捨てられ聖女は氷の魔王に“魂ごと”買われました

柴田はつみ

第1話  偽聖女の烙印

 聖堂に満ちる香の匂いが、今日はひどく息苦しかった。

 白大理石の床に反射する光が、まるで刃のようにリリアの視界を切り刻む。


「リリア・エヴァンス。前へ」


 王太子レオンハルトの声が、高く澄んだ天井に反響した。


 呼ばれて一歩踏み出した瞬間、リリアの膝はかすかに震えた。

 それでも、祈りの時と同じように背筋を伸ばす。

 ここは聖堂であり、神の前だ。どんな時でも、聖女は恥をさらしてはならない――そう、教えられてきたから。


「……はい」


 か細い声で答えると、貴族たちの視線が一斉に突き刺さった。

 値踏みするような目。

 失敗作を見るような目。


 隣に立つセレフィナは、淡く輝くドレスに身を包み、胸元で手を組んでいる。

 その頬はほんのりと赤く、誰が見ても“慈悲深い聖女”の姿だった。


「リリア」

 レオンハルトが言った。

「最近、王都の結界が不安定になっているのは知っているな?」


「……はい。毎日、祈りを……」


「だが、セレフィナ様が結界を補強なさると、たちまち安定する。

 一方で、お前が祈ると……」


 彼は言葉を切った。


「……弱まる」


 聖堂がざわめいた。


「そ、そんな……!」

 リリアは思わず声を上げた。

「私は、誰よりも長く祈っています! 指が裂けても、意識が遠のいても……!」


 セレフィナが、ふるりと首を振った。


「リリア様……それは、あなたの思い込みです」

 優しい声。

 それが、リリアの心を余計にえぐる。


「無理をなさるほど、聖力は歪むものです。……あなたは、もう神に選ばれていないのですわ」


「……っ!」


 胸が、きゅっと締めつけられる。


(選ばれて……いない?)


「そんな……私は……」

 声が震え、言葉が続かない。


 レオンハルトが立ち上がった。


「よって、王国はリリアを“偽聖女”と認定する」


「……!」


「そして――王国追放とする」


 世界が、音を立てて崩れた。


「待って……ください……!」

 リリアは床に膝をつき、縋るように前へ進もうとする。

「私は……聖女として生きてきました……! それしか……知らないのに……!」


「もういい」

 レオンハルトは視線を逸らした。

「セレフィナ様がいれば、それで十分だ」


 兵士たちが、リリアの腕を掴む。


「いや……やめて……!」

 冷たい鎧が肌に食い込み、痛みが走った。


 セレフィナが小さく息を呑む。


「……可哀想に。でも、これも神のご意思ですわ」


(嘘……)


 彼女の目が、一瞬だけ――

 勝ち誇ったように、細められたのを、リリアは見逃さなかった。




 雪原は、音を吸い込む白い地獄だった。


「ここから先は王国領外だ」

 兵士が吐き捨てる。

「生きられるかどうかは、お前の運だな」


 リリアは、雪の中に突き飛ばされた。


「……っ!」


 冷たい雪が、頬と唇に入り込む。


「……お願い……戻して……」


 門は無情に閉ざされた。


 一人きり。

 何もない世界。


「……私は……」


 膝を抱え、震える。


「……要らない……存在……?」


 その時――

 風が止んだ。


 雪嵐の向こう、誰かが歩いてくる。


 黒い外套、氷のような気配。


「……面白い」


 低く、澄んだ声。


 顔を上げると、氷色の瞳の青年が、リリアを見下ろしていた。


「こんな場所に、壊れかけの聖女が捨てられているとは」


「……だ、誰……?」


 彼は、薄く笑う。


「俺か? ――氷の魔王ゼファーだ」


 心臓が、止まりそうになる。


「……ま、魔王……?」


「そうだ」


 彼はしゃがみ込み、リリアの顎を持ち上げた。

 だが、その指は不思議と冷たすぎなかった。


「お前の魂……まだ、輝いている」


「……っ」


「だから――」


 氷色の瞳が、彼女を射抜く。


「その命、俺が買う。魂ごとだ」


 それが、

 彼女の運命が反転した瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る