

 誰もが知る名曲効果か、光る棒を振り回しながらぴょんぴょんはしゃぎまくっている王女の効果か、足を止めるものが増えてきた。

 あの人の剣は特に意味もなく刃先を地面に刺して片手で柄を持つような感じで出しっぱなしにしておく、恋の歌に剣は不釣り合いだが、あの人を誘き出すためにこの剣はわかりやすい場所に置いておく必要があった。

 そつなく歌いきったライアーバードは再び一礼する、王女が再び金貨をトレーに入れる、それにつられたのか一般通行人の方が二人ほどトレーにお金を入れたので、ライアーバードは慌ててぺこぺこと礼をした。

 人気曲効果ってすごいな、駄菓子いくつくらい買えるだろうか、とライアーバードは思った、金貨は後で王女に返すつもりだが、一般通行人からもらったおひねりくらいならもらっても多分問題ないだろう。

 四役を一人でやり、愛らしい少女の声で一曲歌い終わった、もうライアーバードを物真似芸人以外だと認識するものはいないだろう。

 そういうわけで次は生まれて初めてファンサという奴をやってみようとライアーバードは考えていた。

 悪友にせがまれ何曲か歌ったことはあるが、実は自分の意思で誰かに向けた曲を歌うのはこれが初めてである。

 そんな三曲目に選んだのは極東の伝説的歌手マツリビナの名曲、鬼女奇譚。

 かつて歌姫モリオンが舞台で最も多く歌った曲。

 今回は声真似ではなくライアーバードの地声で歌う、名目上は『歌姫モリオンの声真似』になるが。

 物真似芸人だと認知された後、物真似芸人としてこれを歌うのは問題ないとライアーバードは勝手に判断していた。

 そもそも四年前にいなくなった歌姫のことを覚えている変わり者はそうそういないだろうし、いたとしてもただの声真似で済ませられる。

 そういうわけでライアーバードの物真似芸見たさに城中をゴロゴロと転げ回って駄々をこねたお転婆な王女様に、この曲を捧げよう。

 ライアーバードはかつての渇望と絶望を思い出す、超えられないものをそれでも越えようとした無謀な自分を、どうしようもないろくでなしな青春時代の自分を、今の自分の中に降ろす。

 歌い始めで王女が息を呑んだのがわかった、こんなのが好きだなんて本当に変わったお姫様だとライアーバードは思いながら、鬼女と蔑まれ望んだものは一つも手に入らず絶望の淵に堕ちた女の一生を歌う。

 ちなみにこの曲を三曲目に選んだのはファンサでもあるが一応それ以外に意図もあったりする。

 先程までライアーバードは明るい恋の歌を歌っていた、誰もが知っている人気曲ゆえに、足を止めるものはそこそこいた。

 そういうふうに明るい名曲に誘き寄せられた人々を入れ替えるためにライアーバードはあえて過激で恐ろしげで、ドロドロとした女の怨念の歌を選んだ。

 今回の目的はあの人を誘き寄せること、そのためにある程度人目を集める必要があるが、噂話を広めてもらうためにも集まってくれた人達をこの場に釘付けにするのは悪手だ。

 そういうわけでリリー・カルメラに引き寄せられた通行人達よ、いい感じに散って噂話を広げてほしい、と思いつつライアーバードは歌っていたが、思いの外その場を立ち去る人がいない。

 そしてしっかり歌い終わって一礼する前に周囲を見渡すと、想定の倍以上の人が広場に集まっていた。

 おそらくハッピ軍団効果である、ハッピってすごいなとライアーバードは思いながら、一礼する。

 何故か歓声が聞こえてくる、まばらな拍手は先ほどまでも聞こえてきたが、こんな歓声が上がるほどのものをお出しした覚えはライアーバードにはなかった。

 王女がやけに俊敏な動きで再び金貨をトレーに入れる、まさか毎曲ごとに入れるつもりなのかとライアーバードが戦いているうちに、何故か一般通行人の人々が続々とトレーにお金を放り込み始めた。

「え、あ……え?」

 芸人の体裁を整えるためだけに置いただけの小さなトレーからすでにお金が溢れそうだ、想定外の事態にライアーバードは慌てる。

 そんなライアーバードを見た王女がニコリと笑って指を鳴らす仕草をした、失敗したのか音は鳴らなかったが、その仕草を見たライアーバードの知人がどこからともかく大きめな箱を取り出し、王女に渡した。

 それを受け取った王女が箱をトレーの横に置く、そして振り返った彼女は一般通行人の人々にこう宣った。

「おひねりはこちらに〜!!」

 その言葉の直後に人々が箱の中にお金を入れ始める、ライアーバードは自分の口から情けない悲鳴が漏れたのがわかった。

 お金を入れてくれる人に申し訳なさいっぱいでぺこぺことお礼をし続けることになったライアーバードだったが、少しすれば人々の手は止まった。

 それに心の底から安堵しつつ、ライアーバードは次の歌を歌い始める。

 歌いはじめる前にライアーバードは一応あの人がいないか確認したが、それらしい人影は見つけられなかった、というかだいぶ人が多くなってきたせいでよくわからなかったというのが本当のことだった。

 四曲目はブライソン・シンガーの星の子守唄。

 先ほどの曲は怨念まみれな過激なものだったが、こちらは静かなバラード曲である。

 鬼女奇譚がライアーバードの青春を象徴する曲であるのなら、星の子守唄はライアーバードの青春の終わりを象徴する曲だ。

 この曲はファンサというわけではないが、とある人物に向けたものだった。

 ライアーバードが歌姫アイリスを超えるという叶うはずのなかった夢を諦めるきっかけになった絵描きの少女。

 今は王宮魔術師の長と結婚して、それなりに幸せに生きているらしい彼女に向けてあの夜の歌をもう一度。

 王宮魔術師の長は危険だからとこの場に彼女を連れてくることはなかったが、その代わりに彼女のためにライアーバードの物真似芸を魔法道具で録音したいと頼んできたので、それならばとライアーバードはこの曲を歌うことにした。

 怪物にすらなれなかったあなたへ、悪魔にすらなれなかった私が歌う。

 私達はかつて同じ夢を見た、決して超えられないものを超えたいと願い続け、破滅の道に足を踏み入れかけた。

 その最初の一歩を踏まずに済んだのは互いの惨めさを目の当たりにして、目が覚めたから。

 達成不能な夢をあきらめたあの夜に、私達の青春は終わりを迎えた。

 ――お元気ですか、私は一応、肉体的には元気です。

 あの日共に見上げた星空の輝きは、今も私の心の中に。

 どうか穏やかに、幸福に。

 そんな事をセンチメンタルに思いながら、ライアーバードはしんみりと子守唄を歌い終え、深々と礼をする。

 人に向けて歌った思い出深い歌だったからか、先の三曲に比べると上手く歌えたとライアーバードは自画自賛しつつ、顔を上げた。

 先ほどまでまばらに聞こえてきた拍手は一つも聞こえてこなかった。

 誰もその場から動かなかった、一曲終えるごとに必ず金貨を入れにきていた王女も動かない。

 ライアーバードは思わずあの日同じ星空を見上げた知人、王宮魔術師の長の顔を見た。今の曲、そんなに駄目だっただろうか、と。

 ライアーバードの視線に気付いた知人はオロオロと周囲を見渡し、小さく呟いた。

「え? 今のそんなダメだった……? オレ、普通に好きだけど……とりあえず拍手」

 知人はそんな事を言いながらとりあえずといった感じで拍手をした。

 するとそんな彼につられたのか何人かが拍手をし始める。

 今回の曲は失敗だったかもしれない、知り合い向けの歌なんてその知り合いの前で歌うべきだったと密かに反省しつつライアーバードは次の曲に移ろうとしたが、その直前で王女が動く。

 王女は極東の縮緬生地で作られた小さな巾着を持っていた、開いたその口からは輝く金貨が見えている。

 王女は先ほど置いた箱に無言で近寄り、箱の上で巾着をひっくり返そうとした。

「わ――!!? ストップお嬢ストップ!!!! 一曲一枚までって約束だったでしょーが!!」

 知人がそう叫びながら慌てて王女を止めた。

 ライアーバードは金貨が詰まっていると思しき巾着をひっくり返して全て箱の中に入れようとしたらしい王女の暴挙に戦々恐々として、その場で動けなくなってしまった。

「止めないでください、一枚なんかじゃ足りません、全部入れてもまだ足りない」

「だからダメだって言ってんでしょーが!! 入れすぎたらみんなびっくりするから一枚までって約束でしょ!? というか、今使い切ったらこの次以降どうすんの!!?」

「安心してください。あと二袋あります。ふふふ、今日はほぼ全財産持って……」

「ちょ、ストップストップ!! こんな人がいっぱいいるところでお金いっぱい出すのはダメだって!! スられるから!!」

「あなた達がいるから大丈夫でしょう?」

「曇りなき信頼の目で見るのやめて――!!」

 何やらすごいやりとりが目の前で起こっている、ライアーバードはどうすればいいのかわからなくなった。

 あとワーワー言い争っている二人を避けて一般通行人の人達が箱におひねりを入れ始めた、鬼女奇譚の時よりも多い。

 ライアーバードはまたぺこぺこお礼をしつつ、おひねりの手が止まるのを待つ、王女は結局ブスくれた顔で金貨を三枚箱の中に放り込んでいた。

 なんか想像以上に今の曲は受けてしまったらしい、ブライソン・シンガーには熱狂的なファンが多いので、おそらくそれが原因だろうとライアーバードは推測する。

 五曲目にとライアーバードが考えていた曲は完全にネタ曲なので、大丈夫だろうかと思った。

 その曲名はふんどしはんたあ★なでしこ、極東の伝説的HENTAIソングであり、極東に実在した下着泥棒の歌である。

 ちなみにこの下着泥棒、最終的に皇子の下着にまで手を出したが本人が美少女すぎたために許されたどころか、そのままその皇子の元に嫁入りした、なんてとんでもないエピソードもある。

 ライアーバードはかつてこの曲を悪友にせがまれて歌ったことがある、しかも悪友にリクエストされたとおり神竜の声で。

 悪友は腹を抱えて笑っていた、笑いすぎて死にそうになっていた。

 その後ろで神竜はすごい顔をしていた、それでも愛しい女の希望だったので苦々しい顔で自分にそっくりな声で歌われる変態下着泥棒 (美少女)の歌をおとなしく聞いていた。

 流石に今回も神竜の声を使う、というわけにはいかない。

 完全にネタに走るのなら兄か父の声を使えばいいと思ったが、おそらく後程全力で殴られる気がするのでそれもやめておく。

 そういうわけで、皇子の下着を盗んでも許される美少女の声をライアーバードなりに真面目に再現して歌おうと思っていた。

 歌い終わった後のブーイングが凄そうな気もするが、今日のライアーバードは歌姫でも歌手でもなく物真似芸人である、そのくらいのネタは許されるだろう。

 この辺りで一度完全にネタに走れば観客も入れ替わるだろう、六曲目はファントムナイトという幻術込みの面倒な歌を歌うつもりだったので、この辺で少し人数が減った方が都合がいい。

 なんてライアーバードが思いつつ、そろそろ落ち着いてきたので次の曲に移ろうと思った青の時だった。

 ライアーバードの目の前に、突如黒いローブを纏った人物が姿を現した。


 フードを深く被ったその人の顔をまともに見たのはおそらくライアーバードだけだったのだろう。

 フードの端から溢れる金髪は少しだけ傷んでいる、恐ろしげな赤い目がライアーバードの顔を睨む。

「貴様」

 甲高い少女のような声色で、黒いローブの人物は言った。

 ライアーバードにとっては聞き覚えのある声だった。

「その剣を、どこで手に入れた?」

 指し示されたのは二曲目以降特に動かしていないあの人の剣。

 恐ろしげな赤い目に、ライアーバードは思わず見入る。

 他の人々がどんな反応をしているのかなんてわからなかった、そこまで意識を及ばせる余裕などない。

 敵意にも似た殺意を一方的に浴びせられる、それでもライアーバードは恐れず静かに口を開く。

「こちらの質問に答えていただければ、お答えいたしましょう」

 ライアーバードはいつもの老女の声ではなく地声でそう言った。

「はあ?」

 赤い目は不満げだ、甲高い少女の声もいかにも不機嫌そうで、ライアーバードはいつもの癖で『ごめんなさい』と言いかけた。

「ペッツォタイト様は今、どうしていますか?」

 自分が『彼女』のことをそう呼ぶことはほとんどない、それでも『彼女』から最初に名乗られた名はそちらだったし、『彼女』の母親も基本的にそちらの名で『彼女』を呼んでいるようだった。

 だからあえてそちらの名で質問したのだが、黒いローブの人物は訝しげな顔をするだけだった。

「誰だそれは。そんな者は知らん」

「知らないはずありません。あなたの御息女のことです」

 ライアーバードがキッパリとそういうと、黒いローブの人物はライアーバードを狂人でも見るような顔で見つめた。

 それをライアーバードは悲しく思った、事前に話を聞いていたので、こうなることはわかっていたが。

「何をいう。わたくしに娘などいない。いるのは息子だけだ。それよりも」

「愛しているぞペッツォタイト。お前もわたくしの大切な子だ」

 ライアーバードは黒いローブの人物の言葉を遮る形でそう言った。

 地声でも老女の声でもない、『彼女』の母親の声で、かつて聞いた通りの声を、言葉を丸ごと再現した。

 その声を聞いた黒いローブの人物は、ひどく困惑している様子だった。

 動揺は誘った、この声だけできっと十分だ、幻術は必要ない。

 あと何押しで落ちるだろうか? きっとそれほどかからない。

「あなたは知らないだろうけど、冷たい毛布にくるまりながら私は確かにあの日、魔女様が自分の『娘』にそう言った声を聞いたのですよ」

 ライアーバードはそう言った、目の前のその人がよく知っているはずの嗄れた老女の声色で。

 見慣れた赤色が大きく見開く。

 その瞬間、ライアーバードの全身に奇妙な負荷がかかり、視界が真っ暗になった。


 身体にかかる負荷は数秒で消え去り、それと同時に視界も晴れた。

 ライアーバードは周囲を見渡す、王宮魔術師達の転送魔法は成功したらしく、ライアーバード達は城の訓練場に移動していた。

「今のは転送魔法……!! おのれ、魔術師どもの仕業か!! いや、それよりも、それよりも貴様だ!! 誰だ貴様は!!」

 黒いローブの人物の怒鳴り声に、ライアーバードは静かに口を開く。

「かつてとある劇場を騒がせた怪奇現象の、その正体」

 最愛の騎士の声色でそう答えたライアーバードに、黒いローブの人物は顔を引き攣らせる。

「姿のない声だけの怪異、夜中劇場に忍び込む不届者を脅し続けた正体不明の亡霊達――なんて噂にはなっていましたが、実際は一人の子供が声真似と幻術で人を脅かしていただけ」

 海竜の声、ライアーバードの兄の声、父の声、王女の声で代わる代わるにそう言って、最終的に老女の声に戻す。

 絶句する黒いローブの人物の目の前で、ライアーバードは仮面を取った。

「あなたにいつか話そうとしていた、話すべきだった私の名を一つここでお教えしましょう。――アムドゥシアスの亡霊。とある子供の悪戯につけられた、身の丈に合わない私のあだ名です」

 黒いローブの人物は、呆然とライアーバードの顔を見下ろしていた。

 言葉すら出てこないのか、その目を大きく見開いたまま、ライアーバードの顔をただ凝視している。

「…………ライアー、バード」

 黒いローブの人物は甲高い少女の声で呆然とその名をつぶやいた。

 コトドリではないのだな、とライアーバードは思った。

 その目は見ていて可哀想なほど見開かれている、想定していたよりも与えたショックが強いらしいと思いながら、ライアーバードは『彼女』に向かって口を開く。

「では、次はこちらが質問する番です。あなたは一体、誰ですか?」

 ライアーバードはわかりきったわかりきった質問をした。

「なん、なんだ、貴様は……なんだその声は!! 何故、なぜ我が子やわたくしの声を……!!」

 しかし黒いローブの人物にこちらの質問に答える余裕はないらしい、取り乱した様子で『彼女』はそう叫んだ。

「アムドゥシアスの亡霊の正体は声真似と幻術が得意なだけのクソガキです。……この老女のような声はただの声真似、知り合いのご老人達の声をツギハギにして適当に作った声色です。地声はこんなですよ、あなた達には一度も聞かせたことありませんけど」

 ライアーバードは最後だけ地声に戻してそう答えた、黒いローブの人物の顔が怒りで赤く染まったのを目視した瞬間、ライアーバードの身体は地面に叩きつけられた。

 大きな手がライアーバードの喉を掴んでいた、勢いよく押し倒され馬乗りにされたせいで身体の背面が痛む。

「ふざけるな!!」

 遠くで少女の悲鳴が上がる、余計なことをされる前にライアーバードは神竜の声で「全員、動くな」と怒鳴った。

 神竜を模した声に気押されたのか、ライアーバードの言葉が聞き届けられたのか、今手を出したらかえってまずいとでも思われたのか、誰かが動いた気配はない。

「ぐ……なんだ、今の声は」

 怒鳴り声を至近距離で聞いた黒いローブの人物が顔を歪めていた、その顔を見てもう少し手加減するべきだったとライアーバードは後悔する。

「すみません、余計な手出しをされたくないので私が知っている声で一番迫力のある方の声を借りました。……それと、ふざけた話ですがふざけてはいません。本当のことをそのまま話しただけです。この程度で怒らないでくださいよ、私がどんな声であろうと、何かが大きく変わることなんてないでしょう?」

 ライアーバードがそういうと喉にかかる負荷が重くなった、多少息苦しく喋りにくいが、それでもそれだけだった。

「それよりもこちらの質問に答えてください。あなたは誰ですか?」

 繰り返される質問に、黒いローブの人物は痺れを切らしたように叫んだ。

「見ればわかるだろう!! わたくしはモルガナイト!! この国の真の王であるわたくしの顔を、知らないとは」

「いやすみません、実は知らなかったんですよね」

 ライアーバードは途中で口を挟んだ、ライアーバードの声が普通の人の声だったらおそらく『彼女』の言葉を遮るようなことはできなかっただろうが、元歌姫で亡霊なライアーバードにはそれが可能だった。

 黒いローブの人物がライアーバードの顔を見下ろす、この女は一体何を言っているんだとでも言いたげな顔だった。

「まあ、それは今は関係のない話なので脇に置いておきましょう。……けど、違いますよ、違うでしょう? あなたはあの魔女様ではない、それだけは絶対にあり得ないのです」

「…………何を、言っている」

 ライアーバードは黒いローブの人物の顔を見上げた。

 見慣れた金髪、見慣れた赤い目、恐ろしいほど整った美しい顔。

 自分よりも大きな体躯に、女のそれではあり得ない喉仏。

 それでもその甲高い声を、少女のような甲高い声を『彼女』が発することができるのは、ライアーバードとは違って魔法で声を変えているからだ。

 今の『彼女』には、もうそれすら理解できていないようだったが。

 だからライアーバードは本当のことを告げる。

 狂ってしまった『彼女』の本来の心を取り戻すために。

「だってあの日死んだのは、あの日私のせいで死んだのは、魔女モルガナイトだったのですから」


『彼女』は訳のわからなそうな顔で、ライアーバードの目を睨んだ。

「何をおかしなことを。わたくしが死んだ? そんなバカな話があるわけがない。あの日死んだのは我が息子であるビスクバイトだ。いずれ王になるべくわたくしが育てたわたくしのたった一人の息子。お前のような阿婆擦れを庇って死んだのは」

『彼女』の中であの事件はそのように処理されたらしい、そして彼の中であの事件は『彼女』のそれとも現実とも異なる顛末を迎えたらしいことを、ライアーバードは兄達から聞いていた。

 初めから壊れていた人の心がさらに壊れれば、その心はどうしようもなく壊れてしまうらしい。

 大切な人を喪ったせいで更に壊れてしまった人の顔をライアーバードは見上げる。

「違いますよ。私があの魔女様を殺したんです。ビスクバイト様の剣を使って、その首を切り落とした」

「なにを、ふざけたことを……」

「ふざけていませんよ、というかそうでなければ何故私があの人の剣を持っているのです?」

 ライアーバードはそう断言したが、実は嘘である。

 嘘ではあるが、あの魔女が死んだ原因は自分なのであながち間違った話ではない。

 だからライアーバードはその罪を被ることにした。

 そもそも自分なんかが彼らに関わらなければ、そうでなくともあの魔女の前から完全に逃げ切ってさえいれば、彼女が死ぬことはなかったのだから。

「魔女モルガナイトは、あなたの母親は死にました。私が殺しました。……その上でもう一度問いましょう、あなたは一体誰ですか、と」

「なにを、なにをいって……お前は、わたくしは、ちがう、ちがうちがうちがう……!!」

「あなたの心は元から壊れていた。あなたが以前私にそう言ったのではありませんか。心が壊れた結果、心が二つに割れた、と。今後何かあればまた同じように、心が割れて新しい誰かがあなたの中に発生するかもしれないと。……そうでなくともあなたは、特に『あなた』は不安定だった、本気で自分を妖精だと信じ込んでいる時が、確かにあった」

「わけのわからないことをほざくな!!」

 彼女は怒鳴る、本物の魔女のそれとはまるで異なる、甲高い少女のような声で。

「私の知る魔女様の声はこちらです。あなたのその魔法で作った甲高い声とは大違い。自分があの魔女様だと自称するのならもっと本気で彼女の声を模倣してください」

 ライアーバードは魔女の声を模倣してそう言った、一万年に一度の歌姫でもなければ神竜でもないただの人間の声真似など、ライアーバードには容易い。

「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ!!!! ……もういい貴様はもう何も喋るな。今すぐその首をへし折って殺してやる」

「嫌ですよ。誰だかわからない今のあなたの言うことなんか、ききません」

 ライアーバードがキッパリとそう断言すると、『彼女』は信じがたいものを見るような目でライアーバードの顔を呆然と見下ろした。

「私が知っている、私が好きなあの人達が私を許せず殺すというのなら受け入れましょう。しかしあなたがそのどちらでもないのなら、同じ身体を使っているだけの知らない人に、この命を渡すことはできません…………私を殺したいというのならあの二人のどちらかを出してください。あの二人にならおとなしくこの首を差し出しましょう」

 そう言い切ったライアーバードの顔を見下ろす『彼女』は酷い顔をしていた。

 そんな『彼女』にライアーバードはもうひと声かけてみることにした。

「ペッツォタイト様。あなたの大切なお母様、魔女モルガナイトの命を私は奪ってしまった。私のせいであの魔女は死んでしまった。許せるわけがないでしょう、あなたほどあのお方を愛したものはいなかったでしょうし。……だからペッツォタイト様、あなたが私のことを許せず、お母様の仇を打ちたいというのなら、甘んじて受けましょう」

「だから、お前は何を、何を訳のわからないことを……これ以上は何も言うな、これ以上」

「黙りませんよ。さて、もう一度質問です。あなたは一体誰ですか? ビスクバイト様ではないでしょう。ペッツォタイト様か、二人以外のどちらかか……少なくとも、本物の魔女モルガナイトではないことだけは、確かです」

 ライアーバードがもう一度問いかけると、『彼女』はその顔を思い切り歪ませた。

「違う」

「違いませんよ」

「違う、違う違う違う……!!」

「違いませんよ。あなたは魔女モルガナイトではない。……そして、その声の主は」

「違う!! 何度言わせればわかる!! わたくしがモルガナイトだ!! ペッツォタイトなどという者は知らん!!」

『彼女』はそれでもライアーバードの言葉を否定した、ライアーバードの言葉はまだ本当の『彼女』に届かないらしい。

 今回は手強い、普段は一言二言あれば目を覚ますことが多いのに。

 何故今回はこれほどしつこいのか、いい加減にしてほしいとライアーバードは心が苛立ってきた。

 どうせ相手は本物の魔女ではない、魔女の皮を被った『妖精』か、そうでなければ壊れた彼らの中に新たに発生した『魔女』という何者かだ。

 おそらく前者である可能性の方が高い、だって声が『妖精』と全く同じだ。

 ならば、ライアーバードの幻術は本物の魔女と異なり普通に通じるだろう。

 荒療治になるが仕方がない、少々エグい幻術をかけて元の二人を引き摺り出してやる。

 ライアーバードが幻術をかける下準備を始めようとしたその瞬間に、それまで静かにしていた見物人のうちの一人が話に割り込んできた。


「では『魔女』様、僭越ながらわたしからも一つ質問をさせていただいてもいいでしょうか?」

 そう口を挟んできたのは王女だった、彼らと王女は腹違いの兄妹もしくは従兄妹の関係になるらしいが、そういえばあまり顔つきは似ていないなとライアーバードは今更のように思った。

「あなたが本当に魔女モルガナイトなら、わたしの叔母様であるのなら、あなたが今組み伏しているその人のもう一つの名に、心当たりがあるはずです」

「……は?」

『彼女』は意味がわからなそうな声を上げた、ライアーバードもまた彼女の言葉の真意がわからなかった。

「あの、マリア様、今のはどういう……?」

「叔母様とわたしは同担でした」

 ライアーバードがそう問うとそんな答えが返ってきた。

 同担。

 王女マリアは歌姫モリオンのファンだったと自称している、話の流れから察するにあの魔女は王女マリアの同担、つまりモリオンのファンだったと言うことらしい。

「えっ」

 ライアーバードは困惑した、あの魔女が自分のファンだった? あの人もそんな物好きだったのか、と。

 何ーあの旅に出た後どころか出る前にすら一人も遭遇することがなかった歌姫モリオンのファンとかいう奇特な趣味嗜好を持つものが何故この事件ではこうも大量に出てくるのだろうか、何かがおかしいとライアーバードはなんとなく胃が痛くなってきた。

「わたしの家族はみんなあなたの大ファンなのですよ。お父様もお母様も、そして叔母様も」

「……本当に? 何かの間違えでは?」

 ライアーバードは王女の言葉を疑った。

 そしてふと思った。ひょっとしてこの場で『彼女』が魔女モルガナイトでないことを偽証するために王女は嘘を吐いているのではないか、と。

 そう考えると納得だ、と思っていたライアーバードだったが、王女は次にライアーバードの心を硬くて丈夫な棒でぶん殴るような発言をした。

「本当ですよ。ブロマイド買ってるところも見たことあります」

「え」

 本気で信じられない話が出てきた、信じられないというか信じたくない話だった。

 モリオンは基本的に歌以外の仕事は全て拒絶していたが、ある日どうしても言われてブロマイド用の写真を撮らされたことがあった。

 当時の歌姫モリオンの化粧はその頃ケバケバだった、ついでにそれに合わせたド派手な衣装も用意させていたので、全体的になんかすごくヤバイというか、とてつもなく趣味の悪い格好になっていた。

 写真は一瞬で済むからと無理矢理説得されたモリオンは、撮影時にヤケクソで謎の悪役っぽいポーズを決めた。

 その時に撮られた写真が使われたブロマイドが、魔導式音声記録を除くと歌姫モリオンの唯一のグッズだった。

 余談だが歌姫アイリスは歌以外の仕事もちゃんとやっていたので、ブロマイド以外にもサインやら写真集やらのグッズがある。

「え、待ってください、嘘だと言ってください。あの魔女様があの黒歴史ブロマイドを……?」

 ライアーバードは自分の声が意図せず震えていることに気付いた、それと声真似すら忘れてうっかり地声で話していることにも。

「買ってましたよ。当然わたしもお母様もお父様も持っています。魔導式音声記録以外のあなたのグッズって、あのブロマイドだけなので」

 ライアーバードは絶句した、嘘か本当かは置いておいて、言っていいことと悪いことがあるだろうと思った。

「ええ……う、うそ……あんな趣味の悪いものを、王族の皆様が……?」

 これも自業自得の因果応報なのだろうか、ヤケクソで謎ポーズなんて決めなければまだマシだっただろうかとライアーバードはかつての自分を殴り飛ばしたくなった。

 謎ポーズも何もブロマイド用の写真など全力で断ればよかった話だったが、当時のライアーバードにあの時の目が血走った支配人の言葉に逆らうのは少し難しかった、素直に写真を撮られる方がまだ面倒が少なかったのだ。

 そういえば当時は気にしていなかったがあのブロマイド、どの程度売れたのだろうか。

 どうせ一枚も売れるわけがないと思っていたが、王女の言葉が真実ならすでに四枚もお買い上げされているということになる。

 それ以上売れていないといいなとライアーバードは願った、いくらいろんなことに無関心なライアーバードであるとはいえ、その程度のことは願いたくなる。

「わたしの家族どころかあなたのファンなら大体持っていると思いますよ。わたしも何人かに布教用に魔導式音声記録とセットで渡したことがあるので」

「わ、わあ…………」

 王女のとんでもない発言にライアーバードは泣きそうになった、人の心がないとはこういうことを言うのか。

 そこでふと恐ろしいことに気付いた。

 王女は今、布教用にとモリオンのあの黒歴史ブロマイドを何人かに渡したと言っていた。

 その何人かに、今自分を組み伏しているこの人は含まれていたのだろうかと。 

 自分の顔から勢いよく血の気が引いていったのがライアーバードにわかった。

 あんな正気を疑うような趣味の悪いブロマイドを好きな人に見られたくない、乙女という言葉には程遠い存在のライアーバードだったが、その程度の羞恥心と乙女心くらいは持ち合わせている。

「……なんの話よ」

 もしもこの人が王女からあの黒歴史を渡されていたら、どうやって記憶を消せばいいのかその方法を模索し始めたところで、上の方から甲高い少女の声が振ってくる。

 ぐっとライアーバードの喉に負荷がかかる、大きな両手でライアーバードの喉を掴み締め上げるその人は恐ろしげな顔で怒鳴り声を上げた。

「だからいったい何の話よ! さっきから亡霊だのドウタンだのブロマイドだのわけのわからないことを……アンタはアタシ達に何を黙っていたの!!?」

 その言葉と口調にライアーバードは息を飲み、自分の首を絞めるその人の顔を見上げた。

 その人と目が合う。

 ライアーバードの目を見て、その人は呆然とした。

「あ、れ…………アタシ……アタシは」

 自分が今何を叫んだのか、それまで何をしていたのかまるで理解できていなさそうな顔だった。

 ライアーバードの喉にかかっていた負荷が緩む、小さく咳き込んだライアーバードの顔と、その喉を締め上げていた自分の両手を見下ろして、その人の顔が大きく歪む。

「アタシは……違う、ちがう、ちがうちがう、だって、なら、あの時死んだのは……わたくしは、あれ、あれ……アタシって、誰、だっけ……?」

「お久しぶりです、ラズベリル様」

 譫言のように呟く『彼女』に息を整えたライアーバードはそう声をかけた。

「違う、違う……アタシはそんな名前じゃない!! だってそれが本当なら、お母様は……!!」

 苦しげな顔で叫ぶ『彼女』にライアーバードはもう一度声をかけた。

「違いませんよ。あなたの名前はラズベリル、もしくはペッツォタイト。こんなどうしようもない私のことを愛してくれた、私の大切な人です」

『彼女』はそれでもライアーバードの言葉を否定しようと口を開いたが、その口からなんの言葉も出てこなかった。

 唸り声と意味の分からぬ小さな音が彼女の口から漏れる。

 ライアーバードはそれ以上何も言わずに静かに彼女を見守った。

 狂気に染まっていた赤い目が正常さを取り戻していく、ライアーバードの喉を掴むその両手から完全に力が抜けた。

「…………コトドリ、ちゃん」

『彼女』は小さな声でそう呟いた、それは『彼女』がライアーバードを呼ぶ時に使う名だった。

 いつも通りの呼び名を呼ばれたライアーバードは小さく笑いながら普段通りの老女の声で「はい」と答えた。


 ライアーバードの喉から両手を離した『彼女』は愕然とした様子でライアーバードの顔を見下ろした。

「…………あの日死んだのはお母様だった……けれどもアタシは、アタシたちはそれを否定するために、『妖精《アタシ》』がお母様になりかわった……?」

 正気に戻った『彼女』はあの日死んだ者を正しく認識した、そして今までの自分達がその事実を受け入れられずにその記憶と存在を歪めてでも否定していたことも。

「そうだったみたいですね。話を聞いた時点では、別の『誰か』があなたたちの中に新しく生まれたのかとも考えていましたが……声を聞いてすぐにあなただろうと」

 ライアーバードはそう答えつつ、まさか自分の黒歴史ブロマイドがきっかけでこの人が正気を取り戻すなんて、と考えていた。

 黒歴史ブロマイドの事をこの後聞かれたとしても極力答えたくないし、できればそれどころではないと忘れてくれるといいなとライアーバードは思った。

 ひとまず『彼女』の認識を正常に戻すのは成功した、あとは彼を戻すだけ。

 とはいっても、『彼女』が正気を取り戻した時点で彼もおそらく正常に戻っているのだろうとライアーバードは考える。

 それに彼はあの事件で魔女が死んだのではなくライアーバードが死んだと認識しているらしいので、死んでいるはずのライアーバードの姿を見ればおそらくその時点でその誤った認識も訂正されるだろう。

 それを受け入れられずに再度現実を否定するというのなら、どれだけ嫌がられても彼が傷付くのだとしても、ライアーバードが彼を現実に引き戻すまで。

 けれどきっとその必要はないだろう。

「ひとまず、元に戻ってくれてよかったです。……言葉だけで戻ってきてくれて助かりました……ちょっとエグめの幻術かけてショック療法でどうにかできないものかと考え始めていたのですが、実行せずに済んでよかったです」

「…………そう。アンタに関して聞きたいことは山ほどあるけど、今は置いておきましょう」

 そう言って彼女は少しの間、じとっとした目でライアーバードの顔を見た、ライアーバードは目を逸らしたかったがそうすると頭をはたかれる気がしたので我慢する。

「アタシ達はあの日のことが正しく認識できていなかった。彼の方がどうなっていたのかはまだよくわかっていないのだけど、なんとなくどういう思い込みをしていたのかはわかってる。……アタシはお母様にアンタを殺させないために、そうなる前に彼が自分の首を切って死んで、アンタはどっかに逃げたと思い込んでいた。そしてアタシ自身をお母様だと思い込むことで……お母様の死を忘れようとした。……けど、現実はそうではない。あの日死んだのはお母様で、お母様を殺したのは」

「あの人を殺したのは私です」

 ライアーバードは口を挟んだ、実際に手を下したのはライアーバードではなかったが、それでも彼女の死の原因はライアーバードだったので。

 これ以上罪悪感を背負わなければいいと思った、あの日の殺人事件の責任は自分が負おうとライアーバードは思っていた。

 恨んでほしい、許さないでほしい、それであなたたちの気が楽になるのなら、その報いは受けよう。

 ライアーバードの真意をどこまで汲み取ったのか、青年の姿をした少女は酷い顔で笑った。


『彼女』が一瞬だけ目を閉じる。

 そして次にその瞼が開いた時、その人がまとう雰囲気と表情が一変した。

「嘘を、吐くな」

 その声は先程までの甲高い声とは全く違う低い声。

 その姿に見合った青年の声だった。

 ライアーバードが口を開こうとした時、身体にかぶさっていた重みが消え、視界が勝手に動いた。

 気がついたらライアーバードは彼に抱き竦められていた、彼の顔は見えなかった、ただ体温だけははっきりと感じ取れた。

「あの人を殺したのはお前じゃない。お前なんかにできるわけがない。……俺が殺した。母上がお前を殺そうとしたから、俺があの人を殺した」

 彼はそう言った、そしてそれこそがあの日起こった殺人事件で本当に起こったことだった。

「ちが」

「うるさい、黙れ」

 ライアーバードはその事実を否定しようとしたが、黙れと言われてしまったので口を閉ざすしかなかった。

 彼が自分の母親に手をかける羽目になったのはライアーバードのせいだった、ライアーバードがあの時逃げ切ってさえいればあんなことにならなかった。

 だからライアーバードはあの日起こった殺人の罪を被ろうとした。

 最愛の、自身を地獄から救い出した母親を自らの手で殺してしまった、その事実に彼の心が耐えきれずにさらに壊れるというのなら、事実を捻じ曲げてでもその罪を被ろう。

 社会的に殺人の罪に問われるというのなら、それも甘んじて受けよう。

 ライアーバードはそう思っていた。

 ちなみに昨日までライアーバードは知らなかったのだが、あの魔女は第一王子の暗殺未遂事件の犯人だったので生死問わずの指名手配犯になっていた。

 その為誰があの魔女を殺したとしてもその犯人に何らかの罰が科せられることはないらしい。

 というかあの魔女の首には莫大な額の懸賞金がかけられていたので、本来なら罰を受けるどころか表彰付きで賞金がもらえたらしい。

 ライアーバードは諸事情あり一枚売れば豪邸が立つと言われている神竜の鱗を複数枚所持しているのだが、それを全て売り払った金額と比べてもあの魔女にかけられた懸賞金の方が高い。

 なので傍目に見ればライアーバードは金目当てで魔女殺しを自称するヤバい奴に見えていたのだろうなとライアーバードは思っている。

 それから少しの間、互いに黙ったままだった。

 黙れと言われたライアーバードは素直に彼のいうことをきくしかなかったし、彼の方は一言も喋ろうとしなかった。

「……そろそろいいか?」

 そんな二人に気まずげに声をかけてきたのはライアーバードの兄だった。

 その声に彼が少し首を動かしたのがライアーバードにはわかった。


 その後、正気を取り戻した彼は事情聴取及び彼の血筋関連の話をするためにどこかに連れて行かれた。

 正気に戻った彼は現状をよくわかっていなかった、理解していたのはあの日自分が母親を殺したショックで気をおかしくしていたこと、あの日誰が誰を殺したのか誰が誰に殺されたのか理解できていなかったこと、死んだと思っていたライアーバードが生きていること、そのライアーバードが何やら重要そうなことを自分達に黙っていたことくらいだったらしい。

 彼はライアーバードから離れたがらなかったが王が一般市民であるライアーバードには聞かせられないこともあるから、と言われてしぶしぶライアーバードを離した。

 その後、大したことはなかったが一応首を絞められていたライアーバードは城の医務室送りになった、なんともないし何かあっても自分で治せるとライアーバードは主張したが聞き入れられなかった。

 治療を受けた後、医務室に兄と父、それから幼馴染がやってきた、父と兄に事後処理とかで忙しいのではないかとライアーバードが問いかけたところ、部下と王宮魔術師の皆さんに押し付けたという答えが返ってきた。

 その場でライアーバードは再び尋問を受けた、旅に出る前にライアーバードがやらかしていた悪戯についての詳細、旅に出た後のあれこれなどを吐かされた。

 ライアーバードは最終的に話すつもりがなかった廃城での例の事件のことまで吐かされた、全ての話を聞いた兄達は心底呆れ返っていた。

 その後、特に異常なしとのことで医務室を追い出されたライアーバードはその後兄と父に城の食堂に連れてこられた、昼飯時がとっくに過ぎて閑散とした食堂で大きなミートパイを食べた。

 そこで少しだけ兄と父からライアーバードがいなくなった後の話を聞いた、詳しい話は後でするという約束を取り付けられた後、ライアーバードは昨日泊まった部屋に押し込められた。

 特にやることもなくぼんやりとしているうちに数時間が経過し、いつの間にか夜になっていた。

 兄が夕食を持ってきたが、昼食を食べ過ぎたせいで食欲がなかったライアーバードはそれを断った、それでも兄は胃に何か入れとけと果物と水を置いていった。

 そのまま何もできずにぼーっとしていると、再びノックの音が聞こえてきた。

「はい、なんでしょうか?」

 特になんの用心もせずにライアーバードが扉を開くと、そこには彼の姿があった。

 彼を部屋の中に招き入れたライアーバードは彼の首を指さす。

「その首輪、なんですか?」

「……逃亡防止の魔法道具だ。簡単に外せねぇし、どこにいても居場所が割れるようになってるらしい」

 彼は機嫌が悪そうな声でそう答えた。

 話を聞いてみると本当だったら再び彼が正気を失う可能性もあるのでしばらく地下牢行きになってもおかしくないらしいが、その地下牢がすでにぶっ壊れているため一旦城から出なければそれでいいということになったらしい。

「あと、お前が寄越してきたあのペーパーナイフは没収された。……お前からもらった奴だから取られたくなかったんだが…………ラスコヴニク製の超貴重品だなんだって言われて」

「あー、大丈夫です。よく知らないのですけど、なんかすごく貴重ですごい魔法道具だったらしくて……なんか、本当だったら博物館とか国の宝物庫とかで大事に保管しなきゃならないようなものだったらしいんですよね」

「……どこでそんな物を手に入れた?」

「とある資産家の娘さんに、宝物庫の中身を全部売っぱらうからその前に好きなのを持って行って欲しいって言われてもらった物でして……その時居合わせた人が良い物だって言ってたんですけど、国の宝物庫行きになるようなすごい代物だとは思わなくて」

 もらった時はそんなにすごい物だとは思ってもいなかったし、その娘さん曰く娘さんのお祖父様がペーパーナイフとして常用していた代物だったらしいので、ライアーバードはただ綺麗なだけのペーパーナイフだと思い込んでいた。

 ライアーバードの言い分を聞いた彼は小さく溜息を吐いた。

「……お前には、聞きたいことがいくつもある」

「ええ」

「聞きたいことがありすぎて何がなんやら、って感じなんだが、とりあえず先にいくつか。お前がレイフの妹って話は本当なのか、お前のその声はなんなのか……あと、これはラズが聞けってうるさいから聞くんだが、ドウタンとか黒歴史ブロマイドってなんなんだ?」

「解答その一、一応双子の兄妹です。解答その二、ただの声真似、私の唯一の特技です。解答その三、私の前職は歌姫だったのですが、信じがたいことにマリア様と魔女様は歌姫時代の私のファンだったらしいです。ブロマイドのことは…………聞かないでください」

 ライアーバードはブロマイドのこと以外素直に答えた。

 ライアーバードの答えを聞いた彼は少し考える素振りを見せた後、口を開いた。

「前職が声に関わる仕事だったってのは聞いたことがあるが……その前職っていうのが歌姫で、母上がお前のファン?」

 ブロマイドへの言及がそれ以上なかったことにライアーバードはひとまず安堵した、今後も聞かれないことと、彼らが後で調べないことをライアーバードはひっそりと祈った。

「私のファンだった、っていう話は本当かどうかわからないです。……正直嘘っぽい気がしますけどね、悪評しかなかったので、当時の私」

「そうなのか?」

「そうなんですよ。……けど、私の名前くらいは知ってたのかもしれません。私は基本的に世界一の歌姫の前座をやっていたので、あの歌姫のファンなら私のことも知ってる、という人はそこそこいたみたいなので」

「…………そうか。それでその声は、声真似で済む話なのか? 魔法を使っているとか?」

「魔法は使ってません。子供の頃に練習したらなんかできるようになったんですよね」

「そうか……そう、なのか……」

 彼は納得したような釈然としないような微妙な顔でそう呟いた。

「そろそろ、色々と話さなければならないのではないか、とは思っていたんです。……少し長い話になりますが……聞いてくれますか?」

 ライアーバードがそう問うと、彼は無言で首を縦に振った。

 ライアーバードはどこから話すか少しだけ迷って、結局はじめから話すことにした。

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