完璧な彼女が、僕との恋にだけ「正解」を求めてしまう
淡綴(あわつづり)
第一話:それは、計算外のラッキースケベ
世界を構成する事象の多くは、予測可能な定型(パターン)によって成り立っている。
登校中、決まった時間に信号が赤に変わること。昨日貸した小説が、今日には僕の机に返っていること。そして、幼馴染の有栖(ありす)が、僕の日常のあらゆる局面において「絶妙なタイミング」で現れること。
それらはあまりに自然で、あまりに鮮やかだった。
「あ、悠(ゆう)くん。おはよ。……また会っちゃったね」
通学路にある、視界の悪いT字路。
僕が角を曲がろうとしたその瞬間、ふわりと甘い花の香りがして、僕は柔らかい衝撃とともに立ち止まることになった。
正面からぶつかってきたのは、有栖だった。
彼女は僕の胸に軽く頭を預けるような形になり、大きな瞳をパチパチさせて僕を見上げている。
「ごめん。急いでたから、つい」
「……いや、僕の方こそ。怪我はない?」
「えへへ、大丈夫。悠くんが支えてくれたから」
有栖はそう言って、僕の制服の袖をちょんと掴んだまま、はにかむように笑った。 彼女は、学園でも一目置かれる美少女だ。成績は常にトップ。誰に対しても穏やかで、その一挙手一投足はどこか洗練された舞台のように無駄がない。
そんな彼女が、僕の前でだけ、時折こうした「不注意な幼馴染」の顔を見せる。
そのギャップは、僕の冷静な思考を一時的にフリーズさせるだけの十分な出力を持っていた。
「ねえ、悠くん。今日の放課後、図書室の整理当番だよね? 私も手伝ってもいいかな」
「有栖は委員会、別だろう」
「あ、うん。でも、私の仕事はもう終わらせちゃったから。……迷惑、かな?」
小首をかしげて僕を伺う彼女に、「迷惑だ」と言える人間を僕は知らない。
結局、僕は彼女の並んで歩くことを受け入れる。
彼女の歩幅は、僕のそれと完璧に同期していた。僕が信号を気にして速度を緩めれば、彼女もまた、呼吸を合わせるように歩調を整える。そのあまりに心地よいリズムに、僕は小さな違和感を覚えながらも、それを「長年の付き合いによる相性」という甘い納得で片付けてしまった。
放課後の図書室は、埃の舞う光の中に静寂が沈殿していた。
返却された本を棚に戻す僕の隣で、有栖は熱心に背表紙を拭いている。
「有栖、その本。一番上の棚だよ。手が届くのか?」
「……ん。ちょっと、厳しいかも。……んっ」
彼女は爪先立ちになり、背伸びをする。
制服の裾がわずかに持ち上がり、白く細い腰のラインが僕の視界を掠めた。
慌てて視線を逸らそうとした瞬間。
彼女の体がグラリと揺れ、抱えていた数冊の本がパラパラと床に滑り落ちた。
「わっ……!」
「危ない!」
僕はとっさに彼女の肩を抱き寄せた。
狭い本棚の隙間で、僕たちは密着する。彼女の柔らかな体温と、シャンプーの清潔な香りが、一気に僕の五感を支配した。
有栖は僕の胸に顔を埋めたまま、耳元で小さく吐息を漏らす。
「……ありがと。また、助けてもらっちゃった」
「……不注意だぞ。危ないって、言ったのに」
「……そうだね。悠くんの前だと、私、なんだか調子が狂っちゃうみたい」
顔を上げた彼女の頬は、夕陽のせいだけではなく、林檎のように赤く染まっていた。
潤んだ瞳が僕を捉え、逃げ場を奪う。
その瞬間、僕は気づいてしまう。
彼女が落とした本。僕が彼女を支えた角度。そして、この狭い空間で二人きりになるというシチュエーション。
……あまりに、出来すぎている。
推理小説なら、これは巧妙な伏線だろう。
けれど、目の前で恥ずかしそうに視線を泳がせている有栖は、そんな策略とは無縁の「純粋」そのものに見えた。
彼女の完璧な知性が、こんな「ドジなラブコメ」を演出するために使われるはずがない。
「ねえ、悠くん。……まだ、離してくれないの?」
彼女の小さな、震えるような声。
僕は弾かれたように彼女を解放し、意味もなく一冊の本を手に取った。
有栖は僕の後ろ姿に向かって、小さく「えへへ」と笑う。
その笑い声は、春の陽だまりのように温かかった。
僕の世界に降り注ぐ「幸運」という名の雨が、彼女の意志によるものなのか、それとも神様の気まぐれなのか。
今はまだ、その正解を導き出す必要はない気がした。
ただ、彼女が隣にいる。
その事実だけで、僕の心臓の拍動は、論理では制御できないほどの速さで刻まれ続けていたのだから。
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