仮想と実在の境界 side Artist

「ゆらぎちゃん、今日も可愛いね〜!」

「歌声、天使!」

「清楚系最高!」


 配信を終えて、VRヘッドセットを外す。画面に映る十五歳の清楚な少女——紫水ゆらぎ——は消え、鏡には疲れた二十五歳の私、本名・水野遥香が映っていた。

登録者数は十二万人。歌ってみた動画は毎回数万再生。それなりに成功している部類だと思う。でも、最近わからなくなってきた。私は何のために、この「ゆらぎ」を演じているんだろう。


 スマホを見ると、Xのタイムラインに見知らぬ投稿が流れてきた。


「紫水ゆらぎちゃんのファンが作った動画、めっちゃ良い……泣いた」


 リンクを辿ると、『亡き王女のためのパヴァーヌ ―実在とのはざまに―』という曲。再生してみる。

 優雅で、どこか切ないピアノの旋律。そして双葉湊音の歌声で紡がれる、不思議な歌詞。


「空から揺らぎ伝う 水面に波が開く」


「揺らぎ」という言葉に、思わず画面を凝視した。

 投稿者のプロフィールを見る。


 『紫水ゆらぎ』ちゃんの大ファンの還暦ジジイです。昔取った杵柄で何か作ってみようと最近始めました。


 ファンが、私のために?


「目指す場所へと 少しずつずれ 不揃いの音 何故か知る」


 ずれ。不揃い。

 私と「紫水ゆらぎ」のずれ。清楚なキャラクターと、疲れ切った本当の私。


「同じ旋律が 何度も揺らいで巡って 微かに歪みつつ 途切れながらも続く」


 毎週同じように配信して、同じように可愛いキャラクターを演じて。でも、少しずつ歪んでいく。途切れそうになりながら、続けている。

 気づいたら涙が溢れていた。


「生きていたしるし 命が揺れてた証を 残して行く」


 私は何を残せているんだろう。「紫水ゆらぎ」というキャラクターの向こうに、本当の私の「しるし」は見えているだろうか。


 コメント欄を見ると、投稿者が他の人に返信していた。


「この曲、歌ってみたでカバーしてもいいですか?」

「もちろんです。ただ、ゆらぎちゃんご本人が歌ってくださるなら最高なんですけどね(笑)」


 手が震えた。

 私、この曲を歌いたい。

 翌日、勇気を出してDMを送った。


「紫水ゆらぎです。素敵な曲をありがとうございます。もしよろしければ、この曲を歌わせていただけないでしょうか」


 返信は驚くほど早かった。


「光栄です! ただ、一度お会いしてお話しできませんか? 四ツ谷のオフィスまで来ていただけますか? 詳細は改めて」


 送られてきた住所を見て、息を呑んだ。四ツ谷の、あの大きなビル。日本を代表するレコード会社の本社じゃないか。



 指定された日、緊張しながらビルのエントランスをくぐった。受付で名前を告げると、すぐに案内された。エレベーターは最上階まで上がっていく。

 案内された部屋は、シンプルだが品のある応接室だった。そして、そこにいたのは——。


「お待ちしていました、水野遥香さん」


 穏やかな笑みを浮かべた、白髪混じりの初老の男性。スーツではなく、カジュアルなジャケット姿。


「あの、あなたが……?」

「はい。動画投稿者の『還暦ジジイ』です」


 男性は自己紹介した。


「実は私、三十五年間この会社で働いていました。A&Rディレクター/プロデューサー、最後はエグゼクティブ・プロデューサとかいうつまらない役も押し付けられましたねえ。去年一線を退きまして」


 言葉を失った。


「驚かせてすみません。でも、嘘はついていませんよ。還暦のジジイで、ゆらぎちゃんの大ファンなのは本当です。あ、還暦はちょっとサバ読んでます」


 男性は温かい目で続けた。


「あなたの配信、ずっと見ています。歌が本当に素晴らしい。でも最近、少し疲れているように見えました」


 胸が締め付けられた。


「この仕事を長くやってきて、たくさんのアーティストを見てきました。キャラクターと自分の間で揺れる人、理想と現実の狭間で苦しむ人。みんな、何かを『演じる』ことと『本当の自分』の間で悩んでいました」


「私……」


 声が震えた。


「もう、わからなくなってきて。紫水ゆらぎって誰なんだろうって。私は誰なんだろうって」


「だから、この曲を作ったんです」


 男性は優しく言った。


「揺らぎは、悪いことじゃない。完璧に固定された音なんて、音楽じゃない。少しずつずれて、微かに歪んで、それでも響き続ける。それが音楽で、それが人間です」


「不揃いの音 何故か知る」


「あなたは、完璧な『紫水ゆらぎ』を演じる必要はないんです。揺らぎながら、時には不揃いでも、それでもあなたの声は美しい。その『揺らぎ』こそが、あなたらしさなんです」


 涙が止まらなくなった。


「この曲、歌ってください。でも、一つお願いがあります」

「何ですか?」

「『紫水ゆらぎ』としてではなく、水野遥香として歌ってください。あなた自身の声で。キャラクターの声じゃなく」

「でも、それじゃファンが……」

「大丈夫です」


 男性は確信を持って言った。


「本物の音楽は、キャラクターを超えて届きます。私が三十五年間学んだのは、それだけです」



 一週間後、私は配信を始めた。いつもと違うサムネイル。タイトルは『【歌ってみた】亡き王女のためのパヴァーヌ - 紫水ゆらぎ(中の人の声で)』


「みんな、聞いてくれてありがとう。今日は……いつもと違う歌い方をします。私の、本当の声で」


 画面の向こうで戸惑うコメントが流れる。でも、私は歌い始めた。

 二十五歳の私の声で。疲れも、迷いも、それでも歌うことが好きだという気持ちも、すべて込めて。


「震えて今だに響いている 生きていたしるし 命が揺れてた証を 残して行く」


 歌い終わったとき、コメント欄は静まり返っていた。

 そして——。


「泣いた」

「これが、ゆらぎちゃんの本当の声……」

「キャラボイスも好きだけど、この声、もっと好きかも」

「人間らしくて、温かい」

「不完全だからこそ、美しい」


 スマホが震えた。あの男性からのメッセージ。


「素晴らしかった。もしよければ、私と一緒に、まずは公開用音源を音源を作りませんか。このレーベルでもいけるかもしれません。アーティストデビューですね」 「『紫水ゆらぎ』でも『水野遥香』でも、あなたが選んだ名前で」


 私は窓の外を見た。東京の夜景が、無数の光で揺らいでいる。

 完璧じゃない。不揃いで、時には途切れそうになる。でも、それでも光は響き合って、美しい景色を作っている。


「揺らぎの名残り 全てがひとつに」


 私は、もう一度歌い始めた。

 揺らぎながら。

 でも、確かに。

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