サンタ、運ぶ。

 壁一面、ピエロで埋まっていた。赤く丸い鼻。虹色のアフロ。囓り取った爪のような三日月の目。笑っているのに、涙を流している。

 部屋の中央には汗臭い男が一人。モニターを睨みつけ、ピエロと同質の笑みを浮かべていた。その髪は右半分だけ禿げ上がり、発展途上国に生息する雑種犬のようだ。

「ぶっ殺してやる……」

 男は涎を溜めた口でそう呟いた。

 睨むモニターには、とある家庭のリビングが映っている。食卓を、四人家族が囲っているようだ。味噌汁にご飯、判別できないがおかず。普通の家庭の、普通の朝ご飯。

 バタンとドアが開き、もう一人の男が入ってきた。

「おい……暗いし臭ぇぞ兄貴。風呂入れよ」

 どうやら弟らしい。男と顔が同じだ。違う点と言えば、頭髪だろう。彼は健全に髪が生え揃っている。男が発展途上国の雑種なら、弟はデヴィ夫人の愛犬だ。

「出てけ。取り込み中だ」

 弟は忠告を無視し、部屋を見渡した。ピエロに視線が止まる。

「この仮面気味が悪りぃんだよ。まぁ、顔を隠すときに使えるかもだけど」

 返答がないのを確認して、弟はおずおずと質問を投げた。

「……最近何してんだ? モニターばっか見つめてさ」

 男は耳をビクッと痙攣させると、モニターを睨んでいた顔を、ぐりっと回転させた。醜い笑みが張り付いた顔は、汗でじっとりと濡れている。

「あいつらを見つけた。今盗撮中だ」

「ほんとかよ!」

 弟は目を見開き、「やったな」と気持ちばかりはしゃぐ。

「俺にも見せろよ」

 弟はそう言うと、ためらいなく部屋に踏み込んだ。

「出て行けって言っただろ!」

 男の怒号が一閃、弟が足を止めた瞬間、銃声が鳴り響いた。

 火薬の匂いを辿ると、男の手に握られた銃が、大きく口を開いていた。なすすべ無く両手を挙げた弟の横で、壁面がぱらぱらと崩れ落ちる。

「わ……悪かった。出てくよ」

 弟はそう言うと、逃げるように部屋を出て行った。

──待ってろよ。

 男はそう独り言ち、モニターへと向き直る。不気味なピエロの仮面達は、その様子を、ずっと笑顔で見守っている。


        *


 明日は俺にとって最も大事な日、クリスマスイブだ。なぜかと言うと、我が家族構成が確定した日だからである。娘が生まれ、子供が二人に増えた。「二人って、とてもバランスが良いわ。アダムとイブみたいで」と妻が言って、子作りは打ち止めになった。

 しかし、明日の予定は白紙だ。折角のクリスマスイブ、家族サービスしたいのはやまやまだが、体がしんどい。

 妻の祐子は朝食を作ってくれているが、さっきからちらちら俺を見ているような気がする。まさか、家族サービスをしろと言っているのでは……。

 赤木貴史は、悶々とした感情を抱えたままコーヒーを啜った。

確かに家族サービスは大事だ。これは父親の仕事であるに違いない。実際、これまではきっちりと勤めを果たしてきたつもりである。毎年クリスマスイブには、遊園地やら、遊園地やら、遊園地やら、様々な遊園地へドライブしたものだ。「遊園地ばっかりじゃない!」と祐子は言うが、子どもは遊園地が好きなんだ。そうに決まっている。

「もうご飯できるよ~」

 祐子が声を上げた。フライパンを振る音が止まる。貴史は思考を中断して、声にならない声で返事をした。机の上をなんとなく片付けながら、これまたなんとなく点けていたテレビをチラ見する。華やかなアナウンサーが、にこやかに語りかけてきた。

『十二月二十四日。遂に明日はクリスマスイブです。プレゼントを待つ子ども達にとっては、一年を通して最も特別な日だと言えるでしょう。しかしここ数年、サンタクロースの墜落事故が相次ぎ、負傷者を多数出しています。去年には、なんとクリスマスプレゼントを蹴り飛ばす様子が防犯カメラに記録されてしまうなど、問題続きのサンタ業界。果たして今後はどうなっていくのでしょうか。この時間からは、サンタ業界に詳しい、池上あきらかさんに解説していただきます』

『あなたの知識をハイジャック! どうも、池上あきらかです!』

 ふざけた格好の老人が、手を銃の形にし、カメラに向かって撃つ動作をした。周りのアナウンサー達が、「うわあ!」とおどけてみせる。とんだ茶番だが、朝定番の光景である。

「墜落事故、怖いわね」

 祐子が机に料理を置きながら言った。「そうだな」と、出てきた料理を眺めながら返す。

「そういえば、お隣さんの親戚の話なんだけどね、墜落したサンタに巻き込まれて、全治半年の大けがを負ったんですって」

「あれってお隣さんの親戚だったのか。怖いな」

「そうなの。身近な人がニュースになって、なんだかわくわくするわ」

 このように、祐子には不謹慎なところがある。きっとご近所で嫌われていることだろう。

『今年は警察官たちが全国を警備するみたいだネ! 道路だけじゃなく、航空パトカーでの警備も行うらしいヨ! サンタ業界の問題も、これで解決するといいんだけどネ……』

 テレビの中から、池上あきらかの声が聞こえてきた。高音で耳に響く、やけに嫌な声だ。

 ここ五年ほどで、サンタ業というのが出来た。配達サービスと、航空技術の発達によるものらしい。実際に空飛ぶソリで子供にプレゼントを渡して回ってくれる。国による福祉事業らしいが、あんまり詳しい所は知らない。

「ねえあなた、二階に鈴を呼びに行ってよ。料理が冷めちゃうわ」

「えー、もう降りてくるだろ」

 貴史が気の抜けた返事をした時、ドアがバンッ! と開いた。

「え、また同じメニューじゃん。もっとレパートリーねぇの?」

 文句を垂れ流しながら入ってきたのは、娘の鈴だ。金に染まった長髪、どぎついメイク、長い爪。見ていると目がチカチカする。女の色気なんてあったもんじゃない。

「コラ、折角母さんが作ってくれたのに、文句を言うな。お前が毎日作るか? ん?」

 怒るのも、父親の仕事だ。娘の性格をたたき直したい想いが強すぎて、毎回嫌みっぽくなってしまうが、これも愛の故。仕方が無い。鈴もきっと分かってくれているはずだ……ん? なんだその目は!

「はぁ!? 嫌に決まってんじゃん! ていうか、それはお母さんの仕事でしょ? 料理教室もやってるんだから、もうちょっと色んな料理出してくれてもいいんじゃないのって話」

「これがベストな献立なのよ」

 鈴の文句に、祐子が反論した。

「味噌汁に、ご飯、コオロギの炒め物、ミミズのおひたし。こんなにバランスの取れた栄養を取れる朝食なんてないわよ。特にミミズは栄養が豊富。タンパク質から、ビタミン群までなんでも揃ってる。ほうれん草が霞んで見えるわ。彼にはタンパク質が足りない」

 祐子は、管理栄養士だ。加えて、虫のお料理教室をやっている。この頃食糧不足が声高に叫ばれて、昆虫食が定着してきた。うちの祐子はさらに先を行って、昆虫だけでなくミミズなんかの分類も分からないような虫を扱う。

 最初はミミズなんか食えるか! と思った物だが、祐子の腕なのか、一度食べるとやみつきになった。かと言って、毎日だと飽きる。たまには違う物も食べたいというのは、貴史も同意見だった。

「別に料理そのものを変えなくても良いの。味噌汁になんか足すとかさ」

「何よ?」

 鈴は目を閉じてしばし考えこんだ後、ニヤリと笑って叫んだ。

「マリファナとか!」

 鈴は手の平を大きく開いて、大麻の葉っぱの形を表した。思わず貴史は首を振る。

「そういう冗談はやめなさい」

「冗談じゃない。だってあんなにマリファナは美味しいんだよ? 味噌汁に入れれば、毎朝最高の気分で学校に行けるじゃんか」

「前からずっと言ってるが、薬物は止めろ。ほんとに」

 注意だけで済ますなんて、甘いのは分かっている。立派な犯罪行為なのも分かっている。しかし、娘に嫌われたくない。それに、無理に取り上げた瞬間に警察が来て、「大麻所持で逮捕する!」なんて言われたら、たまったもんじゃない。

「確かに、マリファナはおいしいわ。でもね、味噌汁に入れたら変な味になるの。なんか、薬品みたいな? お風呂みたいな味になるのよね。もちろん、実証済みよ」

 祐子の口から、衝撃的な言葉が放たれた。「そうなんだ」と頷く鈴を差し置いて、貴史は祐子を問い詰めた。

「おい待て。祐子、もしかしてお前も薬物をやっているのか?」

「まさか。今はやってないわよ。丁度鈴くらいのときの話」

「なんで今まで言わなかったんだ」

「過去は振り返らない主義よ」

 祐子は毅然と言った。貴史は項垂れて、頭を抱えた。

 だから今まで何も鈴に言わなかったのか。おかしいとは思っていたが、まさか祐子も経験があったなんて。ミステリアスで綺麗だ!

「三太は今日もどうせ降りてこないよね」

 鈴が不意に訊ねる。

「そうだな。どうせ部屋でまだ寝てるんだろ。あんなニートは放っておけ」

 三太は赤木家の長男だ。高校を卒業したまでは良かったが、就職活動で社会の波に飲み込まれてそのまま難破してしまったらしく、部屋に引き籠もってしまった。ここ一週間は姿も見ていない。

 昔の三太は可愛かった。都こんぶを買ってやると、嬉々とした表情で抱きついてきたものだ。未だに小さな三太の暖かさを覚えている。

「さあ、早く食べよう。もうちょっと冷めてる」

 三人は席に着き、手を合わせた。

「我らの栄養源を創造してくれる壮大な自然に、引いては直接的に我らの栄養源となってくれる全ての下等生物たちに、いざ、感謝を捧げ散らかさん。ほんまにありがとう」

「ほんまにありがとう」

 祐子の言葉に、貴史と鈴が続いた。

 この食事前の儀式は、祐子考案のものである。「いただきますなんて、もう古いわ」と言い放ち、これが始まった。急に出てくる関西弁は謎だが、基本的には素晴らしい儀式だ。なぜなら、下等生物にも命はあるから。高等生物の我々に命を捧げるのは当然だが、当たり前のことにこそ感謝しなければならないのだ。

 じとっと白米を眺めた鈴は、何かを思い出したように、バックの中を漁り始めた。満足げに笑みを浮かべた鈴の手には、小さなプラスチックの袋が握られていた。中には、白い粉が入っている。鼻歌を歌いながらジッパーを開ける鈴。

「おい待て、それはなんだ」

 指し示しながら訊ねた貴史に、鈴は答えた。

「え? 何って、覚醒剤に決まってるじゃん」

 あまりにもさらっと言ってのける鈴に、貴史は何の言葉も出てこなかった。固まっている貴史を置いて、鈴はその粉を白米にかけ始めた。

「これがうまいんだよなぁ」

 鈴はそう言うと、箸を手に取り、勢いよくかきこみ始めた。さっきは献立に飽きたと言っていたくせに、すごい食いっぷりだ。

「おい、ほんとにそれ覚醒剤なのか? 塩だよな? 塩って言ってくれ」

 半ば頼み事をするように身を乗り出した貴史に、鈴は茶碗をドンっと置いた。

「は? 覚醒剤に決まってるじゃん! 嘘つく必要がどこにあるのよ」

 そう言った鈴は、ああ、と納得したような顔をして続ける。

「ああ、確かに今日は検尿だよ? でも大丈夫。もう採尿は済ませてあるから。知らないの? 朝一で採らないとだめなんだよ?」

 そういうことじゃない。と思いっきり言ってやりたかったが、喉の中で溜め息に変換されてしまった。ご飯にがっつく鈴を見て、祐子はニコニコと微笑んでいる。何故か自分がアウェイに感じた、貴史は諦めたように溜め息をつき、ミミズをずるっと啜った。

 

 無事に朝食が終わり、鈴は学校へと駆け出していった。今日は仕事だが、家を出るまであと三十分はある。もう少しだけだらだらしていよう。

 洗い物を始めた祐子を眺めながら、貴史は食後のミドリムシジュースを飲んでいた。なんとも言えないお味だ。甘いけど、甘いだけ。ミドリムシが入っていると思うと、その甘さが逆に気持ち悪い。

「なあ、このジュース残しても──」

「駄目よ!」

 貴史が言い終わらない内に、手を忙しなく動かしていた祐子が吠えた。

「そのミドリムシジュース高いのよ!? 体中のがん細胞も破壊してくれるし、お肌にもとっても優しいんだから。毎朝これを飲むだけで、十歳は寿命が延びるって言われてるの。覚悟して飲みなさい!」

 そんな魔法みたいな効果があったのか。俺の身体をこんなに気遣ってくれているなんて。本当に、この人と結婚して良かった。

 祐子と出会ったのは、今から二十五年前の雪の日だった。俺はその時二十二歳で、就職活動に傷心していた。山のように届くお祈りメールに、涙を傘で隠しながら歩いたことを覚えている。

 その帰り道だった。半ば恐怖症じみていたオフィス街の一角、薄暗い路地裏のようなところに、占いをしているブースがあった。その時俺は就職活動で悩んでいたから、自分の将来を占ってもらおうと思ったのだ。

 紫と黒で出来たデザイン。具体的に言うと、学習机ほどの机に、黒い布が被せられ、客側に紫色のこれまた布が垂れ下がっていた。そこに、白い行書体で『うらない』と書かれていたと思う。屋台っぽい屋根もあったし、居酒屋にある暖簾みたいなものもあったが、それはあまり詳しく覚えていない。そう、横に電子看板もあった。

 とにかく、路地裏にあることも相まってか、かなり奇妙な佇まいだった。しかしそれ故、妙な色気があったのだ。実際、俺はここで運命的な出会いを果たすことになる。

 俺は吸い込まれるようにして暖簾をかき分けた。すると、線香のような匂いが鼻をつき、その先には顔を隠した女の人が座っていた。机の上には、お約束とでも言うように水晶玉。それを撫でる女の人の手がとても綺麗で、若いことが一瞬で分かった。

『そこにお座り下さい』

 声も若かった。俺は言うとおり、質素なパイプ椅子を引いて、ゆっくり座った。

『何を占って欲しいんですか?』

『あ、えっと、その前にですね、いくらで占ってもらえるんですか?』

『お代はいりませんよ』

 黒い布にうっすらと透けた唇が、にこっと微笑んだ。俺はその瞬間、その人に惹かれたのだ。先に言ってしまおう。この人が祐子だ。俺は背筋を伸ばし、ネクタイを締め直した。

『そ、そうなんですね。しょ、初回無料みたいなことですか?』

『いえ、あなただからです』

 机に投げ出していた俺の手に、祐子の手が重なった。この時、俺は完全にノックアウトされた。

『実はさっき、自分で占いしてたんです。次にきた男のお客さんが、私の人生の伴侶だって、水晶が言ってくれました。だから、私を貰ってください。このまま、あなたと一緒に──』

 祐子はそのまま顔の布を取った。その下には、とんでもない美人が微笑んでいた。嘘じゃなく、本当に女神様か何かだと思った。考える暇もなく、俺は結婚を承諾した。

『僕があなたを守ります』

 自分でも、ここはかっこよく言えたと思う。

 そんなわけで、俺と祐子は結ばれた。まさかこんな美しい人が俺のお嫁さんになってくれるなんて! もしあの時就職活動をしていなかったら、祐子に会うことはなかっただろう。真面目なあの時の俺に感謝だ。

その後、信じられないことだが、親に結婚を反対された。親に祐子を紹介し、馴れ初めまで話したところで。「結婚詐欺だ!」と叫ばれたのだ。それも祐子の前で。こんなにかわいい人が、詐欺なんてするわけがない。俺の怒りは頂点に達し、親との縁を切った。

結果、祐子は本当に俺の嫁になってくれた。しかし、彼女に当時のことを聞いても、何も答えてくれない。まあ、そのミステリアスな感じが大好きなのだが。

目を閉じて過去に浸っていると、携帯の通知が鳴り、一瞬で現在へと引き戻された。少し不機嫌な顔をしながら、貴史は携帯を手に取り、黒い画面を覗き込む。するとすぐに電源がついた。顔認証最高。

 どうやら、さっきの通知はクレジットカードの請求だったようだ。二十万円。

──二十万円?

 さっと血の気が引く。足の方に血が全て集まっていく感覚がした。

いつもは五万ほどしか使わない。ちょっとネットショッピングをしたり、飲み会に行ったときに見栄を張って後輩に奢ったりするだけだ。それが、二十万だと?

 脳裏に、三太の顔が浮かんだ。太った顔で、ほくそ笑んでいる。あいつだ。あいつが、勝手に俺のクレジットカードを使ったに違いない。全く、いつ俺の財布から抜いたんだ?

 貴史の額に、血管が浮き出した。机をおおげさに叩く。置いていた化粧水が倒れて、コロコロと床に落ちていった。

「あいつめ!」

 椅子を半ば倒すようにして引き、足を踏み鳴らしながら階段へと続くドアを乱暴に開けた。祐子が「どうしたの?」とこちらを振り返る。

 貴史はそれを無視して、ずんずんと階段を上っていった。二階の一番奥の部屋。そこが、三太の住処だ。やや乱暴にドアをノックする。

「おい三太! 話がある! 今すぐに出てこい!」

 ゲームのピコピコ音はするのに、応答がない。あいつ、しらばっくれるつもりか。

 貴史がなおも叫びながらドアを懸命に叩いていると、遂に返事が聞こえた。

「なんだよ! うるせえ!」

 叫び慣れていない、へにゃへにゃな怒声だ。なんだったら、声が裏返っている。我が息子だが、なんだか情けなく思えてきた。

「お前、俺のクレジットカードを勝手に使っただろ!」

「ああ使ったよ! 何が悪いんだクソ親父!」

 貴史は、本日何度目かの溜め息をついた。どうして俺の子どもはこうなんだ。ちゃんと叱ってるのに。

「お前がやったのは、単なる盗みと変わらないぞ! 今内訳を見た。お前、十五万使ってるな! 一体何に使ったんだ!」

「都こんぶだよ!」

 貴史の脳の活動が、完全に停止した。都こんぶ?

「なんで?」

「なんでじゃねえよ! 都こんぶ十五個セットをポチったんだよ! これでいいだろ! もうあっち行け!」

 十五個セット……一個一万円だと!?

「なんでそんなもん買ったんだ! 確かにお前が都こんぶ好きなのは知ってる。都こんぶ作ってる会社が倒産して、プレミア価格がついたのも知ってる。だけどな、一個一万だぞ!? 正気じゃない!」

 貴史が言うと、部屋の中から、涙混じりの叫び声が返ってきた。

「うるさい! 食べたかったんだよ! これで最後にするから!」

 貴史がドアに耳を当てると、三太がすすり泣く声が聞こえてきた。二十五歳の涙。情けないが、反省はしているらしい。「これで最後にするから!」という台詞に、謝りたいけど変なプライドが邪魔して謝れない、あの思春期特有の葛藤が滲み出ていた。

二十五歳なのにまだ思春期なのか。五十くらいになって発情期がきたら、目も当てられないぞ。

「もうするなよ!」

 貴史はそう捨て台詞を吐いて、リビングへと戻った。

「どうしたのよ?」

 洗い物を終えて、机で一息ついていた祐子が訊ねた。化粧水が戻っている。

「あいつがクレジットを勝手に使った」

「いくら?」

「十五万だ」

 驚愕の表情を浮かべる祐子は、思わず口に手を当てた。

「そんな……料理教室の生徒さんの月謝と同じじゃない!」

「お前……そんなに取ってるのか」

「十五万でも安い位よ。私の講義が受けられるんですもの。二十万でもいいわ」

 もしかしたら俺が会社を辞めてもやっていけるんじゃないだろうか。

 一瞬そんなことが脳裏をよぎったが、直ぐに頭を振る。仕事を辞めてしまったら、三太と同じ状態になってしまう。父親の威厳がなくなってしまうぞ。

それにしても、生徒一人で月謝が十五万だと? 確か、祐子の教室には十人生徒がいるはずだ。月収百五十万ってことか? 週一回しかやってないのに? 年収にすれば──千八百万!? 俺の年収の三倍だと!?

「祐子! 教室で得た金はどこに置いてるんだ! 口座は分けてたが、そんなに貰ってるとは知らなかったぞ!」

「そんなの全部競馬に突っ込んでるわよ」

 ショックで目の前が真っ暗になった。自分の知らないところでそんな大金が動いていたなんて……。毎日せこせこ働いてやっと年収六百万の自分がちっぽけに見える。

 貴史は必死に頭を振って、祐子を問い詰める。

「競馬だと!? そんなギャンブルやってるのか! はしたないぞ! それに何だ、馬が走ってるとこ見て何が楽しいんだ!」

 祐子は頬杖をつき、何かに酔いしれた顔をした。くそう、美しい!

「競馬って言っても、私は馬に掛けてないのよ。最近はね、トナカイレースっていうのがあるの」

「なんだそれ」

 思わず、貴史は訊ねた。

「最近サンタ業ってのが出来たでしょ? それに乗じて、トナカイに競争させるのよ。騎手はソリの上からトナカイのケツを叩いて、熾烈な競争を繰り広げるってわけ。このレースの醍醐味は、やっぱり大迫力の空中戦ね。観客全員で空を仰いで叫ぶのは、不思議な一体感があるわよ。競馬だったら、負けたら崩れ落ちて地に涙を滴らせるものだけど、トナカイレースの場合は、天に向かって泣くからね。負けてもかっこよく泣ける。そこが人気のポイントね。一回一緒に行ってみる? 脳汁が溢れ出るわよ」

 別に天に向かって泣けるのが良いのか知らないが、ギャンブルを悪だと思っている俺にとっては、馬もトナカイも関係ない。月に百五十万も使って一体何をしているんだ。ただでさえ家計はカツカツだと言うのに。

「それで、勝ってるのか?」

 思っていることとは全く違う質問が飛び出てしまう。結局、俺も卑しい性格なのだ。

「まあ、たまに勝ったりはするけど、勝った分もすぐにつっこんじゃうから、あんまり意味ないわね」

「それって何が楽しいんだよ」

「そうね……結局は、一瞬の刺激を求めてるのよ。私生活では何にもないしね……」

『家族サービス』。その文字が、再び脳裏に蘇った。やはり、このままじゃだめだ。俺が何もしないから、祐子がギャンブルに染まってしまったんだ。大金も吸われてしまうし、このままではいけない。

貴史は覚悟を決めた。明日は、旅行に行く。家族みんなでだ。

「あと、もう一個理由があるわね」

 自分の覚悟に気を取られている貴史をよそに、祐子は立ち上がった。貴史に背を向けて、ルンルンと歩いて行く。

「この騎手がかっこいいのよ!」

 祐子は引き出しの中から、チラシを一つ取りだしてきた。爽やかな塩顔イケメンが、こちらを見て微笑んでいた。塩顔のくせに、日に焼けている。生意気な。

「岩ノ上愛斗っていうの。主人公みたいな名前でしょ?」

「こいつがそんなに上手いのか?」

 祐子は首を振る。

「いや、上手くはないわ。ただイケメンなだけよ。いつも下の順位なんだけど、かっこいいから思わず掛けちゃうのよ。実力はないのに、いつも一番人気だわ。多分顔だけで食ってるわね」

 こいつのせいで、赤木家の金が吸われているのか。くそ、やっぱり生意気だ。その白い歯を全て折ってやりたい。

 自分で稼いだ金でもないのにイライラしている自分に気付き、思わず溜め息をつく。今日は溜め息をついてばかりだ。なにも上手くいっていない気がする。やはり、旅行にいって気分を変えなければいけない。

 何気なく、チラシの裏を見た。するとそこには、温泉付き旅館の広告が掲示されていた。当日予約可。今ならなんと三十パーセントオフ。

 貴史は、思わずニヤリとした。これだ。これしかない。

「祐子、これは最近のチラシか?」

「ええ。丁度昨日のやつよ」

 決まりだ。たまには遊園地ではなく、温泉にでも行こうか。一緒に風呂に入れば、本音で語り合える。このもやもやした感情を、水で流してしまおう。そうと決まれば、早速プランを練ろうか。とっとと埋まる前に予約して、予算も決めないと。ああ、なんだかワクワクしてきた。

 後になって考えてみれば、この選択が間違いだった。あのチラシを見てしまったばっかりに、あんなことになるなんて。岩ノ上愛斗って奴のせいだ。あいつがチラシに載ってなければ──と言いたいところだが、彼は後に私たちを助けてくれる。彼はまさに、ソリに乗った王子様だった。


        *


 その日の夕食後、ムカデの一本漬けと、ダイオウグソクムシの唐揚げ、ナメクジポンチなどなどを堪能した後だった。貴史は家族に召集令を掛けた。

 意外なことに、すぐに全員が集まった。祐子、鈴、三太まで。一週間ぶりくらいに見た三太は、より太っていたし、髪はぼさぼさだし、臭かった。ねずみ色の上下スウェットには、変なシミが出来ていた。

とても自分の子どもだとは思いたくなかったが、今はそれよりも、みんなが集まってくれた嬉しさと、旅行へのワクワクが勝っている。

 全員がテーブルに着席したところで、貴史は意気揚々と立ち上がり、二回手を打ち鳴らした。

「さあ! 今夜皆さんに集まって貰ったのは他でもありません!」

 鈴が三太にコソコソと話している。「ちょっと、お父さんどうしちゃったの? あんたなんかした?」「してねぇよ」

「コラそこ! お喋りするな! 今は俺のターンだ!」

 兄弟で仲が良いのは結構だが、人が話しているときはしっかりと相手の話を聞かなければいけない。昔は俺の目を見て熱心に聞いてくれていたというのに。時間は、教訓を忘れさせてしまう。貴史は気を取り直して痰を払い、大きく腕を広げて言った。

「明日はクリスマスイブだ!」

 三人が、顔を見合わせる。ふふ、温泉旅行に驚いて、ワクワクするがいい。

「ここ数年、クリスマスイブはサンタが落ちてきて危ないと言うことで旅行は控えていました。それに加え、鈴は薬物をやり始めたし、三太はニートだしで、余計に旅行に行きづらくなっていました!」

 眉をひそめている三人を置いて、貴史は高らかに続けた。

「しかしそんなのはもう終わりです! お父さんは思いました。家族の時間が少なかったから、こうなってしまったのではないかと! 旅行に行けば、きっとみんな仲良くなるはずだと! というわけで、明日は温泉旅行に行こうと思います!」

 貴史はチラシの裏を机にどんと叩きつけて、どうだと言わんばかりに胸を張った。

 険しい顔をしていた鈴が口を開いた。

「うーん、面倒くさいからいいかな」

 三太と祐子も、鈴に同調する。

「俺は引き籠もってるんだぞ? やすやすとついていくとでも思ったのか?」

「そうね。急に明日って言われてもねえ……荷物とかの準備もあるし」

 な……なんだと? 旅行というものは、みんなはしゃいでついてくるものではないのか。やっぱり、遊園地がいいのか?

 貴史は気を取り直して、みんなを説得にかかった。

「分かった。やっぱり遊園地がいいんだな? 温泉はやめるか?」

「それは違う!」

 三人が一斉に言い放った。

「違うのか?」

 鈴が口を開く。

「いっつも遊園地は飽き飽きしてたの。今回温泉って言うから、ちょっとだけなびいてたのに」

「でもさっき面倒くさいから行かないって……」

「面倒くさいけど! 遊園地よりはまし!」

「じゃあ温泉旅行行ってくれるか?」

「いや。面倒くさい」

 一体どっちなんだ! これだから、家族サービスは分からない。

「それじゃあ分かった!」

 貴史は両手を挙げて、降参のポーズをした。

「まずは鈴、明日の旅行に行ってくれたら、マリファナのストラップを買ってやろう」

「行く」

 鈴が即答した。

 貴史は深く頷き、驚いたように鈴を見つめていた三太に言った。

「次は三太」

 三太がばっと貴史の方を向く。

「旅行に来てくれたら、今日のクレジットカードの件は水に流そう」

「分かった。行く」

 三太も即答した。やはり、反省はしていたようだ。

「最後に祐子」

 祐子も貴史を見上げた。

「明日の荷造りはもう全部済ませてある。しかもこの温泉は、美肌の湯として知られているんだ」

「分かった。遊園地よりはましね」

 祐子は肩をすくめて笑った。

「よし! 決まりだな!」

 赤木家のリビングに、温かい空気が流れた。そうだ、家族とはこうあるべきだ。貴史は満足げに頷き、三人を眺め回した。みんな、俺の宝物だ。

 ニヤニヤと笑う貴史を見て、三太に鈴が耳打ちをした。

「ねえ、なんであんなに気持ち悪い顔をしてるの? やっぱりあんたなんかしたでしょ?」

「だから知らねえって」


        *


 翌日午前九時。赤木家ご一行は、軽自動車の中でぎゅうぎゅう詰めになっていた。

「ねえ、どんな荷造りをしたのよ。日帰り旅行でしょ? 溢れるほど荷物があるじゃない」

 祐子が顔を歪めながら、貴史を責めた。大量のバックは、後ろの荷物スペースから溢れ出て、座席にまで浸食している。助手席に座っていた三太でさえも、二つバックを持っていた。

「そりゃあ色々だろ。色々」

「色々ってなによ……」

 それまでぼけーっと外を眺めていた鈴が、ぶっきらぼうに言った。

「ねえトイレ行きたい。サービスエリアないの?」

「お、丁度サービスエリアだ! 鈴、今日は運がいいな。幸先がいいぞ!」

「朝に一発吸ってきたおかげだね! 気分が良い」

 鈴は満開の笑顔を咲かせた。窓から差し込む陽光に、金髪が照っている。

 貴史は思わず鈴を叱りそうになったが、ぎりぎり押しとどめた。今日は何も言わない。今日は楽しもう。シャブ中の娘を、今日は愛そう。だって、こんなにも笑顔が可愛い。

 ただ一つ、気になることがある。貴史はバックミラーを覗き込んだ。黒い車が、ずっと追ってきている。気のせいかも知れないが、家を出てすぐからついてきているような気がする。この感覚、どこかで味わったような──。

「やべえ、漏れる! 急に尿意がせり上がってきた!」

 鈴の一声で、思考が中断された。

「もう大丈夫だ」

 サービスエリアへの案内標識が見えた。貴史は左にハンドルを切り、車をサービスエリアに向けた。ちらっとバックミラーを見る。やはり、黒い車は追ってきていた。

「まあ、気のせいだろ」

 呟いた貴史に、隣の三太が声を掛けた。

「何が気のせいなの?」

「いや、何でも無いよ」

 そうこう言っている内に、駐車場に着いた。かなり人が多いようで、ほとんど埋まっている。色んな車があって、見ていると楽しい。

「いやあ、人が一杯いるな」

「早くして!」と鈴が叫ぶ。バックミラーを覗いてみると、目をがんと見開き、身体をくの字に曲げる鈴が見えた。どうやら、限界が近そうだ。

 なんとか空いているところを見つけて、素早く車を止めた。鈴は一目散に駆け出していく。その衝撃で漏れはしないか? 

「みんなもトイレ大丈夫か?」

「あと何時間?」

 祐子がサングラスを少し下げ、貴史に聞いた。

「あと一時間半ってとこかな」

「じゃあ、私も行っておこうかな」

「じゃあ俺も」

 祐子に続いて、三太もトイレに行くようだ。

「俺は残っとくよ」

「分かった。すぐ戻ってくるから」

「ああ」

 貴史は手を振って、三太と祐子を見送った。

 残ったのには理由がある。あの黒い車が怪しい。家の前から付けてきて、ここまでずっと一緒の道なんてことがありえるだろうか? そういえば、ナンバープレートも無かった。今はどこに停まっているのかは分からないが、警戒しておいて損はないだろう。車上荒らし対策ということで車に残っておいてもいいだろう。まあ、いざ襲撃されても、防げる自信なんて微塵もないが。

 五分くらいすると、三人が戻ってくる様子が見えた。仲良く三人が並んでこちらへと向かってくる。平和な光景に、ホッと息を吐いた──と思った瞬間、貴史の肝が冷えた。吐いた息を吸い戻す。

 三人の直ぐ後ろに、黒ずくめの男が三人いた。サングラスを掛けているが、その目線は三人の方を向いていることが分かる。もしかして、あの車に乗っていた奴らじゃないか? 貴史は不安になって、三人の元に走り出そうと、ドアノブに手を掛けた。

 貴史は、その瞬間も前を見つめていた。三人に集中しすぎて、ドアの直ぐそこにいる大男に気が付かなかったのだ。貴史がドアを開けた瞬間、その大男はスタンガンを突き出した。貴史の横腹にクリーンヒットする。バチバチという音と共に、貴史の身体は痙攣しながら崩れた。

 少しして、赤木家の車は、四人の男に囲まれていた。車内には、ぐったりとした赤木家の姿がある。大男は無線機を取り出し、冷静な声で話し始めた。

「社長、対象を捕獲致しました。至急そちらに向かいます。どうぞ」

 ノイズの向こうから、低く掠れた声が聞こえてきた。

「ご苦労さん。出来るだけ急いでくれ」

「了解」

 大男は無線機をしまい、他の男を眺め回した。

「みんな朝飯食った?」

 男達は、首を振る。

「じゃあ、そこでなんか食べていこうよ。急げとか言ってたけど、多分大丈夫だ」

 大男の提案に、他の三人が頷いた。

「いいね。ラーメンとか食べたいな」

「ここら辺は味噌ラーメンが絶品らしいぜ」

「へえ、楽しみだな。ていうか、朝からラーメンかよ。また太るぞ」

「うるせえ」

 四人の男は談笑しながら、サービスエリアへと消えていった。


        *


 薄暗い照明の中で、ゆっくりと鈴は目を開いた。くすんだ天井が見える。どうやら何の台に寝かされているようだ。身体を動かそうとすると、手足に違和感があった。縛り付けられている。

「ちょっと……これ何?」

 なんとか拘束を逃れようと、身体を無理矢理動かす。しかし、全くびくともしない。手足と背中に冷たい感触が走る。気持ち悪りぃ。

 まだ頭がぼーっとしている。鈴は一度目を閉じて、意識をなくす前に何をしていたか反芻してみた。

トイレに行って、ちょっと漏れて最悪ってなって、車に戻る途中に美味しそうなクレープがあったからそれ食べて、口に付いたホイップクリームが可愛かったのか男二人にナンパされそうになって、偶然通りかかったお母さんと三太に助けて貰って、お母さんにナンパされたときの対処術を伝授して貰いながら車まで戻って──そこで記憶は途切れていた。

目を閉じていた鈴の目は、強烈なたばこ臭さで開いた。眠っていた嗅覚が目覚めてきたらしい。なんとか顔を上げて周りを見ると、六畳ほどの、縦長の部屋だった。どの面もコンクリートで出来ていて、危ない香りがぷんぷんする。

 諦めずに身体を動かしていると、突然ドアが開き、五、六十歳ほどのおっさんと、その下っ端だろうか、若い男が入ってきた。

「お、起きたか」

 にたりと笑う老け顔に、無精髭がまばらに散っている。清潔感がなく、見ていられない感じの顔だ。唯一禿げていないところだけは褒めてやろう。お前を褒めているんじゃない。お前の毛根を褒めているのだ。

「ねえ! ここどこ! あんたたち誰よ!」

 荒ぶる鈴に、下っ端が言った。

「おっと、口を閉じなお嬢さん。この方は、うちの組織のナンバーツーだぞ? 軽々しく話しかけるな」

 開いた口の中は、全てが金歯だった。こいつのお洒落センスを疑う。そんなところに金を掛けるんだったら、その金で貧しい子どもの生活を金色に輝かせてやれよ。

 この状況に段々腹が立ってきていた鈴は、思わず声を荒げた。

「うるさい! ツーじゃなくてトップを出せ!」

「なんだと? このお方はな、素晴らしい人なんだぞ!」

 下っ端は唾を飛ばしながら続ける。

「いいか? このお方はな、公園に行ってはお花を見て涙を流し、地面に落ちている犬の糞を見て人間の愚かさに涙を流し、その涙を零さないために空を見上げたら、あまりの青空の美しさにまた涙を流す人なんだぞ!」

「おい、それ以上言うな。恥ずかし──」

 そのお方を遮って、下っ端は続ける。

「しかもだ、このお方はボスと兄弟。一卵性双生児なんだ! だからほぼボスみたいな──」

 次の瞬間、若い男の頭が吹っ飛び、美しい彼岸花が咲いた。

 鈴はあまりの大きな音に、身体を強張らせた。その衝撃に、先程のイライラが全て吹っ飛び、恐怖が身体に重くのしかかってきた。

「済まないな。うちの部下がうるさくて」

 そのお方は何事もなかったかのように銃をしまい、ハンカチで返り血を拭いた。固まっている鈴に、優しい声で話しかける。

「これから、君の首に輪っかを付ける。でも絶対外そうともがいちゃ駄目だ。爆発するかもしれないからな」

 爆発という二文字に、鈴の膀胱が縮み上がった。

「もう一度言う。絶対に暴れるな」

 顔の前に人差し指を置いて、そのお方は念を押した。彼のもう片方の手には、文字通りの輪っかが握られていた。丁度鈴の首周りくらいか。黒いボディで、赤い小さなランプが点滅している。まさに爆弾といった感じだ。

 じりじりと、そのお方が近づいてくる。鈴は身を震わせながら、歯を食いしばるしかなかった。

「そんなに怯えなくて良い。ちゃんとやることをやれば、外してやるから。せいぜい家族と仲良く協力するんだな」

 そのお方はそう言いながら、そっと鈴の首に触れた。ざらざらとした感触が、首を伝う。全身に鳥肌が立つのが分かった。耐えるように、目をきつくつむる。

「さあ、装着完了だ」

 ガチャッという音で目を開けると、首に冷たい感触があった。どうやら、まんまと取り付けられてしまったようだ。

「早く拘束を解いて。家族のところに連れて行って」

 震える声で、鈴はそのお方に要求する。一体これから何が始まるのかは想像もつかないが、今は一刻も早く家族の元に行きたい。

 そのお方は嘲るような笑みを浮かべ、こくりと一回だけ頷いた。そして彼は、ピエロの仮面を付けた。


       *


 貴史はふと目を覚ました。視界が滲み、身体が上手く動かない。どうやら、椅子に縄でくくりつけられているようだ。長時間貼り付けだったからか、はたまた貧弱なパイプ椅子だからか、腰が尋常じゃなく痛い。

 ふと隣を見ると、三太がいた。自分と同じような格好だ。逆方向には、祐子。これまた自分と同じ格好だ。しかし、鈴がいない。どこだ? どこにいる?

 周りを見渡すと、ここが倉庫であることが分かった。かなり広い。自分たちはその丁度真ん中で、ぽつんと放置されているようだった。

「おい、三太、祐子、大丈夫か?」

 貴史の呼びかけに、三太と祐子は唸りながら目を開いた。

「ああ……頭痛い……」

「あなた……ここどこよ?」

「さあ、分からない。拉致されたみたいだな」

 祐子は、力なく首を振った。

「そんなことよりも、鈴がいないんだ」

「嘘でしょ!?」

 祐子がカッと目を開いて、周りを一心不乱に見渡す。

「鈴! どこよ!」

「ここ」

 突然、鈴の声が聞こえた。声がした方角を見やると、何かを首に付けられ、手錠を施された鈴と、ピエロの仮面を被った男が立っていた。鈴たちが立っている場所の近くに、開いているドアがある。おそらくその部屋にいたのだろう。

「鈴! 大丈夫か!」

 貴史が声を上げる。鈴は肩をすくめる。

「一応大丈夫だけど、変なの付けられた。気持ち悪い」

「娘を放して! このクソピエロ!」

 祐子が歯をむき出して吠える。野性味を感じた。

「まあ、お前ら落ち着け」

 ピエロの男が祐子を制した。声質からして、五十代か六十代だろう。

「落ち着けるか! 家に帰せ!」

 そう言った三太の顔に、何故か笑みがこぼれた。

「拘束を解け! クソが!」

 三太はまだ続ける。

「バーカ! チービ! 気持ち悪いんだよクソピエロ!」

 分かった。こいつ、人を罵倒するのが楽しくなってるな? 今まで他人を貶さない良い子だったのに。ここで反動が来たか。

「いいか三太、今ここで騒いでも何も進まないだろ? いいから、落ち着いてくれ。ほら見ろ、あのピエロ、傷ついてる」

 ピエロのお面を少し浮かして、男はハンカチを中に潜り込ませていた。少しすすり泣く声も聞こえてくる。しかしそのハンカチは、赤く染まっていた。怖え。

「あ……ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」

 三太は必死に謝る。

「何でそんなこと言うの……?」

 ピエロはなおも泣いている。

「本当にごめんなさい。あの、勢いって言うか、本当はそんなこと全く思ってないんだけど、お母さんに便乗しちゃったっていうか……」

「は? 私が悪いわけ? というかあんた、こんなクソピエロに謝らなくていいわよ。あの赤い鼻をちぎり取ってやりなさい!」

 荒ぶる祐子を、貴史が止める。

「まあまあ、祐子も落ち着いてくれ。そこの人も、もう泣くのは止めて、話を続けてくれないか」

 貴史が男に話を振ると、ようやくハンカチをポケットに押し込んで、訥々と話し始めた。

「今のは傷ついたぜ……さすが、ボスの敵だ……凶悪な家族だな」

 どうやら、ボスがいるらしい。ということは、こいつは幹部というところだろうか。

「それじゃあ、今から説明でもしようか。お前も、家族と仲良く説明聞け」

 ピエロはそう言うと、鈴を貴史達のところまで投げ飛ばした。

「鈴!」

 貴史は叫ぶ。顔を歪める鈴が、足元まで転がってきた。

「鈴、大丈夫か? 変なことされなかったか?」

「大丈夫。首輪付けられただけ」

 確かに、首に変な輪っかがつけられている。くそ、ピエロの趣味か?

「おいピエロ、鈴の首に何付けたんだ!」

 ピエロがとぼけた顔をする。マスクで分からないけど、多分そんな表情をしているはずだ。

「あ、それ最初に聞いちゃう? 一応説明の順番とか決めてきたんだけど……」

 ピエロはポケットをまさぐり、カンペっぽい紙を取り出した。「見にくいなあ」とか言いながら、その紙を熱心に眺めている。そのマスク取ればいいのに。

「分かった。一旦それの説明をしよう」

 ピエロは鈴を指さして言った。「早くして!」という祐子に促されて、ピエロは続ける。

「いいか? それは爆弾だ!」

 爆弾だと!? それは大変だ。鈴の可愛い顔が吹っ飛んでしまうじゃないか。

「外せよ!」

 意外にも、三太が口を開いた。勇気あるじゃないか。

 三太の方を睨んだピエロが言い返す。

「は? そんなこと言われてすんなり外すとでも? あんたバカなのか? 冗談はその顔だけにしろよ」

 三太は泣き出した。

「ほらな、悪口言われたら傷つくだろ? だからもう止めろよ」

 三太は何度も深く頷いている。

 素晴らしい教育じゃないか。きっとこのピエロは、いい父親になる──はっ! ピエロに感心している場合じゃないぞ!

「それで、どうやったら外してくれるんだ?」

 貴史の質問に、ピエロは指を差した。

「さすが父親。話の進行を助けるいい質問だ。いいか? 今からお前達には仕事をしてもらう。その仕事が終わったら、その首輪も外してやろう」

「仕事って?」

 祐子が訊ねる。ピエロは少しためて、強調するように言った。

「薬物を運んでもらう」

 薬物という単語に、鈴が反応した。

「薬物! 運び屋ってことね! めっちゃスリリングじゃん!」

 はしゃぐ鈴に、他の三人は呆れた目で彼女を見つめた。ピエロは笑っている。

「血気盛んなお嬢さんだことで。いい教育をしたな」

「なんだそれ、皮肉か?」

 貴史が噛みつくと、ピエロはわざとらしく何度も頷いた。

 クソクソピエロめ。その赤い鼻を笑ってやろうか。

「おい聞け、このまま質問形式で進めると何かの説明を絶対に忘れちまう。紙にまとめてきたから、お前らは口を挟むな。一回、一息で全部説明させろ」

 ピエロが大声で言った。赤木家は一斉に頷く。その様子を見たピエロは、持ってきたカンペに目を落とした。

「まず、お前らには薬物を運んで貰う。これはさっき言ったな。何で運んで貰うかと言うと、これだ」

 ピエロは指をパチンと鳴らした。すると、赤木家の後ろ側にあったシャッターが少しずつ上がっていった。鈴の助けも借りながら、なんとか椅子を後ろに向ける。

 シャッターの向こうは、外だった。太陽はすっかり眠りに落ち、夜の世界が広がっていた。

「お前らには、これに乗ってもらう」

 そこには、大きなソリがあった。しっかりとトナカイもいる。しかも馬鹿でかい。セダンくらいはあるだろうか。ソリの後部には、たくさんの白い袋が積まれていた。あれが薬物ってことか。

「これ、もしかして空飛ぶのか?」

「質問禁止だ」

 訊ねた貴史に、ピエロはぴしゃりと釘を刺した。

「今日はクリスマスイブだ。空には多くのサンタが、全国を飛び回ってる。そこでだ。お前らにはサンタの格好をしてもらって、言い換えれば、サンタに紛れて、薬物を運んで貰おうっていう算段だ。もちろん空は飛ぶ。ちなみに、これは粉状にした覚醒剤だ。きめが細かくて、身体にまわるのが早い。上等な奴だから、慎重に運べよ」

 驚愕の顔を浮かべる赤木家を放って、ピエロは続ける。

「その運んで貰った先に、首輪を外す鍵がある。覚醒剤と交換だ。タイムリミットは、夜明けまで。もし遅れるか、一瞬でも途中で逃げだそうとしてみろ、爆発して、そいつの顔はクリスマスの夜に溶けていくだろう」

 ちょっとだけ洒落な表現をして、ピエロは説明を終えた。サンタのコスチューム四着を、赤木家の前に投げ捨てた。

「じゃあ、この縄早く解いてよ。着替えられないじゃない」

 祐子に、鈴も続ける。

「そうだよ。私の手錠も取って」

「そうだったな。ちょっと待ってろ。俺が外しても、暴れるんじゃないぞ」

 ピエロは一人一人の拘束を解いていった。三太の拘束を外した時、三太がピエロを強く睨んだ。

「うわあああぁぁぁぁ!!!」

 三太の強烈な猫パンチが、ピエロに向かっていった。数秒後、地面に崩れ落ちていたのは三太だった。

「だから止めろって言っただろ。さあ、早く着替えろ」

 三太が辛そうに呻いている。ピエロは首をゴキゴキ鳴らして、赤木家を催促した。

「ナイスファイトだ」

 貴史が言うと、三太は恥ずかしそうに笑った。

 さすがに腕力では敵わないみたいだ。ここは大人しく、着替えるしかない。

 覚悟を決めて、サンタコスに袖を通した。みんなもバキバキになった身体を酷使しながら、ゆっくりと着替えていく。

「着替えてる間に、ちょっとした小話をしてやるよ」

 ピエロが意気揚々と話し出した。

「最近サンタの墜落事故が相次いでるだろ? あれは俺たちがやってるんだ」

「あれって、あんた達の仕業だったのね!? お隣さんの親戚がそれでケガしたのよ? 最低ね!」

 祐子がサンタの帽子を振り回しながら叫んだ。

「まあまあ、ココは使っていかないとな」

 ピエロは自分の側頭部を、人差し指で叩く。

「俺たちの表の顔は、普通のサンタ業者だ。でも考えてみろ、サンタ業なんて、一日しか稼働しない。収入が少ないわけだ。だから俺たちが独占するために、他のライバル業者を減らしてるってわけだ。それだけじゃない。サンタっていう職業を利用して、麻薬の運び屋もやってる。さらに効率よく稼げるっていうからくりだ」

 ピエロはケタケタと笑っている。

 とんだクソ野郎だ。ライバルを物理的に蹴落として、自分の利益にするなんて、許せない。

「ほら、着替えたぞ」

 赤木家全員が着替え終えた。

「ねえ、この髭も付けなきゃなんないの? 女の子なのに?」

 鈴が白く丸まった髭を弄びながら、ピエロに尋ねた。

「当たり前だろ。いいか? ただの雰囲気作りでサンタの格好をさせた訳じゃない。立派な変装としてだ。他のサンタ業者に紛れ込むために、ちゃんと付けろ。爆発させるぞ」

 鈴は気の抜けた返事をして、渋々髭をつけた。

「似合ってるよ」

 三太はフォローを入れたが、鈴は無視した。

「それじゃあ、ソリに乗り込め」

 ピエロの誘導で、四人はソリへと向かう。近づいてみると、やはり異様にでかい。遠くから見ると木製に見えたが、どうやら金属で出来ているらしい。ソリに縄で繋がれた、大きなトナカイが鼻を鳴らしていた。機関車かと思うくらい、鼻息が荒い。

「これは、どうやって運転するんだ?」

 訊ねた貴史に、ピエロは指で指し示しながら説明する。

「そこにハンドルがあるだろ?」

「ほんとだ……」

「その下にアクセルとブレーキがあるから、それ使って。基本的には車と同じだから」

 中を覗いてみると、本当に車と同じだった。レバーもあるし、ナビもついている。ないのは、バックミラーやサイドミラーくらいか。自分で振り返って確認しろということか。

「空を飛ぶにはどうするんだ?」

「それは勝手に浮くから大丈夫だ。タイヤないだろ? 浮くしかないんだ」

「降りるのはどうするんだ?」

「トナカイのケツを触れ。そしたら高度が下がってくる」

「どういう理屈だ?」

「そんなの知らねぇよ。どうでもいいだろ」

 説明が面倒くさくなってきたのか、ピエロの態度が段々適当になってきた。

「それじゃあ、行ってこい。行き先はここだ」

 ピエロはそう言うと、タブレットを渡してきた。この辺り一帯の地図と、目的地に刺さった赤いピン、青い丸で示された現在地があった。これは……かなり遠いぞ。

「分かった。ここに行って、この薬物を渡せばいいんだな?」

「ああそうだ。じゃあ俺は休憩する。頑張って」

 ピエロは踵を返し、倉庫の中へと入っていった。シャッターが閉まり、辺りが暗くなった。

「すまないな……こんなことになって」

 貴史は申し訳なさそうに、頭を下げた。

「いいのよ。あなたのせいじゃないわ」

「そうだよ。父さんのせいじゃない」

「そうだね。父さんのせいじゃないよ」

「お前ら、もう少し色んな励まし方があるだろ」

 四人は笑いながら、ソリに乗りこんだ。前に二人、後ろに二人が乗れるようになっている。座るところは赤色のソファになっていて、とてもふかふかだ。乗り心地よし。

 運転は貴史。朝とは違って、助手席に祐子を乗せ、後ろに鈴と三太を乗せた。

「さあ、行こう」

 貴史はアクセルと踏み込んだ。ふわっと車体が浮く感覚がする。

「おお~すごいな!」

「めっちゃスリリングだ!」

 叫んでいる鈴と祐子とは裏腹に、三太は楽しんでいるようだ。

 トナカイが、じたばたしている。まさか、このトナカイが降りる専用だったとは。映画とかではトナカイが優雅に走っているイメージだが、あれってただジタバタしてただけだったのか。

 ある程度の高度になると、ソリは勝手に進み出した。頬に当たる風が気持ちいい。街がすべてミニチュアになってしまった。手を伸ばせば掴めてしまいそうだ。

ちなみにある程度の高度というのがどの程度か皆さん気になるだろう。わかりやすい基準がある。高所恐怖症の祐子が失神して、ヤク中の鈴が薬なしでトリップするくらいだ。

 泡を吹いている祐子の後ろで、鈴はハイテンションになっていた。目の焦点が合ってない。

「ひゃっほーー! ハイだぜええぇぇ!!!」

 さて、もう一つ基準があった。いつもは大人しい三太の性格が、豹変するくらいだ。

「いやあああぁぁぁ! 降ろしてよ! 死んじゃう! 死んじゃうわ!」

 さっきまで「スリリング!」とか言ってたくせに、三太はオネエになっていた。

「お前らほんとに大丈夫か!? 一回降りるか?」

「大丈夫だぜええぇぇ!! ハイだぜええぇぇ!!!」

「あたしもなんとか大丈夫よ! 早く運んで、鈴ちゃんの首輪を外してあげましょ!」

 隣の祐子は……大丈夫じゃないよな。こんな感じで無事に終わるのか。

 貴史は先の見えない不安に、大きな溜め息をついた。


        *


 赤木家を見送り、ピエロの仮面を脱いだ。これで俺の役目は終わりだ。さて、ちょっとコーヒーでも飲んで落ち着こうかな。

 ふと下を向くと、そこにはカンペが落ちていた。どうやら、途中で落としていたらしい。男はそれを拾い上げ、全てのことを赤木家に伝えられたかおさらいした。

「あ……」

 そして彼は、冷や汗をかいた。裏にも書いていたのを忘れていた。むさぼるように裏を読む。

『重要! 充電式なのを確実に伝えるように! ソリには様々な機能があるが、それを使うと充電がなくなるので、決して使用しないように言うこと!』

「忘れてたああぁぁ!!」

 慌てて外に出たが、もうそこに赤木家の姿はなかった。

 まあいいか。どうやって機能を使うかは教えていないし、多分大丈夫だろう。多分。おそらく。メイビー。

 心の中で言い訳をしながらコーヒーを注ぐ彼の手は、かわいそうなほどに震えていた。


        *


 高度を上げて時間が経つと、みんなも大分落ち着いてきた。鈴は正気を取り戻し、祐子も目を覚ました。しかしその目線は、ずっと三太に注がれている。

「ちょっと何!? そんなに見ないでもらえる? まさか、シミでも出来てる!? シミ出来てるんじゃない!?」

「大丈夫だ。シミは出来てない。みんなお前の豹変ぶりに落ち着くことが出来ないだけだ」

「やだ! 貴史ちゃんったら、上手いこと言っちゃって! 運転姿かっこいいわよ」

「はは、ありがとう」

 貴史は無表情のまま、感謝を述べた。

 周りを見渡すと、自分たちの他にも、多くのサンタが飛んでいた。四方八方、地上を走る車のような秩序は、空にはないようだった。もしかすると、墜落したサンタの中には、ただ単に交通事故ったソリもあるのかもしれない。

 貴史は周りに注意しながら、助手席に座る祐子に言った。

「なあ、この方向であってるのか? タブレットで確認してみてくれ」

 祐子はタブレットを手に取る。

「うん。合ってるわよ。でもまだ先は長そうね。あと一時間はかかるみたい」

「ねえ、私にも見せてよ」

 後ろで三太と戯れていた鈴が手を伸ばした。祐子は「いいわよ」と言って、後ろを振り返る。タブレットを受け取った鈴は、熱心にスワイプし始めた。その横で、三太も興味深そうにそれを覗き込んでいる。

「おいおい、あんまりいじくるなよ。変になったらどうするんだ」

 貴史が注意すると、それまでじっとタブレットを覗いていた目が上がった。

「ねえ、ちょっと違う画面見てたんだけどさ、『リモコン』っていうのがあるんだよね」

「なんだそれ」

「もしかしたら、ソリの奴かも」

 鈴が祐子にタブレットを渡し、貴史はそれを覗き込んだ。

 画面に、いくつかのボタンが表示されている。ホーム画面に秩序良く並ぶアプリアイコンのようだ。ボタンには、色々な果物が書いてある。りんご、みかん、ぶどうなどなど。

「ねえ、なんか押してみてくれないかしら? 私ってば、ワクワクしちゃってるわ」

 三太が胸の前で手をわちゃわちゃさせながら言った。貴史は反対する。

「いや、駄目だ。取り返しのつかないことになったらどうするんだ?」

「まあいいじゃない。元々今日は旅行だったんだし、色んな事やってみましょうよ」

 祐子が口を挟んで、ボタンに手を近づけた。

「駄目だ! 鈴の命が掛かってるんだぞ? 下手なことができるか」

「大丈夫だよ。早く押してお母さん。絶対大丈夫だから」

 鈴の強い語気に、貴史は渋々頷いた。

「分かった。一個だけな」

 貴史の一言に、鈴と三太は歓喜した。祐子が言う。

「じゃあこのみかんを押してみるわね」

 ポチッという音と共に、ボンネットの部分、トナカイの尻の真後ろがパカッと開いた。

「うおッ! なんだ!」

 興味深く開いた部分を見つめる四人。じりじりと、何かがせり上がってくる。それは、扇風機だった。

「なんだ、扇風機か」

「期待外れね~。イケメンが出てくるのかと思ったわ」

 三太が残念がる。

 その時、扇風機が回り始めた。

「寒い! 止めてくれ」「そうだよ、早く消して!」

 貴史と鈴が喚く。その瞬間、トナカイの方から爆音が聞こえた。屁だ。

 貴史の顔が青ざめた。まずい、このままでは……。

「いやん! 臭い、臭いわ!」:

 三太に続き、全員が喚き散らしながら鼻をつまむ。

「消せ! 扇風機を消せ!」

「どうやって消すのよ!?」

 祐子がパニックに陥っている。

「もう一回押してみれば?」

 鈴の一言に、祐子はもう一度ボタンを押した。結果から言うと、強になった。

「寒いし臭いぞ! もう一回押したら消えるだろ!」

 貴史が叫ぶ。祐子がもう一度押すと、遂に扇風機は止まった。

 ソリの中に、溜め息が渦巻く。そんな空気をものともせず、トナカイは機嫌がよさそうだ。

「このトナカイ、すっきりしてやがる」

 この時赤木家は、トナカイに殺意を抱いた。

「でも、結構楽しかったわよね~」

 三太が笑いながら言った。

「確かに。もう一個押してみましょ」「賛成! 次はぶどう押してよ」

 祐子と鈴は乗り気だ。

「おい、一個だけって言っただろ?」

 貴史の言葉を無視して、祐子はぶどうのボタンを押した。

 すると、四人それぞれの前が少しだけ開き、そこから酸素マスクが垂れ出てきた。

「これってそんなに高いとこに行けるのか?」

「そうみたいね。でも、これはあんまり役に立たなそうね」

 祐子が残念がる。もう一度ボタンを押して、酸素マスクを引っ込めた。祐子はみんなに何の許可も取らず、リンゴのボタンを押した。

「おい、押しすぎだぞ!」

「いいじゃない」

 貴史の注意も、軽くあしらう。

 今度は、備え付けのナビが震えだした。使えるようになるのか、と貴史が思った瞬間、バコっと反転し、ラジカセが出てきた。

「ラジカセ? 音楽でも聴けるのか?」

「ちょっと鳴らしてみてよ。アリアナグランデなんかが聞こえてきたら、思わず踊っちゃかもしれないわ」

 三太が楽しそうに言う。

 祐子がスイッチを入れた瞬間、爆音が鳴り響いた。壊れかけなのか、雑音がひどい、どうやら流れているのは、スラッシュメタルのようだった。

「きゃあ! うるさい! 踊るどころじゃないわ! 切ってよ!」

 三太が耳を塞ぐ。祐子も耳を肩で懸命に塞ぎながら、ボタンをもう一度押した。

 その瞬間、爆音から解放された。耳に膜が張ったような感触だった。

「アリアナグランデじゃなくて、徳永英明だったってことか」

「あ、何それ、壊れかけのレディオってこと!? また上手いこと言っちゃって! 貴史かっこいいわよ」

 こればっかりは、貴史も満足げな表情を浮かべる。

「一旦落ち着こう」

 貴史の提案に、他の三人は頷く。しかし、クリスマスイブは、四人を落ち着かせてはくれなかった。

 後ろから、サイレンの音が聞こえる。パトカーが逃走車を追うときの、あの音だ。

「そこの四人乗っているソリ! 止まりなさい!」

 メガホン独特の反響する声が、背後で上がった。

 ……最悪だ。警察に捕まった。

「ちょっと、どうすんのよ。覚醒剤運んでるのがバレたら、全員刑務所行きよ」

 祐子が姿勢を低くして、囁くように言った。

「私は運が悪けりゃ、頭を吹っ飛ばされるけどね」

 鈴も姿勢を低くして、強い口調で言う。あくまで囁き声だ。

「みんなだめよ。姿勢低くしたら、なんか隠してると思われるじゃない。胸を張って、堂々とするのよ」

 三太は全員を見渡す。

「いい? 私に作戦があるわ」


 空飛ぶパトカーが、ソリのすぐ横に止まった。肥えた警察官が、帽子のつばをつまむ。

「いやあ、すいません。最近サンタ界隈に問題が多発してるもんで、ランダムで職質させてもらってるんですよ」

 どうやら、怪しく思われている訳ではないらしい。しかし、後ろに積んである覚醒剤を見られたら、一発アウト。それは変わらない。

「ああ、そうなんですね。どうぞどうぞ、何もないんで、パパッと確認しちゃってください」

 貴史が作り笑いを浮かべ、努めて明るく言う。

「じゃあ、後ろの荷物から確認させて──」

「あ、ごめんなさい。後ろの荷物の中に、子どもが埋もれているんです。なんかそこが好きみたいで」

 はあ、と惚けた顔をする警察官に、貴史は頭を掻く。

「すぐにどかせますから、先に運転席の方から確認してください」

「そういうことでしたら、分かりました。じゃあ、前失礼しますね」

 警察官は懐中電灯を片手に持ち、身を乗り出した。ほぼ身体はこちらのソリに入っている格好だ。そして、彼の顔が、ちょうどナビの真ん前で止まった。

 祐子、今だ!

 貴史が目配せすると、祐子はタブレットを取り出した。リンゴのボタンをポチッと押す。案の定、ラジカセが出てきた。

「これ、なんです?」

 警察官の目と鼻の先に、ラジカセがある。

「チェックメイトだ」「え?」

 貴史はそう言い放つと、ラジカセのスイッチを入れた。ひび割れた轟音が、警察官を直撃する。それも間近で。

 警察官は泡を吹いて倒れた。耳からは血が滴っている。

「ちょっと! 早くスイッチ切って! 鼓膜破れる!」

 耳を必死で塞ぎながら、全員が喚いた。なんとかスイッチを切り、祐子がラジカセからナビに戻した。

「ふう、一件落着ね」

 三太が汗を拭く動作をした。

「本当に上手くいくとは……さすが三太、頭が切れるな」

「それほどでもないわよ」

 鼻の下を人差し指で擦り続ける三太に、三人は拍手の雨を降らした。

「というか、これで正真正銘の犯罪者になっちゃったんじゃないの?」

 鈴が不安そうな声で言う。

「確かにな。捕まらないためにも、さっさと逃げよう」

「この人どうするのよ?」

 祐子が警察官を見下ろした。そりゃあ、頑張ってパトカーに戻すしかない。

 十分後、なんとかパトカーに警察官を戻した。それにしても、全く起きない。死んでないだろうか。四人は汗を拭いながら思った。

「さあ、行こう」

「アイアイサー!」

 ソリは困難を乗り越え、目的地へと向かう。


 そこから二十分ほど走っただろうか。吹き付ける風に、身体が冷えてきた。身体を小刻みに震わせながら、鈴が言った。

「床暖房とかないわけ? 扇風機があるんだから、もちろんあるでしょ?」

「そうよ。というか、ソリなんて冬しか使わないのになんで扇風機あるのよ。ちょっとは考えなさいよ!」

 三太も縮こまりながら、誰かも分からない開発者に悪態をついた。

「じゃあ、他の奴押してみるわね」

 祐子はタブレットを覗く。貴史はもう何も言わなくなっていた。

 りんご、みかん、ぶどう、その下には、そのキラキラしたバージョンが三つ並んでおり、その横に『ナ』と書かれたボタン、四つ並んだ下に、一つドクロマークのボタンがある。上から、三個四個一個。ダイアモンドみたいな形だ。

「さすがにこのドクロは押しちゃ駄目よね」

「当たり前だ。きっと自爆装置に違いない」

 貴史は手で制しながら、祐子に釘を刺した。

「じゃあ、このキラキラしたみかんを押してみるわね」

 祐子がみかんを押す。すると、ゆっくりと視界が回った。

「ん? このソリ回ってないか?」

 貴史の脳裏に、とある光景が思い浮かんだ。いつも家族で行っていた遊園地。三太と鈴が、無邪気に笑う顔。隣で髪をなびかせる祐子の美しさにチラチラと視線を奪われながら、俺は懸命に真ん中の円を回す。

……コーヒーカップだ!

「お前ら! 後ろの覚醒剤が飛ばないように、しっかり支えとけ!」

 三太と鈴が必死に後ろの袋にしがみついた瞬間、勢いよくソリが回り始めた。

「振り落とされるなよ!」

 人とはこんなに叫べるものなのかと思うほど、みんな絶叫した。小さくなった街の明かりが、横長い線になる。上を見上げれば、星の残像が、夜空を切り取ろうとしていた。

 そんな変な表現が出てくるほどに脳味噌は遠心力で揺さぶられ、胃の中にあるものがこみ上げてくる。もう吐きそう! と思ったとき、ソリはゆっくりと回る速度を緩め始めた。

「おええ!!」

 三太は、すでに吐いていた。鈴と祐子も疲れ切った表情をしている。

「みんな……大丈夫か?」

 そう言っている貴史本人も、全然大丈夫ではない。

「一旦休憩しよう」

 声にならない声で、三人が返事をした。

「ああ、疲れた……」

 祐子が、思わず手をついた。そこには、タブレットがあった。祐子の指が、隣のキラキラぶどうに触れた。

 ポチッ!

「ごめん! 押しちゃった!」

「おいおい、今度は何だ?」

「もうやだ!」

「もう勘弁し……オロロロロロロ!!」

すると、ソリがどんどん上に上がっていく。前方だけが上を向く。背もたれに身体が押しつけられ、視界が夜空で埋まった。

「ちょっと、高度上げないでよ! 怖いじゃん!」

 鈴が叫ぶ。

「いや待て、俺は何にもしてないぞ! おい祐子、もう一回押せ!」

「さっきから押してるわよ! 何にも反応しないわ!」

 焦る祐子、貴史。怖がる鈴、吐く三太。

 この時、四人の脳裏に、共通の乗り物が浮かんでいた。ガタガタと揺れながら、上に上に高度を上げていく。そしてやがて、地へと落ちる。そう、何度も行った遊園地、それの定番の乗り物。

……ジェットコースターだ!

 高度はどんどんと上がり、ソリが水平になった。

「やばい! 来る! みんな何かにしがみつけ!」

 ソリが、ゆっくりと下を向いた。貴史は目をぎゅっとつむる。しかし、そこからソリは動かなかった。

「これ、寸止めのタイプ──」

 貴史が言い終わらないうちに、ガコッという音がして、ソリが急加速した。

 赤木家の慟哭が、クリスマスを彩る。

「おいおい、あのソリ大丈夫か? 一回転してるぞ? とんでもないスピードじゃないか」

 周りのサンタ業者も、荒ぶれる赤木家のソリに釘付けだ。

 ソリは上に下に、右に左に、ぐるっと回ってたまにねじられながら、三次元を目一杯に暴れ回っていた。夜空に乱暴なお絵かきをしているようにも見える。

 一分間の疾走後、やっとのことでソリは止まった。

 呆然とした表情を浮かべる赤木家、その顔は青白く、視線は宙を漂っている。

「こりゃあ……どんなクスリよりも飛べるね……」

 鈴はへにゃへにゃとした声で言った。三太は倒れているのだろうか。姿が見えない。まさか、振り落とされたんじゃないだろうな。

「三太、いるか?」

「ああ」

 むくっと起き上がった三太の顔は、さっきよりも凜々しくなっていた。

「あ、オカマじゃなくなってる」

 鈴の一声に、三太は自分の顔を触った。

「ほんとだ……なんか、正気に戻った気がするよ」

「私、オカマの方が好きだったけどな」

 三太を眺めながら、祐子は言った。

「まあ、元に戻って良かった。奇跡的に覚醒剤も無事みたいだし、行こうか」

 返事はなかったが、貴史はアクセルを踏んだ。ハンドルを握り、前を向いたところで気付いた。トナカイの首が、あらぬ方向を向いている。

「うわっ、死んでる!」

 貴史の一声に、他の三人の視線が、トナカイに集まった。力が抜けて、四本の足がぶらんぶらんしている。首が百八十度曲がり、自分の背中にくっついていた。

「うわあ……見てらんない」

 三人は思わず、目をそらした。それでもソリは進んでいく。

 やっぱり、トナカイは本当に飾りなんだな……。

「じゃあ、気を取り直して、この『ナ』を押してみましょうか」

 祐子が高らかに言った。

「おい嘘だろ? またジェットコースターだったらどうするんだ?」

 この人のバイタリティと、向こう見ずな性格は理解出来ない。

「大丈夫よ。多分これ、ナビがつくんじゃないかしら。押すわね」

「おいちょっと──」

 ポチッと言う音が聞こえた。

 三太と鈴は身構えて、互いに抱きつき合っている。当たり前だ。もう限界だろう。

 貴史もハンドルを強く握って警戒していると、そんな心配とは裏腹に、それまで黒い画面だったナビがぽわんと光った。

「お! 本当にナビじゃないか!」

 三太と鈴は、安心したのだろうか、溜め息をついている。青白い光の中から、機械的な女の声がし始めた。

『こんばんは。へっぽこ家族ども』

 一瞬で、赤木家全員の表情が固まった。

『ちょっとソリが動いたくらいでピーピー泣き喚きやがって。情けないったらありゃあしません。ところで皆さん、顔色が悪いですよ。ああ、元からか』

 単調な声で、淡々と悪口を言ってくる。女の人の声だった。

「おい、なんだこれ。直ぐに消してくれ」

「分かった。もう一回ボタン押してみる」

 祐子がもう一度『ナ』のボタンを押した。しかし、ナビは消えない。

『バカの一つ覚えみたいにもう一回押せば消えると思わないでください。いいですか? 私はもう二度と消えません。覚悟しておいてください』

 くそ、また変な機能だ。しかも胸くそが悪い。最悪なボタンを押してしまった。

『皆さま、まさかジェットコースターごときで満足していませんよね? 今から私が時空の旅に連れて行ってあげましょう。ふにゃふにゃの肝を鍛えてあげます』

「ちょっと待て、時空の旅だと? タイムマシンの機能もあるのか?」

『当たり前です。私を誰だと思ってるんですか? ソリ町隆史ですよ?』

 このソリってそんな名前だったのか。まさか俺と同じ名前とは。声は女なのに。

「あ、分かったわ! だからこのナビには毒っ気があるのね! 知ってる? ポイズンよポイズン。あんた、上手いこと言うわね。感心しちゃうわ」

 高らかに三太が言った。

「おい、オネエが戻ってるぞ」

 三太はハッと気付いて、大きく呼吸をした。気を抜くとオネエに戻ってしまうらしい。

『そこのおばさん』

「何よ!」

 ナビが祐子を呼んだ。俺のハニーをおばさん呼ばわりしやがって。許さん。

『キラキラりんごを押してみなさい。時間旅行が出来ます』

「押すもんですか。また面倒くさいことになる」

『まだ分からないのですか? 私はへっぽこが嫌いなんです。そんなに押したくないのなら、私が独断でやりましょう。途中で振り落とされると二度と戻ってこれないので、どこかに捕まってください』

 次の瞬間、ソリが光り出し、突然周りの風景が虹色になった。とんでもないスピードで加速していく。叫ぼうとしても、声が空気に押し戻される。そのまま息が出来なくなって、貴史は気を失った。


        *


 鳥のような、爬虫類のような奇怪な鳴き声で、貴史は目を覚ました。

 周りを見渡すと、どうやらジャングルのようだった。木も花も、なにもかも大きい。遠くの方では、くそでかいトンボが飛んでいる。

「おいみんな、大丈夫か?」

 三人は頭を抑えながら目を開け、周りの景色に驚愕の声を上げた。

「うわあ、すごい!」

「いやあ! 虫がいっぱい飛んでるわ! 気持ち悪い!」

「三太、またオネエになってるわよ」

 祐子の指摘に、三太はまたハッとした。もうクセ付いてしまっているようだ。

 なんとなく全員でソリを降りたところで、ナビが言った。

『皆さん、到着致しました。ここで、へっぽこ家族に良いニュースと悪いニュースがあります』

「ニュースだかなんだか知らないけど、早く帰らしてくれ!」

 貴史が声を張る。が、様々な生物の鳴き声にかき消されてしまった。

『まずは、良いニュースです』

 ナビは淡々と続ける。

『おめでとうございます。あなたたちは、白亜紀に踏み入った最初の人間です』

「ここって白亜紀なのね! すごーい! 見てみて! 大きなマリファナみたいな草が生えてるよ!」

 もうマリファナで例えるのは止めてくれ。

「それで、悪いニュースってのは何なんだ?」

『悪いニュースは、二つあります』

 半笑いで、ナビが言った。

『一つ目は、隕石衝突前の一時間前に飛んできてしまったことです』

 赤木家はそれを聞いて、反射的に空を見上げた。空の奥に、赤みを帯びた岩石が見える。周りが赤く滲み、そこだけ夕焼けのようになっていた。

「やばいじゃないか!」

「でも、すぐ帰れば関係ないわよ」

 祐子が落ち着いて言う。その言葉に反応したように、ナビが続けた。

『二つ目は、充電が切れたことです』

 シャットダウンのような音が聞こえ、そのままナビの画面が暗くなった。

 一瞬、思考が中断した。え? このソリって充電式だったの?

「おい、ちょっと待て! ソリ町! おい!」

 呼びかけても、何の反応もない。タブレットを触ってみても、全く動く気配はなかった。

「ヤバいじゃない! 帰れなかったら全員隕石で絶滅よ! どんだけ~」

 三太は、人差し指を立てて、左右に振っていた。その後ろで、鈴と祐子が抱き合いパニックになっている。

「どうしよう! 帰れないわ!」

「どうするって言ったって……どうしようもなくない!?」

 鈴の言うとおり、本当にどうしようもない。ああ、俺が温泉旅行に行こうなんて言わなければ、こんな意味の分からないところで死ぬこともなかったのに。

「みんな、ほんとにすまない……俺が、俺のせいだ……」

 貴史の涙が、太古の土に吸われていった。崩れ落ちて泣いている貴史の周りに、みんなが集まってくる。

「しょうがないわ。運命よ。私たち家族は、最後まで一緒。あなた、愛してるわ」

「そうだよ。最後にもう一度葉っぱ吸いたかったけど、仕方ないよね。今まで反抗的な態度取ってたけどさ、本当はお父さん頼りにしてるよ」

「そうよ。貴史、あんたはかっこいいんだから、前を向いて、胸を張りなさい」

 貴史の背中に、三人は温かい言葉をかけた。三つの手の温度が、貴史を包んでいった。

 ああ、俺は、幸せだ。このまま恐竜たちと一緒に死ねるなら、本望だ。

『そうよ。その情けない顔をどうにかして、さっさと立ち上がりなさい』

 家族の声に続くように、ナビの声が聞こえてきた。ハッ。ハッ。ハッ。と、不器用に笑っている。こいつ……。

『騙されましたか? 私の充電はまだあります! ハハ! 感動的なシーンを濁して申し訳ございませんね。さあ、さっさと帰りましょう。あ~久しぶりにこんなに笑いました。傑作です』

 赤木家の八つの目が、ソリ町を睨みつけた。

「殺すぞボケが!」「死ねカス!」「水に沈んで壊れろ!」「ソリ町隆史っていう名前全然面白くないからな!」

 四人の罵倒が入り乱れる。ソリ町は、半笑いで赤木家をあしらった。

 しばし四対一で言い合いをしていると、森の奥から、振動が伝わってきた。一定の間隔で、どんどん大きくなってくる。腹に響く、重厚な振動だった。

『森の奥に、生体反応あり。こちらに接近中のようです。これは……非常にキケンです!』

 ソリ町の機械的な音声に、一瞬恐怖の色が混ざった。

「もしかして、恐竜か?」

 森を覗いている貴史を、三人が引っ張る。

「早く! 食べられたらどうするの?」「早く乗りましょう!」「そうよ! 走りなさいよ、このスカポンタン!」

 なんとかソリに乗り込み、キラキラのリンゴを押した。

『すいません、もう一つ、悪いニュースです』

「くそ、またか!」

『出発までに一分かかります。その間、なんとか時間を稼いで下さい』

 くそ、どうする。一分? もう足跡はそこまで近づいてるぞ。

 三人は座席の上で、落ち着かないようにうずうずしている。

「ひっ……」

 森の方を見た三太が、急に静かになり、口を手で覆った。やばい。

「みんな、静かにしろ」

 そう言いながら森を見ると、木と木の間から、とんでもなく大きい牙が覗いていた。ぬっと現れたその顔は、ソリよりも大きい。小さな黄色い目、赤黒い鱗に、涎にまみれた大きな口。

「ティラノサウルスだ……」

 ティラノは赤木家の方をゆっくりと向いた。すると口を大きく開き、天高く咆哮した。

 身体を全て吹っ飛ばされるかのような音に、必死に耳を塞ぐ。あんなラジカセなんか、足元にも及ばない。

「やばい、もうほんとに終わったわ!」

 泣き叫ぶ三太、下を向いて震えている鈴、泡を吹いて倒れている祐子。

 どうする? どうすれば? 考えろ!

「ソリ町! あと何秒だ?」

『あと三十秒です』

 貴史は、ドスドスと近づいてくるティラノを見やった。何か違和感がある。なんだろうか。

 問題は、その目線にあった。少しだけだが、赤木家の方向からずれたところを見ている。その目線の先には──。

「トナカイだ!」

 そこには、首を変な方向に曲げたトナカイが投げ出されていた。こいつを食わせれば、逃げられる!

「みんな! トナカイを縄から外せ!」

「そうか、トナカイを食わせればいいのね!?」

 三太が叫んだ。祐子は気絶したまま。鈴は震えている。

「二人でやるぞ!」

「ええ!」

『あと二十秒です』

 ソリ町の声をスタートの合図にして、二人はソリから飛び降りた。一目散にトナカイへと駆け出す。

「これどうなってる?」

「あ、これ簡単よ! トナカイの轡を外せば良いだけだわ。任して!」

 三太は素早い手つきで、トナカイから轡を取り外した。縄も外して、ソリに乗っける。

「よし、これでいい。戻るぞ」

 三太は頷くよりも前に、ソリへと駆け出していた。貴史も必死に追いかける。

 この時点で、ティラノは背後二メートルほどに迫っていた。ぎりっぎりだ。

『あと五秒です。 皆さん、捕まってください』

 ティラノが、トナカイを咥えた。バキバキという骨を断つ音が、身体に響いてくる。貴史はその様子を見ながら、荒れ狂う心臓を必死に抑えていた。

『さあ、出発です』

 ナビがそう言うと、視界が虹色に変わった。これで、助かる。貴史は、胸をなで下ろした。あのティラノも一時間後には死んでいると考えると、なんだかかわいそうだ。

 行きと同じように息が出来なくなって、貴史は気を失った。


        *


 頬に、冬の冷気が伝った。その冷たさで、反射的に息を大きく吸い込む。

 貴史はばっと身体を起こし、周囲を見渡した。まだみんなは気を失っているようだった。

どうやらソリは道路の端っこに停車しているようで、横を見ると竹林が広がっていた。

 手元には、丸まった、先のない縄が握られている。トナカイの、揺れる尻尾がついた、ごついケツを思い出す。短い付き合いだったが、情が沸いていたようだ。胸にくるものがある。

『本当にキケンでした。心臓はありませんが、バクバクしました』

「お前、ほんとにやってくれたな」

 ソリ町が、やはり感情の乗っていない声で言う。今はそれが、なんだか有り難かった。

『どうでしょう、肝は鍛えられましたか?』

「お陰様で、命の危険を感じたよ。こんな日は人生で初めてだ」

『肝は鍛えられませんでしたか。残念です。しかし、皆さん貴史のことを良く思っていることが分かって良かったですね。あなたは腑抜けかと思っていましたが、意外と立派に父親をやっているのですね』

「うるさいな」

 貴史は微笑んで、もう一度家族の顔を見渡した。みんな、俺の宝物だ。こいつらがいるから、俺は生きてる。

『あと一つだけ、悪いニュースを言ってもいいですか?』

「また? もう慣れっこだよ。どんなニュースでもどんど来いだ!」

 貴史は笑って、先を促した。

『さっきのタイムスリップで、無理に一分で実行をしてしまいました。故に、充電を全て使い果たしました。さようなら』

 そう言ったきり、ナビが暗くなった。

 いやいやいやいや、それだけは駄目だ! そのニュースだけは来ちゃだめだ!

「おい! ソリ町! 嘘だろ? また嘘なんだろ!?」

 貴史はナビを叩いて、騒ぎまくった。さっきまで何か良い雰囲気だったのに! 一難去ってまた一難か!

 貴史の騒ぎっぷりに、みんなが目を覚ました。

「あれ……助かったの?」

「私……いつから気絶してたのかしら……恐竜が吠えてたとこまでは覚えてるんだけど……」

 祐子と鈴は、側頭部に手で抑えながら、惚けた表情をしている。三太はすぐにしゃきっとして、慌てた様子の貴史の方を見つめた。眉の凜々しさから察するに、どうやらオネエ状態は解かれたようだ。

「父さん……そんなに慌ててどうしたんだ?」

 待ってましたと言わんばかりに、貴史はタブレットを抱きながら言った。

「ソリの充電がなくなったんだ!」

 三太がそんなことかと鼻を鳴らす。

「父さん、どうせまたソリ町のいたずらだよ。どうせまだ充電は──」

「ないんだ! どれだけタブレットをいじっても、ソリをガンガン蹴飛ばしてみても何の反応もない。極めつきは──」

 貴史はタブレットの画面を、三太に見せつけた。

「右上を見てみろ」

 三太は顔を近づけて、タブレットを覗き込んだ。

 電池のマークが、赤くなっている。その横にどてっと座る、0%の文字。

「ちょっと……嘘でしょ?」

 三太の声が一トーン上がった。

「今の話、ほんとに言ってるの?」「どうするのよお父さん!」

 横で話を聞いていた祐子と鈴も頭を抱える。

 タイムリミットは夜明けまで。午前六時までと言ったところだろうか。タブレットを確認すると、午前五時半。もうそんなに経ったのか──と思ったが、そもそも何時に出発したのかを確認していなかった。あと三十分──。

 血眼で、地図を確認する。あと半分ほど距離がある。はと三十分でこれまでと同じ距離を走れだと? ソリなしで? 無理だ。不可能だ。

「すまん……何も考えつかない」

 貴史は項垂れて、タブレットをそっと置いた。

「ちょっと、諦めないでよ! 鈴の命が掛かってるのよ!? あんた父親でしょ?」

 祐子が貴史を罵倒する。貴史もキッと祐子をにらみ返した。

「お前もギャーギャー言ってないで何か考えろよ! 母親だろうが! 俺に全部任せるな!」

「止めて!」「そうよ! 止めなさいよ!」

 鈴と三太が、二人の間に入った。

「今は喧嘩なんてしてる場合じゃないでしょ! 冷静にならなきゃ! この忌々しい首輪が取れないじゃん!」

 鈴は首輪を掴んで、無理に揺さぶった。目に涙が溜まっている。

「止めて! 乱暴にしたら、爆発しちゃうわ! みんな、一回深呼吸よ。私のジョークでも聞く?」

「いや、大丈夫だ。すまん、取り乱した」

 三太のおかげで、言い合いは止まった。祐子は大きく深呼吸して、「じゃあ──」と話し出した。と、そのとき、覚醒剤を入れた袋が雪の上に落ちた。

「おい三太、すまん、拾ってきてくれないか」

 三太は頷いて、落ちた袋の元へ歩いて行った。祐子はもう一度気を取り直し、「じゃあ──」と言った。と、そのとき──。

「いやああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 三太の叫び声が上がった。

「どうした!?」

 貴史も必死で呼びかける。

「袋が……袋が動いてるわ! 人の声が聞こえる!」

「なんだと!?」

 それを聞いた他の三人は、一目散にソリを降り、三太の元へと駆けた。腰を抜かして手をついている三太の真ん前で、袋がうねうねと動いていた。

「どういうことだ? ずっとこれが乗ってたのか?」

 祐子と鈴も、顔を歪めながらその袋を見ている。依然動いていた袋の中から、若い男の声が聞こえてきた。

「開けてくれ! 苦しい!」

「喋った!」

 驚く鈴、ずっと腰が抜けている三太。

「分かった! ちょっと待ってろ!」

 貴史はそう話しかけ、袋を開けに掛かった。茶色の紐は異様に強く結ばれていて、冬にかじかんだ手では開けにくい。それを察知して、祐子が手を貸した。というよりも、奪い取った。

「もう、不器用ね! ちょっと貸して!」

 祐子が紐を手に取ると、まるで魔法のように紐がほどけた。

「もう、簡単じゃない! 一体いままで何に手間取って──」

 自慢げに言う祐子を遮るように、袋の中から手が飛び出してきた。祐子も腰を抜かす。

 ずりずりと袋から這い出てきたのは、声の通り若い男だった。雪のような銀髪と対照的な、こんがり肌。ちらっと見えた歯も白い。この男、どっかで見たことあるような……。

「はぁ、はぁ……死ぬかと思った。すいません、ありがとうございます」

「あぁ、いえいえ……。あなた、どこかで……あ」

 男の顔を正面から捉えて、貴史は合点した。あのチラシ! あのイケメン!

「ああ!! 岩ノ上愛斗じゃない!」

 祐子が腰を抜かした体勢のまま叫んだ。そして、さらに腰を抜かした。

「ねえ、誰?」

 鈴が三太に聞く。

「知らないわよ。けど、とってもイケメンね。カワイイ顔してるじゃない」

 三太は岩ノ上に、むちゅっと投げキッスを放った。岩ノ上は雪と投げキッスを払いながら、すくっと立ち上がる。

「あの……助けてくれて本当にありがとうございました。では、さようなら」

 岩ノ上はもう一度お礼を言って、赤木家に背を向けた。さすがに退場が早すぎると思った貴史が、岩ノ上を呼び止める。

「あの!」

「はい?」と、岩ノ上が振り返る。

「なんでこんなとこに入ってたんですか?」

「ああ、それが──」

 岩ノ上は頭をポリポリと掻きながら、訥々と語り始めた。

「僕、サンタ競馬のプロをやってるんですけど……」

「私、いつもあなたに掛けてます! 応援してるわ!」

 祐子が手を上げ、岩ノ上にアピールをした。当たり前だ。この人は毎年あんたに一千八百万も掛けてるんだ。毎年家が建つ。

「そうなんですね! いつも応援ありがとうございます。でも、僕って勝てないでしょ……」

 岩ノ上は自らを嘲るように、弱々しい笑みを浮かべた。

「顔だけとんでもなくイケメンでも、意味がないんです。勝てなきゃね」

 自分でイケメンって言いやがった。ナルシストか。

「どうやら、今日僕がその袋の中に入れられたのも、それが原因みたいなんです」

「と、言うと?」

 貴史が先を促す。

「先日、暴力団的な、本当は何なのかは分からないですけど、とにかく悪い組織の組長が、僕に掛けたんですって。一位で」

 岩ノ上は人差し指を突き立てた。

「大穴狙いだったらしいです。僕はいつも下位の方だから、とんでもないオッズだったんでしょうね。でも組長の予想に反して、僕はいつも通り最下位を取ってしまった。そしたら、組長が怒って僕を拉致したってことらしいです」

「そんなの、ただの逆ギレじゃないか!」

「そうよひどいわ! こんなにイケメンなのに!」

 貴史と祐子が、岩ノ上の不憫さに同情した。

「そうですよね……こんなにイケメンなんだから、少しくらい許してくれたって良いですよね……」

 岩ノ上はそう言って、前髪を気にし始めた。それを見た貴史は、さっきの同情なんてどこへやら、自分の後退し始めたおでこを触って、嫉妬の炎を燃え上がらせた。

 前髪をいじるな! 殺すぞ!

「さっきはすいませんでした。折角助けていただいたのに、何もせず帰ろうとしちゃって。良かったら、何かお手伝いしますよ」

 日曜日放送国民的アニメのお金持ちナルシストのように、岩ノ上はさらっと前髪を払う動作をした。ベイビー。三太がはしゃいでいる。

「実は今困ってるのよ」

 祐子がソリに手を置いて言った。「どうしたんですか?」と言って、岩ノ上が近づいてくる。

「私たちも今その組織に拘束されててね、夜明けまでにこの麻薬を指定の場所に届けないと、娘の命が危ないのよ」

 鈴が自分の首輪を岩ノ上に見せつけた。

「これって全部麻薬なんですか!?」

 岩ノ上は驚愕する。

「もう夜明けまで時間がないですよ!? 早く行かないと!」

「それがね、充電が切れちゃったみたいなのよ」

 あちゃーと、岩ノ上はおでこをぺちんとやった。

「もしトナカイがいれば、僕ならソリで爆走できるんですけどね……」

「そうか。岩ノ上君はプロだもんな。トナカイがいて、ちゃんとソリも充電出来ていたら、超特急で目的地に向かってくれるわけか……」

「でも、トナカイも充電もないんじゃあ……」

 その場にいた全員が、腕を組んで項垂れた。そのとき。

──シャンシャンシャン!

 夜空の向こうから、楽しげに鳴り響く鈴の音が聞こえてきた。

「あ! ジングルベルよ!」

 三太が空を見上げた。この感じ、体験したことがあるな……。貴史の脳裏に、十七年前の光景が思い浮かんだ。鈴の名前の元になった、あの鈴の音だ。忘れるわけがない。俺にとって、人生で一番印象的な音だ。ということは……。

「おい、あれを見てみろ!」

 遠くの方から、空を駆ける影が近づいてきていた。どうやら、あそこからベルの音が聞こえるらしい。どんどん近づいてくる。目を凝らすと、どうやらトナカイを二匹携えている。大きなソリに、一つの人影。赤いコスチュームを着た、お爺さんのようだ。

「おい! あれって!」

「もしかして、あの時の!?」

 貴史と祐子がはしゃいでいる。

「おい三太、覚えてるか!? 十七年前、サンタクロースに車で煽られたことがあっただろ!?」

「ええ? う~ん、何となく覚えてるかな……」

 三太が首を傾げて考え込む。

「あの時のサンタクロースだよ! 絶対そうだ! みんな、あのサンタを呼び止めろ!」

 みんなで大きく手を振って、サンタに向けて叫び散らした。まるでヘリコプターに救助を要請するときのようだった。地上で起こっている喧噪にさすがに気付いたか、サンタはこちらをちらりと見て、徐々に高度を下げ始めた。

「やった! 気付いてくれたぞ!」

 貴史と祐子は抱き合う。

「メリークリスマス! そんなに騒いでどうしたんだ──って、あの家族じゃないか!」

 サンタが赤木家の顔を見るやいなや、手を打ち鳴らして喜んだ。ソリ町の横にトナカイを止めて、彼はスタイリッシュに降りてきた。

「君は、あの都こんぶの子か!? 大きくなったな!」

 サンタは三太の肩を叩く。なんだかややこしい。

「サンタさんはあたしのこと知ってるわけ?」

 三太は惚けた顔をする。やはり十七年前のことは、あんまり覚えていないらしい。

 三太の口調を聞いたサンタは、少し微妙な表情をした。確かに、まさかオカマになっているとは予想だにしないだろう。

「あ、いつもオカマな訳じゃないんですよ」

「はあ……」

 貴史が必死にフォローを入れるも、サンタは微妙な表情を崩すことは無かった。変な雰囲気が流れ出したところで、サンタは気を取り直して貴史に聞いた。

「さて! 一体どうしたんだ? そんな必死に儂を呼び止めて」

 問うたサンタに、貴史は一つ一つ説明をした。拉致されたこと、今すぐにこの麻薬を届けないと、娘の命が危ないこと、ソリの充電がなくなって、どうしようもないこと。

 それを聞いたサンタは一度考え込むように目をつむり、ポンッと手を打ち鳴らした。

「分かった! 儂に出来ることがあれば協力しよう!」

「ほんとですか! ありがとうございます!」

 赤木家全員で礼をすると、サンタは顔を赤らめた。

「全然大丈夫だ。気にすることはない」

 サンタはそう言うと、トナカイの一頭に手を置いた。

「それじゃあ、この子たちを君たちに貸そう。ソリの充電も、私のを分けてあげるよ。それがあれば、目的地までにはたどり着けるだろう。ちなみに、いつまでに持って行けばいいんだ?」

 夜明け前まで、という返答に、サンタは驚愕の表情を浮かべた。

「夜明け前までだと!? そんなの、あと何十分もないじゃないか! いけるのか?」

 サンタの声に、岩ノ上が反応した。

「そこは大丈夫です! プロサンタ騎手なので、おそらく二十分あれば目的地までたどり着けます」

「そうか! 偶然にも、逸材がいるってわけだな」

 サンタの顔に、優しい皺が浮かんだ。ちらりと覗いた白い歯。優しさが溢れ出てくるようだ。なんだか、行ける気がする。

「それじゃあ、太陽が昇ってしまう前に、早いとこ出発しよう。さあ、準備だ」

 サンタが声を張り上げる。みんなもそれに続いて、かけ声を出した。一体感が、背中をしてくれる。このまま、突っ走ってしまえ。

 トナカイをソリ町に結びつけ、サンタのソリから充電を拝借した。

「私も着いていっていいか?」

 サンタが提案する。

「もちろんです! 六人で行きましょう!」

「よし、ありがとう。お役に立てるかは分からんがな」

 サンタは笑って、鈴と横に乗った。その後に、サンタが座る。ぎゅうぎゅう詰めだ。しかしそれが暖かそうで、なんだか微笑ましい。

「そうか、君が鈴さんか」サンタが鈴の方を向いて、優しく語りかけた。

「私のこと知ってるんですか?」

「ああ。十七年前にちょっとな。直接は会えなかったが。その時君は受精卵だった」

「ちょっと、気持ち悪いから止めてあげて」

 三太が咎めると、サンタが笑いながら鈴に謝った。

「じゃあ、一つ教えてあげよう」

 サンタは鈴の方をむき直す。

「君が生まれてきたのはな、この子のおかげなんだぞ」

 三太の頭に、手をぽんと置いた。まさか自分に話題が来るとは思わなかったのか、三太は惚けた表情で、サンタを見つめた。

「この子がな、十七年前のクリスマスに、妹が欲しいって私に願ったんだよ」

「ちょっと、止めてよ!」

 三太は顔を赤らめて、サンタの手を払いのけた。サンタの話を聞いた鈴も顔を赤らめながら、サンタを覗き込んだ。

「それってほんとうなの?」

 三太は目をそらし、ぽつりと呟いた。

「まあ、そうだけど」

「へえ。そうなんだ」

 鈴も三太から目をそらした。視線を落ち着かせるように、目の前の座席を見つめる。

「だからどうって訳じゃないけど、なんか嬉しいもんだね」

「鈴……」

 三太の目に、涙が溜まった。

「やだ鈴ったら、泣かせるじゃない! 案外素直なのね!」

「うるさいわ! というか、早く出発して! 爆発するじゃない!」

 サンタは、高らかに笑う。

「よし! 準備完了だ! それじゃあ岩ノ上君、よろしく頼んだ!」

「任してください! いつも以上に、ハイスピードで行きますよ! 今日は一位を取ってやる!」

 岩ノ上のかけ声を後押しするように、一陣の風が吹いた。追い風だ。

「風も味方してくれとるな! 大丈夫だ。このサンタクロースが保証してやろう!」

 サンタの野太い声は、何よりも頼りがいがあった。きっと大丈夫だ。鈴も死ぬことはないし、誰も傷つかない。温泉旅行は、またの機会に行こう。きっとその時は、家族の距離がもっと縮まってるはずだ。

「さあ、出発!」

 岩ノ上は叫び、アクセルを踏み込んだ。手には縄が握られている。

「この縄を上手いこと操るとね、トナカイは早く走ってくれるんですよ」

 彼の手に収まった縄が、縦横無尽に駆け巡った。どんどんとスピードが上がっていく。冷たい風が、頬に痛い。

「おおすごいな! 儂とトナカイの付き合いも長いけど、こんなスピードは出せん。さすがプロだな」

 サンタのお膳立てに、岩ノ上が笑う。三太と祐子もはしゃいでいる。

「かっこいいわ! 全財産掛けちゃおうかしら!」「ほんとイケメンね! あとで連絡先でもくれないかしら!」

 賑やかで、危なっかしい。が、それが楽しい。貴史は赤木家の本質を垣間見たような気がして、思わず笑みを零した。黒かった地平線に、白が混ざり始めている。もう時間がない。クリスマスイブが、終わろうとしている。貴史が明るみ初めた夜を、鋭い視線で睨みつけた。


        *


「ここだ! 降りてくれ!」

 貴史の指示に、岩ノ上は急ブレーキを掛けた。下をのぞき見ると、大きな倉庫があった。きっと、稲葉物置に違いない。

 ハッと周りを見渡したが、まだ太陽は出ていなかった。ギリギリセーフだ。

 ソリはゆっくりと高度を降ろし、地面に着陸した。

「ありがとうございました。おかげで、何とか助かりそうです」

 深く深くお辞儀をした赤木家に、岩ノ上とサンタは微笑んだ。

「いやいや、大丈夫ですよ。久しぶりにこんな早く走れた気がします。今後のレースで行かせたらいいんですけどね」

「儂はトナカイと充電を貸しただけだからな。ほぼ何もやっとらんよ」

 謙遜する二人に、貴史は涙を零した。なんていい人たちだろうか。この二人に今日会えただけで、今回の旅行は大満足だ。ただ、拉致でプラマイゼロだが。

 さっさと終わらせて、プラスにしよう。

「二人が中に行くと、またややこしくなるかもしれません。寒いかもしれないけど、外で待っててもらえれば。全部終わったら、お返しします」

「ああ。早いとこ頼むよ」

 貴史はもう一度、深く礼をした。

「それじゃあ、急げ!」

 貴史は他の三人に呼びかけて、倉庫のシャッターへと向かった。上から見たときも大きいとは思ったが、下から見るとさらに大きい。どうやら、彼らのアジトなのだろう。ここを本拠地にしているに違いなかった。

 シャッターに走り込んで、力任せに叩く。

「おい! 持ってきたぞ! 早く開けろ!」

 貴史が必死にシャッターを叩き続けていると、豪快なモーター音と共に、じりじりとシャッターが開き始めた。

 赤木家は、一歩下がる。後ろに立っている二人を一瞬振り返って、一度深く頷き合った。

 シャッターの向こう側には、夥しい数の人間がいた。全員黒いスーツに、黒いサングラスを掛けている。二十人ほどはいるだろうか。その中央には、ピエロの仮面を被った男が、ずんぐりと座っていた。どうやらあいつがボスらしい。

「遅かったじゃないか。ぎりぎりだぞ」

 低く掠れた音が、貴史を貫く。

「覚醒剤を持ってきたぞ! 約束どおり、首輪を外す鍵を寄越せ!」

 凄まじい剣幕で叫んだ貴史を、ピエロ男は笑った。

「はは! こいつら、ほんとに鍵くれると思ってるぞ! バカだな!」

 ピエロ男は下っ端達を振り返って笑いかけた。その下っ端共もくすくすと笑う。

 どういうことだ? 何を笑ってる? 届けたら、鍵をくれる決まりだろ?」

「おい、約束が違うじゃないか! 早く鍵を寄越せ!」

「無理だ!」

 酒焼けか、煙草焼けか、がさがさの嫌な声が、倉庫に響き渡った。

「俺にこんな屈辱を味合わせておいて、たかが覚醒剤を運んだだけで助けてやると思ったのか? いいか? 俺はお前らを全員ぶち殺さなきゃ気がすまねぇ。だからって今逃げ出してみろ、娘の首がボーンだ!」

 鈴が涙目で身を縮ませる。

「止めろ!」

「まだ何もやんねぇよ。騒ぐなバカが」

 再び、倉庫の中に笑いが起こった。

 くそ、ずっと騙されてたってことか。これで助かると思ってた俺がバカだった。こいつらを、全員たおさなきゃならない──というか、こいつは俺たちのことを知ってるのか? 確かさっき、『屈辱を味合わされた』って言ってたよな?

「お前、俺たちを知ってるのか? 誰なんだよ!」

 貴史の問いに、ピエロは憎悪を孕ませた声で答える。

「ああ。この十五年間は、お前達のことしか考えてなかった。お前達にどうやって復讐するか、どうやって殺してやろうか、夜も眠れなかったよ」

 ピエロの仮面が笑ったような気がして、貴史は一歩後ずさった。

「俺の正体を知りたいか?」

 ピエロの呻くような声に、思わず貴史は深く頷いた。ピエロの手が、ゆっくりと仮面に近づいていく。赤木家に見せつけるように、ゆっくりと、ゆっくりと。

 遂に仮面の顎を鷲掴み、男は一気に仮面を剥がした。宙に仮面が舞い、フラフラと落ちていく。その下に隠れていた素顔。それを見る赤木家の顔は、堅く強張っていた。

 皺が刻まれた、五十か六十くらいの顔。頭皮の右半分が失われ、露になった皮膚は少し赤みがかっている。その下で笑う顔──見たことがある。

──あいつだ。

 貴史の頭の中に、ある人物の名前が木霊した。中野盛夫だ。

 中野盛夫。都こんぶを作っている──いや、作っていた、中野株式物産会社の、代表取締役だ。十七年前のクリスマスイブ、俺たちはこいつと知り合った。

 確か、会社はもう潰れているはずだ。今何をやっているのかは知らなかったが、まさかこんなところにいるなんて。

「中野! お前、何でこんな所にいるんだ!」

「何でだと!? お前らのせいだろうが!」

 中野の怒号が、銃声の如く響いた。周りのスーツ達が、一瞬びくっとなる。

「俺は十七年前、お前達に監禁された……」

 下っ端達が、ざわざわし始める。いや、別にあれは監禁ってわけじゃあ……。

「屈辱だった。監禁され苦しめられた挙げ句、道路に放り投げられた俺は、その後どうすることも出来なかった。忘れもしねえ、あれは瀬戸大橋だったな」

 中野は宙を遠い目で見つめた。

「本当はお前らのせいで車がつっかえていたのに、全部俺のせいになった。瀬戸大橋を大渋滞させた濡れ衣を着させられたんだ。お前らの悪知恵には、本当に驚かせられるよ」

「おい待て、俺たちはそんなつもりじゃなかったんだ」

「うるさい。言い訳をするな。善人を気取るんじゃない。いいか? 俺はあの一件でSNSに晒されて大炎上し、会社に抗議の電話が浴びるように届いた。その結果売り上げも落ち、会社を畳むことになったんだ。全部お前らのせいだ……お前らが、俺の人生を狂わせたんだよ」

 中野の目は、怒りと悲しみが混ざり合っているように見えた。彼の会社の倒産は、俺たちのせいだったって言うのか……。

 そこで貴史はハッとした。そもそもお前を持ってきたのはあのサンタクロースじゃないか! 俺たちを責めるなんてお門違いだ。知らんがなボケ!

「そんなこと、俺たちには関係ない! あの日、俺たちは買い物に行ってただけなんだ! わざわざお前を貶めてやろうなんて微塵も考えてない!」

 貴史の抗議に、祐子も重ねる。

「そうよ! 私たちはあなたを貶めようとしてなんかない! こんな爆弾を娘の首に巻き付けて、そっちの方が何倍も悪いことしてるわ」

 中野は祐子を睨みつけ、胸ポケットに手を入れた。刹那、銃声が鳴り、貴史の横で火花が散った。

「祐子!」

「お母さん!」

 右肩を押さえて蹲る祐子に、貴史と鈴が駆け寄る。三太は声も出すことが出来ずに、細かく揺れる目で祐子を見つめていた。

 熱い、と呻く祐子。その右肩には、血が滲んでいた。それがどんどんと広がり、腕にまで浸食してきている。火薬の匂いと血の匂いと、銃声の残響が五感に残っている。どういう行動を取ればいいのか、何も貴史には分からなかった。

 かすり傷でさえ直視できない貴史には、当たり前のことかもしれない。

 西部映画のように銃口に息を吹きかけた中野は、呻く祐子に銃口を向けて続ける。

「俺はあんたらが何であそこに居たのかなんてどうでもいい。俺はあんたらのせいで、人生が狂った。だから、あんたらを殺す。それだけだ」

 中野は撃鉄を下げた。もう一発来る。貴史は咄嗟に祐子をかばおうとしたが、間に合わなかった。というか、そもそも標的が違った。

 三太が倒れた。腹の底からのような呻き声を上げながら、必死に右足をかばっている。

「三太!」

 鈴が三太を受け止めた。血が滴る右足に触れようかどうか、手を宙に漂わせて迷っている。

「お前、いい加減にしろ!」

 貴史の中で、何かが切れた。目に映る笑顔の中野が、何重にもなった。

 ああ、そうか。このために、このためにこのソリはあるのか。今までの道中が、貴史の中で全て繋がった。

──こいつらを、全員ぶっ殺してやる。俺の命に代えてもだ。

 貴史の目に、炎が灯った。

「銃って狙ったとこに当てるの難しいな。おかげで即死させてやれなかったよ」

 中野は嫌らしい笑みを浮かべている。下っ端を見渡して、自分が持つ権威を確かめているようだった。

 銃声を聞きつけたのか、サンタクロースと岩ノ上愛斗が倉庫に走り込んできた。

「大丈夫ですか!? 銃声が聞こえて──サンタさん!」

「大変だ! 打たれておる! 避難させるぞ!」

 二人が、赤木家に近づいていった。その二人を視界に認めた貴史が、大声で言う。

「この三人をお願いします! どこか安全なところに連れて行ってください!」

 叫ぶ貴史に、鈴が反応した。

「ちょっと! お父さんは!? ここに残るつもり!?」

「作戦があるんだ。こいつらを、全員殺してやる」

 貴史の剣幕に、鈴は押し黙ることしか出来なかった。

「おいおい、色んな奴が登場したな」

 中野が拳銃を構え、右に左に揺らしている。全員が動きを止めた。

「まさか逃げられるとでも思ってんのか? こっちには銃があるんだぞ? いつだってお前らを殺せる。逃げようとしても無駄だ」

 そう言った中野は、もう一度撃鉄を下げた。引き金を絞る。その動作に、全くのためらいはなかった。弾丸が叫びを上げる。思わず目をつぶったその瞬間、金属と金属が価値合わさる音が響いた。どうやら、誰も撃たれてはいない。貴史はゆっくりと目を開けた。

 目の前には、ソリが立ちはだかっていた。

『お久しぶりです。へっぽこ家族ども』

「ソリ町!」

 その毒舌が、今はとても頼りがいに溢れていた。木製の見た目だが、本当は金属。鋼の女、ソリ町隆史。ソリ町に繋がれたトナカイも、鼻息を荒立てて四股を踏みならしている。それは、反撃の狼煙のように思えた。

「くそ、まさかナビが敵になるとはな」

 中野は銃を下げて、ナビを睨みつけている。下っ端のざわめきも、より一層とぐろを巻いた。

「今のうちに、早く!」

 貴史の一声に、岩ノ上とサンタが頷いた。三太と祐子を抱きかかえ、倉庫の外へと走って行く。鈴も渋々といった様子で、視線を貴史にとどめたまま、岩ノ上についていった。

 その行く先を眺めていた中野は、鼻を鳴らした。

「まあいい。あいつらの足取りはこのGPSで分かる。ちょっとでも逃げてみろ、すぐに爆発させるからな」

「そんなこと言えるのも、今のうちだ」

 貴史はソリ町を呼び、ヒーローのように飛び乗った。ぐっとアクセルを踏んで、高度を上げていく。トナカイも優雅に駆けた。

「何してるんだ、血迷ったか?」

 いつの間にか下っ端達も銃を取り出し、貴史とソリ町に標準を向けている。

「お前らの敗因は、先に覚醒剤を受け取らなかったことだ!」

 貴史はそう言い放ち、後ろの袋を抱えた。紐をほどき、中身を出す。そこには、大きなビニール袋の中にパンパンに詰まった覚醒剤があった。粉状である。

「何するんだ!」

 上を見上げ、中野は目を細めている。

「ソリ町、扇風機を出して、強にしてくれ。出来れば、それを前方向に向けて」

『了解です』

 ソリ町が了承すると、バコッと扇風機が出てきた。強になり、強い風が吹く。

「ソリ町、次はジェットコースターモードだ」

『了解』

 次の瞬間、ソリが更に上へと上がっていく。少し止まったかと思うと、一気に急降下した。

「うお、危ねえ!」

 中野たちは頭を抱え、四方八方に散った。鳴る足音が、妙に気持ちいい。

 貴史は揺れるソリの中で、必死に覚醒剤の袋を開けた。扇風機の前へと持って行く。どんどんと、粉末状の覚醒剤が散っていく。大半は貴史の顔に掛かる格好となったが、扇風機のおかげで、多少は広がってくれるはずだ。

「あいつ何してるんだ?」

 身を縮めながら、中野は今もなおソリを睨みつけている。もうちょっとで、お前は吹っ飛ぶぞ。アホ面晒しとけ!

 そう言っている間に、覚醒剤が一袋分無くなった。それを確認すると、必死にソリにしがみつきながら、貴史はなんとかもう一つの袋を取り出す。そして同じように、粉をまき散らしていった。

「ソリ町、シャッターを閉めれるか?」

『はい。シャッターを管轄しているコンピューターをハッキングしました。直ちにシャッターを閉じます』

 次の瞬間、シャッターが閉じ始めた。ほぼ落ちるようなスピードだ。シャッターが地面に着いた時、鼓膜をハリセンで直接叩かれたかのような破裂音が響いた。残響ですらうるさい。

 この時すでに、視界が覚醒剤で埋め尽くされ始めていた。少しずつ呼吸が苦しくなってくる。それでも貴史は、覚醒剤をまき散らすことを止めなかった。

「くそ、開かねえ!」

 下っ端の五人ほどが、シャッターを叩いていた。苦しくて出たいようだ。お前らも巻き込んでやる。後悔しやがれ!

 何袋目だろうか、覚醒剤も底をつき始めた。しかしその頃には、もう倉庫は白煙まみれ、たった二メートル先もしっかりと視認できないほどになっていた。息もしづらくなっている。もうそろそろいけるだろう──いや、まだだ。念には念を、最後までだ。

 貴史は満足することなく、少しの時間を掛けて全ての覚醒剤をまき散らした。もう、地面にいる中野の姿もあやふやだ。

「ソリ町、ジェットコースターを止めて」

 ソリがぴたっと停まったのを見計らって、貴史は身を乗り出した。

「おい中野! お前の覚醒剤を全部ばら撒いてやったぞ! 悔しかったら俺をその拳銃で撃ってみろよ!」

 貴史は中野に啖呵を切った。

「そんな小学生みたいな挑発に乗るか! こんな中で銃でも撃ってみろ! そんなことしたら──」

 その時、下っ端の一人が拳銃を取り出した。貴史めがけて、勢いよく銃口を向ける。

「お前、さっきから調子に乗りやがって! 俺たちが地上にいるから何も出来ないと思ってんだろ! お前の頭を俺の銃でぶち抜いてやる!」

 大声を張り上げ、その男は銃を両手で構えた。引き金に指を乗せる。

「おい、止め──」

 中野の怒号も届かず、その男は遂に引き金を引いた。とんだお馬鹿さんだ。

 弾丸が銃口から顔を覗かせた瞬間、一つの火花が、大きな花火になった。宙に舞う覚醒剤の粉一粒一粒を伝って、一瞬のうちに業火に変わる。粉塵爆発だ。

 叫ぶ暇もなく、爆風が中野たちを包んでいった。迫り来る炎が、スローモーションに見える。貴史は目を閉じて、家族を想った。祐子、鈴、三太、祐子、鈴、三太。

 順繰り順繰り想い、貴史は目を開いた。涙が張った彼の目は、眼前まで迫った炎に照らされ、オレンジ色に光る。これまでの人生で、一番綺麗な涙だった。


        *


 シャッターが閉まっていく様子を遠くから見ていた鈴は、サンタの制止の中でもがきながら、「お父さん」と叫び続けた。銃弾の恐怖から、かなり遠くまでソリで逃げてきたので、その声は確実に届かない。貴史と中野がいる倉庫は小さく見える。中野に逃げたと判断されないであろう、ギリギリの距離だった。

「ねえ! 大丈夫なの!? ほんとに?」

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、鈴はサンタに訊ねる。

「きっと大丈夫だ。儂が保証する。彼は、思ったよりもしぶとい男だ。なんせ、儂から逃げ切ったんだからな」サンタは鈴に微笑みかけた。

 サンタと鈴の隣では、岩ノ上が必死に動き回る。負傷した祐子と三太を、治療するためだ。

「大丈夫、もう血は止まってます。あとは安静にしておいてください。ちょっと、二人とも!」

 三太は足を引き釣り、祐子は肩をかばいながら、倉庫へと歩いて行く。

「駄目です! 傷が広がってしまう!」

 岩ノ上の制止に、祐子は振り向いた。痛そうに顔を歪め、右目をつむってはいるが、もう片方の目で凜と訴えかける。

「何が駄目なの? 今私たちがこうしている間にも、旦那は身を挺して闘ってくれているの。たかが肩に銃弾受けたくらいでへこたれてる場合じゃないわ!」

 祐子の剣幕に、三太も振り返った。

「そう、母さんの言うとおりだ。もしかしたら、中で今父さんが苦しんでるかもしれない。助けてやらなきゃ、家族じゃないよな」

 三太に、もうニートの面影はない。オカマの面影もない。彼は立派な、赤木家の長男だった。

 その様子を見ていたサンタは頷いて言った。

「そうだな、すまなかった。関係ない儂らがびびって、こんな遠くまで逃げてきてしまった。情けないよ。岩ノ上君、彼らは致命傷じゃない。何が出来るかはわからないが、貴史を助けにいこうじゃないか」

 岩ノ上も、ふっと息を吐いて、頬に笑みを浮かべた。

「分かりました。じゃあ、すぐに行きましょう。皆さん、ソリに乗ってください」

 その場にいる全員が強く頷いて、ソリへと急いで乗りこんだ。

「じゃあ、行きますよ。飛ばすんで、注意してくださ──」

 岩ノ上がそう言ってアクセルを踏んだ時、遠くから凄まじい爆音が響いた。皆が一斉に倉庫の方角を見る。

 夜空が赤く滲んだと思った瞬間、まるで倉庫が爆弾そのものかと言うように、屋根が吹っ飛び、壁面が倒れた。その中には、地獄のような火の玉が座り込んでいた。

「みんな、伏せて!」

 岩ノ上の叫びを、爆風がかき消した。少し浮いていたソリが揺られ、地面に叩きつけられる。皆必死に頭を腕でかばうが、流れ込んでくる熱波に、身を縮めるしか無かった。呼吸も苦しく、サウナを思い出す。

 熱波は一瞬だった。周りは、もうとっくに元の様相を取り戻している。ふらふらとサンタが起き上がり、皆を見回した。

「おい、全員大丈夫か!?」

 身体をかばう腕をゆるめ、みんなも起き上がった。意外にも、トナカイは何事もなかったように佇んでいる。彼の足腰のおかげで、ソリは転倒せずに済んだようだ。

「痛った……」

「お父さ──」

 鈴は咄嗟に叫ぼうとするが、熱にやられた咳のせいで上手くしゃべることができない。それを見かねたサンタが、何度も鈴の背中をさする。

「貴史さんは……どうなったんだ?」

 ぼうっと倉庫を眺める岩ノ上、首を振るサンタ。なおも咳き込みながら、鈴は叫び続ける。

「お父さん、お父さん!」

「鈴ちゃん……もうお父さんは……」

 サンタは悲しそうな目で、鈴を宥めた。諦めた様子のサンタを、祐子がキッと睨む。

「首を振らないで! あの人が死んだような顔をしないで!」

 びくっとしたサンタが、祐子を見つめる。

「貴史は思ったよりもしぶとい男なんでしょう!? そんな目をするな!」

 サンタは「すまない」と呟いて、そっと鈴から手を放した。鈴は嗚咽したままだ。

「みんな早く捕まって! 岩ノ上急いで!」

 呆然とした表情を浮かべていた岩ノ上は、その祐子の一声で正気を取り戻し、椅子に深く座り直した。ハンドルを握り、アクセルを踏む。

 ソリがもう一度ゆるゆると高度を上げる。トナカイはその上昇と共に、蹄を打ち鳴らした。鼻息をエンジンのように吹かし、四本の屈強な足で四股を鳴らす。

 その尻を岩ノ上が打つと、馬のような鳴き声を出して、足をばたつかせた。いや、駆けているのだ。筋肉が盛り上がり、ぐんぐんとスピードが上がっていく。

 未だに、ソリの上の動揺はほぐれていなかった。泣いて前を見ようとしない者、倉庫の方を眺め、呆然としている者、ただひたすらに、貴史の無事を祈って手を堅く握っている者。

 貴史は生きているのか。どちらにしろ、その結果はもう分かる。夜空を弾丸のように進んでいたソリを、遂に登った朝日が照らした。その瞬間、粉々になった倉庫がはっきりと姿を現した。核でも落ちたかのようだ。

生きていてくれ。ソリの上では、その思いだけが渦巻いている。


        *


 ソリの眼下では、無残にも、砕け散った倉庫の残骸が散乱していた。所々には火種が芽吹いており、その周りには人間の一部と思わしきものもある。まさに地獄絵図だった。

「待って……あれ!」

 ソリから下を覗いていた祐子が、声を上げた。思わず皆が下を覗く。

 その先、倉庫の中央辺りに、ソリがどんと置かれていた。トナカイも元気そうに尻尾を振っていた。草を食むように、人間の腕を食べようとしている。グロい。

 しかし、ソリの上に貴史の姿がなかった。もしかして、他の人間と一緒に吹き飛ばされてしまったのだろうか。

「あなた! どこにいるの!」

 ソリから落ちそうなほど身を乗り出し、祐子は叫ぶ。

「岩ノ上! 早くソリを降ろして! 貴史を探すわよ!」

 岩ノ上は強く頷き、トナカイのケツを撫でた。どんどんと高度が下がっていく。そのときだった。

「ん? 何か臭うな……」

「確かに。なんか、甘い尿みたいな……草の匂いっていうか……」

 サンタと三太が鼻をつまむ。それを聞いていた鈴が、思わず声を上げた。

「あ! 駄目! 岩ノ上さん、降りないで!」

「え? どうしてですか?」

「いいから早く! これ、大麻の匂いよ! 覚醒剤の中に、大麻も混ざってたのかもしれない!」

 トナカイのケツを撫でていた岩ノ上は、その手で口を塞ぎ、急いで高度を再度上げた。その手が臭かったのか、何度か咳き込んだ後、うえっと嗚咽した。

 一旦落ち着いた後、祐子が口を開いた。

「ねえ、大麻の匂いがしちゃなんで駄目なの?」

 鈴が答える。

「当たり前じゃん。こんなに匂いがするってことは、大麻の成分がここにまだ充満しているってことだよ。もしここに突っ込んでいったら、シャブ中確定だよ」

 鈴の説明を聞いた岩ノ上が青ざめている。

「それって、一回でも吸ったら終わりなんですか?」

「当たり前じゃん」

 自分の頭を突き、鈴は続ける。

「脳にはね、ドーパミンっていう快楽物質を出す部分があるの。大麻なんかはいわば、それを強制的に引き出す薬みたいなもの。もし一回でもそれを使ったら、脳味噌が『ああ、頑張らなくてもいいんだ』って錯覚して、快楽物質を一切出さなくなるの。そうなったらもう終わり。大麻がないと、廃人のような生活を送ることになるよ」

 頭を突いていた指を、他の四人に向けた。

「みんなもそうなりたくないでしょ」

 ソリの上で、ゴクリと息を呑む音がした。

「そう言ったってさ」

 祐子が口を挟む。

「貴史はどうなるのよ? こうしてる間にも大麻に蝕まれてるかもしれない。仮にこの匂いが消えるまで待つとしても、その間に貴史が死んじゃうかもしれないわ」

「それは大丈夫だよ。私が行く」

 強い眼力で、鈴が祐子を睨んだ。

「私は薬物になれてる。もう既にシャブ中だからね。なんにも怖いことなんてないわ」

「ほんとにいいの?」

「うん。まさかこんなところで薬物やってたのが生きるとは。安心して。絶対お父さん助けてくるから」

 祐子は諦めたように、小さく頷いた。その表情には、慈愛の心が見て取れる。鈴の成長ぶりに、感動しているのだろうか。

 他の三人も鈴を見て、深く頷いた。三太が鈴の肩に手を置く。

「鈴、父さんを連れて帰ってきてくれ」

「うん」

 鈴はニコッと笑った。朝は整っていた金髪も今はぼさぼさだったが、その顔は大人になっていた。もうギャルっぽさはない。

「じゃあ、岩ノ上さん、ちょっと遠くにソリを止めて」

 岩ノ上はそれを聞くと、少し倉庫から離れ、小高い丘のようになっているところにソリを止めた。鈴は一目散にソリを降り、倉庫の方を見やる。

「お願い」

 祐子は鈴を見ていった。

「連れて帰ってこれたら、朝食のレパートリー増やしてね」

「分かった。何倍にも増やすわよ」

 その答えを聞いた鈴は、満足げに走り出した。土を踏む音が遠ざかっていく。それを見やる四人は、ただ祈ることしかできない。たまには、キリストにでも祈ろうか。


        *


 鈴はひたすらに走り、倉庫だった場所へと足を踏み入れた。甘い草に、おしっこをかけたような、この独特な匂い。思わず鼻をひくつかせた。だんだん頭がふわふわしてくる。早いとこ救出しないと、幻覚を見てしまう。

 鈴は人間の破片を乗り越えて、中央にあるソリへと向かった。トナカイが助けて、とでもいうように、つぶらな目でこちらを見てくる。そういえば、トナカイはトリップしないのだろうか。

 ソリに到達する。もしかしたら座席の間に倒れているのかもしれないと思ったが、やはり姿はなかった。周りを見渡しても、お父さんらしき姿はない。一体、どこにいってしまったのか。一足先にどこかへ逃げたのか、それとも──。

 嫌な妄想に、鈴は頭を振った。考えるな。考えるな。

 ふとソリの運転席を見ると、ハンドルの下から、紐のようなものが伸びていた。その紐を目で辿ると、ソリの外へと伸びていき、横に山積していた瓦礫の下へと続いている。

 それを見た瞬間、鈴の頭に電球が灯った。きっと、この下にお父さんがいる。

 鈴はその瓦礫に飛びつき、一つ一つどかしていった。五個目の瓦礫を取り除くと、放り出されている腕が覗いた。まだ動いている。

「お父さん!」

 鈴の問いかけに答えるように、瓦礫の中から呻き声が聞こえた。鈴は一層必死に瓦礫を取り除いていく。

 腕が露になり、胴が見えた。そのまま顔の部分を覆っていた瓦礫をどかすと、お父さんの顔が見えた。なんと、酸素マスクをしている。これなら、シャブ中になる心配も無い。

「お父さん、大丈夫!? 今助けるからね!」

 鈴は貴史の顔ギリギリで、大きく叫んだ。その間も、どんどんと瓦礫を取り除いていく。

 そして遂に、瓦礫を全てどかし、貴史の身体を全て露出させることに成功した。コンクリートの粉にまみれ、身体の至るところがケガをしている。大丈夫だろうか。鈴は貴史の身体を必死に揺すりながら、なおもお父さんと呼びかけ続けた。

「う~ん」

 うっすらと、貴史の目が開いた。酸素マスクをしているからか、病人が昏睡状態から目覚めた時のような感じだった。貴史は鈴の姿を捉えたかと思うと、腕を上げ、鈴の頬を撫でる。

「鈴……」

「お父さん、良かった! 動ける!?」

 その声に、貴史は呻きを上げながらも身体を動かした。掠れた声で答える。

「多分、大丈夫みたいだ……折れてない」

「良かった。立てるかな? 支えてるから、ゆっくり立ってみて。あ、酸素マスク外しちゃだめだよ」

 貴史は力なく頷いて、ゆっくりと立ち上がった。鈴の肩に置いた手が震えている。いつも一緒にいる人間が傷ついているところを見ると、鈴はどうにも涙を堪えることか出来なかった。

「お父さん、ありがと」

 守ってくれてと言うべきだったろうが、恥ずかしくてそこまえは言えなかった。こんな状況でも言えないんだから、もう二度と言えないんだろうな、と思う。

 久しぶりに上目遣いをしたからだろうか、貴史が微笑んだ。

「なんだ、意外と女っ気あるじゃないか。ただのギャルかと思ってた」

「なにそれ、ギャルだって色気あるでしょ?」

「そうかな、俺はあんまり好きじゃない」

 鈴は呆れたように溜め息をついて、もう一度貴史を見た。今まで、迷っていた。やめるかやめないか。でももう潮時かもしれない。辛いかもしれないけど──。

「お父さん、あたし薬物やめるよ。金髪もやめる」

 それを聞いた貴史は、目を見開き、全身で喜びを表現した。腕を振り回し、ぴょんぴょん跳ねている。痛みはもうどこかにいったみたいだ。

「それ、ほんとか! 良かった! ほんとに良かった!」

「もう、あんま飛び跳ねないで。安静にしてて」

 貴史は「すまん」と言って、もう一度鈴の肩に手を乗せた。しかし顔が緩んでいる。

「今回の旅行、楽しかった」

 恥ずかしいのか、俯きながら鈴は言う。

「クスリなんかより、ずっとエキサイティングだった。やっぱり、本物のトリップは違うね」

「上手いこと言うなあ」

 二人は暫し笑い合った。やっぱり、変なことを言って気持ちをはぐらかしてしまう。クスリも、現実逃避に使っていただけなのかもしれない。いつか、正面切って感謝の気持ちを伝えられる日がくるだろうか。鈴は自分の少し未来を想像して、思わず笑った。絶対言えないな。

「そうだ、鈴」

 貴史はソリとは逆方向を指さす。

「多分鍵はあいつが持ってる。ポッケとか探してみろ」

 差した指の先に、中野が倒れていた。どうやら、バラバラにはならなかったらしい。その横にはボロボロになったピエロの仮面が落ちていた。

 鈴は中野の死体に走り寄り、ズボンのポケットをまさぐった。手に冷たい感触が当たる。ばっと取り出してみると、金色に光る鍵が握られていた。

「お父さん、あったよ!」

 いつの間にかソリに乗り込んでいた貴史に向かって、鈴は鍵を掲げて見せた。

「やったな! こっちに来い! 首輪外してやるよ」

 貴史がそう言うと、鈴は一目散にソリへと走った。跳ねるように乗り込み、貴史に鍵を渡す。すると貴史は流れるような手つきで、首輪の鍵穴を探し、そこに鍵を差し込んだ。

 首輪はあっさりと外れた。とんでもなく、あっけない終わりだった。首が軽くなって、自由の身になった気がする。

 貴史は首輪を投げ捨て、ハンドルを握った。

「じゃあ、みんなのとこに帰ろうか」

「うん」

 ソリが浮き、トナカイが走った。息が白く、朝日を透かす。あまりの太陽の美しさに、横に座る父親の安心感に、鈴は思わず大きく息を吸った。冬の朝が、肺に流れ込んでくる。大麻の煙なんかより、よっぽど気持ちよかった。


        *


「すいませんでしたああぁぁ!!」

 クリスマスの翌日、十二月二十六日。赤木家のリビングに、貴史の謝罪が響き渡った。

「私が旅行を計画してしまったばっかりに、皆さんを巻き込んでしまいました! 許してください!」

 深々とお辞儀をした貴史を見て、祐子が口を開いた。

「ほんと、倉庫が爆発したときはどうなるかと思ったわ」

「そうだよ。衝撃過ぎてあんまり喋れなかったんだからな」

 三太も口を尖らせて言う。鈴は二人の様子とは違って、貴史を擁護する姿勢を見せた。

「でも、楽しかったよ」

 はにかむ鈴に、祐子が噛みつく。

「あれのどこが楽しかったのよ!? 人生で一番とんでもない経験をしたわ」

「俺もオカマだと思われたし、二度とあんなことしたくないね」

 むすっとした顔をする二人に、貴史はもう一度頭を下げた。

「ほんとにすまなかった。まさかあんなことになるなんて思わなかったんだ。もう旅行行こうなんて言わないよ……」

「いや、リベンジしなきゃ」

 三太が貴史を慰めるように言った。

「そうね。また今度改めて温泉旅行いきましょ」

 祐子の言葉に、貴史が顔を上げた。

「ほんとに!? 行ってくれるのか!?」

「当たり前でしょ。今回みたいな危険なことがあっても、あなたは身を挺して私たちを守ってくれることが分かったからね。安心していけるわ。ありがとうね」

 貴史の目に、涙が溜まっていく。

「うわあああぁぁぁぁ……ありがとうぅう……」

 貴史は絞り出すようにそう言った後、ガッチガチにギブスで固めた右腕で、涙を拭いた。

 家に帰ってきた後、念のために病院に行った。結局、腕にひびが入っていたようだ。ちなみに三太はというと、精神科を進められた。高所に行くと別の人格が現れるという話を医者にしたら、二重人格だと診断されたのだ。晴れて、精神科デビューである。

「というか、どうしてあんな大爆発だったのにお父さんは無事だったの?」

 腕にしたギブスを見て不思議に思ったのか、鈴が聞いた。

「あ、聞きたい?」

 貴史は待ってましたとでも言うように、滔々と語り始めた。

 

 貴史が覚醒剤をまき始めた頃、三つ目の袋に取りかかった時であった。

『貴史、』

 ソリ町が、貴史に呼びかけた。「なんだ」と返すのも待たず、ソリ町は続ける。

『貴史のやりたいことが今分かりました。自分も犠牲にするつもりのようですが、そんなかっこいいことは私がさせません』

 貴史は目を見開いて、どういうことだと返す。

『あなたがやりたいのは、粉塵爆発ですね?』

 貴史は深く頷く。

『安心してください。爆発する直前に、タブレットにあるドクロマークを押して』

 貴史はそれを聞くと、一旦覚醒剤を置いて、タブレットを開いた。一番下にある、ドクロのマーク、自爆ではないのか。

『それを押せば、あなたは助かります』

「これって、自爆するボタンじゃないのか?」

『全然違いますね。それはシェルターです』

 これってシェルターだったのか。ドクロの意味を知っているのかと詰問してやりたいが、そんなことをしている時間も無い──というか、シェルター機能があまりイメージできないな。

「ソリ町、シェルターってどんな感じだ?」

『ソリを大きく展開し、丸形になります。中に貴史とトナカイを入れて、周りの衝撃からあなた達の身を守らせて頂きます』

 そういうことが出来るならもっと早く言って欲しかった。命を捨てるつもりだったが、早まらなくてもいいかもしれない。光明が差した気がする。

「分かった。銃を撃たせて爆発させるつもりだから、敵が構えた瞬間にそのボタンを押すよ」

 貴史は敵に聞こえないように、身をかがめ囁き声で言った。

『それともう一つ』

 あくまで機械的な口調を崩さず、ソリ町が言う。

『このまま爆発させると、麻薬の成分が充満する恐れがあります。無事に爆発から逃れたとしても、最悪の場合、麻薬中毒で死に至るかもしれません』

「じゃあ、どうしろって言うんだ?」

『酸素マスクです』

 貴史はそれを聞いて、なるほどと得心した。確か、ぶどうのボタンだったはずだ。ここで役に立つとは。予想も出来なかった。

「これで薬物からも身を守れると」

 ソリ町は何も言わなかったが、深く頷いているような気がした。

 

「とまぁ、そんな感じだ」

 貴史は腕を広げ、以上ですのポーズを決めた。

「なるほどね。ソリ町のおかげで、あなたは無事だったわけか。感謝しなくちゃね」

 祐子は納得したように手に顎を当て、ふんふんと頷いた。

「そういえばさ」

 何かに思い当たったように呟く鈴に、他の三人が視線を移した。

「ソリ町って今どこにいるの?」

「確か、今はサンタのところにいると思うけど……」

 そう貴史が言った時、彼のスマホが点いた。

『おはようございます。へっぽこ家族ども』

 あの機械的な女の声──。

「ソリ町だ!」

 貴史は驚いて、スマホを取り落とした。もがくように、地面でバイブレーションを鳴らしている。

「まじか! ソリ町が帰ってきた!」

 三太が叫ぶ。

『別に帰ってきた訳ではありませんよ。オカマ野郎は黙っていてください』

 眉尻を下げて哀しそうな顔をする三太をよそに、ソリ町は続けた。

『サンタと岩ノ上からの伝言を伝えに来ました』

「伝言? あの二人から?」

 サンタと岩ノ上とは、家まで送り届けてもらったきり会っていない。といっても、昨日の話だが。二人から連絡とは、一体どんな話だろう。もしかしたら、助けてやったお礼なんかを要求されるのかもしれない。その場合、奴らとは縁を切る。

『ではまず、サンタからの伝言です』

 二秒ほど砂嵐のような雑音が聞こえた後、サンタのしわがれた優しい声が聞こえてきた。雪国のようなところで撮影しているようだ。後ろで吹雪が舞っている。

『これって撮れてるのか?』

『撮れてるに決まってるでしょう。ボケてきたんですか?』

『うるさい』

 サンタとソリ町の、漫才みたいなやりとりが聞こえてくる。

『えーっと三太くん』

 まさか自分の話だとは思わなかったのだろう、突然名前を呼ばれた三太は、驚いたように身体をびくつかせた。

『君は今、ニートをしていると聞いた。そこでなんだが、儂のところで働いてくれないか?』

 三太はなおも、呆けた顔をしている。

『見てもらったら分かると思うが、儂はこんな雪国に住んでいる。最近体力も落ちてきて、色んなことがしんどくなってきたんだ。ちょっと、手伝ってくれんか? もちろん、報酬は弾むぞ』

 それを聞いた祐子が、三太に言う。

「ちょっと三太、これチャンスよ。無職から脱しなさい」

 三太は少しの間目を閉じ、決心したように言い放った。

「分かった。働くよ」

 三太の決断に、みんなの顔が一段階明るくなった。鈴が大きな声を出す。

「まじで!? あの三太が、いよいよ働くの!?」

 三太は恥ずかしそうに、もじもじしていた。貴史が三太の肩を強く叩く。

「やっとお前もニート脱出か。心配掛けやがって」

「今まですいませんでした。クレジットカードの分もきっちり払います」

「ああ。頼むぞ」

 いよいよ三太が家を出るのか。寂しくなるな。と思ったが、今までずっと引き籠もっていたから、別にどっかに行っても何も変わらないのかもしれない。

『もし働いてくれるっていうんだったら、この番号に電話してね~』

 サンタはそう言って、両手で上を指し示した。その先に、電話番号のテロップが浮かび上がる。編集してたのか。

『それでは、次の伝言です』

 サンタのメッセージがぶち切れ、今度は岩ノ上が映った。どうやら、家で撮影しているらしい。後ろにキッチンが見えている。

『皆さん、どうも岩ノ上です。突然の連絡すみません』

 相変わらず、白い歯が健康的だ。でももう、憎らしくない。命の恩人だからな。

 横を見ると、祐子の鼻息が荒くなっていた。やっぱり、憎らしいかも。

『今度のトナカイレース、僕も出ることになりました。僕の選手生活二周年ってことで、一日に三レースくらいするんです。良かったら、皆さん応援しにきてくださいね! 今度こそ絶対一位取ってみせますよ』

 鼻息を荒くしていた祐子が、爆発した。

「みんな、行くわよ! 全財産掛けるよ!」

 目をバッキバキに見開いた祐子が、高らかに声を上げた。さすがに全財産は止めて欲しいが。

『今週の日曜日、昼の一時からやります! 場所は横田競馬場です。良かったら控え室にも来て下さいね~』

 そこで、岩ノ上のメッセージが切れた。

「じゃあ、今週の日曜日はみんなで競馬しに行って、その後温泉にでも行くか!」

 皆、楽しそうな顔で頷いた。祐子がうきうきと口を開く。

「やっとみんなもギャンブルの楽しさに目覚めるのね! 楽しみだわ。私の貯金全部使ってしまいなさい!」

 まあ、たまにはギャンブルもいいかな。貴史はそう思いながら、あることに気付いた。

「あ、今年はまだあれ言ってないんじゃないか?」

祐子と鈴は不思議そうに首を傾げる。三太だけはあれが何か分かっているようで、意気揚々と声を上げた。

「ほらあれじゃん! 昨日クリスマスだったのに、言い忘れたじゃん!」

「ああ、あれね」「私も分かった!」

 三太の言葉に、二人も得心したようだ。

「それじゃあいくぞ! せーのっ!」

 貴史は皆を見渡す。みんな、俺の大事な宝物だ。神様がくれた、最高のクリスマスプレゼントだ。

 四人は大きく息を吸って、一斉に声を合わせた。

「メリークリスマス!」

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